川本ちょっとメモ

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教育基本法改正問題について

2005-06-27 11:16:30 | Weblog

<第4回一日中央教育審議会(京都公聴会)川本発言記録>
      クリック → 文科省一日中教審(京都公聴会)発言記録 

1. 日 時 平成14年12月14日(土)13:30~16:00
2. 場 所 国立京都国際会館「アネックスホール」
3. 議 題 新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方
 
      について


◇自己紹介
奈良県から参りました川本といいます。今現在、県立高校の育友会長をしております。また県の高校PTA協議会の理事もやっておりまして、担当は生徒指導です。11月上旬にありました国立教育政策研究所の生徒指導総合会議にも県代表で参加いたしました。

それから、昨年は地元の自治会長を務めして、450世帯の自治会なのですが、その経験と今回の高校PTAの経験と、それから私自身の生活経験をもとにして考えを述べたいと思います。

◇中教審中間報告の時代認識は教育とは関係ない
 まず第1番に、中間報告にあります時代認識は、少子高齢化、人口減少、それからデフレ下の不安を述べておりますけれども、これは主要には経済に関わる問題です。それはまた社会基盤の構造転換の問題ですので、教育で解決できる問題ではなかろうと考えております。

◇自己実現と自他共の幸せを追求
 次に、教育の問題は、一人の人間が個性豊かに自己実現を図って、自他共の幸せを追求することのできる人間を養成していくことに目的があるのだろうと考えています。

◇「人類」「地球環境」という視点
 それから、教育基本法のかかわりでいけば、キーワードは「人類」と「地球環境」でなければならない。なぜかと申しますと、大気と海水と気象を通じまして、地球環境の相互干渉があります。わが国の雨の酸性化、それから黄砂の問題など、外国の自然環境との問題が既に起きています。ほかには世界中の海を回遊する魚類資源の問題もあります。

◇目を国外に開く
 もう一つ、世界経済の一体化に伴って、諸民族の往来が一層激しくなっております。その中で、我が国の教育が足元ばかりを見つめて内にこもるべきではないだろう、それとは逆に外に向かって大きく開いていくことを基調に考えています。

◇国際試合を見ても愛国心を信頼できない指導者
次に、愛国心について、サッカーのワールドカップとか、国際マラソン、それからオリンピックへの国民の熱気に満ちた応援というのは愛国心の証明ではないだろうかと考えております。

殊更に愛国心を持ち出すのは、こういった国民の自然な愛国心の発露を信頼していないということでありまして、このように自国民の愛国心を信頼できない指導者がどんな教育をやろうというのかということがあります。

◇数ある日本の伝統のうち何を選ぶつもりか?
次に、伝統についてですが、この伝統についてはいつの時代の伝統をいうのか。私は奈良県ですが、飛鳥時代の朝鮮半島を経由して文化を受け入れた時代の伝統なのか、あるいは平安時代の中国の唐文明を受け入れた時代の伝統なのか、室町時代のポルトガル、その他の西洋文明に接触した時代の伝統なのか、あるいは江戸時代の儒教道徳が重んじられた時代の伝統なのか、あるいは明治時代の天皇中心の伝統なのか。伝統といいましてもたくさんありますので、伝統に余りこだわることはないと考えております。

◇ゆとりある社会が育てば伝統も育つ!
1970年代の繁栄した日本におきましては、各地でお祭りが非常に盛んになり、いろいろな復興、御神輿なんかが復興されております。

こういうぐあいに、ゆとりある社会では自然に人々が伝統に目を向けて、大切にするものだろうというぐあいに考えます。

学校教育では、日本史も、世界史も、既に科目としてありまして、これ以上に歴史とか、日本の伝統をどこで教えるのだろうと考えます。総合学習の一環ならばそれでよいとは思いますけれども、現場に強制すれば総合学習にはならないのではないか。

◇芸術振興が伝統文化も包む
もう一つ、伝統の担い手はおおむね家元制度で血統を受け継いでおりますけれども、血統に重きを置くということは、機会を平等に与えないということにもつながるわけでして、これも教育にはなじまないし、憲法第14条にもなじまない。したがって、伝統や文化を尊重するということは、もっと広く世界のフィールドで勝負できる文化なり、芸術一般の振興という大目的の中に消化して、大切にしていくという考え方でなければならないと考えます。

◇教育力を失った家庭を支援する
次に、家庭教育の問題、それから地域社会の連携ですが、これについては非常に切実に経験しておりまして、家庭教育につきましては、国立教育政策研究所の研究発表、調査でも、家庭教育の低下という結果が出ております。

これにつきましては、増える一方の片親、あるいは共稼ぎの家庭につきましては、必然的に家庭教育の力が落ちるわけでして、こういったものに対して社会としてどのような応援をしていくか。

あるいは、激しい問題児童・生徒につきましては、親自身が全くなってないというような家庭もありまして、そのような家庭をどのようにバックアップしていくのか、生徒を守るために。

そういうことについては考えていくべきだろう、社会として体制を組むべきだろうと思います。家庭教育に責任を押し付けたところで問題の解決にはなりません。

◇法改正を待つまでもなく現行法下でやれる
これにつきまして、地域社会の連携問題とともに、今現在、国立研究所では既に着手しておりまして、私どもの県でも県教委を中心に既に体制の整備に着手しております。これは教育基本法とかの絡みでするべき問題かどうか、私にはわかりませんけれども、現行法の下で既に着手されておるということをお話しさせていただきます。

◇「地域社会との連携」は社会の受け入れ体制しだい
 それから、地域社会との連携問題につきましては、自治会長の経験から申し上げますと、地域社会において、土曜・日曜・祝祭日以外について、我々仕事を持っている男の人、あるいはそれと同じように働いている女性が、地域に参加できないという部分があります。参加できるのは日曜日の自治会の大掃除ぐらいのものでして、役所を始めとして催しや会合のほとんどがウィークデーにあるので参加できません。市町村議会の傍聴も同じです。

したがって、地域社会との連携問題については、まず土・日中心の受け入れ態勢を準備するべきだろうと考えます。これもまた教育の問題なのかどうかと思います。これは男女共同参画社会にも関係する問題です。

◇高校入試選抜制は中卒段階で子の将来を閉じる
中学・高校が荒れたという問題につきましては、私自身が京都の朱雀高校に在学しました時代には、制服なし、進学教育なし。朱雀は商業科・普通科併設ということでして、そういう進学教育のない学校でありましても、現役で京大に受かったのがおりますし、一浪まで含めましたら毎年5名前後受かっておったと思います。京都のことですから、同志社、立命に至れば、たくさん受かっておりまして、それから考えましても高校の試験選抜制というのはおかしい。

 今現在、奈良県では選抜制ですが、大学受験のランクによって高校間の序列がありまして、生徒も、親も、学校も、そういうことで自然に自己制限をしまして、伸びる芽を摘んでいるということがあります。一校の中で学力の上下、個性の幅をカバーする100も200もの選択式カリキュラムを組むことで、中下位校の活性化を図れないか。今の制度では中学卒業の時点で子どもの将来の大筋が決められてしまうように思います。

◇信仰心のない者に宗教教育はできない
宗教については結論だけ言いますと、据え置きにしておいた方がいい。
宗教の核心は信仰そのものであって、宗教的知識ではありません。したがって信仰者でない人が宗教的情操や宗教心の教育をすることはできない。また、信仰者は特定の宗教を良いと信じているのですから、特定の宗教の価値観を公立学校で教えることになり、これを良いという人はいないでしょう。

 また宗教教育のテキストを作る場合、キリスト教はどうするのか。一方でテキストに載る宗教と載らない宗教ができる。こう考えていくと、宗教的情操教育あるいは宗教心の教育を公立学校で行うのは適切でないと考えます。これはやはり社会生活の中の切磋琢磨に任せるのが良いのではないか。

◇平和で安全な社会の形成を
 それから、「新しい公共」の問題につきまして、「21世紀の国家・社会の形成」という報告書の言葉は、「21世紀の平和で安全な社会の形成」ということにぜひとも変えていただきたいと思います。


 
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