私の恩師である天児慧先生の早稲田大学退職を記念して、教えを受けた天児組の「弟子」たちが、先生への感謝の気持ちを込めた論文集を刊行しました。早稲田大学アジア太平洋研究センター『アジア太平洋討究』(天児慧教授退職記念号)第30号、2018年1月です。編集の労は、平川幸子氏がとってくださいました。ありがとうございました。
本号に、私は拙稿「中国の安全保障政策におけるパワーと覇権追求―攻撃的リアリズムからのアプローチ―」を寄稿しました。昨年の夏季休暇を使い、天児先生の学恩に報いようとの気持ちで、ヘロヘロになりながらも一所懸命に執筆しました。なお、拙稿は早稲田大学リポジトリにおいて、近いうちに公開される予定です。
天児先生との出会いは、「野球」でした(先生の野球愛は有名)。約25年も前になります。青山学院大学の野球練習場でナイターの草野球をやるというので、私は当時、非常勤講師を務めていた群馬の私立大学で講義を終え、そのまま東京の青山まで野球に駆け付けました。その後、しばらくは天児大投手の「へぼ」キャッチャーとして、バッテリーを組ませていただきました。天児投手の決め球は、「スライダー」。右打者の外角低めに決まった時は、まず打たれませんでした。
閑話休題。
天児先生は、ご自身の集大成として、『中国政治の社会態制』岩波書店、2018年を出版されました。実に、25冊めの単著です!
本書の主な主張の1つは、欧米でつくられた社会科学の分析枠組みによる中国政治の説明に対する警鐘です。他方、拙稿は米国の学者が構築した理論による中国の戦略行動の分析です。つまり、「師匠」の主張に真っ向から対立する「論文」を恩師の退職記念の論集に寄せたことになります。「私はそもそも若者と語り合い、議論することが大好き」(前掲書、291ページ)な先生だからこそ、論争的な研究を許してくださったと私は信じています(もう若者ではありませんが、苦笑)。
「人を育てる」ということは、多感な青年期の人間の心にどれだけ寄り添って、彼らの研究や将来についてサポートしていけるかということだろう(290-291ページ)。
至言です。「こいつはバカだから」と言いながら(25冊も単著を書く学者からすれば、ほとんど全ての「弟子」はバカでしょうね(笑)、公私にわたり、いつも温かなご支援を与えてくださった天児先生に、心から感謝申し上げます。
本号に、私は拙稿「中国の安全保障政策におけるパワーと覇権追求―攻撃的リアリズムからのアプローチ―」を寄稿しました。昨年の夏季休暇を使い、天児先生の学恩に報いようとの気持ちで、ヘロヘロになりながらも一所懸命に執筆しました。なお、拙稿は早稲田大学リポジトリにおいて、近いうちに公開される予定です。
天児先生との出会いは、「野球」でした(先生の野球愛は有名)。約25年も前になります。青山学院大学の野球練習場でナイターの草野球をやるというので、私は当時、非常勤講師を務めていた群馬の私立大学で講義を終え、そのまま東京の青山まで野球に駆け付けました。その後、しばらくは天児大投手の「へぼ」キャッチャーとして、バッテリーを組ませていただきました。天児投手の決め球は、「スライダー」。右打者の外角低めに決まった時は、まず打たれませんでした。
閑話休題。
天児先生は、ご自身の集大成として、『中国政治の社会態制』岩波書店、2018年を出版されました。実に、25冊めの単著です!
本書の主な主張の1つは、欧米でつくられた社会科学の分析枠組みによる中国政治の説明に対する警鐘です。他方、拙稿は米国の学者が構築した理論による中国の戦略行動の分析です。つまり、「師匠」の主張に真っ向から対立する「論文」を恩師の退職記念の論集に寄せたことになります。「私はそもそも若者と語り合い、議論することが大好き」(前掲書、291ページ)な先生だからこそ、論争的な研究を許してくださったと私は信じています(もう若者ではありませんが、苦笑)。
「人を育てる」ということは、多感な青年期の人間の心にどれだけ寄り添って、彼らの研究や将来についてサポートしていけるかということだろう(290-291ページ)。
至言です。「こいつはバカだから」と言いながら(25冊も単著を書く学者からすれば、ほとんど全ての「弟子」はバカでしょうね(笑)、公私にわたり、いつも温かなご支援を与えてくださった天児先生に、心から感謝申し上げます。