日本人なら誰でも知っている、世界中でも歌われている、東日本大震災復興支援ソングです。
実は私、この曲は失敗作ではないかと思っています。音域が広すぎます、1オクターブ半以上あります。小学校の音楽の教科書に載る曲の音域は1オクターブ以内と決まっているとかいないとか。プロの声楽家であっても1オクターブ半の音域があれば大抵の曲は歌える=仕事が出来る=プロとして食べていける、と聞いたこともあります。実際、多少移調して見ても、ソプラノやテナー等の高声系にとっては低いところの声が出ないと思いますし、アルトやバス等の低声系にとっては高音域が出ません。その意味ではメゾ・ソプラノ、バリトンと言った中声系が向いていると言えるかもしれません。
NHKが放送している画像でも多数の俳優や歌手が細切れに入れ替わって歌い繋いでいるのは、実は歌の広すぎる音域を分割して歌いやすい音域の部分のみを歌わせているのではないかと思っています。菅野よう子女史の才能をもってすれば、もう少し歌いやすい音域で作曲できたはずなのに残念です。
でもこれだけ認知度が上がってしまうと、今さら音域を狭く編曲し直すことなどは不可能ですよね。無理して一人で歌わずに、何人かで歌える音域を分担して歌うのが正解でしょう。その様な歌い方を前提にして作曲したとしたら、菅野よう子女史、貴女は只者ではない、脱帽です。
大震災で歌いにくくなった曲ってありますよね。サザン・オールスターズの「TSUNAMI」、名曲なのに残念です。クラシックの作品でも、日本歌曲、北見志保子作詞 平井康三郎作曲の「九十九里浜」。「九十九里浜」の中には「津波」という言葉はないのですが、「おきーつーなみー」と歌う箇所があって、おそらく「沖の波」あるいは「沖は波」という様な意味で決して「沖、津波」ではない筈ですが、「沖、津波」と聞えるよなぁと思いつつ歌うのも憚られます。
そう言えば震災の後は、器楽の世界でも演奏会の最初に追悼の演目を演奏してから正規のプログラムに入ると言うことが広がっていたと思います。なんですけれど、その追悼の演目が殆どJ.S.バッハの「G線上のアリア」だったんですよね。まあ派手でなく、穏やかで、演奏時間的にも手ごろと言うことで良い選曲だとは思いますが、どこに行っても「G線上のアリア」というのは如何なものでしょうか? 「アルビノーニのアダージョ」とか、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」だって悪くないと思うのですが如何でしょうか?
実は私、この曲は失敗作ではないかと思っています。音域が広すぎます、1オクターブ半以上あります。小学校の音楽の教科書に載る曲の音域は1オクターブ以内と決まっているとかいないとか。プロの声楽家であっても1オクターブ半の音域があれば大抵の曲は歌える=仕事が出来る=プロとして食べていける、と聞いたこともあります。実際、多少移調して見ても、ソプラノやテナー等の高声系にとっては低いところの声が出ないと思いますし、アルトやバス等の低声系にとっては高音域が出ません。その意味ではメゾ・ソプラノ、バリトンと言った中声系が向いていると言えるかもしれません。
NHKが放送している画像でも多数の俳優や歌手が細切れに入れ替わって歌い繋いでいるのは、実は歌の広すぎる音域を分割して歌いやすい音域の部分のみを歌わせているのではないかと思っています。菅野よう子女史の才能をもってすれば、もう少し歌いやすい音域で作曲できたはずなのに残念です。
でもこれだけ認知度が上がってしまうと、今さら音域を狭く編曲し直すことなどは不可能ですよね。無理して一人で歌わずに、何人かで歌える音域を分担して歌うのが正解でしょう。その様な歌い方を前提にして作曲したとしたら、菅野よう子女史、貴女は只者ではない、脱帽です。
大震災で歌いにくくなった曲ってありますよね。サザン・オールスターズの「TSUNAMI」、名曲なのに残念です。クラシックの作品でも、日本歌曲、北見志保子作詞 平井康三郎作曲の「九十九里浜」。「九十九里浜」の中には「津波」という言葉はないのですが、「おきーつーなみー」と歌う箇所があって、おそらく「沖の波」あるいは「沖は波」という様な意味で決して「沖、津波」ではない筈ですが、「沖、津波」と聞えるよなぁと思いつつ歌うのも憚られます。
そう言えば震災の後は、器楽の世界でも演奏会の最初に追悼の演目を演奏してから正規のプログラムに入ると言うことが広がっていたと思います。なんですけれど、その追悼の演目が殆どJ.S.バッハの「G線上のアリア」だったんですよね。まあ派手でなく、穏やかで、演奏時間的にも手ごろと言うことで良い選曲だとは思いますが、どこに行っても「G線上のアリア」というのは如何なものでしょうか? 「アルビノーニのアダージョ」とか、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」だって悪くないと思うのですが如何でしょうか?