生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

トスティ   レオナルド・コネッティ   私は死にたい

2016-06-10 21:42:11 | トスティ

 暇です。主治医が今月いっぱい自宅静養の必要があるとの診断書を書いたため、出社しても出勤にしてくれません。収入にも影響してきますが一ヶ月余りであれば少々貯金を吐き出すぐらいで何とかなるでしょう。昨日までは愛犬のチワワ、リリ姫を散歩に連れ出していたのですが、まだ自動車だの他の犬だのが怖いようで行きたがらないため、今日は散歩はお休みです。

 新たに飲み始めた気分安定剤のラミクタールの副作用だと思いますが、昼間は眠いです。朝食を食べて寝て、昼食を食べて寝て、夕方からやっと起きだしてという具合ですね。で、昼寝ているからか夜寝ようとしても眠れずに睡眠導入剤を服用していますが、ラミクタールを飲む以前はグッドミン0.25mg1錠で済んでいたのが今は2錠でも足りないぐらいです。

 少しづつラミクタールの副作用にも慣れてきたか、携帯音楽プレーヤーにひたすら放り込んで来たCDライブラリーから適当に選んで聞きながら寝具に横たわって何となく聞いていました。レナート・ブルソン(イタリアの名バリトン)が歌うトスティのアルバムが流れて来ました。その中で久しぶりに再会したのが「私は死にたい」です。少々物騒な曲名ではありますが、西行法師の和歌に”ねがわくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ”に描かれた”ねがわくは死なむ”と殆ど同じ世界を歌っている歌詞です。3節からなる有節歌曲で、前半は短調後半は長調となっています。

 声楽レッスンを受けるようになった最初の先生のところで、最初の発表会で歌ったのはトスティの「イデアーレ(理想の人)」一曲でした。翌年の発表会は希望者のみということで持ち時間も長くなり、トスティから「君なんかもう」、「最後の歌」、「夢」、もう一曲先生から何か言われたのですが、自分で全音のトスティ歌曲集を全曲当たってみて、是非「私は死にたい」を歌わせて欲しいとお願いしてOKをもらった曲ですね。「最後の歌」はシューマンの「詩人の恋」の「あれはフルートとヴァイオリン」に似た内容ですが、「君なんかもう」はイタリアの男は失恋すると此処まで女々しくなれるのかという内容に感じます。それに比べると「イデアーレ」や「夢(ソーニョ)」は割りと客観的な表現になっていますし格調高いと言っても良いと思います。さらにこの「私は死にたい(Vorrei Morire)」は、西行法師の”ねがわくは・・・”を直ぐに思い起こさせました。洋の東西を問わず、それぞれの時代の選良たる知識人が優れた完成で切り取った世界が再現されていると思います。トスティの作品といえば日本の声楽界でもイタリア古典歌曲集の次に取り上げられる作品と思いますが、その中では「私は死にたい」はあまり(殆ど?)歌われていない気もします。まあ詩の内容が若者向きではないからかも知れません。しかし多くの人に聞いて欲しい、歌って欲しい歌です。


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