昨日よりは幾らかはましだったかと思いますが、今日も暑かったですね。ということで昨日の「マノン・レスコー」に続いて熱さ(今日は「暑さ」ではなく「熱さ」です)にちなんだオペラに関連した話題を。
声楽の勉強を続けてオペラカンパニーからのオファーを受ける様になった頃は、オペラの背景となる西洋史の勉強もそれなりに必死にやっていました。そんな中で得た情報です。西洋と言えばキリスト教文化ですが、魔女裁判とか異端審問等の結果として有罪となると火あぶりの刑に処せられた歴史があるようです。現代の日本では亡骸の処理としては火葬は一般的で特に忌み嫌われるということは全くありませんが、キリスト教文化では火葬と言うのは極めて否定的な意味があったようです。キリスト教の世界観では世界の最後の日にイエス・キリストが復活して、それまでの全ての死者を蘇らせて、一人一人に天国に行けるか地獄に落ちるかを裁判する最後の審判があると信じられていますね。ところで最後の審判で天国に行けると告げられても、霊が戻るべき肉体が失われていると天国には行けずに永遠に彷徨わざるを得ないと考えれらているとか。そのため人間が亡くなった時は最後の審判を経て天国に行くべき肉体が残る土葬が行われてきたとか。キリスト教文化では亡骸を火葬してしまうと天国に行くべき体が失われてしまうということで拒否感が非常に(異常に?)強かったのだそうです。
なので、中世に何回かペストやコレラ等の疫病で人口が大きく減少する様な悲劇が繰り返されても火葬が広がらずに土葬に執着していたとか。したがって魔女裁判や異端審問などの結果有罪となったものに課せられた火刑という処罰はキリスト教徒としてのアイデンティーを奪うという極めて象徴的な意味もあったそうです。またこの様な死生観はキリスト教にとどまらず、ユダヤ教やイスラム教も同じですし、ゾロアスター教にも共通するものだったそうです。
その様な背景を知ってしまうと、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人ホロコーストで、ガス室で大量に殺戮されたユダヤ人たちの亡骸が焼却処理されたのも、当時の物質的世界の限られた資源と言う制約があったにせよ、宗教的には二重にユダヤ人に対して苦しみを与える行為だったと認識すべきなのかも知れません。で、火あぶりが重要な役割を果たしているオペラがあるか? と言うと真っ先に思い浮かんだのがヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」ですね。この「イル・トロヴァトーレ」のストーリーはいささか複雑で、簡単に要約は出来ません。が、ヴェルディのオペラの多くと同じように親子の愛が極めて重要なテーマになっています。私が好きなオペラのベスト1はヴェルディの「リゴレット」ですが、「リゴレット」の悲劇と親子の愛が極めて個人的な関係の中でのものであるのに対し、「イル・トロヴァトーレ」の悲劇性・親子の愛はもう少し広がりのあるパースペクティブの中で描かれていると言っても間違いではないと思います。同じく親子の愛がテーマではありますが、「リゴレット」の方が個人的な関係性の中で完結しているという点でまだ救いがあるかも知れません。「イル・トロヴァトーレ」の方が真正面からテーマに向かい合うとすると、おぞましさという種類の想念を無視できないような気がします。