今朝のNHKR1「石丸謙二郎の山カフェ」の「山からオハヨー」に、北アルプス新島々から上高地を結ぶ徳本峠(とくごうとうげ)に建つ徳本小屋の御主人が登場していた。
新島々からのルートは、昭和初期に上高地までの道路が開通されるまで槍・穂高方面に登る者が必ず通ったクラシックルートで、あのウェストンさんや、高村光太郎夫妻、芥川龍之介らも行き来したし、深田久弥さんは家族で峠から島々方面に下山した際、途中日が暮れて大いに難儀したと何かのエッセイに書いていた。
こんな、著名なルートなので一度歩きたいと思っていたところ、ランニング仲間にKさんという体力の有り余った青年がいたので、彼を誘って2012年10月の初めに歩いた。
ルートは
1日目 島々集落の空き地にテン泊仮眠
2日目 島々~徳本峠~霞沢岳(2646米)ピストン徳本峠テン泊
3日目 徳本峠~徳沢園~屏風の頭~涸沢テン泊
4日目 涸沢~涸沢岳(3110米)ピストン~横尾~上高地
という結構ハードな旅程だったが、いずれも好天に恵まれ、涸沢では10年に一度という極彩の紅葉に巡り合った。メインの2日目は、昼頃徳本峠について小屋のオヤジに往復7時間もかかる霞沢岳をこれから往復すると言ったら、遅いからやめとけと言われたが、二人とも当時は富士登山競争を走る仲間だったので、「走っていくので大丈夫です」と言って許してもらった。走りはしなかったが、二人とも空身で結構速足だったので夕暮れとともに小屋に戻って、小屋のビールで乾杯した思い出がある。
翌日、穂高に新雪が輝いていた。まるでヨーロッパアルプスを眺めているようで二人で歓声をあげた。
今朝のラジオでも言っていたが、昨年までの台風の影響で島々から徳本峠までのクラシックルートは、現在通行止めなんだとか。長野県警が「北アルプス新島々登山口通行止め」と言ってる意味がようやく分かった。最近の悪天続きの山模様、2012年10月のあの日は、奇跡だったんだと心にとどめておく。
2012年10月7日、穂高に新雪が下りてた。(徳本峠展望地から)
深田日本百名山登頂の思い出 2 羅臼岳(1661米)
2年間の釧路勤務という土地の利があったので、この間、羅臼岳には3度登った。1981年から82年にかけて。
うち2回は、職場の後輩、先輩と別々に。あと1回は妻と。ちなみに、妻と登ったのは北海道時代の羅臼とトムラウシだけで、その後、現在まで登っていない。下り坂がまるでダメで、一緒に歩くのをあきらめて今に至る。(ちなみに、妻はその後ぶくぶく太って山とは無縁な体躯をしている。)
登ったのは、3度とも深田さんと同じ羅臼温泉からの道で、1度職場の先輩と登った時は、頂上直下の岩清水という苔のびっしり生えた岩壁からつめたい水の滴り落ちる地点にテントを張って一晩明かした。現在の地図をみるとテント場の地点には「フードロッカー」という表示がされているが、これはテントにいい匂いのする食料をおいていたらヒグマに襲われるので、そんな事件を防ぐために寝るときに食料を入れておく頑丈なロッカーのことだろうが、40年前にはヒグマの恐怖というものは全くなく、狭いテントに食料と酒を香らせながらいびきをかいていた。いい気なもんだった。
記憶では2004,5年ごろ、レンタカーで西側ウトロ方面の岩尾別小屋に行って泊まり、硫黄山登山口から硫黄山(1562米)をピストンし、有名なお湯の流れるカムイワッカ湯の滝を楽しんだが、あるいは翌日羅臼岳もピストンしたのかもしれない。記憶があいまいなので?であるが。当時は、山を登った後にサロマ湖ウルトラマラソン100kを走るという無謀なミドル世代であって、山もサッササッサとあちこち歩き回ったことが、記憶を虚ろにしているのかもしれない。
羅臼岳から硫黄山までの縦走を夢見ていたが、フードロッカーがあちこち配置されているので、もう夢のままで終わるのだろう。(😅)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます