goo blog サービス終了のお知らせ 

生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

シューマン 「5つの歌曲 作品40」から 第2曲「母親の夢」

2016-07-21 22:06:10 | シューマン

 昨日紹介したシューマンの「静かな涙」に続いて、トーマス・ハンプソンのCDから、アデルベルト・フォン・シャミッソーの詩5編に曲をつけた「5つの歌曲 作品40」から第2曲「母親の夢」です。ハンプソンのCDでは作品40の「5つの歌」から3曲を選んで収録しています。CDでの1曲目は歌曲集の2曲目になる「Muttertraum(母親の夢)」ですが、部分的に伴奏のピアノが和音を奏でる部分もありますが、殆どは右手が単音の分散和音、左手が単音のオブリガートという感じで、非常に音が薄いです。歌う立場からすると和声感を感じにくくて、慣れるまでは非常に歌いにくいと思います。ペトルッチ(IMSLP)のサイトで楽譜は公開されています。僅かに2頁の曲で4分の2拍子、右手の分散和音は16分音符で書かれていますが、テンポがゆっくりなのでせわしい感じは全くありません。ニ短調という珍しくない調で書かれていますが、臨時記号が頻出して調性感は怪しいとまでは言えないかも知れませんが、かなり不思議な心もとない感じですね。

 歌詞については梅ヶ丘歌曲会館に日本語訳が記載されていて、なるほどそう言うことかと納得させられる結末ではありますね。作品番号から考えても、「リーダークライス作品39」や「詩人の恋作品48」と同じシューマンの歌曲の年1840年に作曲されていると思われます。インターネットの動画サイトを見ても、「リーダークライス作品39」や「詩人の恋」の方が遥かに多くの音源がアップされていて、「作品40」は間に挟まれてあまり認識されていないようですが、それでもいくつかの音源はアップされています。女声やテノールの音源もありますが、やはり男声中声または低声の柔らかい歌唱でこそ聞いてほしい作品だと思います。何れ歌ってみたい曲のリストに記載しておくこととしました。

 今度の週末は、シューマンの「作品35」と「作品40」のそれぞれ全曲をじっくり聞いてみたいと思っています。


シューマン 「ケルナーの詩による12の歌曲 作品35」 第10曲 「静かな涙」

2016-07-20 22:33:20 | シューマン

 私にとってロベルト・シューマンの歌曲といえば、歌曲集「詩人の恋」作品48だけでお腹いっぱい、という感じで兎にも角にも「詩人の恋」を歌いたくて、それ以外のシューマンの歌曲は全く眼中に入ってこないというのが実態でした。兎にも角にも本番といえるステージで、2回に分けたものの「詩人の恋」を全曲歌ったことで、シューマンの他の歌曲に対する興味にあらためて思いが至ったという状況もあります。其処まではっきりしたものはありませんでしたが、通勤電車の中でNHKのラジオ語学講座を聞いています。会社に着くまでに多少の時間が余るので、携帯音楽プレーヤーに放り込んでいるCDその他の音源を行き当たりばったりに聞いています。本日たまたま聞いたのが、現代アメリカの名バリトンであるトーマス・ハンプソンのコレクションVol.2というCDで、様々な作曲家の作品を抜粋で収録していますが、シューマンの「ケルナーの詩による12の歌曲 作品35」からの抜粋で4曲ほど収録されていて、その中の特に10曲目の「静かな涙」が心のなかに浸透して来ました。

 原調はハ長調で四分の六拍子、ゆっくりとしたテンポでピアノの伴奏は四分音符で和音を刻んで行きます。岡田暁生氏によれば、古典派に対してロマン派の特徴は半音進行を多用するとのことですが、「静かな涙」も古典派的な和声感からは意図的に外す半音進行が効果的に使われています。バリトンのトーマス・ハンプソンが歌っている音源を聞いたことからか、「静かな涙」は男声低声または中声に合っている歌の様に思います。はっきり言えば私の声にも合っているように思った次第です。

 日本人の場合は男声に限らず女声であっても、自身の声質に合った曲よりも重めの曲を歌いたがる傾向にあるそうです。これは私自身を省みてもその通りだと納得するものがあります。男声の場合はまだその悪影響は少ないようですが、ソプラノが高音域が出ないからといって自身の声質よりも重めの曲を歌うと悪循環にハマってしまい、更に高音がでなくなるそうです。自身が思っている以上に軽めの曲を選んで、声帯の運動性=アジリタを訓練すると高音域が伸びるそうです。判っていても軽めの曲で自身の声帯の運動性を高める曲を歌うよりも、自身の声質にとってはむしろ重すぎる曲を歌う方が、何か格好良いように思ってしまう私がいます。

 「静かな涙」もどちらかと言えば重い範疇の曲になるとは思いますが、ことさら重く歌う必要は無い様に思います。歌詞は梅ヶ丘歌曲会館に邦訳が紹介されていますが、格調を伴ったやや抽象的な愛の歌だと思います。淡々と感情を前面に出さずに歌っても良い曲だと思います。動画サイトで検索すると複数の音源がありました。一番上に出てきたのはキリ・テ・カナワの歌唱です。バリトンのハンプソンとは大分印象が異なりますが、女声の歌唱もありだと思います。二番目はヨナス・カウフマンでしたが、最初にこの曲を意識したのがハンプソンの音源だったからか、低声・中声系の方がしっくり来ますね。朗々と歌うも良し、淡々と歌うも良し、歌い手の表現力を包み込んでくれる懐の深さが曲自体に備わっていると思います。是非一聴をお奨めします。”Schumann    Stille Tranen”で検索すれば音源にたどり着けると思います。


ナタリー・シュトゥッツマンが歌うシューマン「詩人の恋」

2016-05-19 21:42:32 | シューマン

 相変わらず睡眠障害に苦しんでいます。睡眠導入剤を飲まないと眠れないし、2錠飲むと持越しが強くて朝になっても起き上がれず、昨夜は断より1時間以上早く極超短時間型の睡眠導入剤マイスリー5mg一錠を服用して床に就きました。何とか入眠したものの午前4時前に覚醒してしまい、再入眠できそうもありません。此処で睡眠導入剤を追加すると起床したい時間に起きられなくなります。仕方がないので起きだしてパソコンを立ち上げ、睡眠障害のために今日明日出社できそうもない旨会社にメールを送信して再び入床し、リリ・ブーランジェの声楽作品等をボーッとしながら聞いていました。その内目覚まし時計代わりのNHK-FMのニュースが始まり、ニュースが終わってクラシックカフェが始まりました。最初の曲はメゾ・ソプラノのナタリー・シュトゥッツマンが歌うシューマン「詩人の恋」です。御存知の通りハイネの詩にシューマンが曲をつけた、若い男性が前半は恋の喜びを、後半はその挫折を歌う歌です。当然ながら男声が歌うのが当たり前の歌曲集で、テノールはテノールの魅力を、バリトンはバリトンの魅力を歌い上げられる名歌曲集です。インターネットの動画サイト上には女声が歌う音源もアップされてはいますが、公共放送で女声が歌う「詩人の恋」が流れるとは、非常に興味を覚えた次第です。

 メゾ・ソプラノと言うことで、耳をつんざく高い金属質の悲鳴のような声にならないように留意していることは伝わってきました。それでも率直に言ってあえて女声が歌う必然性が伝わってくる演奏ではありませんね。全16曲の中には特に前半にリリックな曲が幾つかありますが、それらの曲についても女声の声の透明度が胸に染み渡るという様なこともなく、残念ながら男声の歌を聞くべき作品であることを印象付けられたと思います。クラシックカフェの構成としても敢えて女声の歌唱を放送する理由が全く判りません。「詩人の恋」の魅力を伝えるのであればいくらでも素晴らしい男声による音源があるにも関わらず、敢えてナタリー・シュトゥッツマンを選んだ理由について全く言及は無かったと思います。

 逆に一般的に男声は歌わずに女声のみが歌う作品もありますね。同じシューマンの作品に「女の愛と生涯」があります。こちらも世に存在するほとんど全ての音源は女声によるものと思いますが、中には男声が歌っているものもあります。実験的な試みとしては否定するつもりは全くありません。しかし自分自身の実験・研究として私的に検討することと、演奏会等のある意味公的な時空間においてプロの演奏家として世に問う場合では、自ずからその意味が異なるのではないかと思います。つまり本来異性が歌うべき歌を敢えて歌うのであれば、全面的である必要はありませんが、極々一部においてであっても本来の性が歌った場合を凌駕するアピールポイントを、せめて半数ぐらいの聴衆に受け止めて貰えるという自信を持って歌って欲しいと思います。

 革新的な作品・演奏で聴衆の評価が完全に2分した例としては、なんといってもストラヴィンスキーの「春の祭典」だと思います。「春の祭典」の初演時のように支持派と否定派が取っ組み合いを行うほどのスキャンダルであっても、音楽史に残る大きな画期だったと今では評価されていると思います。それに比べると特にそうすべき必然性が感じられないのに、「詩人の恋」を歌う女声が少ないから、「女の愛と生涯」を歌う男声が珍しいから、という理由でレパートリーに上げるのは違うと思いました。

 ご意見が御座いましたら是非コメントとしてお寄せ下さい。


シューマン 歌曲集「詩人の恋Op.48」 から 第1曲 「美しい5月に」

2016-03-11 23:40:04 | シューマン
 このところの天気から、雨にまつわる歌を色々と考えています。ヨーロッパには「3月の風と4月の雨が5月の花を咲かせる」と言う表現が広く伝わっているそうです。あるいはこのフレーズの前に「2月の雪と」が加わるバージョンもあるそうです。この表現を思い出す度に真っ先に浮かぶのが、シューマンの「詩人の恋」の第1曲「美しい5月に」です。「詩人の恋」の中の曲でもとびきり美しく、係留音というのでしょうか、一度もトニックに解決しない緊張した和音が、春の儚さを表現していると思います。

 「詩人の恋」は全16曲のうち、歌詞を普通に読む限り、前半の6曲までが恋の喜びを歌った歌と考えられていて、第7曲の「私は恨まない」で急に失恋を嘆く歌になっています。ところが第6曲の「聖なるラインの流れに」は曲想だけ、特にピアノ伴奏について言えばまるで葬送行進曲の用でもあり、この「聖なるラインの流れに」をどのように位置づけるかが「詩人の恋」を解釈する上でのキィポイントだと思っています。私なりにはある程度の具体的なイメージでの答えを出していますが、色々と揺れ動く部分もあります。まあ恋の喜びの中にふと湧き上がった破局の予感ということでしょうか、ケルンの大聖堂の中の描写にヒントがあると思っています。

 「詩人の恋」全体の歌詞を良く良く読むと、前半の恋の喜びを歌った歌詞であっても、二人でお互いの思いを確認している描写はないとも考えられます。要するに一方的な男の側の片思いで、想像上での恋の喜びを歌っているだけという解釈も成り立つのではないかと思っています。

 とは言え「美しい5月に」は、連作歌曲としての物語性等は捨象しても、単純に文句なく美しい曲だと思います。甘いテノールの歌唱が最も合うとも思いますが、バリトンが歌ってもバリトンなりの良さを主張できると思っています。最近では女声でも歌う方がいるようですね。そう言えば美しい旋律の歌曲を器楽曲に編曲することは珍しくありませんが、この曲が器楽で演奏されるところを聞いたことはありません。単純に美しい旋律というよりも、やはり歌詞が歌われることが決定的に重要な、歌らしい歌だからこそなのかなと思っています。

40年来の夢が叶いました。 シューマン 「詩人の恋」第7曲「Ich grolle nicht」

2016-02-22 23:16:58 | シューマン
 今をさること40年程前、高校に入学して音楽部という名前の合唱部に入部して合唱を始めました。NHK全国学校音楽コンクールの全国大会に行くほどの部だったので、音楽部に入部する目的で入学してくる生徒もいるくらい活発に活動していました。合唱曲だけでなく練習の合間に誰かしらがピアノを弾いて他の誰かしらが歌曲やアリアを独唱で歌ったりするようなところでした。「カタリ・カタリ」とかシューベルトの「楽に寄す」とかベートーヴェンの「Ich liebe dich」とか。その中で最も格好良いと思ったのがシューマン「詩人の恋」の第7曲「Ich grolle nicht」ですね。その時以来、生きているうちに一度で良いからシューマンの「詩人の恋」全曲をリサイタルで歌ってみたいと思っていました。それが一昨年末と昨年末の2回に分けて「大人の学芸会」という集まりの「弾く忘年会」で歌うことが出来て、一応夢を果たしてはおりました。そうは言っても後半の数曲はもう一度機会を作ってリベンジしなければと言うのが正直なところではあります。後半に比べると前半の8曲は先ず先ず自分でも納得出来る仕上がりで、聞いて頂いた方の感想も大好評だったと思います。

 ではありますが、前半の8曲の中でも7曲目の「Ich grolle nicht」だけは、自分の歌唱能力を抜本的に改善した上で何時かリベンジしたいと思っていました。と言うのは、「詩人の恋」はテノールもバリトンも歌いますし、バスだって歌いますよね。それぞれの音域に併せて移調して歌う歌い手も中にはいるでしょうが、「Ich grolle nicht」はテノールは普通に原調で歌いますし、バスはともかくバリトンも原調でクライマックスの High A を歌いますよね。ハイ、これまで私レッスンの時の発声であれば High B♭まで出ることは出るのですが、歌の中ではGまでが良い所で、音価の短い経過音的なフレーズであれば何とかA♭までかな、という感じでした。それが先日のK先生のレッスンの際に、最近目的意識的に追求している無駄な力を抜くという練習の延長で、ダメ元で「Ich grolle nicht」の High Aが出るかどうか試してみたいという私の希望を入れて頂いて見て頂きました。何も工夫しなければこれまでの悪い癖で音程が上がるに従って喉を締めあげて行きます。このやり方に陥ってしまうとGであっても苦しげになってしまい、その上は出ません。このことは良く判っています。そこであの手この手で意識を他に持って行くことが必要になるわけですが、そこは研究熱心なK先生のこと、様々な引き出しからあれこれ処方を取り出してきてくれます。

 ということでK先生のピアノ伴奏でレッスンの中ではありましたが、生まれて初めて「Ich grolle nicht」を High Aで歌うことが出来ました。やったね!!!  で、当然帰宅して直ぐに復習したのですが、自分一人では喉に力が入って High Aを出すことは出来ませんでした。 それでも、レッスンの中での発声のB♭にしても今回の「Ich grolle nicht」の High Aにしても、少しづつ感覚を身体が覚えていっている気がしています。本番でも「Ich grolle nicht」の High Aを歌える日がもう少しで来るような期待を感じています。