生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

レッスンに行ってきました。

2016-04-30 23:29:07 | レッスンに行ってきました
 日本全国ゴールデンウィークですね。昨日&今日と二日続けてレッスンに行ってきました。昨日はほぼ月に1度の頻度でお願いしているN先生で、今日はほぼ2週間に1度の頻度でお願いしているK先生です。以前習っていたA先生との間でお互いの誤解から急に関係が破綻した後に、次の先生を探して4人の先生に体験レッスンをお願いして、二人の先生については簡単にNGの判断がついたものの、K先生とN先生は優劣つけ難く並行してレッスンをお願いして今日に至っています。お二人共短くない海外留学の経験があり、N先生はイタリアに8年間、K先生はフランスに4年半学ばれて帰国したとのことです。指導力及び経歴という点ではN先生の方が泊がありますが、K先生は若い分レッスン代もリーズナブルで、又自宅から30分で先生宅にまで伺えるという条件もあり、どちらか一方の先生を選択するところまで行かずに二足の草鞋を続けています。お二人に師事するようになってから一年程度は、ほぼ指導内容、レッスンを受ける上で注意されることには類似性が多く、お二人の指導を並行して受けていても殆ど同じことを指摘されているなと思っていました。それが1年を経過する当たりからお二人の指導内容が微妙に異なってくるように感じ、最近では全く異なる指摘を受けるように感じています。ベテランのN先生は指導内容の一貫性は微動だにすることなく、大枠を整える方向性で指導していただいているように受け止めています。一方まだ若いK先生はご自身が現在でも様々な新しいメソードを貪欲に研究されており、レッスンの度に言うことが異なり、また違う講習を受けてその成果をレッスンしてくれているのかなと思うことも度々です。それでも目指すべき頂上は同じで其処に到達すべき登山ルートが複数あるだけの話とも思います。

 お二人の指導を受けていて、それぞれから指摘される事項については当然共通するものがあります。お二人からの指摘に限らず自他共認めるところではありますが、先ず頭で考えてそれから身体が反応するタイプの様で、何もしない=身構えずに自然体で歌えばそれが最も良いのに、それが出来ずに兎に角考えられることは全て考えた上でやらないほうが良い余分なこと=力みを目一杯やった上で歌っている、という主旨のことですね。レッスンを受ける立場からすると、N先生は感覚的に余分な力みをしないで歌っている私の最も良い発声を意識しないで歌えるように諸々の事を指摘してくれます。一方でK先生は何処に余分な力が入っているかをミクロな視点から指摘して下さいます。悪い点を指摘するだけで留まっていては優れた指導者とは言えませんが、K先生も若いのに私の悪い点を指摘するだけでなく、どうすれば悪い癖をしないで済むかまで、試行錯誤しながら一生懸命提案して下さいます。私の場合はまだまだ歌うという行為の重心が高過ぎるようで、臍の下の臍下丹田に重心を感じて云々という話が始まります。お二人からの指摘として、まだまだより効率的な呼吸法が出来るのに、十分に身体を使い切っていないということがあります。N先生にとっては完成した呼吸法のイメージが確立しているようで、私が声を出す以前に今の吸い方は違うと言って止められます。K先生はむしろより具体的に胸郭が縮んでいて使えていない等の指摘をしてくれます。それでもレッスンを受けている私が共通する事項を指摘されているなと感じる所は、腹式呼吸の重心が高くて、その結果発声に必要な様々なチェックポイントが全て重心が上に上がっている腰高なものになっている、ということですね。

 実は高血圧症になっている様なところで、レッスンを辞めようかと思いつつ、最後のレッスンにするつもりでレッスンを受けて、やはり辞められないなと思い次のレッスンをお願いしている次第です。血圧を下げるには腹式呼吸が最も有効だという話もあって、声楽を学んでいれば高血圧症とは縁がなくて済むような気もしています。本日循環器内科を受診しましたが、私が受信した循環器内科には24時間血圧計は無いとのことで、しばらく経過観察ということにしました。高血圧はサイレントキラーの最たるもののようで、ある日突然脳梗塞や心筋梗塞を発症して歌えなくなる日が来るかもしれません一方で歌を歌うということは血圧を下げる様々な効能があるようなので、しばらくは声楽レッスンを継続してその効果を確かめたいと思っています。

人に聞いてもらう歌を歌うためには、何処まで準備しなければならないのか、準備しなくても良いのか?

2016-04-29 22:35:23 | より良く歌うために
 たまたま何らかの情報に接して、縁もゆかりもない声楽教室の発表会を聞きに行くこともあります。殆ど未知の曲で素晴らしい物に出会えたらという期待で聞きに行く訳です。とは言え期待通りに今まで知らなかった素晴らしい曲に出会える確立はさほど高くはありません。それでも自らに理解関係の全く無い声楽教室の発表会を聞くことは、様々なきっかけを与えてくれます。一人の指導者に指導された歌手たちの発表会であれば、声楽技術に特定の傾向があるのは当たり前で、その傾向を様々吟味することもこの手の発表会を聞く際の面白みであると思います。そうではなくて一人の指導者の下での発表会であっても、演奏者の力量によって月とスッポン程の差があることもまた、時々目(耳?)にするものです。

 いわゆる”持っている人”ということだと思いますが、ステージに登場した瞬間に雰囲気が変わる人は確かに存在します。あるいはステージに登場したところまでは何ということもないものの、前奏が始まった瞬間に、あるいは歌い始めた瞬間にそれまでの雰囲気が全くの別物に昇華させる人というのはいるものです。一人で歌っているにも関わらず、その場に他の登場人物の存在が確かに認識させられる歌い手というものは、間違いなく存在します。その様な歌い手に共通するものとしては、詩を深いレベルで完璧に理解しているということですね。詩を理解している場合もあれば、更にそれ以前に言語を十分に身に着けていることで正にネイティブと同じレベルで詩を理解しているということだと思います。だからこそ独唱曲であっても詩の一語毎に当然その状況で想定される目線や仕草、所作に必然性があって、一部の隙間もなく整合性の取れた歌と演技が融合してほとばしり出てくる本流となって、聞き手を包んでくれる瞬間があります。

 発声技術の完成度は非常に高くても、一つの作品を演奏する瞬間においての説得力は必ずしも高いとは言えません。発声技術の完成度はソコソコでも、歌詞に対する研究や理解などによっては演奏する瞬間の説得力が飛び抜けて高い演奏というものも確かにあります。発声技術は一朝一夕に向上するとは限らず、それなりの年月をかけて少しづつ向上していくものかとも思います。それでも現在の発声技術で歌うにしても、歌詞の研究なりやるべきことはいくらでもある訳ですよね。最近になって、私自身が他人の演奏を聞いて、感動する演奏、素晴らしい演奏だと思うものは、何れも歌詞やその歌が作曲された時代背景などに対する研究に注力していることが伝わってくるものだということが意識されます。

 翻って自分で歌う場合にその曲にどの様に向き合っているかと顧みると、はなはだ心もとない水準ですね。原語の歌詞の上に邦訳を書くぐらいはしていますが、逐語訳レベルにまでは精密化することは殆どありません。今の私のこのレベルでは、歌詞の流れに対してリアルタイムで目線を動かすことまでは難しいと言えます。そうであれば、少なくともネイティブの聴衆者がいれば私の歌、所作における目線の異動には相当程度違和感があるでしょうね。と言うことで最近は適当に歌うことの怖さをあらためて噛み締めていて、下手くそが歌う歌を無理に聞いてもらうのですからせめて出来る限り歌詞の研究はとことん行って、これ以上の準備はできないというところまで突き詰めたところで聞いてもらうべきだろうと思っています。なかなか其処まで追い込むことは難しいとも思いますが、だからといって其処までしなくて良いという理由は何処にもありません。歌う以上は、少なくともその時点ではこれ以上研究する余地がないところまで研究したという状況で歌いたいと思います。と、その様に言うのは簡単ですが、実際にそこまで自分自身を追い込めるかというと、それも中々に難しいと思います。しかしながら此処一月ほどは、歌うならとことん歌詞を研究した上で歌いたいという思いと、全ての曲についてその様に手間を掛けなければ歌えないというのなら歌える歌なんて何もない、という二つの思いの間で揺れています。

蒼龍葡萄酒 スパークリング マディコンコード

2016-04-28 21:45:24 | 
 久しぶりにお酒の話です。家族が山梨に旅行に言った時に買ってきてくれた御土産が、蒼龍葡萄酒株式会社の「スパークリング マディコンコード」です。珍しい赤のスパークリングです。キャップはコルク栓ではなく、瓶ビールと同じ王冠の栓です。兎に角その存在を知った第一印象としては、珍しい作りのスパークリングワインがあるものだな、ということで恐る恐る味わって見ました。アルコール度数11%ということでアルコールにまで発酵しきれていない糖質が結構残っているようで、甘口といえば甘口です。しかし酸味とのバランスが取れているので辛口好きの私でも美味しいと思える味です。兎に角発泡性が良くて、普通のシャンパンのイメージよりは、思いっきり決めの細かいビールの泡立ちと言った感じです。コンコード種の味なので昔のブドウジュースの味そのものですが、発酵して生じたアルコールと炭酸ガスによる発泡が良い刺激になって、ステーキやハンバーグ等の重めの肉に合います。肉主体のメニューでかつスパークリングで乾杯したい時や、夏に十分に冷やして飲むのも宜しいかと思います。

 と言うことで、家族からの御土産を飲み終わったその日にインターネットで検索してアマゾンから注文してしまいました。年に1回ぐらいは飲み続けたい美味しく面白い赤のスパークリングです。少しコッテリし過ぎているかもしれませんが、和食とも喧嘩しにくいかもしれません。そうは言ってもそれなりのボディのある赤なのですき焼きに合うかもしれませんね。ワインが好きな方で特徴のあるものを飲みたいと思っている方には、是非一度試して頂きたいと思える、私のお気にいりです。ジャパニーズワインではお薦め度No.1ですね。

名古屋市民コーラス 「カール・オルフの足跡」

2016-04-27 22:09:37 | 論文・資料紹介、書評
 4月23日にNHKのラララ♪クラシックでオルフの「カルミナ・ブラーナ」が取り上げられていました。第一次世界大戦でオルフも従軍し、生き埋めになってかろうじて助けだされたこと等が断片的に紹介されていました。そこであらためてインターネット上でオルフに関する情報を検索しましたが、オルフに関してはその教育メソッドに関する情報が殆どで、あらためて音楽教育者としてのオルフの功績を思い知らされた気がします。

 そんな中でオルフ自身の人となりについて、ラララ♪クラシックよりも多少なりとも詳細な記載があったのが、名古屋市民コーラスによる「カール・オルフの足跡」という、3頁というよりは2頁半と言うべき資料を見つけました。それによれば音楽家一族とも言えなくもない家系に恵まれ、ミュンヘン音楽高等学校在籍中に日本の歌舞伎「寺子屋」に題材をとった「Gisei(犠牲)」というオペラを作曲してもいるそうです。第一次世界大戦ではロシア戦線の塹壕で生き埋めとなり意識不明のまま掘り出され記憶障害、言語障害、運動障害等の後遺症に苦しめられたそうです。

 オルフの音楽教育論には、自身の記憶障害、言語障害、運動障害等の経験が背景にあって、音楽をする上での様々な能力についての必要性について、健常者には思いもよらないような深い洞察があったからこそと思われます。NHKのラララ♪クラシックの放送に続いて、名古屋市民コーラスの「カール・オルフの足跡」を読むことで、これまで以上に「カルミナ・ブラーナ」についての理解も深まり、また実際の合唱団の練習においても3回めにして始めて確認出来たことも多数あり、是非本番の舞台に立ちたいという思いが募る一方で、通常の高血圧よりもより致死率の高い夜間高血圧かもしれない今の体調で練習に出続け本番の舞台に立つことは無理ではないかとの思いも募っています。

 今や日本は高齢化社会を突き進み、殆どの合唱団も高齢化が進んでいます。過去に在籍した合唱団で演奏会のステージ上で倒れた団員があったことも複数回あります。まだまだ高齢化が進んでいる合唱団の中では若手だと思っていましたが、自分自身が何時倒れてもおかしくない状況にあることにはいささかの戸惑いを覚えます。さて、高血圧とは言っても最近のことで急に倒れるような可能性は低いと見切って本番のステージに上がることにするか、サイレントキラーが何時襲って来るかも判らないので当面音楽活動の優先順位を下げて高血圧対策を優先するか、プラクティカルには次の団費の納入期限が迫ってくるので、今月末には答えを出さなければなりません。さて、どうしたものでしょうか。

ベルリン・フィルに学ぶクラシック音楽演奏団体の目指すべきもの

2016-04-26 23:18:18 | その他
 21日付のNHK NewsWebに「ベルリン・フィルの未来戦略」と言う記事がありました。この記事を読むまでは全く知らなかったのですが、ベルリン・フィルは2009年から定額料金でコンサートの配信を始めおよそ1,000曲の作品を好きなだけ聴くことができるそうです。例えば1年間の料金は149ユーロ(=1万8千円余)で、毎週ベルリンで行われる演奏会を生中継で聴くこともできるそうで、現在世界で会員登録しているのは75万人だそうです。

 詳しくはNHK NewsWebの当該記事を読んで頂くとして、登録している会員が75万人と言うのは驚きの数字とも思ったのですが、多いと言って良いのかまだまだ少ないと言うべきなのでしょうか。日本のスポーツや様々な文化活動は中学、高校、大学という学校制度がクラブ活動などを通じて継続的かつシステマティックに行っています。ところが世界的にはこの様なシステムが出来上がっている社会はむしろ例外的で、ヨーロッパでは学校というよりも地域のクラブが主体になっていることが多いようですし、アジアの近隣諸国の中国や韓国では学生時代は勉強一筋でアニメ等で紹介される日本の学校のクラブ活動が羨ましがられているようですね。さて、そんな日本の学校のクラブ活動ですが、吹奏楽も学校のクラブとしての活動がその多くを占めていて、常時100万人の吹奏楽人口があるそうです。現在の日本の人口は1億2千万で良いのでしょうか?既に人口減少社会に突入していますよね。とりあえず大雑把に1億人と言うことにしておいて、吹奏楽の現役人口が100万人というとちょうど1%とに当たりますね。自ら演奏するしないに関わらず、クラシック音楽愛好家の人口も総人口の1%、100万人ぐらいでしょうか。私自身はコアなクラシック音楽愛好家の範疇に入ると思いますので、私の周囲を見る限りはクラシック音楽の愛好者はもっといるようにも思いますが、私とは離れたところではクラシック音楽に殆どあるいは全く縁のないという人たちも多くいるでしょうね。

 ベルリン・フィルのWeb配信会員の75万人の中には当然日本人の会員もいると思いますが、数万人程度でしょうか。日本人のクラシック音楽愛好家がざっくり100万人として、その内の2~3%程度がベルリン・フィルのWeb配信会員になっているとすれば、2~3万人程度かもしれませんし、地元ドイツとドイツ文化圏ということでオーストリアで3分の1~3分の2程度とすれば25万人~50万人程度がドイツとオーストリアで、残りの50万~25万人を他の国のクラシック音楽愛好家が占めているということでしょうか。ドイツ・オーストリア以外といえば先ずはアメリカ合衆国が大きな寄与をしていると思いますし、フランス、イギリス、イタリア、東欧、ロシア、イスラエル・・・ということでしょうか。

 Web配信をするにあたっては、CDの販売が減るのではないか、コンサートの入場者が減るのではないか、という危惧があったそうです。CD販売につては、そもそもCD全体の販売量、生産量が減る中でWeb配信をすることでCDの販売量が減ることを心配する以前に何か新しい手を打たないかぎりCDを作ること自体が出来なくなるという危機感があったそうです。そしてWeb配信を始めたことでコンサートの入場者も増えているそうです。

 ということでベルリン・フィルには明るい未来が広がる可能性が広がってきているのかもしれません。それでは日本のオーケストラがベルリン・フィルの手法を真似て成功するかというと、別問題かもしれませんね。あちこちのオーケストラが同じようなことを始めたとすると、どれだけのクラシック音楽の愛好家が複数のオーケストラのWeb配信会員になるかというと、コストパフォーマンスの良いオーケストラからせいぜい一つか二つの会員になるというのが良い所ではないでしょうか。私自身、今現在ベルリン・フィルのWeb会員にはなっていませんが、複数のオーケストラが同じようなサービスを始めたとして、世界で最高峰と評価されているせいぜいベスト5のオーケストラから2つか3つの会員になるのがやっとではないかと思います。あるいは1つで十分と判断するかもしれません。Web配信のコンサートを見て実際の演奏会に足を運ぶにしても、やはり最もコストパフォーマンスの期待できるオーケストラの演奏会には行くものの、No.3以下のオーケストラの演奏会にはわざわざ足を運ばないのではないかと思います。

 ということで情報が増えれば増えるほど、オーケストラのWeb会員になるにせよ演奏会に足を運ぶにせよ、評価の高いオーケストラに集中してしまい、中堅以下の演奏団体にとってはWeb会員を募集しても思うように集まらず、演奏会の集客もままならないという、いわゆる2極分化現象が進むのではないかと危惧しています。となると少なくとも中堅以下の演奏団体は比較優位のポジションを目指してもなかなか難しく、競争優位ではなく独自の世界を構築して唯一の魅力を訴求するしかないのではないか、と思う次第です。