生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

NHKラジオ 毎日イタリア語講座応用編 イタリア語発音ラボ 2015年9月24日放送分

2015-09-30 23:12:48 | その他
 昨日会社を休んで休養したことで、何とか今日一日は出社して昨日分を含めて仕事をそれなりに片付けて来ました。通勤電車の社内ではNHKラジオの語学講座から、イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロシア語を、一週間遅れのインターネット配信をmp3に変換したものを携帯音楽プレーヤーに入れて聞いています。昨日休んだため一日遅れで今日聞いたのが9月24日(木)放送分です。

 半年間のコースの最終回の1日前と言うことで、少々高尚な内容でした。イタリア語の詩には幾つかの形式があるようですが、その中で最も美しい響きを有するのが一行が11拍からなる11音節詩行というものなのだそうです。と言うことで例に挙げられたのが Carmelo Errico の Ricordi ancora il di che c'incontramo; という詩です。直ぐに番組MCからも紹介がありましたが、これは Tosti の Non t'amo piu!(邦題:君なんかもう!)ですね。残念なことに番組自体が15分しかないので、最初の2行だけだと思いますが、イタリア人ネイティブの感情を込めた朗読が聞けます。韻文のリズム感は音節によって生み出されると一般的に理解されていると思いますが、より正確には文法上の音節と言うよりは詩の音拍を基にしたリズム感なのだそうです、と言うのは音節と音拍の数は必ずしも一致しないのだそうです。と言うことで Non t'amo piu! の最初の一行は実際には13音節で、母音の一つながりを拍とした音拍の数を数えると11ということです。

 また11音節詩行と比較するために8音節と10音節の詩も紹介されています。8音節の詩では3、5、7音節目に、10音節の詩では3、6、9音節目に、規則的なアクセントが現れるそうです。10音節の詩として紹介されていたのは第二のイタリア国歌とも言われている、ヴェルディのオペラ「ナブッコ」から”行けわが想いよ黄金の翼にのって”です。これはこのブログで紹介しない訳には行かないと思った次第です。最も”行けわが想いよ黄金の翼にのって”は冒頭部分のみです。おまけにダンテの神曲の冒頭部分の朗読も紹介されています。

 2015年10月5日(月)の午前9時59分まではインターネットのNHK語学講座のストリーミングサービスで聞くことが出来ます。但しストリーミングサービスを利用するためには利用者登録をする必要がありますが、当該Websiteから簡単に出来ますので、興味を持たれた方は是非聞いてみられたら如何でしょうか?またちょうど来週から新しい半年間のプログラムが始まりますので、これを機会にNHKラジオ語学講座を聞かれたら如何でしょうか?ストリーミング音声をmp3に変換してくれるフリーソフトも公開されています(私も当該ソフトを利用しています)。

金山知弘 ”和声”が伝える音楽の癒しとは?-『トロイメライ』についての考察-

2015-09-29 22:29:11 | 論文・資料紹介、書評
 今日は午前と午後に会議があって出社する必要がありましたが、家を出たところでどうにも体調が悪くなり、とても会社まで行けないと思い自宅に戻り、休むことにしました。午前中と昼過ぎと寝ました。兎に角半端無い疲労感で寝るのが一番です。昼間は睡眠導入剤無しで眠れます。単純なうつ状態の時はほとんど音楽を聞くことは出来ませんでした。ほとんどというのは、クラシック音楽は全く聞くことは出来ませんでしたが”自律神経をリラックスさせる音楽”というCDをひたすら聞いていました。今はクラシック音楽を平気で聞いていますので単純なうつ状態でないことの証左だと思います。一方で躁状態の時は金銭を浪費しがちになることがあり、現在CDや書籍、楽譜等を普段の何倍も発注しているのでこれまた躁状態の証左だと思っています。とは言え少々極端な大人外程度なのでかわいいものです。躁の酷い人は何百万とかそれ以上の借金をして経済的に破綻することもあるそうです。

 さて午睡が冷めた後、ネットでシューマンに関する論文を検索してみました。シューマンに関する精神分析等の論文を探す目的ではありましたが、目に止まった優れた小論文がありましたので、紹介しておきたいと思います。2012年度名古屋大学学生論文コンテスト優秀賞受賞論文の様です。タイトル等で検索していただければ直ぐに見つかると思います。表紙から参考文献&譜例まで含めて10頁、本論の分量としては6頁程ですが、著者がとある病院での訪問演奏を経験し、その際にシューマンの「トロイメライ」を弾けなかったことからその理由を和声分析を通して考察したというものです。学生の小論文ですから専門的な掘り下げはそれほど深いものではないとも言えますが、そうは言っても医学部の5年次生で一般大学でいえば大学院生に相当しますから、音楽学者や音楽評論家による文章とは根本的に異なる切り口と、専門性に裏付けられた論考の出発点が読み取れます。4行だけ引用させて頂くと、「・・・食事や性行動、薬物依存といったヒトの快行動(多幸感や報酬)に応答して活性化する領域である。ドーパミンとオピオイドという神経伝達物質で働く神経システムである。音楽は、ドーパミンを用いて脳の活動を高めると同時に、扁桃体などの活動を低下させることで喜びや感動をもたらしている可能性がある。」ということだそうです。脳の模式図もカラーで掲載されている一方で、「トロイメライ」の和声分析を金城学院大学 芸術・芸術療法学科の飯田真樹教授に9ヶ月に渡り師事したということで、少しでも興味を持たれた方には是非原典に当たっていただきたいと思います。

 音楽家と言うとともすれば科学や理数系のことには疎いというイメージもありますが、古くは音楽に最も近い学問は数学だった時代もあったわけで、医学や科学の成果と音楽との関係をより判り易く啓発していければと思います。この記事もその手始めのものだと受け止めて頂ければ幸いです。

福島章 音楽と音楽家の精神分析

2015-09-28 22:02:03 | 論文・資料紹介、書評
 どうやら完全に気分(双極性)障害が再発したようです。睡眠導入剤を飲まないと眠れません。ところで躁転する前の単純なうつ状態の時も合唱は続けていたのですが、それ以外に音楽を聞いていたという記憶がありません。一方で書籍は随分と読みました。大半はうつ病に関する解説書や小説ではありましたが。他方、躁状態の時は結構音楽を聞いていたと思います。ではたった今現在はどうかというと、躁うつ混合状態を示すかのごとく、以前と同じように(クラシック)音楽を聞くと同時に、殆ど読まなかった書籍も読むようになりました。

 再発したなと思ってから、音楽家の精神疾患について書かれた書籍を読みたくなって直ぐに見つかったのが、東海大学名誉教授・医学博士 五島雄一郎 著「偉大なる作曲家たちのカルテ (40人の作曲家たちのライフスタイル・病気・死因と作品との関連)」なのですが、絶版で古書がそれなりに出回っているようなのですが古書ですら¥6,000-を越える価格が付いていたのでとりあえずAmazonの欲しいものリストに入れておいて、更に探して見つけたのが精神科医で複数の医大の教授にして東京芸大音楽学部の非常勤講師でもある福島章氏の「音楽と音楽家の精神分析」です。

 目次の大項目だけを挙げると
・ベートーヴェン
・十九世紀の作曲家たち
・グスタフ・マーラー
・ワグナーと境界人格構造
・ビゼーと<カルメン>
・青ひげ公とその妻たち
・シューマンの創造と病理

 以上ですが、真っ先に読んだのはシューマンです。シューマン自身もはっきりと病識を持っていたことは確認されているそうですし、古くから優れた音楽家として精神疾患を分析されてきたことは周知のことですね。今で言う統合失調症だったのかそれとも気分(双極性)障害だったのかという議論については、未だに結論は出ていないそうですが、最近では一つの病名でシューマンの症状全てを説明するのではなく、少なくとも晩年とそれ以前とでは異なる疾患だったのではないかとする説が有力になって来ているそうです。また晩年の症状あるいは直接の死因の可能性のある梅毒説に関しても完全に否定する研究者もいれば死因として有力とする研究者もいるそうですが、シューマンの子供8人に一人も先天的な梅毒症が見られていないことから、可能性は低いと考えるのが現在の医学の常識の様にも思われます。

 福島氏の文章はけっして医学的な側面だけではなく、むしろ優れた音楽エッセイでもあり、例えば「音楽は思想の表現ではない。また、かならずしも首尾一貫している必要もない。またかならずしも、ベートーヴェンのように、完結し勝利している必要もない。」(同書199ページ。)如何です?読んでみたくなりませんか。

 気分障害の症状が再発したことで辛く苦しい毎日になっていますが、そのおかげで生涯を完結するまでに読んでおくべき書籍と巡り会えたと思えば、それはそれで少しは意義があったと自分を慰めているところです。ところで今しがたAmazonの欲しいものリストを確認したら「偉大なる作曲家たちのカルテ」の程度の良い古書がなんと¥1,600-程で出ていました。即発注しました。暫くは読書に励んで今の症状をフェードアウトさせたいものです。

カミングアウト うつ病ではなく気分障害でした

2015-09-27 23:26:24 | 疾病・薬等のはなし
 2008年の4月か5月頃に、専門医から軽症だけれどうつ病ですと診断され、とはいえ軽症なので休職する必要も無いでしょうということで、抗うつ薬を服用しながら出社して多少は量を減らしてもらった業務をこなしていました。2009年に仕事のある案件を担当した時に、相手方の企業から秘密情報は開示されていないもののその企業が出願している特許を調べたところどのような課題を相手方企業が持っているのかほぼ間違いなく見等がついたと思ったことがきっかけで、自分一人が全てを理解していて他の人間は何でこんなことに気がつかないんだろうと舞い上がり、周囲の人間が愚かに見えました。これが所謂”躁転”だったんですね。うつ状態の時に様々な書籍を読んだりインターネットの関連サイトを調べたりしていたので、自分で直ぐに、ああ、これが躁状態なんだ、と言うことに気付き、次の受診の際に直ぐに主治医に症状を伝えました。そもそも抗うつ薬は落ち込んだ気分を無理やり持ち上げるための薬なので、抗うつ薬の副作用として躁状態になることはあるそうです。異論はあるようですが私の主治医に言わせると抗うつ薬の副作用で躁状態になったのか、あるいは私自身の先天的な特質で躁状態になったのかは区別できないそうです。

 ということで、それ以来軽症うつ病ではなく、気分障害(別名:双極性障害、もう少し古い言い方では躁うつ病)という診断になり、躁状態を抑えるための気分安定薬と抗うつ薬を併用して現在に至ります。2010年の12月4日に新しい抗うつ薬が効いてうつ状態を脱して以来、もう抗うつ薬を飲まなくて良いだろうと思い続けていました。主治医からも寛解した(うつ状態から脱した)患者が100人いたら間違いなく経過良好な方からベスト5に入るとも言われたものの、未だに薬を服用しています。これが単極性(躁転したことがない)のうつ病であればおそらくはもう薬を飲む必要なないと思われますが、一度でも躁転したことがあるため、おそらく一生薬を飲み続ける必要があるのだと思います。うつ病は完治するので病気ですが、気分障害(双極性障害)は再発率が90%以上と生きている限り再発する可能性が高いので、病気ではなく”障害”と呼ばれています。

 残念ながら私は生きている限り”精神障害者”ということになるようです。というのも、2010年12月4日にうつ状態を抜け出して以来、大波小波はあったもののそれなりに安定して寛解状態にあったと思うのですが、実は今我が生涯において直ぐに治まった瞬間的なエピソードを除けば、ある程度長期的な2回目の躁状態、正確には躁とうつの混じった躁うつ混合状態に落ちているようです。今回のきっかけは8月上旬までの酷暑がいきなり涼しくなり、酷暑疲労が一気に出て体調を崩したことにあると思います。今から振り返れば8月25日、出社して午前中は普通に業務に取り組んでいましたが、突然午後から物凄い疲労感に囚われてただ座っているだけがやっとの状態になりました。翌26日は朝から疲労感が強く普通なら会社を休むところでしたが会議があったため無理に出社して何とか会議だけはこなしましたが、自分が何を報告したかすらまったく覚えていません。この時点で気付いて兎に角休養に務めていれば良かったと今では思いますが、その時は気付かずにその後少々トラブルを起こしてしまいました。と言うことで今は果てしなく落ち込むうつ状態の自分と、イライラしてやり場の無い怒りを何とか抑えようとしてくたびれ切っている自分が共存している躁うつ混合状態です。それでも初めの内は眠れていましたが、ここ2・3日は睡眠導入剤(睡眠薬)を飲まないと眠れなくなっています。

 睡眠導入剤を飲むこと自体は良いのですが、習慣性があると言いますか直ぐに癖になって、睡眠導入剤を飲まないと眠れなくなってしまいます。睡眠導入剤の服用が不要になったときは、徐々に服用量を減らして脳を慣らしていく必要があります。そのために同じ睡眠導入剤でも1錠に含まれる有効成分量を変えた複数の錠剤があるのが普通です。更に最低用量の錠剤から減らすときには1錠を半分に割り、更に4分の1に割って行きます。そのための錠剤(ピル)カッターというものも市販されています。とは言えピルカッターを使っても4分の1以下に割るのは難しいです。4分の1以下に減らすには1日おきに服用することもあります。

 現在何とか躁うつ混合状態の脳をなだめすかしています。その割にはレッスンに行ったりしているではないかと突っ込まれそうですが、予想のつく事象についてはまあまあこなせます。ただ予想外の事象に出会ったときに自分の感情をコントロールできるかと言われると全く自信がありません。何を仕出かすか分からないという自分自身に対する怖さがあります。

 そうしてみるとシューマンの歌曲の年が躁状態であったという通説についてはいささか違和感も感じます。まずその一つは、うつ状態は1年以上続くことはあっても躁状態はそんなに長く続きません。躁状態は滅茶苦茶エネルギーを浪費するので比較的短期間でうつ状態に墜落します。もう一つは躁状態は根拠の無い空元気みたいなもので着想は次から次に湧いてきますが、それを完成させるだけの忍耐力・集中力が続くものではありません。そこが凡人であるお前と天才であるシューマンとの違いだと言われればまさにその通りなのですが。

レッスンに行ってきました

2015-09-26 21:09:41 | レッスンに行ってきました
 K先生のレッスンに行って来ました。2週連続になりました。前回のレッスンの最後に次回の日時を調整しましたが、2週間後は先生の都合が悪いとのことで、2週連続でレッスンをお願いしました。普段のレッスンはハミングやヴォカリーズで発声から入りますが、今日は呼吸からでした。正直なところ、”今更呼吸からですか???”とは思うのですが、先生にはバレバレで、やはり呼吸法が出来ていないことが現在の発声技術の壁になっていることは良く判っております。一生懸命支えなければならない高音域になればしっかりと腹式呼吸が出来てはいますが、適当にサボっても歌えてしまう中音域以下では腹式呼吸がきちんとは出来ていません。良く良く判ってはいるのですが、判っているからと言って意識さえすれば中音域以下でもしっかりと腹式呼吸が出来るというものでもありません。勉強して理解できれば良い知識ではなく、意識しつつ反復練習で体に覚えさせる練習・訓練が必要な技能の範疇に入ることですね。

 色々注意を受けて、指摘されたところを改善すると他の部分が宜しくなくなるという、完全にもぐらたたき状態ではありましたが、イメージとしては、”流しそうめん”。そうめんを流すためにはあらかじめ水が流れているところに上手くそうめんを同調させる必要があります。水が流れていないところにいきなり水流をつくってそうめんも同時に流そうとしてもそれは無理というもの。

 音域があがるにつれて背中の筋肉も上手く使うこと。特に肩甲骨の間と首の後ろの筋肉を上下に伸ばす。但し背部の筋肉ばかり伸ばそうとすると首を下に向けて首の前側の筋肉が縮んで喉を締めることになるので、前側も上下に伸ばす。鼻腔と口腔は前後、上下、左右、360°あらゆる方向に広げる、円形ドームを大きくするイメージですね。もう一つ今日初めて聞いたのが、最高音域では声帯を前後に伸ばすだけでなく上下にも引っ張る。

 首の後ろ側を伸ばし、肩甲骨の間の筋肉を下に引っ張り、声帯を前後だけでなく上下にも引っ張る、ということは、言われて直ぐに出来るわけがありませんが、それでも意識するだけで声が変るのが判ります。だからと言って私のブログを呼んで試して見ても変な癖がつくだけだから止めた方が良いですよ。十分な技能と指導力をもった先生のガイダンスに従って少しづつ発声法を改善していって、その上でその時のレッスンの時点での足りない所を特出しで指摘してもらった結果が此処に書いたことであって、個別具体的な前提があればこそのアドバイスですから。この前提条件が全く不明なところで私の拙い表現だけを試して見ても百害あって一利なしですよ。上手くなりたかったら良い先生を見つけてレッスンを受けましょう。