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川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

「自殺」を意味することばについて 私は「自決」ということばを好みません

2023-06-29 11:41:38 | Weblog


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 私は「自決」ということばを好みません。



〇 「自殺」を意味することばについて

 広辞苑第五版に掲載されている「自殺」と同様のことばを挙げてみます。

自害】自ら傷つけて自分の生命を絶つこと。自殺。自刃。自尽。
    「──して果てる」

自決】①みずから決断して自分の生命を絶つこと。自裁。「引責──」
    ②他人の指図を受けず自分で自分のことを決めること。「民族──」

自殺】自ら自分の生命を絶つこと。「服毒──」

自裁】自ら生命を絶つこと。自決。
自死】自殺。

自刎じふん】自ら首をはねて死ぬこと。 自分で自分の首をはねることは不可能
        なことと思うのですが、確かに広辞苑・角川新字源に掲載されています。


自刃じじん】自ら刃で生命を絶つこと。自害。

自尽じじん】自殺。自害。


これら8つの単語をグループ分けしてみます。


〇「自分で生命を絶つこと」というのは【自決】【自殺】【自裁】【自死】。
  この【自殺】グループ4語に共通するのは、「自分で生命を絶つこと」です。
  [自決] には「みずから決断して」という条件が付されています。自殺はみずから
  決断しなければできないことですから、4語とも共通しています。


〇 【自害】では、「自分で生命を絶つこと」に加えて「自ら傷つけて」という条件
  を強調しています。
自刎】【自刃】【自尽】は【自害】グループ4語に入りま
  す。


〇 めったに使われない【自裁】【自刎】【自尽】は今や死語と言えます。


〇 【自刃】【自害】では戦国時代の落城劇で頸動脈を切るシーンがあって [自刃]
  [自害] ということばを知っている人は多いのですが、この形態で自殺を図ること
  は現代ではほぼあり得ません。従って流通度の点で休眠語と言えます。


〇 【自殺】と【自死】の比較── 【自殺】は文字通りに読めば「自分で自分を殺
  すこと」で、【自死】は文字通りに読めば「自分で死ぬこと」です。自分で死ぬ
  ことを表現することばについて、私は [自殺] より [自死] の方が 適切だろうと思
  います。しかしながら、この2つの単語の流通度では [自殺] が圧倒的に高い。
   したがって、いくつかの[自殺] を意味することばのうちで
圧倒的な流通度を誇
  る【自殺】を使うのがもっとも自然である
という結論に落ち着きました。



〇 自殺の独特な死に方──切腹

 【切腹】は武士の時代の独特な死に方です。敗戦にけりをつける切腹、何かの責任を取る切腹、何かの罪に問われて強いられる切腹などがあります。腹を切るという方法、形態を表すことばが、同時に【自殺】を意味しています。幕末の政治動乱期は、何かの罪に問われて無念の切腹死を遂げた下級武士が非常に多かった時代です。

〈明治・昭和の切腹〉
 1912(明治45).9.30. 明治天皇大喪の夜 乃木希典陸軍大将切腹、静子夫人自刃
 1945(昭和20).8.15. 05:30  陸軍大臣阿南惟幾陸軍大将切腹、 正午 玉音放送

〈開国揺籃期の切腹〉 2023.7.1.追記
 1868(明治1) 戊辰戦争始まる 鳥羽伏見の戦い
 1868.2.15.   堺港警備の土佐藩兵が上陸見物のフランス水兵を銃撃、11人死亡
           外国兵との戦闘禁止下の発砲 関与は司令士と銃卒40人編成2隊
      2.19.   仏ロッシュ公使が土佐藩兵の処罰斬首と15万ドル賠償金を要求
      2.22.   大坂外国事務局役所で土佐藩士20名の切腹を決定   
      2.23.   切腹刑場は堺・妙国寺。土佐藩が執行。新政府は20名の警護を肥
         後藩細川家54万石と安芸藩浅野家42万石という大藩に命じて、外
         国に対して国の威信を示した。
          受刑者20名に駕籠20丁と従者120人、警護銃卒120人、大砲2門
        という立派すぎる妙国寺行き隊列で、同情的な世情を映して多くの
        人々が見送った。
          切腹そのものは11名で中止になった。検死のフランス側プチ・ト
        アール艦長がフランス側被害者11人目と同数で終わるよう現場で要
        請した。(この項、大岡昇平「堺港攘夷始末」中公新書1992.6.10.に拠る)

 開国と攘夷の狭間に起きた事件です。土佐藩側内情では、銃撃命令を出した土佐
藩隊長2人の切腹を認め、命令を実行した2隊銃卒80名については隊士として正当
と考えていた。囚人20名のうち隊長2名が士分で、18名は足軽身分で斬首刑相当だ
った。しかし土佐藩は足軽18名に士格相当・苗字御免・絹服着用・十文字切腹・介
錯という特別の礼遇を以って土佐藩の意思を示した。政治的な事情で「切腹」が動
いた