友人のT.Mさんが、遠藤周作さんの「深い河」を中心に
最近、いろいろ考察しておられます。
私も若いころ、友人3人で、遠藤周作さんの作品を読む会をしていました。
しかし、もうずっと遠藤周作さんの作品を読むこともなく、
遺作となった「深い河」も、実は読んでいません。
この「深い河」は、黒人霊歌にもありますし、
インドのガンジス川も意識しているらしいです。
旧約聖書の「イザヤ書53章は、イエス・キリストの十字架を預言しています。
イザヤ書53章2節~4節
:2・・・彼には見るべき姿も輝きもなく
私たちが慕うような見栄えもない。
:3 彼は蔑(さげす)まれ、人々からのけものにされ
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背けるほど蔑まれ(軽蔑され)
私たちも彼を尊ばなかった
:4 まことに、彼は私たちの病を負い
私たちの痛みを担った。
それなのに、私たちは思った。
神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
(新改訳聖書2017)
「深い河」には、このイザヤ書53章のことばが度々引用されているそうです。
2016年の映画「沈黙 サイレンス」は、とても優れた映画でした。
遠藤周作さんの作品を、外国人のキリスト者の目を通して描いている。
宣教師の役は外人(古い日本映画の「沈黙」では、丹波哲郎さんなどだったかと)
一番印象に残っているのは、
隠れキリシタンのリーダーのやや年配の男性。
その表情、演技は、まさに本物のキリスト者でした。
ゆるぎない信念、信仰が、その厳しく引きしまった表情に現れていました。
いまも時々その表情を思い出すことがあります。
いざとなったときに、「主を知らない」と言わないでいられますように。(祈りつづけます)
鈴蘭 そのいつくしみはかぎりなく (野口勝利さんからお借りしました)
主の恵みと慈しみを 日々味わい 感謝したい。