クラシック音楽愛好家、少なくともフルート奏者あるいはモーツァルト愛好家の中では、W.A.モーツァルトはフルートという楽器を好きでなかったという説が知られています。その最も大きな根拠は、モーツァルトが父にあてた手紙の中に「(フルートは)我慢のならない楽器だ」という主旨を書いているところが残っているのだそうです。
では何故モーツァルトがフルートを好きではなかったかと言う理由については、必ずしも明らかではないようです。フルーティストの少なくない方は、モーツァルトが生きていた時代のフルートは、ベームが改良した現代のモダンフルートではなく、歌口もトーンホールも小さく、半音はトーンホールを指先で半分だけ開ける(閉じる)等、音程も不確かな不完全な楽器だからだろうと記しています。また父親に「我慢のならない楽器」という手紙を出したことは事実でも、実際のところそれほどフルートを嫌っていなかった、と述べている有名なフルーティストも複数存在します。
モーツァルトの管楽器の協奏曲と言えば晩年のクラリネット協奏曲が有名ですが、実は現代のモダンクラリネットでは音域的に吹けず、そのためモーツァルトのクラリネット協奏曲を吹くためだけのバセットクラリネットという楽器すら存在しています。これはクラリネットが完成する以前のシングルリードの楽器でバセットホルンという、モダンクラリネットに比べると低音側の音域がやや広い楽器が存在していたからですね。モーツァルトのクラリネット協奏曲は実際にはバセットホルンのために書かれたのでしょう。モーツァルトの絶筆であるレクイエム作品626でも、実際に指定されているのはクラリネットではなく、バセットホルンになっています。
さてモーツァルトとフルートの話に戻ります。二つの楽器が同時に異なる音程を鳴らした時、それぞれの音の周波数の差に相当する周波数の音=差音が、実際には鳴っていないのに聞こえる現象があるそうです。特に異なる楽器の音よりも同じ種類の楽器の異なる音程の音において良く聞こえるのだそうです。さらに最も差音が聞こえやすいのがフルートだという説を目にしたことがあります。モーツァルトがフルートを嫌っていた理由として、この差音の存在があった可能性が指摘できます。特に二本のフルートに違う音程でロングトーンを吹かせたときなど、モーツァルトの耳には全く異なるフルートの音が聞こえていた可能性があります。作曲家が楽譜に記していない音が勝手に鳴り響く等、作曲家にとっては我慢がならないことでしょう。
その証拠と言えるかどうかまでは判りませんが、例えばモーツァルトの交響曲39、40、41番などでは他の管楽器が2本づつ使われている、いわゆる2管編成であるのにフルートのみは1本しか使われていません。フルートという楽器が嫌いなら1本だけ使わずに全く使わなくても良いはずで、また他の管楽器は全て仲良く2本づつ使っているところを見ると、2本のフルートを使うと勝手に差音がなるのが嫌だったから1本だけつかった、という可能性はたしかにある様に思います。