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風の詩(kazenouta)2

いつも喜び、たえず祈り、すべてを感謝する
そのような日々を過ごしたい。

聖フランチェスコの 「平和を求める祈り」  

2025-06-14 19:36:14 | キリスト教会
毎週土曜日の早朝S先生からメールが届きます。
友だち4人にそれを転送しています。

今朝のメールには
聖フランチェスコの「平和を求める祈り」が
最後に載せてありました。

有名な祈りなので、ご存じの方も多いと思います。

いま、まさにこの祈りが必要だと痛感。
ここに記します。

  平和を求める祈り
わたしを あなたの平和の道具として お使いください。
憎しみあるところに 愛を
争いのあるところに ゆるしを
分裂のあるところに 一致を
疑惑のあるところに 信仰を
誤っているところに 真理を
絶望のあるところに 希望を
闇に光を
悲しみのあるところに
喜びをもたらすものとしてください
慰められるよりは 慰めることを
理解されるよりは 理解することを
愛されるよりは 愛することを
わたしが求めますように
わたしたちは与えるから 受け
ゆるすから ゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから

この祈りは、録音奉仕会の顧問だった
H先生がくださった、最後の葉書でもありました。
そのことに気づき、
より深くこの祈りを受け止めました。

地に平和を!



 ラベンダー  (恵理さんからお借りしました)
  H先生の葉書には、ラベンダーの絵が描いてありました

朝ドラ「あんぱん」千尋君の叫び この戦争がなかったら・・・・・

2025-06-13 19:47:35 | キリスト教会
昨日6/12の朝ドラ「あんぱん」の
兄弟だけの15分の場面は
多くの人たちを感動させました。

海軍少尉になって、5日後に佐世保港から
南方の海に出航する千尋が
兄の嵩に会いに来た

愛する国のために死ぬのではなく
愛する人のために生きたい

この戦争がなかったら、
弱い立場の子どもたちや女性たちを
法律で助けたかった

何度も繰り返す
「この戦争がなかったら」という言葉は
やなせたかしさんの叫びでもあります。

弟千尋の分も生きる
弟千尋がしたかっただろうことをしたい
アンパンマンは、丸顔の千尋に似ていると
やなせさんは言っておられた

自分の身を削ってでも
人々のしあわせを願う心

日本は、いま、奇跡的に80年間平和を保っています。
世界のあちこちで紛争や戦争があったなかで。
今日、イスラエルがイラクを攻撃しました。
核戦争の引き金にならないように祈ります。

戦争は、この地球から、全くなくなることはない。
でも、「交渉」でそれを避けることができるなら
知恵を絞って、互いに譲り合い、和解し、
平和を保ってほしい。



 花菖蒲とトンボ 
  (野口勝利さんからお借りしました)
 みなさま 良い安息日をお過ごしください。

英雄たちの選択 山岡鉄舟 江戸無血開城の立役者 至誠一貫

2025-06-12 13:55:37 | キリスト教会
昨日に続き、誠の道を歩んだ人いました。
 山岡鉄舟さん
至誠一貫 正直、 真っ直ぐ、 嘘をつかない人

幕末の無血開城というと、
勝海舟と西郷隆盛、、、、と言われているが
真の立役者は、山岡鉄舟だと知りました。

三舟・・・とは、高橋泥舟、山岡鉄舟、勝海舟のこと。
徳川慶喜の護衛官ともいえる高橋泥舟が、
異国からの脅威を含む現状について話し、
慶喜を説得する。

西郷隆盛に直談判するために
山岡鉄舟が選ばれた。
 泥舟34歳の義弟で33歳

和平への交渉術は、
真っ直ぐで、裏表がなく、信頼に値する人物であること。
その人格を相手に分かってもらうこと。
立場の交換をすることで、自分の立場を理解してもらう。
それと、相手に少し勝を与えること。

後に西郷隆盛は、山岡鉄舟のことを
「あんな、命も金も名もいらぬ人間は始末に困る。
しかし、この始末に困る人でなくては、
天下の大事を語るわけにはいかない」と
賞賛したという。

明治16年、西郷隆盛との約束通り
維新に殉じた人の菩提を弔うため
東京台東区谷中普門山全生庵を建立。
そこに明治21年(1888年)7月19日 53歳で亡くなった
山岡鉄舟のお墓がある。

剣と禅と書に長けた無私の人物である。

最後に磯田道史さんが言う
世に必要なのは、人物、人格である。
これこそが真の宝。
江戸幕府(徳川慶喜)は、人を見る目はあったのだ。

誠の人。
正直で真っ直ぐな人。
そういう人物に、国を任せたいものです。

 青い紫陽花 (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)


 山岡鉄舟 先生 (無料画像をお借りしました)

小村寿太郎 誠は天の道なり  DJ日本史

2025-06-11 11:58:07 | キリスト教会
6/8 DJ日本史では小村寿太郎と渋沢栄一
テーマは『この軸があるから、私はブレなかった』。

小村寿太郎
***ウィキペディアより***
1855年10月26日(安政2年9月16日)
 - 1911年(明治44年)11月26日)は、
日本の外交官、政治家。
外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。
イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮(韓国)の
公使・大使を務め、
特に2度の外相時代には日英同盟の締結、
日露戦争後のポーツマス条約の締結、
条約改正の完成(関税自主権の完全回復。
治外法権は陸奥宗光が改正)などの業績をのこし、
近代日本外交を体現した人物として知られる。
*********************

名前は知っていても、詳しくは知らなかった人。
現・宮崎県日南市に生まれ長崎へ留学(13歳)
成績抜群、品行方正で大学南校(現・東京大学)で学び後に
ハーバード大学へ留学。

この小村寿太郎さんの軸は、
誠=誠実、正直であること。
誠の道は、天の道なり。

優秀であって誠実な人がいたから
明治政府は、近代国家へ進んでいけたのでしょう。

ブレない生き方をしたいものです。


 紫の紫陽花 (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

追悼 長嶋茂雄さん

2025-06-10 13:58:29 | キリスト教会
6月3日に亡くなった長嶋茂雄さん
そのニュースが流れると、多くの人がその人柄を偲びました。
記帳台が置かれていてるところまでありました。

野球のことをよく知らなくても、
巨人のファンでなくても、
長嶋茂雄さんは、好きだという人がたくさんいました。

昭和の戦後の経済復興と共に、
日本人を励まし、勇気と希望を与えてくれる存在でした。

私も、野球ファンではありませんでしたが
長嶋茂雄というスーパースターに好感を持っていました。

しかし、一番すごいなあと思ったのは、
脳梗塞を起こして、半身不随になられたあと
きついリハビリを耐えて、歩けるようにまで回復なさった。
その姿を、公の前に現わされたことです。
不自由なお体になられたにもかかわらず、
野球場へ足を運ばれた。
本当に強い人というのは、こういう人のことを言う。

愛弟子の松井秀喜さんの存在。
ドラフトで松井秀喜さんを引き当てたことに
運命を感じます。

太陽のように、みんなを暖かくしてくれる存在。
会った人は、みなそのオーラを感じるという。

つねに前を向き、進み続ける長嶋茂雄さん
その精神を見習いたいと強く思いました。



 追悼 長嶋茂雄さん
  (無料画像をお借りしました)