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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

日本人声楽家の歌う日本語の歌の日本語の発音は変?

2017-07-12 22:26:50 | より良く歌うために

 日本人声楽家の歌う日本語の歌の日本語は、日頃日本人が話す普通の日本語とは違って変に聞こえる、だから(日本人)声楽家の歌う日本語の歌は好きになれない、という人、少なからずいる様に思います。何故かというと、日常的に話される日本語と言うものは殆ど口腔の前半分ぐらいだけを使って、息もほとんど腹圧をかけない浅い発音で行われているからですね。世界中にどれだけの言語があるのかは知りませんが、日本語ほど口腔の奥を使わずに、また息の腹圧もかけずに話す言語は少ないと思います。日本人が英語の発音を苦手にしているというのも、実は英語を話すには結構な息の腹圧が必要ですが、殆どの日本人は英語を話す時も日本語を話す時と同じ程度しか腹圧をかけないので、ネイティブの様に英語が話せないと指摘する言語学者もいます。また、訪日観光客の大多数を占める中国人は話し声がでかいと批判されることがあるようですが、中国語も日本語に比べればはるかに息の腹圧を使って話す言語のため、小さく話すのが難しい、という側面もあります。

 さて、声楽に話を戻します。声楽を学ぶものにとっては、日本人に限らず、ドイツ人でもフランス人でもロシア人でも、必ずイタリア歌曲から学ぶと私は思っています。それは、声楽の基礎を身に着けるにはイタリア語、イタリア語の発音、イタリア語の歌曲やアリアこそがぴったりだからです。このことは例えばロシア人のプロの声楽家も、声楽家にとってはイタリア語は第二の母国語と言っていることからもわかります。例えば巻き舌の”r”ですが、イタリア語の巻き舌に比べるとフランス語の巻き舌は口腔のはるかに後ろの部分を使います。

 なぜこの話題を取り上げたかと言うと、6日前に紹介した片岡啓子女史のCD「愛のカンツォーネ」を聴いているからですね。全14曲収録されている中で、何曲は歌いだしは日本語で、途中からイタリア語で歌っている曲があります。「マンマ」、「ラ・ノビア」等々。日本人声楽家の歌う日本語の歌が不自然に聞こえるというのは、イタリア語にとって最適な口腔の状態のままで日本語を唄うからですね。その点、片岡女史の歌唱では、日本語で歌う場合はイタリア語にとって最適な状態よりも若干口腔を狭くすることで自然な日本語の発声を担保しています。なので聞いていて不自然な感じはありません。ところがイタリア語の歌唱に変わった瞬間に、口腔が1割程度広がるのが判ります。その結果音量も上がりますし、共鳴もより豊かになります。日本語で歌っていた時は口腔の前の方が横に広がっていたのが、イタリア語に代わると口腔の上下と奥行きが広がり、前の方の横に広がっていたところが狭くなるのが感じられます。

 日本歌曲を唄おうとする声楽愛好家の人にとって、一つのヒントがここにあると思います。何が何でもイタリア語の発声で最適の口腔の状態をキープして日本語の歌を唄おうとすると、聞き手にとって不自然な日本語に聞こえる可能性があるということです。上下は奥行きは1割から2割程度狭くして、口腔の前の方を少し横に開くことで、声楽的な豊かな共鳴を伴う発音・発声を担保しつつ、日本語としての不自然さを払しょくすることが出来る様に思います。ともあれ、自分の耳だけで確認することは出来ないので、必ず録音して自分の耳で確認して、声楽的に充実した発声かつ日本語としての不自然さをミニマムにした発声を身に着けて頂ければ幸いです。


声楽にしろ器楽にしろ良い音程で歌う・演奏するには音程のイメージが重用

2017-06-19 22:30:01 | より良く歌うために

 声楽でも器楽でも、正しい音程は音楽の基礎です。とは言え声楽の場合、人間は余程気を付けていないと低くなる傾向があります。器楽の場合は、楽器によってそれぞれ異なりますが、一般的には楽器が温まってくると音程が上ずる方向に、冷えると音程が下がる方向に、弦楽器の場合には弾いている途中に弦が伸びて下がる方向に変化しやすいと思っています。

 ということで、自分自身の中に正しい音程のイメージをしっかり持って、自分自身のイメージと照らし合わせてその瞬間ごとに鳴っている音程が正しい音程から高いか低いかを判断して、瞬時に調整する能力が要求されるように思います。

 その正しい音程のイメージですが、スポーツに例えるならばモータースポーツやアルペンスキー競技の様に、決まったコースを如何に短時間でゴールラインを越えるか、という種目に似ている様に思っています。アルペンスキーの回転競技では斜面に立てられた多くの旗門をくぐり抜けてゴールを目指します。旗門を最短時間でクリアする理想的なラインがあります。しかしその理想的なラインで滑ることが出来る選手はほんの一握りです。下手な選手ほど理想のラインからは下に落とされて長い距離を滑ることになって時間がかかります。下手な選手ほど滑るラインが下に落とされて、というところが、下手な演奏家ほど音程が下がるということに重なって、なかなか良い比喩だと思うわけです。

 上手い選手ほど最短時間で旗門をクリアできる理想のラインのイメージを強く持っています。なので本番の前のインスペクションの時に旗門の配置を覚えて、本番前に何度もイメージトレーニングを行ってそれぞれの旗門に対してどのように入ってどのように抜けていくかのイメージを固めることが出来ます。下手な選手はインスペクションを行っても全ての旗門の配置を覚えることも出来ず、最低限覚えておくべき難しい旗門すら覚えきれず、本番には出たとこ勝負でスタートするしかありません。これでは旗門毎にどんどんラインを落とされて途中でコースアウトするのが落ちです。

 良い音程で演奏するには、何よりも自分自身の中にこれから演奏する楽曲の良い音程をイメージすることが重要です。そのイメージなしに何となく練習を重ねるだけでは、むしろぶら下がる音程を自分の中により強く固定するだけの様な気がします。そんな練習をするぐらいなら、むしろ他人の良い音程での演奏を徹底的に聞き込んで、それを手本として自分自身の中に良い音程での演奏のイメージを焼き付ける方が、何倍も何十倍も何百倍も何千倍も何万倍も、良いのではないかと思う次第です。


声楽とフルートの息使いの類似点と相違点 その2 声域の低音側の限界

2017-05-05 22:43:50 | より良く歌うために

 昨日に引き続いて、声楽とフルートの息使いの話ですが、どちらかというと声楽中心の話題です。

 声楽家にとって音域=声域は広い方が良いに決まっています。歌曲は移調して歌うことがあってもオペラでは半音でないためにキャストを演じられないということは当たり前にあります。そこで声楽を志す者は声域を広げることに多大な努力を傾けます。その声域ですが”高音域側は訓練によって伸ばすことが出来るが、低音域側は自分の声帯の長さで決まるので後天的な努力によっては広げられない”という様な主旨のことが言われています。”低音側の限界は声帯の長さで決まる”とはまるで普遍的な真理である物理法則の様にも思われ、妙に説得力がありますよね。私自身三十年以上その通りだと思い込んで、低音域側を伸ばすことは出来ないから高音域側を伸ばすしかないと思っていました。

 しかし、そんなことはありません。普通に生活しているだけでは必要ない、歌うために初めて必要な息の支えを身につけることと、声帯を柔軟に鳴らすことが出来るようになると、低音域側にも声域は広がります。逆の言い方をすると、声楽の訓練を十分に積んだものでない限り自分が持っている声帯の最下限の音域まで十分に声帯を振動させられる人は少ない、とも言えます。高校時代に合唱を始めたときからハイバリトンと言われ、混声四部合唱ではバスパートを歌っていました。低音部譜表の第一線のGぐらいまでは戦力になる声が出せて、その下のFisやFぐらいまでは合唱曲に出てくれば歌っていて、その下のEsぐらいになるとかなり息が空振りしている感じで限界点がEsぐらいだろうと思っていました。

 声楽の個人レッスンを受けるようになって数年、それ以前も息の支えが重要とは判っているつもりでしたが、個人レッスンで息の使い方を徹底的に鍛えられ、また喉や輪状甲状筋等を脱力させて柔らかく声帯を振動させる技術が身についてくると、低音域が広がりました。男声の、テナーにしろバスにしろ普通に低い方のド=C、高音部譜表で下第一下線(実音はその1オクターブ下)、低音部譜表では第二間のド=Cの1オクターブ下のド=Cでも、確かに自分自身の声帯がその振動数で振動していることが判ります。それどころか更にその4度下のソ=Gぐらいまでは自分自身の声帯が振動することが確認できます。さすがにそのあたりではかろうじて声帯がその振動数で振動していることを声帯の振動として感知できるということで、自分自身の肉体の外側に声として出ているかどうかについては全く判りません。しかし当時レッスンを受けていたN沢先生の言葉によれば普通の低いド=Cの1オクターブ下のド=Cでも十分に聞こえる。定員2~300人くらいのホールなら十分に聞こえる、とまでおっしゃって頂きました。さすがにリップサービスだろうとは思いましたが、N沢先生のレッスンを受ける前に比べて最低音域が広がったのは事実です。

 ということで、声の最低音域付近の息の使い方がフルートの最低音域の息の使い方によく似ているということに改めて気づきました。気が付いてみれば、フルートの最低音域の音を出す際の息使いは声の最低音域の息使いと同じように吹き込んでみれば良い訳で、イメージを確認できただけでフルートの最低音域の発音が明らかに改善しました。声楽はイメージが極めて重要と思っていましたが、フルートも同様にイメージが大切ですね。


器楽と声楽の呼吸法

2017-04-16 23:14:26 | より良く歌うために

 声楽の技術と弦楽器の技術にはあまり共通するものはない様に思います。一方で管楽器の技術と声楽の技術とでは、特に呼吸法で共通する部分が多い様に思います。なので声楽をやってきた方が器楽に浮気をしようと思ったら管楽器、とりわけフルートがお薦めだと思います。

 自分でフルートを吹くようになるまでは特段の認識は持っていませんでしたが、フルートの音色や音程の正確さも実のところ息の支えによるものが非常に大きい様です。フルートの音域は通常3オクターブと言われていますが、初心者は先ず3オクターブを出すことはおぼつかないのだそうです。しかし、私は声楽で息の支えを散々鍛えてきたおかげか、楽器を手にして1週間もしないで3オクターブ出せました。私にとっては出せて当たり前で、何で出せないの???というぐらいの感じです。高い方が簡単で最低音域の方が難しいと言えば難しいですね。フルートの場合は振動して音源となってくれるリードがなく、吹き込んだ息が歌口に半分づつに分かれて振動して音になるため、息を吹き込むことに殆ど抵抗がなく、暖簾に腕押し状態というか外部的な支えが全くなしで自分自身の息の支えだけが頼りになります。

 高音域を吹くには圧力を上げて息のスピードを上げれば音が鳴ります。最低音域は下手に息のスピードを上げると簡単に一オクターブ上の倍音が鳴ってしまいます。倍音を鳴らさずに基音を鳴らすためには太い息が必要になります。最低音域のスピードが出過ぎていない太い息をしっかり支えるためには今現在の私の感覚では肺の一番奥深くというか底の方、臓器としての肺の底部は背中側に伸びているので、思いっきり背中側に息を吸って背中側の腹腔を出来るだけ使う意識ですね。

 フルートの最低音域は楽器によっても鳴らしやすさがかなり違います。最低音域について私自身がそこそこならせると思える楽器でも、ダイナミックレンジはあまりコントロールできません。とりあえず鳴らせるけれどもpとfの差が自分でも嫌になるくらい乏しいです。ところが同じ楽器を吹いても先生の場合ははるかにダイナミックレンジが広い(pとfの差が大きい)。呼吸法・息の支えについては自分なりに声楽で鍛えてきたという自負もありますが、やはり楽器毎の特性に合わせた息のコントロールの仕方を身に着ける必要はありそうです。

 フルートという媒体を介して太くゆっくりとした息の使い方を身につけた際には、声楽の歌い方にも必ずやなんらかの変化が現れるだろうとの期待もしています。


フルートとヴァイオリンの練習をしました。声楽の発声法にも良いフィードバックがあるかも知れません。

2017-04-01 23:44:49 | より良く歌うために

 声楽にしろヴァイオリンにしろフルートにしろ、上達するには目標とする具体的なイメージを持つことが大切だと思っています。より具体的に言えば、練習するときも常に、声楽であれば最も良い声で歌うこと、ヴァイオリンであれば最も美しい音色の音を出すことを最優先することです。ヴァイオリンであれば音程を作る左手よりも、発音をつかさどる右手の使い方を常に優先すること。フルートの練習でも常に最も良い音を出すことを意識することが重要だと思っています。それから自分が吹くフルートの音色が音域・音程によってかなり変わることも判っているつもりです。

 ところがフルートの場合は、どの様な音が目指すべき良い音でどの様な音が避けるべき良くない音なのか、今一つ判っていません。とは言えフルートのレッスンを何回か受けるにつれ、目指すべきフルートの音色が(音域ごとに若干ことなりますが)少しづつ判ってきました。フルートを吹くには息のスピードが重用ですが、息のスピードが最優先ということではなさそうです。口をすぼめれば息のスピードは速くなりますが、他を犠牲にしても息のスピードだけを優先すれば良いものでは無いようです。口腔を出来るだけ広げて、それも横に広げるのではなく縦に、そしておそらく奥行き方向にも空間を設けること、より具体的にはゆで卵をまるまる一個口の中に入れている様なイメージでフルートを吹くと、自分自身の口腔にも共鳴してフルートの音色が深く豊かになるようです。

 フルートの音域は3オクターブと言われているようですが、先ずは真ん中の中音域=第二オクターブで出来るだけ均質に豊かで柔らかい音で吹奏出来る様に口腔の体積と唇や頬の脱力、息のスピードと量をコントロールできるように、あるいは十分コントロールされた中での最も良い状態を自分自身の体にしみ込ませることが重要だろうと思います。ということで前回のフルートのレッスンから帰宅した後で、腹筋がつってしまいました。声楽でもフルートでも息の支えは共通ですが、声楽は中音域では結構サボることができますが、フルートは音域がどこであろうと常にきっちりと支えていないと、どうやら支えていないことが先生にはバレバレの様です。

 そんなこんなの状況ですが、今日はレッスンもなく自宅でマイペースで練習が出来ました。アルテの教則本の初めの方は初見でも楽勝です。第一オクターブの高音域と第二オクターブの低音域を行ったり来たりするパッセージでは第二オクターブの「レ」の音で左手の人差し指をオープンにしなければならないのが未だに慣れません。

 ひとしきりフルートの練習をした後でヴァイオリンの練習も小一時間ほど行いました。兎に角左手の動かし方だけを意識して、肘を内側に絞る意識で練習しました。自分なりに試行錯誤する中で左の掌をスプーン状にすぼめる状態を保持することで今までよりはスムーズに左手を使える様な感覚を感じました。次回のヴァイオリンのレッスンの際に先生に確認してみたいと思っています。

 ということで、フルートとヴァイオリンに関して、少しづつですが進歩を実感できた今日でした。ついでに声楽ですが、フルートでも吹奏時に喉を閉めてはダメで、喉を閉めない確認のために吹奏している音程と同じ音程で歌うという確認方法があります。これは同時に声を出すときに喉が閉まっていないかをフルートを吹きながら声をだすことで確認できるということでもあります。で、この時ばかりは自らの発声法のチェックとして喉の筋肉の脱力と力みをチェックしていましたね。もしかしたらフルートの練習をすることで、これまで声楽のレッスンでは越えられなかった壁を越えられるかも知れません。