川本ちょっとメモ

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生命とは、分子や原子の「流れそれ自体」

2007-08-27 01:36:35 | Weblog

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講談社現代新書『生物と無生物のあいだ』福岡伸一著を読み終わってのノート(その4)です。


■エントロピー最大の状態=死■

100個の微粒子を水を張った四角い容器の右隅に溶かしこんだ場合、拡散の原理によって、「平均として」徐々に濃度の薄い左方向へ広がっていく。やがてそれは、一様に広がり均一化して、平衡状態に達する。物質の勾配、温度の分布、エネルギーの分布、化学ポテンシャルと呼ばれる反応性の傾向も、同様に均一化する。物理学者はこれを熱力学的平衡状態、あるいはエントロピー最大の状態と呼ぶ。これはその系(システム)の死を意味する。

エントロピーとは乱雑さ(ランダムさ)を表す尺度である。すべての物理学的プロセスは、エントロピー最大の方向へ動き、そこに達して終わる。これをエントロピー増大の法則と呼ぶ。これは、生体を構成する成分にとっても共通する法則だ。したがって生きている生命も、絶えずエントロピー最大の状態、すなわち死に近づいていく傾向がある。


■「生き続ける」とは、エントロピーを排出すること

高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷を受けて変性する。しかし、構成成分の崩壊を待たずに分解し、エントロピーの増大速度よりも早く再構築して更新するなら、それは増大するエントロピーを系(システム)の外部に捨てていることになる。

エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり、流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っている。

生命は、通常の無生物的な反応系がエントロピー最大の状態になるのよりもずっと長い間、熱力学的平衡状態にはまりこむことがない。その間にも、生命は成長し、自己を複製し、怪我や病気から回復し、さらに長く生き続ける。


■食事の意味 タンパク質→分子レベルに分解→新タンパク質を形成■

1930年代にシェーンハイマーが大発見をした。

彼は、実験ネズミに重窒素で標識されたアミノ酸を含む餌を3日間与えた。ネズミは必要なだけ餌を食べ、その餌は生命維持のためのエネルギー源となって燃やされる。そうすれば、アミノ酸の燃えかすに含まれる重窒素はすべて尿中に排出されるはずだった。しかし予想はまったく外れた。

この間に尿中に排泄されたアミノ酸は27.4%、糞中に排泄されたのは2.2%だった。56.5%は身体を構成するタンパク質の中に取り込まれていた。取り込まれた場所は、臓器その他のありとあらゆる身体部位に分散していた。実験期間中、ネズミの体重は変化していない。

重窒素アミノ酸を与えると瞬く間にそれを含むタンパク質がネズミのあらゆる組織に現れるということは、恐ろしく速い速度で、多数のアミノ酸が一から紡ぎ合わされて新たにタンパク質が組み上げられているということである。

ネズミの体重が増加していないということは、新たに作り出されたタンパク質と同じ量のタンパク質が恐ろしく速い速度で、ばらばらのアミノ酸に分解され、そして体外に捨て去られているということを意味する。ネズミを構成していた身体のタンパク質は、たった3日間のうちに、食事由来のアミノ酸の約半数によってがらりと置き換えられたということである。

さらに、体内に取り込まれたアミノ酸は、もっと細かく分断されて、あらためて再分配され、いろいろなアミノ酸を再構成していた。それがいちいちタンパク質に組み上げられる。絶え間なく分解されて入れ替わっているのはアミノ酸よりもさらに下位の分子レベルということになる。驚くべきことだ。


■生命とは、絶えず通り過ぎていく分子や原子の「流れそれ自体」■

外から来た重窒素アミノ酸は分解されつつ再構成されて、ネズミの身体の中をくまなく通り過ぎていった。しかし、そこには物質が「通り過ぎる」べき入れ物があったわけではなく、ここで入れ物と呼んでいるもの自体を、通り過ぎつつある物質が、一時、形作っていたのである。

ここに固定的なものは無い。すべてが通り過ぎていく。あるのは、絶えず通り過ぎていく「流れそのもの」でしかない。

私たちは、自分の表層である皮膚や爪や毛髪が絶えず新生しつつ古いものと置き換わっていることを実感している。そのほかにも身体のあらゆる部位、臓器や骨や歯も、その内部では絶え間ない分解と合成がくり返されている。

余分のエネルギーを貯蔵する脂肪組織も同じことだ。脂肪貯蔵庫の外で需要と供給のバランスがとれているときでも、内部の脂肪を運び出し、新しい脂肪を運び入れている。

すべての原子は生命体の中を流れ、通り抜けているのである。

「お変わりありませんか」「相変わらずです」と、私たちはあいさつを交わす。が、半年、一年と会わずにれば、私は分子レベルではすっかり入れ替わっている。かつて私の一部であった原子や分子は、私の内部にはもう存在しない。

私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この入れ替わるという流れ自体が「生きている」ということである。


                     ※このノートは次回につづきます。

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