風の詩(kazenouta)2

いつも喜び、たえず祈り、すべてを感謝する
そのような日々を過ごしたい。

炉開き 十一月 茶道(さどう)

2023-11-05 18:17:00 | 茶道 茶の湯

茶道(さどう)では、十一月は、新年よりも清々しい月だそうです。

炉開き(ろびらき)が行われ、冬支度。

 とはいえ、本日の暑いほどの日差しは、どうなっているのでしょう。

 コスモスとひまわりが、一緒に咲くなど、自然の循環がおかしくなりつつある。

 錦繍(きんしゅう)という言葉が、泣いています。

 

京都の鷹峯(たかがみね)では、本阿弥光悦ゆかりの、光悦会があるそうな。

茶の湯、、、千利休、、、その世界に、ずっと憧れていましたが、

どうも、その道ではなく、ほかの道を歩んできてしまいました。

 

でも、茶器や花入れには、とても魅かれます。

越前馬場 平泉寺白山神社の境内の、苔むす庭を、

司馬遼太郎さんは、愛したとか。

 白山・・・はくさん、しらやま、しろやま、はくざん・・・いろんな読み方があり   

  調べてみたのですが、どう読むのか分かりません。

   へいせんじ はくさんじんじゃ?

 

静謐な神社の境内の樹々に囲まれて、沈黙する時間がほしいです。

 

 平泉寺白山神社の苔   (無料画像をお借りしました)

  たぶん、司馬遼太郎さんもこの景色をご覧になったのでしょう。

   ちなみに、本文の内容は、千宗屋著「茶のある暮らし」から、お借りしています。

    たくさんの写真と解説(英文でも) 茶の湯を広めたいというお気持ちが伝わります。

    「英雄たちの選択」にも、よく出演されています。

 


「戦国ミステリー 千利休はなぜ死んだ?」 英雄たちの選択より

2023-10-22 19:10:55 | 茶道 茶の湯

録画している「英雄たちの選択」を見ました。

「戦国ミステリー 千利休はなぜ死んだ? 天下人秀吉との攻防」

今年は、なんと千利休・生誕100年だとか。(ちょっと前のような、もう百年たったのか)

天正19年(1591年)2月28日に切腹。

秀吉から蟄居(ちっきょ)を言い渡され、謝罪を拒んだ結果。

非業の死を遂げることで、千利休は、茶の湯を広めたのかもしれません。

 

毎月の月命日28日に、いまもなお、法要が営まれている。

聚光院の本堂で、表千家、裏千家、武者小路千家が交代で行う。

 非業の死=未完成=利休忌=菅原道真と同じ・・・祀(まつ)られる

常に予定調和をくずす、これが利休の面白さであり、独創的・創造的(クリエイティブ)

新しい発見、探求、永遠に求め続ける精神。

 

「今日は茶があった」とは、今日一日を、深く生きること。

一期一会。。。戦国時代にあっては、明日の命はないかもしれない。という覚悟。

 

今回面白かったのは、

待庵(たいあん)と、黄金の茶室のこと。

今までは、侘茶(わびちゃ)の真髄をあらわす待庵にたいして、

黄金の茶室は、成金趣味のようで、いただけない。

これが一般的な感想。

しかし、地味な土の空間である待庵と

濃厚な赤い光だけの黄金の茶室の空間は、

同じものを感じる、この人すごいなと、美術ライターの橋本麻里さん言われた。

 宇宙への広がりということでしょうか。

 千利休が追求し、表現したかったもの。

 

譲れないもの。核・塊となるもの、壊せないものを、千利休は、持っていた。と磯野道史さんは言う。

天下人秀吉は、新しい官僚体制(石田三成ら若手の)に変えようとして、

それに異を唱える千利休を、従わせることができなくて、切腹を命じたのか。

 

多くの人が、千利休の持っていたその核・塊となるもの

 (シンと呼ばれるもの ・真・新・信・芯・清・伸・進・・・かな?)

それは、人を狂わせる、と言う。

 

武者小路千家の千宗屋(せんのそうおく)さんは、

「みなさんから、叱咤激励、課題をいただき、精進してまいります」とおっしゃった。

茶道を世界にも、もっと広めたいという志が、成就しますように。

 

 ナイト・ダブル・レインボー  (高谷学さんからお借りしました)

  『ナイトレインボー』という写真集を持っているのですが、

  この虹は、まさにナイト・ダブル・レインボーですね。

  この瞬間に立ち会えるしあわせ。

   見せていただきありがとうございます。

   電柱は、その柱・核心・革新・確信・

 

 

 


茶と仏教  日吉茶園

2023-10-13 20:44:56 | 茶道 茶の湯

日吉茶園は、日本で最初の茶園だそうです。

比叡山を開いた、最澄さんが、中国の唐から805年に持ち帰った

茶の種を、ここに植えたそうです。

 

滋賀県の大津市坂本にあります。

坂本には、思い出があります。

若い時に、京都から琵琶湖の堅田まで、

ほぼ毎週、教会の集会所になっていたM家へ、

友人のF子さんの車で通っていました。

日吉大社の前を通る時、「坂本」と彫った鳥居?を見ていました。

 

ここが、坂本か。。。。といつも思っていました。

そこが、茶の湯の発祥の地ともいえる所だったのでした。

 

茶道は、最澄が日本へ持ち帰ったときから、

少しずつ変化し、侘茶といわれる利休を代表とする茶道へ。

 (詳しくはないのですが、だいたいそんな感じ)

 

冬が近くなってくると、

お抹茶をいただきたくなります。

     お抹茶  (無料画像からお借りしました)

      友達のAさんは、表千家で習い、とうとう自宅を改築する時に

      お茶室を作ったそうです。でも、作ったことで安心して、

      あまり使ってはいないとか。いまはどうしておられるか。

        お茶を楽しむ時間を持てるのは、豊かな時の過ごし方ですね。

        憧れる空間と時間です。