風の詩(kazenouta)2

いつも喜び、たえず祈り、すべてを感謝する
そのような日々を過ごしたい。

藤井聡太さん  八冠

2023-10-21 19:01:30 | 

将棋は、よくわかりません。

小学生のころ、従兄弟との挟み将棋をしたことは、覚えています。

また、将棋の駒を、将棋盤の真ん中に、山に積んで、引き抜く、、、という遊びをしていたことも思い出します。

将棋のルールは、ちょっとだけ学びましたが、対局??なんて出来ません。

 

藤井聡太さんのことを調べると、

最年少〇〇〇。。。。という言葉が並んでいます。

2023年10月11日に、八冠、、、全てのタイトルを独占したことは、

最近の大きな話題です。

第71期王座戦史上初。

  ちなみに、ラジオ英会話にも、将棋倶楽部にソウタ君が出てきます。

  火星人や、AIの男女も出てきます。

 

藤井聡太さんや、羽生善治さんは、地球人とは思えないほど将棋が強いということで

「将棋星人」と呼ばれているとか。

 深浦康市さんは、その藤井聡太さんに、3勝1敗と2021年末時点で勝ち越しているので

「地球代表」と呼ばれているとか。

もう、宇宙規模のお話です。

 

3歳のころ祖父母から将棋の手ほどきを受けたというこの青年は、

将棋が好きで、好きで仕方がなくて、負けず嫌い!

 幼少期は、負けると号泣したという。

 将棋ソフトを自作するほどで、パソコンをトレーニングマシンとして使っている。

どこか、野球が好きで、好きで、野球少年の大谷翔平さんと似ている。

 花が好きで、好きで仕方のない、牧野富太郎さんにも似ているかもしれません。

 

一途に道を究めていく姿には、魅かれます。

 雲間の月  (高谷学さんからお借りしました)

  最初に宇宙を感じたのは、お月様を見た子どものころ。

  天体望遠鏡をのぞいて、星を見た。

  『星の王子さま』を読んで、星を旅した。

   宇宙は神秘で謎がいっぱい。

   地球上で、戦争をしている場合じゃあない。

 

 

 


F先生ご夫妻との再会を感謝します

2023-10-16 19:20:19 | 

ずっとお会いできていなかったF先生ご夫妻を、お尋ねすることができました。

先生の妹さんのT美さんの車に乗せてもらって、Y姉と一緒に伺いました。

こんなに遠くから教会にお説教のご奉仕に来てくださっていたのかと、

とても驚きました。

 

高速道路を使って、1時間。六甲の山並みを通って、神戸の北区へ。

奥様も、先生もご病気をなさって、入院されていましたが、

現在、奇跡の回復をされて、お二人でご自宅におられます。

マンションの7階なのでとっても見晴らしがよく、緑の山並みを見ているだけで

心が晴れやかになるようでした。

 

ゲッセマネの園で祈られるイエス様の絵が、飾ってありました。

主が共にいてくださる。

支えてくださる。

そのことを確認できるような絵です。

 

そして、祈りのリストの大きい紙が、壁に貼ってありました。

教会の指導者のために・・・そのほかたくさんの方の名前がそこに。

「先生、ここに私の名前もお願いします」と私が言うと、

先生は、にこにこ笑ってうなずいてくださいました。

 

帰るときには、奥様がお祈りしてくださいました。

多くの信徒を訪問し、慰め、励ましてこられたお二人の生き方に

習いたい、学びたいと思いました。

 

久しぶりにお会いできたこと、

心から神さまに感謝します。

 どうか神があなたを祝福し、守られるように  (野口勝利さんからお借りしました)

  みことばには、力があると痛感します。

  主を讃美し、感謝します。

 


学徒出陣と国立鹿屋体育大学 江橋慎四郎学長 

2023-10-10 18:40:24 | 

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブスで

江橋慎四郎教授を2回にわたって放送した。

私はこの方を存じ上げない。全く知らない方でした。

1943年(昭和18年)の学徒出陣

(映像で何度も見た、雨の降りしきるなかの出陣学徒壮行会)

その時に、学生の代表として答辞を読んだのが、江橋慎四郎さんでした。

1920年(大正9年)生まれ。

 大正9年、10年、11年、12年、13年・・・・この年代の青年の戦死者が多いという。

 

彼は戦死しないで帰還。沈黙を通した。

戦後は、体育学の教授として東京大学で社会体育学・レクレーション学を教えた。

鹿児島大学や中京大学の教授を経て、

日本初の、国立体育系単科大学である、鹿屋(かのや)体育大学の創設に尽力し、

初代学長になられました。

 鹿屋とは、ご存じの方も多いと思いますが、特攻隊の基地があったところです。

 そこに国立の体育大学を初めて創る。

 その深い意味を感じ、私は心の内で泣きました。

江橋慎四郎さんは、2018年4月8日に97歳で亡くなりました。

 

残っている録音

「まず最初に言っておきます。戦争は絶対にいけない。。。

 情報は怖い。 情報統制されていて、自分は事実を知らなかった。

 だから答辞を読むことは、その時は、名誉なことと思った。しかし、

 これからの若者は、真実は何なのかということを、自分で見極めなくてはいけない。

 お金ではない。真実を追求精神が大切である」と、

  強い思いをもって叫ぶように語られた。

「大学は、自由に考えることを学ぶ場であるはずだ。」

 

戦局が悪化し、学徒も出陣させざるを得ない日本の状況、、、

そのとき、大学の教授たちは、学生を守ることはできなかった。

戦後、新しい教育・・・というので、多くの学長、教授は辞任していったという。

 私は、矢内原忠雄先生のことを思い出さずには、いられませんでした。

 戦中、東京大学を追われ、戦後、3度も強く乞われて東京大学の総長になられた。

 あの時代に、戦争反対の声を上げることのできた人が、いかに少なかったか。

 

多くの有為な若者たちが、死へと飛び立っていったその地

鹿屋に、心身を鍛える体育大学を創設なさった。

 やっぱり泣けてきます。 

 何が重要であるかを判別することができ  (聖書アプリからお借りしました)

  真実を見極めることができますように。

 


笠置シヅ子さん ブギの女王 朝ドラ「ブギウギ」

2023-10-09 19:10:48 | 

10月から始まった朝ドラ 「ブギウギ」の主人公、笠置シヅ子さんを

「伊集院光の百年ラジオ」10/8で取り上げていました。

 4本の録音が残っていたとか。

 

戦後、持ち前の明るさ、歌と踊りで、多くの人たちを励ました人。

その歌声と踊る姿は、テレビで過去の映像として何度も見ました。

 戦後復興の象徴的な存在だったような気もします。

庶民的な雰囲気で、大阪人(香川県で生まれ、大阪で育つ)らしい

人を喜ばせたいという気持ちにあふれた人でした。

作曲家、服部良一さんとの出会いは、運命的。

 「ブギウギ」の主題歌をそのお孫さんの服部隆之が作詞作曲。

 

1957年ごろ、歌手廃業を宣言。

「自分の一番いい時代(ブギの女王としての全盛期の栄華)を自ら汚す必要は無い」と潔く引退。

  引き際を知っていた人でした。

紅白歌合戦に、トリとして、灰田勝彦と笠置シヅ子が出たのが、歌手としては最後になった。

その音源が残っていました。

 戦中は、この二人は、軍部から目を付けられて、慰問活動も少なかったとか。

 (敵国のジャズ、派手な衣装、化粧など)

歌手をやめてからは、女優やインタビュアーとして活躍した。

黒澤明監督、三島由紀夫さんは、笠置シヅ子さんのファンだったというのも、知りませんでした。

東大総長だった南原繁教授は(香川県出身)、実父の友人で後援会長を引き受けていたとか。

 その後、11歳の美空ひばりさんが、活躍するようになったのでした。

 

第1回の朝ドラ「娘と私」の作者、獅子文六さんのインタビューを、笠置シヅ子さんがしている音源もありました。

自分のことも少し話、相手から聞き出す、ちょっとだけ大阪弁も出て、素敵なインタビュアーでした。

 

たくさんの人から愛された笠置シヅ子さん。

朝ドラ「ブギウギ」でその生涯を知るのが、楽しみです。

 

 大船フラワーセンターの蓮  (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

 

 

 

 

 

 


フリーランス 宮本武蔵殿

2023-10-08 19:57:20 | 

「英雄たちの選択」で、宮本武蔵殿が取り上げられておりました。

吉川英治さんの「宮本武蔵」は、あまりにも長編で、何巻もあり、

見ただけでしり込みし続けており、いまも読む気にはなれません。

 

しかし、巌流島の小次郎と武蔵野対決、一条下がり松での決闘など、

よく目にしていました。

 

最近、新しい一級資料とかが、熊本で見つかったりして

新しい事実が分かります。

今回の「英雄たちの選択」で知ったのは、

宮本武蔵が、晩年(といっても57歳)、島原の乱に参戦していたということ。

小倉城主の小笠原明原の下にいた。

その時に投石がむこうずねに当たり、老兵であることを自覚し転機が訪れた。

 

養子にしていた甥の伊織の出世も見届け、

自分自身は、さらに武芸の道を究めようとする。

 より孤高に生きようとしたのでしょうか。

 

細川家の細川忠利は、柳生新陰流の奥義も伝授されていて、

宮本武蔵殿を招いたという。

そこで文武両道、かつ兵法の道を求め、それを書き残した。

有名な「五輪の書」は、ひとり洞窟に籠って書かれたという。

 

五巻からなる「五輪の書」は、

地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻から成る。

書き終えて、一週間後に亡くなった。

 

たぶん読んでも理解できないかもしれませんが、

「五輪の書」の解説付きを、読んでみたいです。

人生を生きる書、仏教、儒教、道教の学びもして、

書や絵画も残した宮本武蔵殿に、敬意を表します。

 

各地を牢人として放浪して、見分を深めた。

明石城下の町の構築(町づくり)にも関わっていたとは知りませんでした。

細川家のもと、名だたる文人、茶人との交流があったことも

新しい資料でわかったとか。

 

剣術家としてだけでなく、この時代のフリーランスとして、

自由に生きた人、宮本武蔵殿。

多くの人が魅かれるのは、その自由な生き方。

仕官することを、頑なに拒んだ、その64年の生涯だ。

 

 そして、どうしても思い出してしまうのが、 

 たわいのないこと(前にも書いた気もしますが)

 広島の市内にあった、「むさし」というお店の、大きなおむすび。

 とっても美味しかったです。

 

 キリストが死んでくださったことによって  (聖書アプリからお借りしました)

  主イエス・キリストの生涯を思います。