連休5月3日(日)
かねてより行きたかった高山寺にハイキングを兼ねて行く。
色々調べたがJR京都駅からJRバスが出ている。50分で高山寺に着く。
ではおもしろくない。それで歩いてどこからか行けないかと京都在住の友達に
メールで聞くなり、ネットで調べるなりするがどうも決定打が出ない。
金曜日職場で「もー仕事ばっかりで連休は高山寺に行きます。だれか
どこかの駅から歩いていけるか知りませんか?」と自称(関西低山専門家)
に大きな声でお伺いを立てるとすかさず学年主任の先生が「この本に載ってる
でー。」と教えて下さったのがJR保津峡の駅からの東海自然遊歩道。
3日日曜日に決行。JR千里丘の駅から1時間と少し
JR保津峡の駅は無人駅。降りたのは私たちだけ。
降りたらAUの携帯は圏外。故に珍しい緑℡が二箇所にもあった。
ほどなく遊歩道の入り口をトロッコ列車駅付近で見つけ歩き始める。
藤が満開
とてもいい道です。道標も新しくとても解りやすくもうほんとうに快適。
2時間くらいで清滝到着。そこからはもう観光地。
30分ほどであこがれの高山寺。
到着後あまりにお腹が空いていたので持参のおにぎりと
手羽から揚げを門前で頂く。(ごめんなさい!)
なんとも気のいい場所でした。石水院(後鳥羽上皇から明恵上人が賜った
学問所)は南北朝時代でも焼け残ったそうでそれ以外の建物はその時、焼けて
しまって江戸時代に復元されたものだそうだ。やはり気のある建物は生き残る
んだろうか?とても気持ちのいい場所だった。ただすぐそばに車がバンバン
走る道を作ったのは何故か?きっとこの気を感じる感性を持ち合わせない
役人が無遠慮に作ったのだろう。
白州正子さんや河合隼雄さんの著書で知られている明恵上人がどんなとこで
過ごしていたのかを知りたかった。
「あるべきやうわ」というあるべきように人は頑張ってその職務を果たす
べきだというさりげない言葉が胸にしみる。
明恵上人樹下坐像、当然レプリカ。
今回明恵上人生誕700年で建てられたお茶室(昭和6年建設)
が公開されていてそれを見学した。
その時に立命館大学の歴史研究部の学生さんが説明してくださった
のだが日本最古のお茶は明恵上人が広めたという事が解った。
日本最古のお茶畑があり、5月11日に収穫されるそうだ。
低いお茶の木の上部に新芽がにょっきり伸びていた。
毎年10キログラムのお茶が収穫できるそうだが
その半分が春日大社に献上されあとの半分が裏、表千家に
収められるそうだ。薬ではなく楽しむお茶、あるいは座禅の
瞑想の時、眠気を払うためにも活用されたそうだ。
かねてより行きたかった高山寺にハイキングを兼ねて行く。
色々調べたがJR京都駅からJRバスが出ている。50分で高山寺に着く。
ではおもしろくない。それで歩いてどこからか行けないかと京都在住の友達に
メールで聞くなり、ネットで調べるなりするがどうも決定打が出ない。
金曜日職場で「もー仕事ばっかりで連休は高山寺に行きます。だれか
どこかの駅から歩いていけるか知りませんか?」と自称(関西低山専門家)
に大きな声でお伺いを立てるとすかさず学年主任の先生が「この本に載ってる
でー。」と教えて下さったのがJR保津峡の駅からの東海自然遊歩道。
3日日曜日に決行。JR千里丘の駅から1時間と少し
JR保津峡の駅は無人駅。降りたのは私たちだけ。
降りたらAUの携帯は圏外。故に珍しい緑℡が二箇所にもあった。
ほどなく遊歩道の入り口をトロッコ列車駅付近で見つけ歩き始める。
藤が満開
とてもいい道です。道標も新しくとても解りやすくもうほんとうに快適。
2時間くらいで清滝到着。そこからはもう観光地。
30分ほどであこがれの高山寺。
到着後あまりにお腹が空いていたので持参のおにぎりと
手羽から揚げを門前で頂く。(ごめんなさい!)
なんとも気のいい場所でした。石水院(後鳥羽上皇から明恵上人が賜った
学問所)は南北朝時代でも焼け残ったそうでそれ以外の建物はその時、焼けて
しまって江戸時代に復元されたものだそうだ。やはり気のある建物は生き残る
んだろうか?とても気持ちのいい場所だった。ただすぐそばに車がバンバン
走る道を作ったのは何故か?きっとこの気を感じる感性を持ち合わせない
役人が無遠慮に作ったのだろう。
白州正子さんや河合隼雄さんの著書で知られている明恵上人がどんなとこで
過ごしていたのかを知りたかった。
「あるべきやうわ」というあるべきように人は頑張ってその職務を果たす
べきだというさりげない言葉が胸にしみる。
明恵上人樹下坐像、当然レプリカ。
今回明恵上人生誕700年で建てられたお茶室(昭和6年建設)
が公開されていてそれを見学した。
その時に立命館大学の歴史研究部の学生さんが説明してくださった
のだが日本最古のお茶は明恵上人が広めたという事が解った。
日本最古のお茶畑があり、5月11日に収穫されるそうだ。
低いお茶の木の上部に新芽がにょっきり伸びていた。
毎年10キログラムのお茶が収穫できるそうだが
その半分が春日大社に献上されあとの半分が裏、表千家に
収められるそうだ。薬ではなく楽しむお茶、あるいは座禅の
瞑想の時、眠気を払うためにも活用されたそうだ。