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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

フランツ・リスト 「ミサ・ソレムニス=荘厳ミサ」

2017-07-04 22:46:10 | リスト

 ミサ・ソレムニス(=荘厳ミサ)と言えばベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」が真っ先に思い浮かぶかと思います。私自身、べートーヴぇンの最高傑作は何かと問われれば、第九交響曲ではなく「ミサ・ソレムニス」だと今でも思っています。私のCDコレクションでもモーツァルトの「レクイエム」とベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の二つが3位以下を大きく話して争っています。

 と言うことで、ベートーヴェン以外の作曲家がどのような「ミサ・ソレムニス」を作曲してきたかという興味があり、目についた時に他の作曲家の「ミサ・ソレムニス」のCD等を購入するようにしています。そんな中の一つがフランツ・リストの「ミサ・ソレムニス」です。リスト自身がどの程度意識したのかは判りませんが、ある意味ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」に似ているような気もします。しかしそれは盗作したというようなレベルでは全くなく、キリスト教のカトリックの典礼様式に当てはめるとある意味似ている様にならざるを得ない程度ということです。作曲年代の違いもあり、カトリックの典礼音楽といえどもリストの「ミサ・ソレムニス」はまごうことなきロマン派音楽の範疇に位置しています。ロマン派音楽のもつある意味弾けた姿勢を併せ持ちつつ、カトリックの典礼音楽と言う由緒正しき様式美の装いを自らに課しています。その自分自身に課した制約が成功して「ミサ・ソレムニス=荘厳ミサ」の荘厳さを獲得することに成功していると思います。

 リストの名作だと思います。日本国内でももっと演奏されて良い曲ではないかと思っています。生きている間に生演奏を聴いて見たい交声曲のリストのトップ3に入る曲ですね。


フランツ・リスト ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)

2016-11-10 22:50:20 | リスト

 フランツ・リストと言えば作曲家として以上にピアニストとしての印象が強いのではないでしょうか。作曲家としては交響詩という分野を創ったとして高く評価されています。とは言え、フランツ・リストの声楽作品を思い浮かべる人は少ないのではないでしょうか。ピアノ作品として有名な「愛の夢(O lieb so lang du lieben kannst, S.298)」は、実は声楽作品=歌曲として作曲されています。声楽作品が有名ではない作曲家の声楽作品にも興味はあって、イタリア語、ドイツ語、フランス語系であれば積極的にあまり有名ではない作曲家の歌曲も聞く(CDを購入する)様に努めて来たつもりです。リストの歌曲のCDも持ってはいます。

 ところが、リストの宗教曲については全く知識もイメージも持ち合わせていませんでした。日課的に眺めているインターネットのCDオークションサイトで、たまたまリストの「ミサ・ソレムニス」が廉価で出品されているのを見つけたので、先ずは入札してみました。すると他に関心を示す人がいなかったのか最初の入札価格(郵送代よりも安い)で落札できました。

 「ミサ・ソレムニス」と言えば古今の多くの作曲家が作曲している、カトリックの典礼に則った正式な宗教曲です。とは言っても「ミサ・ソレムニス」と言えば、少なくとも私にとっては何と言っても、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス 作品123」こそが「ミサ・ソレムニス」です。なので、リストの作品に限らず「ミサ・ソレムニス」と言えば、どうしてもベートーヴェンの「作品123」と比較してしまいます。

 私にとっては、ベートーヴェンの最高傑作は「交響曲第9番作品125」ではなく、「ミサ・ソレムニス作品123」です。少なくとも、弦楽四重奏などの他のジャンルの作品にまだ私の知らない真の最高傑作が存在するかも知れませんが、「第9」と「ミサ・ソレムニス」とを比較すれば「ミサ・ソレムニス」の方により魅力を感じます。歌う機会があれば何度でも合唱を歌いたい作品です。神奈川フィル、金聖響指揮で合唱を歌ったことがあります。リハーサルの際にマエストロ金が言っていましたが、演奏を終えて聴衆の方を向くと寝ているお客さんが結構いる。ベートーヴェンの「第9」は1楽章から3楽章まで聴衆はひたすら忍耐して、4楽章に入ってそれまでの抑圧が一期に開放されて爆発して終わるイメージがありますが、「ミサ・ソレムニス」はどちらかと言うと前半の方がドラマチックで、後半は静かに落ち着いて終演にたどり着くイメージです。なのでベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」では終演の頃に眠りに落ちる聴衆も出てくるだろうと思います。

 さて、リストの「ミサ・ソレムニス」です。「ミサ・ソレムニス」と言えばカトリックの典礼音楽の中でも最も格付けが高いと思います。従って古今の作曲家が作品を残していますが、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の完成度が高すぎて、ベートーヴェン以外の「ミサ・ソレムニス」が霞んでしまっている感は否めないと思います。その中ではリストの「ミサ・ソレムニス」は中々良い作品だと思います。さすがにベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を凌駕する作品と言おうとは思いませんが、中々よく出来た傑作と言っても良いと思います。一言で言えば何処にも破綻のない、良くまとまった作品です。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」が前半がドラマチックで後半は静かに落ち着いた雰囲気ですが、リストの「ミサ・ソレムニス」は全曲を通じて緊張と弛緩が適度に交代しながら終演までたどり着くので、飽きずに眠らずに済みます。

 それぞれの「ミサ・ソレムニス」を初めて聞く方であっても、聞き比べればベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の方が古い時代に作曲され、リストの「ミサ・ソレムニス」の方が新しい時代に作曲された作品であることは判ると思います。いずれにせよ、ベートーヴェンにしろリストにしろ、「ミサ・ソレムニス」という作品の性格からやや保守的な表現になっていると思います。その意味では破綻がない完成度の高さはベートーヴェンの作品にしろリストの作品にしろ、遜色は無いと言えるでしょう。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」が古典派音楽の範疇の中で完成度を高めているのに対し、リストの「ミサ・ソレムニス」はその和声の響きから様々にロマン派音楽のある意味濁りのある新しい和声の響きの可能性を広げる試みを行っているように感じます。しかしそうは言っても「ミサ・ソレムニス」という作品に求められる格式から決して矩を越えていない完成度の高さとして結実していると思います。

 もっと人気が出ても良いと思うのですが、リストの「ミサ・ソレムニス」を演奏するなら、同じ「ミサ・ソレムニス」ならベートーヴェンの作品を、リストの作品としてということであれば「交響詩」等を取り上げた方が、日本ではチケットがハケるということでしょうか。「ミサ・ソレムニス」を聞こうと思い立ったときにどちらを選ぶかと言えば、気力・体力ともに充実して元気な時はベートーヴェンの作品を、そうでは無い時・さほど元気が無い時はリストの作品のほうが聞き疲れがしない様に思います。


鮫島有美子/ヘルムート・ドイチェ 愛の夢・リスト歌曲集から 三人のジプシー S.320

2015-10-13 23:27:11 | リスト
 今時、”○○○○という作曲家の◇◇◇◇という曲に△△△△というエピソードがある”と言うような情報に出会うと、全く知らない曲あるいは作曲家であっても、インターネットの動画サイト等でいとも簡単に音源を聞くことが出来る時代になっています。そこから芋づる式に知らなかった曲に巡り会えることが出来ることも珍しくありません。とは言えそのような情報に基づかずに知らない曲を発掘しようとすると、オークションサイト等で知らないCDを漁るのが手っ取り早いと思っています。知らない作曲家、知らない曲だからこそ手当たり次第に買い込んで聞いてみる、と言うのは私がただ一人尊敬するオーディオ評論家の今は亡き長岡鉄男氏の方法論に倣っていることでもあります。ある意味盲滅法に購入すればこそ今まで全く接点のなかった素晴らしい作曲家・作品に出会えることもあります。とは言えその確率はあまり高くはありません。

 と言うことで、もう少し確率の高い方法としては有名な作曲家ではありますが歌曲についてはさほど知られていない作曲家の歌曲のCDを狙って購入することもあります。一時期ピアノ作品に著名な作曲家として、ショパンとリストの歌曲のCDを狙い撃ちで購入したことがあります。その時に購入した一枚が鮫島有美子女史が歌い、夫君のヘルムート・ドイチェ氏が伴奏する”愛の夢・リスト歌曲集”からです。ところで購入した直後に聞いた時は今一つピンと来るものが無かったのですが、一年以上経って何となく聞いてみたところ第1曲めから妙に琴線に引っかかって来ました。その理由の少なくとも1つとしては、少々前にベートーヴェンの第九交響曲では当時階級制度の下にあった全人類の開放を高らかに歌っているのに対し、20世紀に絡んでくるフランス歌曲では個人の解放を歌っているのではないか、という私自身の音楽史的な認識の進歩があったと思います。

 その上でリストの歌曲「三人のジプシー作品320」を聞いてみると、ベートーヴェンの第九交響曲のような全人類を対象にした世界ではなく、個人を対象にした作品という印象を強く受けました。更にピアノの大家であるリストらしく前奏からしてピアノが雄弁で、一瞬ピアノが止まってアカペラで歌が始まり、その後に再び鳴り出したピアノはロマン派様式の範疇であってもかなり現代的な感じを受けますが、むしろ展開部というか中間部以降でより古典的な機能和声の範囲内に先祖返りすルような印象を受けます。個人的にはむしろ古典的な雰囲気から始まって現代的な方向に展開するほうが好みという気がしていますが、この作品はABA形式に例えるとA部の方が現代的な雰囲気でB部の方で時間軸を遡る様式に戻るという印象を受けます。それにしても”ピアノの魔術師”と称されたリストだけあってピアノパートだけでも聞くに値すると思えます。実際に「三人のジプシー」という共通のタイトルで作品383としてヴァイオリンとピアノの作品にも編曲されているようです。

 時代の経過以外にも、ドイツロマン派の系譜に位置づけられながらもハンガリーの血を有するリストであればこそジプシーを謳った詩に作曲を施して生まれた世界があるのでしょうね。ペトルッチ(IMSLP)に楽譜が公開されています。

 

Ferdinand Freiligrath  Franz Liszt  O lieb so lang du lieben kannst   リスト  愛の夢

2014-10-01 21:58:38 | リスト
 ピアノの魔術師フランツ・リストも歌曲を作曲しています。「三つの夜想曲」という副題を持つ「愛の夢S541」も、元は歌曲として作曲されたものをピアノ独奏曲に編曲したものということです。「愛の夢S541」の3曲の中でも最も有名なのが第3番 - 変イ長調「おお、愛して下さい、愛しうる限り 」"O lieb so lang du lieben kannst"ですね。IMSLPのサイトには歌曲版の他にチェロとピアノ版も収録されています。

 一時期はプロオーケストラの名前を関した合唱団に在籍していたので、毎年暮れには第九を歌っていました。その合唱団でメンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」の抜粋も歌いました。考えてみるとこれ以外にドイツ語の歌を本番で歌ったことは無い様に思います。ミサ・ソレニムス、レクイエム、スターバト・マーテルはラテン語ですからね。リストの「愛の夢」はピアノ独奏曲として有名になっていますが、当然歌曲としても完成度が高く、また歌いやすくもあり、声楽教室の発表会で普通に歌っても、リストの有名なピアノ曲に歌詞をつけて歌曲にして歌っていると受け止めてくれるクラシックファンもいるでしょうし、実は歌曲として作曲されて後から編曲したピアノ独奏曲の方が有名になったとプログラムに記載しても良いし、トークで紹介しても良いかと思います。あらためて歌詞を読んでみると、この曲も極めて直截な愛を歌っています。お前が愛する相手=私がいずれ墓に入るときは来る、だからお前が愛せる限り(私を)愛せ!ということでしょうか。そうすると結婚式の披露宴等で歌っても良い曲と思われますが、私のそう多くは無い経験の中では、結婚式でこの歌を聞いたことはありません。あと一人これから結婚するであろう姪がいるので、彼女の披露宴で何か歌ってくれと頼まれたときは、リストの「愛の夢」も提案してみましょうか。

 実は「愛の夢~鮫島由美子 リスト歌曲集」というCDをオークションサイトで落札して、先日届きました。20曲収録されている最後が「(愛の夢)おお、愛してください、愛しうる限り」です。この「愛の夢」以外に、さすがはピアノの魔術師リストが作曲しただけのことはあると思わせる、ピアノの存在感が歌を圧倒しすぎているのではないかと感じられる曲が幾つもあります。また曲名もなかなか振るっているものがあって、例えば「ぼくの歌には毒がある」とか、「はじめはほとんど絶望するところだった」等というものがあります。それから「ラインの美しい流れの」という曲も収録されていますが、これはシューマンの「詩人の恋」の6曲めの「ラインの流れ」と同じ歌詞(ハイネ作)に作曲しているようです。シューマンの「詩人の恋」の「ラインの流れ」と、リストの「ラインの美しい流れの」とを歌い比べるようなステージも作ってみたいと思っています。声楽教室の発表会だとどうしてもイタリアのアリアか歌曲になりがちですが、大人の学芸会の企画では本人が歌えれば何でもありなので、やはり大人の学芸会で歌うことになるでしょうか。