生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

体調と言うよりも心調? 強いて言うなら脳調が悪いので一週間ほどブログを休みます。

2017-09-30 22:37:13 | 疾病・薬等のはなし

 先日「あらためてご挨拶 気分障害のカミングアウト」という内容をアップしたばかりですが、どうやら現在3回目の躁状態にあるか、迎えつつある様です。心当たりとなる症状が複数あるので診療予約を繰り上げて本日家族同伴で主治医(自宅に比較的近いクリニックに、週一で非常勤診療に当たっている超ベテランの独立行政法人国立医療機構〇〇センターの現院長)の診断を受けて来ました。

 その結果、今の私が躁状態でないと診断できる根拠は何も無い。

 今日、予約を繰り上げて診察を受けに来たのは極めて賢明。

 今年の4・5月に出社できない日が続いたので抗うつ薬を増量したこと、その増量に伴う副作用対策として躁状態に抑制効果のある気分安定剤(リチウム製剤)を減らしたことが躁を誘発した可能性があるので、抗うつ薬は減薬ではなく断薬、気分安定剤は減薬前の服用量に戻す、という処方を貰いました。

 ただし今の私が躁状態だとすると、これまでに診療した中では最も従順な躁状態の患者とも言われました。まあ躁うつ混合状態というのは珍しくは無い筈ですが。”躁状態の患者はそもそも人の話を聞かずに一方的に自己主張する”とのことです。

 まあ、自分でも思い当たる節があるからこそ予約を繰り上げて診察してもらったので、当然想定の範囲内ではありますが、”今の貴方(私のこと)の様子からは躁とまでは言えない”という診断を正直なところは期待していたので、結構ショックではあります。ラピッドサイクラーにまた一歩近づいたかと思うと絶望感も感じます。

 いきなり抗うつ薬をゼロにして再び出社できない様になると、4・5月で年度初めに20日付与される有給休暇の内、既に18日を使っているという厳しい状況なので、再び求職せざるを得なくなるかも知れません。また増薬による副作用=味覚障害(味覚が判らなくなるのではなく、常に変な味を感じるという幻味)が生じましたが、抗うつ薬の服用を止めれば副作用がなくなるかとは限らず、逆に味覚障害が強くなる可能性もあるし、断薬による副作用が新たに発生するかもしれないし・・・。

 とにもかくにも現在躁状態にあるかもしれないし、少なくとも躁状態という自動ドアの入り口のスイッチに片足を乗せている様な状況であることは確かだと思うので、しばらくは出来るだけ自分自身で自重するしかありません。と言うことで来週再び診療予約を入れていますが、主治医の都合が悪くて代診の先生になります。それでも申し送りしておくとのことで、やはりクリティカルな状況なのだろうと思う次第です。

 と言うことで、来週の診察結果を聞くまで、ブログ更新は中断させて頂きたいと思います。来週の今日にはその時点での診察結果をご報告して、再開できれば再開したいと思っています。それでは一週間、お休みさせて下さい。その間にもネタは仕込んでおくつもりですので、その意味では乞うご期待です。


チェロを衝動買いした理由 E-NHK ららら♪クラシック 再放送 楽器特集 チェロ

2017-09-29 23:13:44 | CD、オーディオ等のはなし

 5月5日の本放送の際に録画してあり、保存版として消去していないのですが、再放送をもう一度見ました。通常クラシック番組と言えどもTV放送はリビングの液晶テレビで鑑賞していますが、今夜は普段ほとんど使っていないミニシアターを立ち上げて、高校生時代からの夢だったオーディオ評論家の故長岡鉄男氏設計のバックロードホーンエンクロージャーにフォステクス社のFE-108ESIIに超低音域(30Hz までほぼフラット、27Hz もはっきり聞こえます。と言うか部屋の空気が揺れます)増強用のASW-3(型番は違ったかもしれませんが、ASWシリーズの中では最も小さいタイプでしょうか?)で組んだオーディオシステムに液晶プロジェクターで壁面いっぱいに投影された画像が見れます。

 ああ、この画像を見て、ヴァイオリンの左手が上手く動かなかったときに、チェロだったら自分の左手でも曲が弾けるのではないか?と思った瞬間が蘇りました。私にチェロを衝動がいさせたのはチェリストの長谷川陽子女史とMCの高橋克典氏の二人です。でも、再放送された内容通り、声楽とヴァイオリン、フルートと比較しても圧倒的に癒される魅力がチェロにはありますね。開放弦をボウイングしているだけで恍惚感におぼれています。ところが購入して、レッスンを受けてから帰宅して初めて認識したのですが、我が家にはチェロを練習するだけのスペースがどの部屋にもありません。

 と言うことで、人生で初めての断捨離に現在挑戦しています。チェロを弾きたい一心でまるで今までとは正反対の行動を始めた私を見て、家族が驚いています。


これぞ探し続けていた究極の眼鏡 補遺

2017-09-29 00:02:55 | 見いつけた

 昨日は帰宅後に自宅内で使用していただけですが、今日は起床後に直ぐに新発想メガネの「SEEFIVE」を装着しました。今日一日使用した後の感想でも、もはや複数の眼鏡を使い分ける生活には戻れません。

 そうは言っても、100%完璧と言う訳でもないことに気づきました。それでも人に勧めたいという気持ちは変わりませんが、念のためにご報告します。

 自宅内では無論、自宅と会社との出退勤の間(ドア2ドアでほぼ1時間)、徒歩と通勤電車、駅での昇り降りでも、ブルーライトカットの上に0.5度の最弱の老眼レンズを装着して移動しました。その間老眼レンズ部が落ちることは全くなかったのですが、午前中の勤務中に自席とネットワークプリンタとの10mに満たない距離を連続て2往復したところ、老眼レンズ部が床に落ちているのに気づきました。慌てて拾って再装着して特に問題はなく、その後も特に落下しない様に注意していた訳でもありませんが、再び落下することはありませんでした。未だにオフィスの自席とプリンタとの間を行き来する間に落ちた理由は判りません。とりあえず通常の生活で落下することはないかと思いますが、自己責任で判断して頂いて、本来は屋内のみで使用する方が良いのかも知れません。

 もう一つの問題は、帰宅時の暗くなってからレンズを二重に装着していると、街灯などの点光源がの少し下に白と青の光のにじみが出現します。追加レンズ部を外してブルーライトカット部のみにすると白と青との二つともが消滅するので、おそらくは目に近い方のブルーライトカットレンズの表面(目から遠い方)で反射した点光源の光が、目から遠い方に装着した老眼レンズ部の裏面(目に近い方)で反射して見えるのが青いにじみだろう。と言うことは「SEEFIVE」で使用しているブルーライトカットレンズは吸収型ではなく反射型なのだろうと思った次第。ここまでは良いのですが、では白いにじみの方はどのような光路なのでしょうか?

 ブルーライトの反射面が、ブルーライトカットレンズの裏面(目に近い方)ならあり得るのかと思いましたが、ブルーライトのみを反射してカットする面は裏面(目に近い方)ではなく、表面(目から遠い方)だと思っているのですが・・・?

 いずれにしても、夜間の自動車等の運転時には点光源の下に白と青の光のにじみが出るので、使用しない方が良いと思います。自動車などの運転時、進行方向の視界の確認には老眼鏡は不要かと思いますが、スピードメーターを見難いという方は「SEEFIVE」を思い切り鼻の下にずらせばよいかも知れません。しかし「SEEFIVE」はレンズの縦方向の長さが短めではありません。

                                                 以上。


これぞ探し続けていた究極の眼鏡

2017-09-27 23:28:29 | 見いつけた

 通販で申し込んだ眼鏡がやっと届きました。月金で23時からテレビ東京で放送しているWBS(ワールド・ビジネス・サテライト)の通称”トレたま”(トレンドたまご)というコーナーで紹介されていた「SEEFIVE」という、「老眼鏡でも遠近両用でもない新発想のメガネ」です。

 いささか古い表現になりますが、ある意味と言うよりは完全窓際サラリーマンで、やっと定年延長するよりも起業した方が高収入が得られそうだと覚悟を固めたところです。就業時間中決して100%真面目に仕事に集中している訳ですが、出社してから退社するまで、昼休みも含めてトイレに行くぐらいは殆ど自席のPC画面とにらめっこの毎日です。しかも特許公報はpdfの方が1頁当たりの情報量が多いため明朝体の細いフォントが目に突き刺さります。そのVDT作業の過酷さから他部署に比べて早くから大型ワイド画面の外付けディスプレイを貸与されています(本体はモバイルノート)。しかも大型ワイドディスプレイとノートPC自体の2画面でも使用可能ですし、希望すれば大型ワイドディスプレイが貸与される以前に使っていた通常の15inchスクエアディスプレイとの2画面(その場合はノートPC自体のディスプレイは非表示になります)という贅沢な環境を与えられています。それでも定年が近づいてきた老体には厳しいVDT作業で、眼精疲労が半端ではありません。

 今日も午後3時過ぎには目の痛みが限界となり、同じビルに入っているドラッグストアに行って最近話題の「ろうがん」というサプリを買ってきて飲みました。確かに効き目はありそうですね。そういえば月曜日には「1日1分見るだけで目がよくなる28のすごい写真 」という書籍も半信半疑ながら勤務時間中に購入して試してみました。この本も確かに効き目があるような気がしました。要するにそれだけ目を酷使しているということだと思います。

 その様な状況の中でいつまでたっても届かないと思っていた眼鏡がやっと届きました。どこが新発想かと言うと、耳に掛けるテンプル部分=日本語で言えばつるの部分がついた通常の形状の眼鏡が一つ。そのものは度が入っていないけれどブルーライトカットで、その他に度数が0.5、1.0、2.0、3.0ディオプトリのいわゆる老眼鏡レンズを装着したテンプル=つる無しのレンズ部が4つ付いて来ます。そしてテンプル=つるがついている度無しのブルーライトカットレンズの上に各度数のついたレンズ部が磁石で固定されるというもの。これまでは度なしのブルーライトカット眼鏡と度付きのブルーライトカット眼鏡をとっかえひっかえ使っていましたが、見る対象との距離が変わるたびに眼鏡をかけ替えるのは本当にストレスになります。

 本日帰宅したところ届いていたので早速使って見ました。リビングでテレビを見る分には度なしの方が楽ですが、0.5度のレンズを付けると手元がとてもはっきり見えます。これはもう元には戻れません。

 これでも40歳直前まで2.0位の視力があって眼科医からも良い目を持っているとうらやましがられるほどでしたが、実際には遠視の眼鏡を中学時代から掛けています。掛けなくても見えるのですが非常に疲れやすいです。それがアラフィフの頃に急降下で近視界視力が落ち、遠視界視力も落ち、若いころは非常に良く見えていた記憶がまだ残っているので却って辛いものがあります。7年前の運転免許更新時にもいよいよ「眼鏡等」の限定がつくかとひやひやしながら受け、2年前の更新時は今度こそダメだろうと遠近両用と近視界用と遠視界用と眼鏡を3種類持参して視力検査を受けましたが、何とか裸眼で合格となりました。しかし次回更新時はもう絶対に裸眼では合格できないでしょうね。最も若い時から「眼鏡等」の限定免許の方も少なくない訳ですから、何時か来るべきものがついに来たというだけとは思っています。

 若い方には判らないと思いますが、遠近両用と言っても累進焦点レンズとか、某メーカーの「全視界メガネ」も購入しましたが、視野の中でピントの合う範囲が狭くて思いのほか見難いものです。むしろ昔そうだった様に遠視界用レンズ部と近視界用レンズ部の境界が上下方向の真ん中やや下側に水平にはっきりと走っていたタイプの方が、私の様な目の使い方にはまだしも合っていました。近視界用メガネと遠視界用メガネの掛け替えが面倒だと思われる方、「SEEFIVE」これお勧めです。


フルートのレッスンに行って来ました 独学・独習では上達しないと思う理由

2017-09-26 22:35:51 | レッスンに行ってきました

 フルートのレッスンに行って来ました。いつも通り中音域(第二オクターブ)のシから4拍づつタンギング無しのスタッカート気味で発音させて腹筋を起こします。最低音まで行くと再び中音域のシに戻って逆に最高音(第三オクターブの上、あるいは第四オクターブの最初)のドまで発音します。レッスンは毎回このエクササイズから始めますが、これ自体はN原先生が毎日音出しをする際の最初のルーティンとのことです。で、音を出すだけならほぼ問題なく出せますが、問題はその音質であり、また特に出だし(アインザッツ)の瞬間の鳴り(鳴らし)方を問題視され、未だに厳しい指摘を頂くとともに毎回お手本を示して頂いています。これだけなら今日の副題の様に”独学・独習では上達しない”とまでは言いません。

 問題は腹筋を起こした次のエクササイズで、私が最も好きなフルーティストであるペーター=ルーカス・グラーフ氏のチェックアップに記載されている倍音練習です。最低音のド(吹きにくければ低音域=第一オクターブのソ辺りから始めても良い)から運指は固定したままで基音(ド)、第一倍音(オクターブ上のド)、第二倍音(その上のソ)、第三倍音(その上のド)、第二倍音、第一倍音、第二倍音という音形で、半音ずつ上がっていきます。で、N原先生のレッスンではペーター=ルーカス・グラーフ氏のチェックアップに記譜されている通りの前述のフレーズを繰り返すのですが、自宅での個人練習では勝手に拡大解釈をしてそれぞれの運指毎に可能な限り高次の倍音まで出せる方が良いのだろうと思い、第四倍音や第五倍音まで今回のレッスンで初めてN原先生の前で吹奏してみました。

 すると、それは全くエクササイズの目的を誤解しているとのことで、無理して高い倍音を出そうとすると口を狭くして息のスピードを無理やり上げて出そうとする。これは正にその時の私の姿であった訳ですが、目的はそうではなくあくまでも記譜された音程の範囲で、如何に口の周りの状態≒アンブシャーを変えずに息でコントロールできるか、基音とそれぞれの倍音の音質を極力揃えることが目的と注意されました。半年以上、回数にすれば10回以上レッスンを受けてきてやっと正反対の方向で個人練習していた事実に気が付き、崖の上から突き落とされ底なしの奈落に落ちていくようなめまいすら感じました。が、これこそが安くはないレッスン代を支払って初めて手に入れられる価値だと、逆に喜びに変わった次第。それぞれのエクササイズの目的をしっかりと理解してその目的の方向から外れないで個人練習できる様になるためにレッスンを受けているのであって、どれほど完成された教則本があったとしても、あるいはそれに見本演奏のCD等の音源が添付されていたとしても、自分が出している音、あるいは吹奏の仕方が本来の目的から外れていないかどうかは、本人には判定できるものではありません。なので、私自身は声楽にしろ器楽にしろ音楽をするということは、レッスンを受け続けていることが前提になります。

 新しく楽器を始めようとする場合は、楽器購入の予算と同額かそれ以上のレッスン代を支払うことを含めて予算を想定しておくことが絶対に必要だと思っています。まあ、声楽であれば楽器を購入しなくて済みますね。また楽器を選ばなければならないという問題もありません。声楽を勉強していた時は好きな楽器を選べる器楽の人をうらやましいと本気で思っていましたが、声楽レッスンの受講を止めてヴァイオリンとフルートとおまけにチェロのレッスンまで受け始めた現在、フルートについてはある程度の好みが判る様になりましたが、まだまだ(と言うよりもおそらく一生)ヴァイオリンやチェロは自分自身で選定出来るようにはならないだろうと思っています。せっかく良い声を持っているのだから声楽は続けなさいとN沢先生からもK井先生からも言われたことがありますが、その様な声帯を与えてくれた今は亡き両親に感謝しています。できるなら音感ももう少し良く生んでくれたらと恨んでもおりますが。