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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

モーツァルトはフルートという楽器が嫌いだった?

2017-05-20 23:49:13 | モーツァルト

 クラシック音楽愛好家、少なくともフルート奏者あるいはモーツァルト愛好家の中では、W.A.モーツァルトはフルートという楽器を好きでなかったという説が知られています。その最も大きな根拠は、モーツァルトが父にあてた手紙の中に「(フルートは)我慢のならない楽器だ」という主旨を書いているところが残っているのだそうです。

 では何故モーツァルトがフルートを好きではなかったかと言う理由については、必ずしも明らかではないようです。フルーティストの少なくない方は、モーツァルトが生きていた時代のフルートは、ベームが改良した現代のモダンフルートではなく、歌口もトーンホールも小さく、半音はトーンホールを指先で半分だけ開ける(閉じる)等、音程も不確かな不完全な楽器だからだろうと記しています。また父親に「我慢のならない楽器」という手紙を出したことは事実でも、実際のところそれほどフルートを嫌っていなかった、と述べている有名なフルーティストも複数存在します。

モーツァルトの管楽器の協奏曲と言えば晩年のクラリネット協奏曲が有名ですが、実は現代のモダンクラリネットでは音域的に吹けず、そのためモーツァルトのクラリネット協奏曲を吹くためだけのバセットクラリネットという楽器すら存在しています。これはクラリネットが完成する以前のシングルリードの楽器でバセットホルンという、モダンクラリネットに比べると低音側の音域がやや広い楽器が存在していたからですね。モーツァルトのクラリネット協奏曲は実際にはバセットホルンのために書かれたのでしょう。モーツァルトの絶筆であるレクイエム作品626でも、実際に指定されているのはクラリネットではなく、バセットホルンになっています。

 さてモーツァルトとフルートの話に戻ります。二つの楽器が同時に異なる音程を鳴らした時、それぞれの音の周波数の差に相当する周波数の音=差音が、実際には鳴っていないのに聞こえる現象があるそうです。特に異なる楽器の音よりも同じ種類の楽器の異なる音程の音において良く聞こえるのだそうです。さらに最も差音が聞こえやすいのがフルートだという説を目にしたことがあります。モーツァルトがフルートを嫌っていた理由として、この差音の存在があった可能性が指摘できます。特に二本のフルートに違う音程でロングトーンを吹かせたときなど、モーツァルトの耳には全く異なるフルートの音が聞こえていた可能性があります。作曲家が楽譜に記していない音が勝手に鳴り響く等、作曲家にとっては我慢がならないことでしょう。

 その証拠と言えるかどうかまでは判りませんが、例えばモーツァルトの交響曲39、40、41番などでは他の管楽器が2本づつ使われている、いわゆる2管編成であるのにフルートのみは1本しか使われていません。フルートという楽器が嫌いなら1本だけ使わずに全く使わなくても良いはずで、また他の管楽器は全て仲良く2本づつ使っているところを見ると、2本のフルートを使うと勝手に差音がなるのが嫌だったから1本だけつかった、という可能性はたしかにある様に思います。


放送大学特別講座 モーツァルトがあなたを癒やす ~謎解き!音楽療法~

2016-07-25 22:07:53 | モーツァルト

 放送大学の特別講座「モーツァルトがあなたを癒やす ~謎解き!音楽療法~」を聞きました。埼玉医科大学の和合教授に放送大学のスタッフがインタビューする形式でした。

 必ずしもモーツァルトの作品である必要は無いとのことです。J.S.バッハの「G線上のアリア」でも”グレゴリオ聖歌”でも良いとのことです。望ましくは倍音成分が豊かであることだそうで、弦楽四重奏や弦楽合奏が好ましいようです。それでも比較すればモーツァルトの作品にそのような作品が多いとのことで、具体的に挙がっていたのは、「弦楽四重奏曲第17番K458」の2楽章、「ディヴェルティメントニ長調K136」の2楽章、「ヴァイオリン協奏曲第5番K219」の2楽章、それから「ヴァイオリン協奏曲第4番K218」の3楽章だそうです。被験者にこれらの音楽を聞かせると、5~10分後には皮膚の温度が顕著に上昇することが実験的に確認できるそうです。

 人間の生体リズムは、緊張を高める交感神経と緊張を緩める副交感神経のバランスで成り立っているそうです。これらのモーツァルトの音楽は効果的に副交感神経を活性化して、リラックスすることが確認されているとのこと。また倍音成分が豊かなことと、自然なヴィブラートがあることが効果的なようです。モーツァルトの作品に限るわけではない、またモーツァルトの作品であれば何でも良い、ということでは無いようですね。擦弦楽器が良さそうで、更に高音域の揺らぎが重要な役割を果たしているようですね。更には人間に限らず動物に限らず、植物に聞かせての収量や糖度が上がったりするそうですね。

 私自身、年に何回も睡眠導入剤を服用しないと眠れない事があり、普段から入眠時にはタイマーで好みのクラシック音楽をかけながら寝るようにしています。確かにこれから眠ろうとするときは、金管楽器群が炸裂するようなハデハデしい大曲は避けるようにしていますが、それ以上に弦楽主体の曲を選んだ方が良いのかも知れませんね。とはいえ少なくともモーツァルトの作品に限れば、オペラよりも「レクイエム」を聞きながらの方が眠れるような気がします。あるいはどんな曲が良いのか悩むよりは、自分自身の感覚でリラックスできると思える曲があればその曲を聞きながら寝るのが良いのだと思います。私自身のイチオシはラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」ですね。J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」も悪く無いと思います。

 ただ、一般論として音楽療法として効果があると具体的に名称が上がっている作品というのは、モーツァルトに代表されるように古典派の作品が多いのかなという印象があります。私の場合は入眠時にも20世紀に作曲されたような曲も聞いています。いずれ音楽療法の専門家が対象を現代音楽にも広げて来て頂いて、現代音楽の作品の中にも音楽療法の効果が認められると嬉しい限りですが、そうなるまでにはまだまだ時間が必要な様ですね。


モーツァルト K469 カンタータ 「悔悟するダヴィデ」

2016-05-08 00:05:48 | モーツァルト

 目覚まし時計の代わりにNHK-FMをタイマーセットしたラジオを聞いています。今日はタイマーセットした時刻の少し前に目が覚めたので、NHK-FMの番組をONして見ました。「ヴィバ「!合唱」でモーツァルトのK469、カンタータ「悔悟するダヴィデ」でした。更に詳しく記すとつれば、全10曲の中から第8曲目のソプラノのリアの途中からでした。

 中々格好の良い声楽曲がスピーカーから流れだして、このα波をフンダンに発揮する曲はモーツァルトに違いないと思って聞いていたのが、K469の「悔悟するダヴィデ」の第8曲目のソプラノのアリアの途中からでした。私のクラシック音楽を聞く上での重要な尺度に”格好良い”と言う評価がありますが、十分というか非常に格好の良いソプラノのアリアが続いていました。只、ピリオド奏法というか古典唱法というよりは、ベルカントと言うかモダン唱法だなと思いつつ聞いていました。起きだしてからパソコンを立ち上げてNHK-FMの番組欄を確認したところネヴィル・マリナー指揮のシュトゥットガルト放送交響楽団、南ドイツ放送合唱団、マーガレット・マーシャル(ソプラノ)、(メゾ・ソプラノ)イリス・ヴェルミリオン、(テノール)ハンス・ペーター・ブロホヴィッツの音源でした。

 ペトルッチ(IMSLP)のサイトで確認すると、K469の「悔悟するダヴィデ」のオーケストラスコアは公開されていました。が、そのヴァージョンのみで、モーツァルトの人気作品であればオーケストラスコアの他にピアノ伴奏版や室内楽伴奏版などの編曲番の編曲版が公開されていることも多いのに比べると、さほど演奏機会の多い曲ではないのかなと思いました。とは言え全10曲中の8曲目のソプラノのアリアの途中から聞いた限りではありますが、中々にインパクトのある印象に残る声楽作品です。インターネットの動画サイトで検索すると多数の音源がヒットします。今回はそこまで突き詰めていませんが、ピリオド奏法あるいはピュアトーン奏法と言われるモーツァルトが活動していた当時の楽器や編成、歌唱法での演奏を聞いてみたいと思っています。今朝聞いたソプラノのアリアは少々モダン過ぎて若干の違和感を感じていました。なので別の演奏を是非聞いてみたいと思った作品・演奏ではありました。


アーノンクールのCD モーツァルト「レクイエム K.626」は名演ですね

2015-10-29 23:12:37 | モーツァルト
 モーツァルトの「レクイエム K.626」のCDは10セットぐらい持っていて、長らくこれ以上買うことはないと思っていました。それがピリオド奏法と言いますかピュアトーン奏法と言いますか、古楽器を使っての当時の奏法と解釈での演奏の存在感が増すようになってから、アーノンクールのモーツァルトの「レクイエム K.626」はリーズナブルな値段の中古をゲットしたいと、オークションサイトで見かける度に入札してきましたが、入札額がつり上がり落札するには至りませんでした。やっと需要を上回る供給になって来たのか、手頃な額で落札することが出来ました。

 演奏は良いですね。古楽器を使っている感じが伝わってきます。モダン楽器と古楽器で一番差がわかるのは弦楽器ですね。モダン楽器ではより大きな音が出るように弦の張力が高くなっているのと同時に、弓の反りが古楽器では山なりだったのがモダン弓では逆に反る様になっています。そのため音の立ち上がりが古楽器ではモワッという感じで遅いのに対してモダン楽器では出だしから大きな音が飛んで来るようになっていると思います。ところが、だからこそだと思うのですが古楽器での演奏の方が、弦楽器のフォルテの部分などは音の出だしから大きい音を出そうと必死になっている感じが伝わってきます。その必死さが伝わってくるところが何とも嬉しいんですね。モダン楽器での演奏は洗練されて入るのですが何処かすましたような気がして、古楽器演奏の方に人間臭さ、血の通った演奏というものを感じてしまいます。

 もう一つは編成の小ささが余分な濁りを作らないということなんでしょうね。ピュアトーン奏法とも言うように余分なヴィブラートをかけないということも作用しているのでしょうけれど、透明感を感じる演奏です。とまあそんな風に聞いているくらいが良いところだと思うのですが、更に聞き込んでいくと録音技術の確かさも感じられます。それぞれの楽器の鮮度が高く聞こえるので、楽器(群)毎にマイクを使っているマルチマイク録音だろうと予想できます(最近の録音のほとんど全てはマルチマイク録音ですが)。そうすると録音技術者が様々な処理を施して音源を完成させているのでたとえライブ録音だとしても、演奏されたホールの何処にいても聞くことの出来ない架空の演奏が音源として二次的著作物として作成されているというのが本当のところになります。まああまり拘らずに良い演奏だと感動できるのであれば素直に感動する方が良いと思います。

 少々録音された音源に対して否定的に評価しているように取られるかと思いますので、別の観点から。ストラヴィンスキーの「春の祭典」といえば初演時のスキャンダルも有名ですし、音楽史上に残る傑作であることに間違いはないとおもいますが、オーディオとして聞く録音・再生技術の進歩があって「春の祭典」の人気が高まったという説もあります。要するに演奏会場で生演奏に接しても、その細部をどれだけ受け止めることが出来るか聞き手の能力が問われる訳です。一方好きな時に何回でも繰り返し聞くことの出来るオーディオで、マルチマイク録音で一つ一つの楽器(群)を個別に高性能マイクで録音した音を、時間をかけて最善の解像度・バランスとなるように編集を加えた音源を聞くことで、「春の祭典」が持つ高度で複雑な音作りが聞き手にも十分に把握されるようになって人気が出るようになったという説です。これも十分に納得できる説だと思えます。

モーツァルト レクイエム K626 アーノンクールのCDをゲットしました。

2015-10-24 23:45:52 | モーツァルト
 モーツァルトのレクイエム K626。最も大きいK番号がついています、要するに絶筆です。モーツァルト自身が完成することは出来ず、弟子のジュスマイヤーが補筆しました。それをもってモーツァルトが完成させた部分は天才的だがジュスマイヤーが補筆した部分は凡庸だという批判がありますが、正直私は演奏を聞いていてい此処はモーツァルトが仕上げた部分、此処はジュスマイヤーが補筆した部分、というのは全く分かりません。しかし自分で合唱を歌った時に理解したのは、特定の同じ・あるいは類似のフレーズがレクイエム全体の中で何度か繰り返し使われる箇所がありますが、モーツァルトに限らず作曲家が同じフレーズを繰り返し使う場合は何らかの変奏を加えるのが当たり前と思うのですが、ジュスマイヤーの補筆では変奏を加えることなく全く同一のフレーズを繰り返し使用しているということですね。聞いているだけでは気が付きませんでしたが、歌ってみると良く分かります。同一のフレーズを繰り返し使うという判断まではジュスマイヤーとして採用することが出来ましたが、そのフレーズに変奏を加える事はジュスマイヤーの能力を超えていたということだと思っています。

 1980年代頃でしょうか、モーツァルトのレクイエムに対してジュスマイヤーとは異なるアプローチで補筆・完成させようという試みが複数なされました。Wikipedia日本語版のモーツァルトのレクイエムを見ると、ジュスマイヤー版に対して提案された新しい版としては、バイヤー版、モーンダー版、ランドン版、レヴァイン版にドルース版と、ジュスマイヤー版を含めて6つの版が知られています。Wikipediaに記載されていない最も新しいものとしてはリオデジャネイロ版があります。リオデジャネイロ版の存在を知ったのは、かつて在籍していた合唱団に時々ボイストレーナー助手として指導された当時芸大大学院生だったテノール氏が日本初演だったかどうだかはっきり覚えていませんが、モーツァルトのレクイエムのリオデジャネイロ版のソリストを歌って来たというトピックを聞いたからです。リオデジャネイロ版という名称はたしかリオデジャネイロのキリスト教会でモーツァルトのレクイエムの失われた部分のスケッチが見つかったとか、そういう話から作られた版がリオデジャネイロ版ということです。

 こだわりの強い私としては上述の6つの版にリオデジャネイロ版を加えた7つの版の演奏を全てCDで購入して聞いてみました。確かに版によってはやたら派手な曲が挿入されていたりして違和感を感じるものもありましたが、一つの版を聞くのに70分程かかりますし、CDは購入できてもヴォーカルスコアを全ての版で揃えてもいませんし、正直言って版がどうのこうのというよりも、演奏の水準のほうが気になります。演奏が良ければジュスマイヤー版だって十分以上に感動できます。

 ということで、モーツァルトのレクイエムの全ての版を聞いてやろうと思い立つ前から、モーツァルトのレクイエムは大好きな作品なので複数の演奏のCDを購入していました(ほとんどジュスマイヤー版でしたん)。その上で他の版も全て揃えたのでモーツァルトのレクイエムのCDは10セット位上。他にもベートヴェンのミサ・ソレムニス等も10セット程度CDを持っていますが、モーツァルトのレクイエムが、同じ作品で異なる演奏のCDを最も多く所有している作品だと思います。なのでこれ以上モーツァルトのレクイエムのCDを買う気は無かったのですが、唯一の例外がアーノンクールが指揮するモーツァルトのレクイエムですね。当然ピュアトーンというか歴史的な演奏がどのようなものであるかを聞いてみたいということです。これまでは全て入手できたCDを聞いた上でブログで紹介したいと思ったもののみを紹介してきました。アーノンクールのモーツァルトのレクイエムに関してはオークションサイトで落札出来たCDが本日手元に届いて、まだ聞いていないところで前振りとしてここまで記載したことを紹介しました。実はHMVでまとめ買いで購入したCD4枚も先日届いていて、聞ききれないという嬉しい悲鳴の今日この頃ですが、アーノンクールのモーツァルトのレクイエムは他のCDを後回しにして聞いてみようと思っています。近々にアーノンクールのモーツァルトのレクイエムについてなんの紹介もなかったら、私にとっては感動を与えてくれるものではなかったとご理解頂ければと思います。それではこれからアーノンクールのモーツァルトのレクイエムを聞いてみます。