'다 'と'모두 ' 「みな」
日本語の「みな、すべて」にあたる'다 'と'모두 'の使い分けも、僕にはなかなか難しいのです。'국어실력이 밥 먹여준다 2 'によると、'다 'は「尽くす」という意味の'다하다 'から、'모두 'は「集める」という意味の'모으다 'から来た言葉です。語源から明らかなように、'다 'は一つもの全体が使いつくされてなくなる状態を想定しており、'모두 'は一つ一つが集まって全体を作っていく状態を前提にしているそうです。
'다 '・・・・個別の事物の集合である全体に焦点を合わせる語
'모두 '・・・全体を構成している個別のもの一つ一つに焦点を合わせる語
上のことから、'다 'は、数えることができるものとできないものの両方に使うことができますが、'모두 'は一個一個数えられるものにしか使えないという決定的な違いがあります。液体や気体のような物質名詞や「愛」・「平和」・「最善」のような抽象名詞には、'모두 'は使えないそうです。
'컵에 든 물을 다 마셨다 ' (コップに入った水を全部飲んだ)○
'컵에 든 물을 모두 마셨다 ' ×
下の二つの文章は、日本語に訳すと、両方とも「僕がもっているもの、すべてを君にあげるよ」というふうになりますが、韓国語のニュアンスには大きな違いがあります。
'내가 가진 건 다 너 줄게 '
'내가 가진 건 모두 너 줄게 '
上には、愛や希望などの内面的なものを含んだすべてを与えるというニュアンスがありますが、下は目に見える物質的なものに比重が置かれているそうです。愛を告白するときは、'다 'を使うほうが相手の心を動かすのに効果的であると、筆者は書いています。なるほど・・・よく覚えておこう。
日本語の「みな、すべて」にあたる'다 'と'모두 'の使い分けも、僕にはなかなか難しいのです。'국어실력이 밥 먹여준다 2 'によると、'다 'は「尽くす」という意味の'다하다 'から、'모두 'は「集める」という意味の'모으다 'から来た言葉です。語源から明らかなように、'다 'は一つもの全体が使いつくされてなくなる状態を想定しており、'모두 'は一つ一つが集まって全体を作っていく状態を前提にしているそうです。
'다 '・・・・個別の事物の集合である全体に焦点を合わせる語
'모두 '・・・全体を構成している個別のもの一つ一つに焦点を合わせる語
上のことから、'다 'は、数えることができるものとできないものの両方に使うことができますが、'모두 'は一個一個数えられるものにしか使えないという決定的な違いがあります。液体や気体のような物質名詞や「愛」・「平和」・「最善」のような抽象名詞には、'모두 'は使えないそうです。
'컵에 든 물을 다 마셨다 ' (コップに入った水を全部飲んだ)○
'컵에 든 물을 모두 마셨다 ' ×
下の二つの文章は、日本語に訳すと、両方とも「僕がもっているもの、すべてを君にあげるよ」というふうになりますが、韓国語のニュアンスには大きな違いがあります。
'내가 가진 건 다 너 줄게 '
'내가 가진 건 모두 너 줄게 '
上には、愛や希望などの内面的なものを含んだすべてを与えるというニュアンスがありますが、下は目に見える物質的なものに比重が置かれているそうです。愛を告白するときは、'다 'を使うほうが相手の心を動かすのに効果的であると、筆者は書いています。なるほど・・・よく覚えておこう。
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