サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

聞こえにくい人である佐村河内氏と手話~記者会見より(追記有)

2014年03月07日 | 手話・聴覚障害

本日11時から佐村河内氏の記者会見が開かれた。
13時30分くらいまで行われたが、13時くらいまでは見ることができた。

会見のなかで、正直、これは嘘だろうと思う部分もいくつか(も?)あった。
謝罪会見という観点からみれば、謝罪の気持ちもが足りないという点もあったと思う。
きっとその点は多くのマスコミも今後触れていくであろう。

佐村河内氏が、以前、両耳全ろうで“3年前から”聞こえるようになったという点は正直信じられないが、‘’現在の‘’聞こえの部分に関しては、嘘はなかったと思う。わかってほしいが故の、あるいはわからせるための多少の誇張があった可能性はあると思うが嘘とは違うだろう。

いろいろ思うところはあるが、佐村河内氏の聞こえと、そのことの報道、会見での手話通訳に限って書いてみたい。
(できるだけ、聞こえない聞こえにくいことの知識がない人にもわかりやすく書いてみたい。『そんなこと知ってるよ』という人はその箇所はとばしてください)

冒頭で診断書が提示された。
右耳の聴力レベルは48.8デシベル、語音明瞭度 71%、 左耳の聴力レベルは51.3デシベル、語音明瞭度 29%。感音性難聴である。身体障害者手帳が取得できる聴覚障害ではない。
(ちなみに聴力レベルは純音聴力検査での検査。自分で音が聞こえたらボタンを押すという方式の検査。脳波を調べたABR検査、いわゆる科学的聴力検査右が40デシベル 左が60デシベル。それほど大きな誤差はないところから佐村河内氏の自己申告は信用度があるということになる)

デシベルとは音の大きさの単位。数字が大きくなるほど大きな音ということになる。
つまり右耳では、48.8デシベルの音が聞こえて、右耳では51.3デシベルの音が聞こえるということである。
50デシベルとはどのくらいの音の大きさかというと普通に会話している程度である。あるいは静かな部屋でTVをつけて1m半ほど離れて普通に聞こえるくらいの音量。(今、簡易的な音量の測定器で測定しました)。聞こえる人(健聴者、聴者)であれば、問題なくテレビの音が聞こえるが、50デシベルの難聴の人は、何か音がしていることがわかる程度ということになる。つまり音がしているのはわかるが意味はわからないということになる。会見での佐村河内氏の言葉を借りれば「相手がしゃべっているのは聞こえているが、何を言っているのかはわからない」ということになる。
ちなみに障害者手帳を取得できる聴覚障害のなかでもっとも軽い6級は、両耳の聴力レベルが70デシベル以上、あるいは片耳が90デシベル以上、もう片方が50デシベル以上という規定である。90デシベルとは羽田空港沖でのジャンボジェット機の騒音くらいの音の大きさである)

語音明瞭度とは、聞こえた言葉の何%の意味がつかめたかということ。
例えば、70デシベルの声でしゃべってもらえば音ととしては聞こえるはずである。そのうち何%が聞き取れたかということだ。
以下のようにイメージしてもらうとわかりやすいかもしれない。
何かの文章を書いてみて、消しゴムでところどころを消してみる。
右耳は明瞭度71%なので、不明瞭な部分は29%。文章の29%を消してみても71%残るので意味はかなりつかめるだろう。
しかし左耳の明瞭度は29%。文章の71%を消してしまえば意味はつかめなくなってしまうだろう。
あるいは霧がかかって文字の29%しか見えない。そういった状況を想像してもらえるとわかりやすいかもしれない。
佐村河内氏は「音がねじれている」という言葉で表現していた。
感音性難聴の特徴でもある。難聴には伝音性難聴と感音性難聴がある。(混合性難聴は両方がミックスしたものである)。簡単に聞こえのことを説明すると、空気振動が耳に伝わり内耳で電気信号に代えられ脳に送られれる。感音性難聴は電気信号に変える部分、および電気信号を脳に伝える部分の異常である。仮に補聴器をつけても、ねじれやひずみはそのまま拡大されることも少なくない。ただ佐村河内氏のレベルの難聴であれば補聴器はかなり有効である。しかし補聴器をつけたからといって聞こえる人と同じように聞こえるわけではない。
佐村河内氏は補聴器は以前より使用していたようでもある。長髪にしていたのは補聴器を隠すためでもあったらしい。

佐村河内氏が昔から今の聴力レベルであったとしたら(昔はもっと軽かった。しかし耳鳴りはあったということかもしれないが)、新垣氏とのやり取りでのなかで、新垣氏が「聞こえないと感じたことはない」という言葉に違和感はない。佐村河内氏が言うように、佐村河内氏がほとんどしゃべって新垣氏が反応する、佐村河内氏は補聴器装用と口話、読唇で問題なかったのだと思う。
電話に関しては、新垣氏が電話で話したと主張、佐村河内氏は一度もないと主張。佐村河内氏がほぼ一方的にしゃべり、新垣氏の相槌を補聴器を通じて聞く、あるいは聞こえやすい電話機器を利用したりすれば活用できると思う。
またデモテープを聞いた、聞かないという点に関しては、高音など聞きにくい箇所はあったかもしれないが、佐村河内氏の聴力レベルでもチェックできるポイントは多々あったと思う。
しかし電話とデモテープ(テープじゃなくてパソコンとかでしょうが)の件は、佐村河内氏側からすると、認めてしまえば3年前までは聞こえていなかった(両耳全ろうだった)ということが嘘になり、嘘に嘘を重ねる必要があったのかもしれない。

結局、以前。佐村河内氏が障害者手帳を取得した際、いったいどのくらい聞こえていたのかは謎のままになってしまった。
今くらいの聴力レベルだったと考えるたほうが諸々わかりやすいのだが、一時的に聴力がガクンと落ちて回復したという可能性はあるのかもしれない。定着してしまえば回復はあり得ないだろうが、短期であればそういったケースもあるといったことも聞いたことはある。
今日の会見では具体的な病院名も出て、入院の必要があるといった診断を受けたそうだ。難聴の世界では有名な病院である。記録も残っているのだろうが、刑事事件にでもならない限り調査することは不可能なのであろう。しかし本人が認めれば、調査することも可能であるとしたら、今日、その言質をとるべきだったのかもしれない。

そして手話である。
そもそも、何故、佐村河内氏は手話を学ぼうと思ったのだろうか?
本当に中途失聴し両耳全ろうになったのなら、すぐにというわけではないだろうが手話を学ぶということも多い。当初聞こえないということに絶望するが、聞こえない世界、手話の世界があることを知り、学び始めることが多いわけだ。

だが聴力レベルが現在と同じ程度であったとすれば、何故手話を学ぼうと思ったのかが理解しにくい。
そのくらいの聴力レベルの人は手話ではなく口話で会話している人がほとんどだからだ。
聞こえない世界にいくのではなく、聞こえる人の世界にとどまっていたいという気持ちも強いのだと思う。
以前、佐村河内氏は。一時的に聴力レベルががくんと落ちて回復したのだろうか、あるいは聴力レベルとしては重くなくても耳鳴りがひどく手話の必要性を感じたのかもしれない。あるいは1995年に手話ブームを巻き起こしたTVドラマ「星の金貨」の影響でもあったのだろうか。
きっかけはどうあれ手話を覚えるのは容易ではない。

次に今日の会見での手話通訳のことに関してふれたてみたい。
佐村河内氏は補聴器装用ではなく、手話通訳というコミュニケーション手段を選択した。
補聴器をつけていたとしても、あのけたたましいシャッター音のなかで質問者の声を聞き取るのは難しかっただろうし、質問者も必ずしも近くにいるわけではないので読唇もやりにくく、成立しなかったと思う。
もし成立させるとすれば、質問中は撮影禁止、質問者は前に出てマイクなしで佐村河内氏の正面に立ち出来るだけゆっくりと質問するといった何かしらの“配慮”が必要だったと思う。
佐村河内氏は、聞こえにくい難聴者であることには間違いないからだ。

診断書が提示されたものの、聞こえる聞こえないという疑念は会場にも渦巻いていたようだ。
会場の質問者の声は、佐村河内氏の座る位置ではどの程度の大きさで聞こえていたのだろうか?
調べようと思えば、簡易的な音量を測る装置を持っていって測定することもできると思うのだが。
会場に取材に行くことでかなうなら絶対に調べたいところではあったのだが。

佐村河内氏が手話通訳の手話を読み取る、その点に関してはおかしな点はなかったように思う。
むしろ質問者やテレビのゲスト出演者などのほうに首を傾けざるをえない点があった。
例えば、昼の番組にゲスト出演していた耳鼻科医の方が「手話通訳を見ていないでうなずいている」という場面があったが、少なくともその瞬間は佐村河内氏は確かに手話通訳を見ていた。勘違いがあった理由は、カメラの角度であろう。手話通訳の方は佐村河内氏から見て真正面より少し右にいて、一方TV局によってはかなり斜めにカメラが位置しており、佐村河内氏がかなりそっぽを向いている印象があったからであろう。もちろんゲストの方に悪意はなく、また嘘でもないが、明らかな間違いだと思う。
また夕方のニュースでは、別の耳鼻科医の方が、「質門に対して聞き返すことなく答えていた」というような意味合いのことを言われていたのだが(正確にどう言われていたかは失念しました)、佐村河内氏は何度も手話で通訳者に聞き返す場面があった。おそらく質疑応答のすべてを見られたわけではないことからくる誤解だったのではないかと思われる。
もちろん音量や聞こえやすい声であったことにより、聞こえたこともあったのかもしれない。

会見全体を通して佐村河内氏は、手話通訳を見てから答えていた。
手話は質問によっては、言い終わるとほぼ同時に表現し終えることができる。しかしちょっとわかりにくい質問の場合はそうはいかない。実際、そういった質門の際は、何度か聞き返す場面が見られた。
ニュースなどで、佐村河内氏がとんちんかんというか、あえて論点をずらした答えをしているという指摘があった。なかには故意に論点をずらした場合もあったかもしれないが、手話通訳が入ることによって論点が少々ずれてしまうことはよくあることである。自分自身も講演する時など、何度も経験したことがある。


文春に記事を書かれた神山氏も会見で質問された。義手のバイオリニストみっちゃんの思いを胸に質門されていた。その思いは理解できるしもっともだが、「それはないだろう」という場面もあった。質門の内容ではなく、手話通訳や聞こえに関することである。
前後のことを書き出さないとわかりにくいので書き出させてもらった。
現場にいたわけではないので、あくまで映像を見ながら想像したことになる。

神山氏「義手のバイオリニストの「みっくん」に対して、自分に謝るのか、あるいはバイオリンをやめるのかというメールをうっていますが、今考えれば笑止千万のメールなんですが、あれはどういう思いで、自分にどういう力があって一人の女の子の運命を左右しようとしたんでしょうか? またそれに対する謝罪の言葉をまだ聞けてないんですが」    
    佐村河内氏、神山氏のほうを向き、
佐村河内氏「どういうことですか、何を謝れと?」
神山氏「(遮るように)まだ手話通訳終わっていませんよ。通訳終わってからのほうがいいんじゃないんですか」
   (会場笑い)
佐村河内氏「はっ? 僕は今、おっしゃったことに対して話しているわけです。何を僕がみくちゃんに謝る…」
神山氏「(遮るように)じゃもう、目と目を見てやりましょう。僕と口話をしてください。
佐村河内氏「あの、そういうふざけたことはやめてもらえませんか。科学的な検査がそこに出てるじゃないですか」
神山氏「聞こえるというね」
佐村河内氏「(憮然として)あの皆さん大変申し訳ありません。もう質問は結構です」
(その後、やりとりが続く)

「まだ手話通訳終わっていませんよ」の部分だが、おそらく手話通訳の方はいったん「謝罪まだない」といった意味のことを表現し、いったん手話を止めて、「どういうことですか。何を誤れと?」という佐村河内氏の言葉を受けて補足説明を始めたのではないだろうか?
というか補足説明するために佐村河内氏を呼んだのではないだろうか?
それを見た神山氏が「まだ手話通訳は終わっていませんよ。全部を聞いてからの方がいいんじゃないんですか?」と言う。
会場から笑いが起きる。
しかし笑う場面だろうか?
茶番だと思ったのだろうか。
何が起きているのかしっかりと見る必要があった場面だったのではないだろうか。
そこに状況を読み取れる人間はいたのだろうか?出来ればそこにいたかった。
通訳はその後「まだ手話通訳終わっていませんよ。通訳終わってからのほうがいいんじゃないんですか」と表現する。
そうすると当然佐村河内氏はわけがわからず「はっ?」なる。
すると神山氏が「目と目を見てやりましょう。僕と口話をしてください」という。
私自身も聞いた瞬間に正直、「何言ってるの、この人!」と思ったのだが、案の定佐村河内氏は「そういうふざけたことはやめてもらえませんか」と答えた。
少なくとも、あの環境(多くのシャッター音、補聴器もなく、距離も近くはない)で言うことではないと思う。
もちろん「何故補聴器をしないで出てきたのか?」という疑問はあるわけで、そのことを聞かれている人もいた。
また50デシベルの難聴者のことを「聞こえる」と呼んでもいいのだろうか。もちろん聞こえないわけではないが、聞こえにくい状況ではあると思う。


佐村河内氏は大嘘つきだったことに間違いはないが、きこえにくい(*中程度の)難聴者であることだけは事実だ。
その点だけは、しっかりと理解しておかなくてはならないと思う。
聞こえにくい人を誤解しないためにも。
{*の部分ですが、「軽度の」から「中程度の」に訂正しました。実際は中程度の難聴に分類されるようですが、感覚的には「軽度の」の方がより伝わると思い(  )を付けて「軽度の」という表現にしていましたが、誤解を招いてしまったようで訂正しました}


ところで手話通訳の方はあの場に出てくることに関して、相当な勇気が必要だったと思う。
その点は本当に察するに余りある。


(追記)
以下の部分に間違いがありました。

「まだ手話通訳終わっていませんよ」の部分だが、おそらく手話通訳の方はいったん「謝罪まだない」といった意味のことを表現し、いったん手話を止めて、「どういうことですか。何を誤れと?」という佐村河内氏の言葉を受けて補足説明を始めたのではないだろうか?
というか補足説明するために佐村河内氏を呼んだのではないだろうか?

TVでその時の手話通訳者の映像が流されてわかりました。
実際には、「謝罪まだない」といった意味合いのことまでは、手話通訳者は表現していませんでした。
その部分を通訳しようと手話通訳者が佐村河内氏が呼んだのを見て、神山氏が「まだ手話通訳終わっていませんよ」と発言した流れのようです。
私の想像が間違っていました。取り急ぎ訂正しておきます。
そのことを踏まえて新たに記事を書き込みます。

(追記の追記)
この記事を読んだ耳鼻科医の方から、語音聴力検査に関して事実誤認があるのではないかというご指摘をいただきました。佐村河内氏は右耳の語音明瞭度が71%ですが、文章の理解力という点では90%以上になっているのではないか。騒音などで聞き取りにくい時はあったでだろうが、会見の際も右耳を通して情報は入っていたのではないかということです。


聞こえない聞こえにくい人は、誤解を受けやすい立場にあります。
この記事は、聞こえない聞こえにくい人、高度難聴から軽度難聴にいたるまで、誤解されることのないように、出来るだけ正確な情報をお伝えしようと思い発信しました。
しかし事実誤認の点ががあれば逆に大変失礼なことをしてしまったことになります。

この記事を読んでいただいた方に誤解してほしくないのは、決して佐村河内氏を擁護しているわけではないという点です。きちんとした検査の結果出た診断に対しては、彼のやったことは別として、冷静に見る必要がある、そういった思いで記事を書きました。

また改めて記事を書き込みます。