川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

<パラサイトワイフ考その2>個人や家という小さな単位のことが全然、念頭にない

2005-07-30 00:15:41 | Weblog

パラサイトワイフという記事に触発されて、私の考えを書きます。

◇個人や家という小さな単位
鈴真由さんはこう書いています。「国は、国家財政のレベルで考えるから、個人や家という小さな単位のことが全然、念頭にないみたいだけど」、「そんな最小単位を無視した政策は、なんの向上にもならないし」。

この視点は、私がもっとも重視しているところと同じです。自分自身に常に警告するために、私のブログタイトルの下にこう注記しています。……「手ざわり生活実感的」に目線低く見るよう心がけています。

◇私の生活場所
私は大阪南部のベッドタウンである奈良県西和地域と呼ばれるところに住んでいます。仕事のテリトリーも同じ地域です。生活と同じ地域の中でどこへ行っても、「お世話になります」「よろしくお願いします」と頭を下げています。いい格好はできません。気取った生活はできません。ごまかしがききません。それに零細自営業でお金もありません。

20年以上も地元で仕事をしていますから、地元では顔がけっこう広くなっています。仕事は土地開発の設計許可で、不動産・建設業がらみの仕事です。斜陽産業で商売が左前のうえに、世間から紳士と評価される業界でもありません。

一方で地域の世話役を経験しています。自治会長をやりました。400世帯の大きな自治会でしたから、会長職にある間に限定して、地元の小ボスの一員でした。自治会長にはけっこう発言権があるのです。

◇高校関係役員の経験
県立高校の育友会長、県高校PTA協議会の理事をしました。今はその育友会のOB組織の会長で、同じ高校の学校評議員をしています。平成15年11月には、県代表として国立教育研究所の会合に参加しました。同年12月、教育基本法改正をめぐる文部科学省の京都公聴会で意見発表をしました(第4回一日中央教育審議会・京都公聴会川本発言記録)。平成16年8月、約1万人が集まる全国高校PTA協議会の全国大会で近畿代表として活動報告をしました。

現役の育友会長であるときは、県教育委員会に行っても大変ていねいにお客さま扱いをしてくれました。もちろん高校では、いつもありがたい応対を受けています。また、知り合いの県会議員や町長さんを訪問しても気軽に会えます。

◇落差の激しい二面的立場
しかし仕事は、県や市町村の行政指導を仰いだり、許可を受けたりするもので、役所には弱い仕事です。で、仕事のことで関係する役所の担当係を訪問すると、たいがいはそっけない応対に出会います。

育友会役員として教育関係の会合で受ける応対と、土地開発の関係業者として役所の窓口で受ける応対との間の落差には激しいものがあります。

たとえば、地元のある町役場(このあたりは都市化していますが合併市はうまくいきません)の2階の町長室を訪問します。町長と懇意な関係にある人として、秘書課の職員が丁重に応対してくれます。自尊心を満足させる応対です。

同じ庁舎の1階にある建設関係の課に、国土調査図の閲覧に行くことがしばしばあります。係員相手にひたすら低姿勢で閲覧をすませます。「いつもお手数を取らせてすみません、きょうは××の△△番地を見たいんですけど」。終わりには「どうもすみません、ありがとうございました」。

◇気取らない生活スタイル
こうした落差のある顔が二つあり、さらに同じ場所で生活している私生活の顔があります。家族は高齢でちょっとぼけた母、家内、大学生の娘と息子の5人です。どうにも気取りようがありません。

ほかにも私生活上の悩みを経験したり、長い間にはいろいろとあって、気取りのない一枚の顔でどこへでも行くという生活スタイルが身につきました。

◇生活体験に引き寄せて見分ける
この生活スタイルが身につきますと、立派に見える人や立派に見える発言の信頼性を見分けることができます(立派に見える人でなくても立派に見える発言はします、とりわけネット上では)。

立派に見える意見は、自分の生活体験に引き寄せて読むようにしてみます。そうすると一見立派に見えることの、立派さ加減やうさんくささ加減を自信を持って判断できます。

もう一つ、その人の行動ををよく観察します。言っていることとやっていることと、かけ離れていないか。どのていど違いがあるか。私もそうですが、誰だって言っていることとやっていることと多少の違いがあります。言っていrこととやっていることと違いがあればあるほど、実生活から浮いていればいるほど、簡単にわかります。

政府税調委員の主婦差別発言の例は、きわめてわかりやすいものでした。自分の生活に引き比べると、主婦なら誰でもその発言の低劣さ、いい加減さがわかります。それで普通の主婦がみんな怒りました。

◇分裂・矛盾に焦点を当てて本質を見る
この主婦差別発言は国のことを考える発言という形式・内容でありながら、実際には発言委員の個人的情緒や生活を押しつけているだけです。「国家ベース」ということと「発言者の個人感情」とで分裂しています。矛盾しています。

同じようにほかのことでも自分の生活に引き比べてみて、分裂・矛盾に焦点を当てれば物事の本質がよくわかります。

◇「個人や家庭を大切にする」という目的観
しかしそれ以上に大切なのは、目的観だと思います。判断の尺度は何か。視点はどこに置くか。鈴真由さんがいうように「個人や家庭を大切にする」というところにあると、私も思います。

私は、(1)私の生活経験と生活の現場に照らし合わせてみて、(2)私や私の家庭をないがしろにしていると思われる事柄で、(3)ほかの人にとってもそうだろうなと思われる場合に、④反対することにしています。当然、逆のケースでは賛成することになります。

世の中の立派な人の多くは、人より先に国を大切にしています。しかし、人がいなければ国が成り立ちません。少子化だといって政府が騒いでいるのは、人がいなければ成り立たないということの証明です。国より先に人が大切です。

人の数と同じだけの貴重な生命と生活があります。これを大切にすることを錦の御旗にしたいと思っています。これを阻もうとする人は多いのですが。



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