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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

声楽と器楽の違い アゴーギク、テンポ感覚

2018-01-14 22:44:45 | 思うこと

 器楽においてもピアノに伴奏してもらって演奏することは多々ある訳ですが、ピアニストにとっては他の器楽の伴奏をするのと声楽の伴奏をするのでは、かなり本質的な相違があるようです。声楽の伴奏をするピアニストをコレペティトールと言って、音楽大学でもコレペティトールになるための特別の講義があったりするそうです。

 で本日の話題ですが、声楽と器楽との、かなり本質的な相違としてテンポ感覚、アゴーギクがあると常々感じています。誤解を恐れずに単純に言い切ってしまえば、器楽演奏家からすれば声楽のテンポはいい加減、声楽家からすれば器楽演奏家のテンポ感覚はまるでメトロノームに合わせて演奏しているかのように正確ではあるがあまりに機械的過ぎる、というところでしょうか。

 かなり大きな隔たりのある声楽家と器楽家とのテンポ感覚ですが、原因は言葉・歌詞の有無だと思います。言葉の無い器楽ではテンポが変わらない限り四分音符の長さは楽譜の何処に書かれていても同じはずです。しかし言葉から離れられない声楽では、同じ四分音符であってもその音符にあてがわれている言葉の音節数や、前後の音符にあてがわれている音節等によって、同じテンポ感では歌いにくい、あるいは歌えない、という場合も容易に生じると思います。

 なので優れたコレペティトールは、伴奏している声楽家の歌に合わせて、声には出さないけれども頭の中で伴奏に合わせて歌詞を追っているのではないかと思います。これまでに伴奏していただいた複数のピアニストに聞こうと思えば聞けた機会はありましたが、一度も質問してみたことはありません。なので私の想像になりますが、あえて質問するまでもなく、そんなこと(歌の伴奏ではピアニストは歌詞もおっかけているということ)は当たり前、という答えが返ってくるような気がします。

 ともあれ、器楽演奏に際してはもっと歌うように演奏しなさいとか、歌であってもそこは器楽的に歌ってみて、等とマエストロや先生から指摘されることも多々ありますね。器楽の勉強を始めてから1年以上経過し、ヴァイオリンはまだまだ初心者ですがフルートは中級に進んだと自負しています。それでも歌のテンポ感覚とフルート演奏のテンポ感覚の違いを自ら認識しつつ、その上フルートの先生からはテンポ感がおかしいと指摘されることが度々です。やはり時々はメトロノームに合わせて機械的に演奏する練習も意図的に行うべきなのでしょうね。


音楽するために大切なこと

2018-01-07 22:33:00 | 思うこと

 今年もよろしくお願いします。さてこの年末年始の休みですが、昨年末から喉と鼻にくる風邪をひいて、大掃除もほとんどせずに休養に努めていました。仕事始めにはようやく回復して来たなというところです。で、本日の話題”音楽するために大切なこと”ですが、ずばり健康ですね。風邪をひくと歌を歌う気になりませんし、吹奏楽器も演奏が辛いですね。辛いだけではなく殆ど無理に近いと言うべきでしょうか。

 歌や吹奏楽器に比べればバイオリンやピアノ等は何とか演奏できるとは思いますが、体調が悪いと集中力が減退して演奏自体が負担になりますね。最初にレッスンを受けた声楽の先生は、風邪をひいても声が出るなら風邪なりの歌い方を教えるからレッスンに来るように、と言われていました。で風邪をひいてもレッスンを受けに行っていましたが、単にレッスンスケジュールを再調整するのが面倒なだけではなかったか?という疑問は今でも残っています。

 声楽にしろ器楽にしろ、プロであれば本番に穴を開けると仕事がなくなることもあるので大変ですが、そうは言っても怪我や急病になることはあるわけで、痛風の発作に襲われてもびっこをひいてステージに上がったとか、舞台の袖まで松葉づえで行ったとか、おむつをして演奏したとか、様々武勇伝はあるようですね。オペラではアンダースタディと言って、勉強を兼ねてキャストの代役を立てておくことも常識です。そう言えば指揮者が演奏中に心臓発作を起こして、何とか終焉まで漕ぎつけてカーテンコール無しで救急車で病院に行ったというエピソードを聴衆として体験したこともありました。

 いずれにせよ年末年始の休みは風邪のため殆どフルートも吹けず、弦楽器の練習も出来ませんでした。もっとも例年年末年始休みは家族もほぼ在宅していて、うるさがられるのであまり練習は出来ないのですが。休養=体調回復に努めた年末年始休みでしたが、時間はあったので楽譜を漁って通販で購入したり、購入した曲をペトルッチ(IMSLP)で他の版や編曲と比べたり、それらの楽譜をカワイのスコアメーカーに入力して音源化したりしていました。そうすると自ら演奏したいという意欲が出てきますね。

 成人の日を含めた三連休、やっと練習することが出来ました。フルートは単なる演奏技術だけではなく、曲のアナリーゼを含んだレッスンになってきています。その方向性をより深耕して行きたいですね。バイオリンはようやく簡単な曲をそれらしく弾けるようになってきましたし、スズキメソッドの第一巻の最後辺りまでレッスンでたどり着いているので、今年の1回目か2回目のレッスンで第一巻を卒業したいと思っています。チェロはまだまだ曲らしいものを演奏できるところまで行っていないので、練習時間を少しでも増やして体の中にチェロを弾く動作を固定化させる必要がありますね。更に声楽のレッスンも再開することにしました。それぞれのレッスンの中での先生とのやりとりが今の私の音楽活動のほとんどを占めることになっていますが、それはそれで楽しいものです。


演奏に対する誉め言葉

2017-12-24 23:06:17 | 思うこと

 前回、コンサートを聴いてきた感想を書きましたが、あまり具体的な評価は書きませんでした。書けなかったと言っても良いと思います。期待以上に良かった演奏会を評するのは難しいというか、余韻を楽しみたいので敢えて言葉にしたくない、というのが正直なところです。

 かく言う私も人に聞いていただくこともあるので、評価というか感想を伝えていただくこともあります。最も良く使われる言葉は「良かった」ですね。大して良くなくても外交辞令というか他に言いようがないからとりあえず「良かった」と言っておけば角が立たない、ぐらいのノリで言われることもあると思っています。なので、単に「良かった」と言われても大して嬉しくはないし、「良かった」としか言わない(言えない)人に対しては、演奏に対する評価に関連するボキャブラリーが乏しいなと思わないでもありません。「良かった」の次は「感動した」ですね。ということで私自身は人の演奏に対して自分自身の感想を述べるときには「良かった」と「感動した」の二つの表現はできるだけ使わないようにしています。

 では本当に良かった時に私は何と言っているかですが、例えば「鳥肌が立ちました」とか「オーラが1mぐらい出ていました」とか、「絵が見えるようでした」とか、「袖から中央に歩いて来る時から舞台の雰囲気が変わりました」とか、自分が感じたことをできるだけ具体的に相手に伝えるようにしています。器楽作品の場合は抽象性が高いので声楽作品と同じように表現できるとは限りませんが、歌の場合は歌詞があってストーリーが前提として存在しているので、優れた演奏=歌唱であれば物語のイメージが自然と想起されます。

 私自身が人から言われてうれしかった誉め言葉は、「お金を払って聞く価値がある歌だった」と「家族にも聞かせたいから自分の家に来て歌ってほしい」などでしょうか。また「良かった」と言われるよりも「凄かった」、「何だか良く判らなかったけど凄いということだけは判った」とか、そんな風に言われたいですね。

 そうそう、忘れていましたが感動のあまり涙が流れたときは素直に「涙が出ました」と伝えます。演奏会形式やサロンコンサートではなかなか涙を流すことは少ないですが、ストーリーにもよりますがオペラの場合はハンカチではぬぐい切れずタオルが必要となるくらい涙を流すこともあります。私が演奏者に対して「良かった」と言っているときは、内心は期待したほどではなかったと言っているようなものです。


久々にコメントを頂きました。;川井弘子先生の「上手く歌える講座」第11回「レガートの歌い方」を受講しました。

2017-09-10 22:49:37 | 思うこと

 私のこのブログですが、殆どコメントを頂くことがありません。とは言えこれまでに簡単なコメントを頂いたことは複数回ありますが、通算しても未だに一桁ではあります。今回、9月6日にアップしたブログに対してこれまでに無い長いコメントを頂いたので、今日のコンテンツとしてコメント氏に対しての私の思いを開示したいと思います。なお、当該コメントについては私のこのブログの9月6日のコンテンツを参照して頂ければ内容をご確認いただけるので省略します。

 今回のコメントは講座の聴講についての卒業宣言でした。が、継続して受けているレッスンについても、いずれはどこかで辞める日が来ることになります。何をもって辞めるかはなかなか判断の難しい場合もあります。資本主義社会の日本ですから、音楽のレッスンや講座にしてもサービス業として受けるサービスの対価としてレッスン代・受講料を支払います。支払う金額に対して受けるレッスンや講座の中身が釣り合わないと判断すれば、経済合理性の観点から継続することを断念することは出来ます。この様な判断があっさりできる場合は決して少なくないと思います。ただ、その様な判断が下せる時というのは、本質的ではない人間関係のしがらみ等が諸々形成されていて、純粋に経済合理性だけで判断できなくなることが多い様な気がします。

 教える側の方との交流も様々あったので、そんな関係から聞いた話ではあります。教える側としても教えたくない生徒と言うのはいるそうで、どの様に関係を断つかはかなり悩ましいのだそうです。何となれば、断る側が社会通念上批判される様な断り方はしたくない、という社会人としての当然の配慮が働きます。それでもなかには喧嘩別れ、破門、と言う様な事も特別に珍しいことでは無いようですね。その辺りの配慮が出来る教師であれば、頻繁にレッスン代を値上げすることもあるそうです。いずれ生徒の方からレッスン代を払いきれないからと言うことで辞めたいと言わせるためにそうすることもあるそうです。ところが中にはレッスン代が上がることは教わる側の技量がそれだけ向上したと勘違いして喜ぶ生徒もいない訳では無いそうです。その様に盲目的に指導者に対して生徒の側は心酔しているものの、教える側は辟易して辞めてほしいと思っていることも無いわけでは無いそうですが、一回1時間のレッスンが5万円とか10万円とかになれば、なかなか続けられませんよね。

 私自身はワンポイントレッスンや教師を選ぶための体験レッスンなどを含めれば、声楽とヴァイオリンとフルートの指導者延べ10人ほどのレッスンを受けてきています。そうすると30分の体験レッスンでも指導者の指導力がどの程度か、直ぐに判る様になっている自分がいます。これまで受けた最高額のレッスンは川井先生の45分間で¥18,000-なので、1時間当たり¥24,000-ですね。これはやはり絶対額としては安くはないですよね。それでもそのレッスンを受けることで支払った額以上の内容、あるいはヒントを受け取ることが出来れば高いとは思いませんね。その意味で私にとっては川井先生のレッスンは決して割高ではなく、再び声楽のレッスンを受ける時には出来るだけ川井先生のレッスンを中心に組み立てたいと思っています。その心は、レッスンの際の会話の中に、「息を流せば”ベルヌーイの定理”によって自然に声帯は引き寄せられるから、意識して声帯を引き寄せようとしてはいけない」と言う様な、自然科的手法に裏打ちされた指摘をしてくれた声楽指導者は川井先生以外に居ないからですね。川井先生ご自身の留学経験と、帰国後の日本国内での耳鼻咽喉科の専門医の先生とのコワークがあったればこその指導内容だと思っています。

 昨年秋からヴァイオリンの勉強を始めたものの、指導して頂いているN沢先生からは色々お褒めの言葉を頂いているものの、なかなか上達しないのが苦痛になって、ついつい吹奏楽器であるフルートに浮気をしたところ、息の使い方が声楽とかなり共通していたことで、始めた時から全音域の3オクターブが吹奏出来て、ブレスコントロールは出来るけれど指が回らないのが悩みの種でした。で、フルートはヴァイオリンを追い越してそこそこの曲なら吹けるようになっている自分がいます。そうするといつまでフルートのレッスンを受けるのか?という問題を抱えているのも事実です。

 音楽大学進学希望者であれば、受験が終わればレッスンを辞める理由ははっきりしていますよね。ところが音大進学などは夢のまた夢なんだけれど、趣味として音楽のレッスンを受けている人間の場合はどうするか? レッスンを受け続けていても上達する実感が得られなくなってくると、いつまでこの先生のレッスンを受けるべきなのかという問題が生じてきます。一般的にその答えは自分で出すしかありません。支払うレッスンの対価に対してレッスンを受けて得られるものが乏しいと思えば、無理にそのレッスンを続ける必要はないと思います。ところが、本当にそうなのかを客観的に判断できるかと言うと、そうは簡単ではないですよね。その先生のレッスンを受け続けることはやめにしようと思ったとしても、ではその先生以上の指導者に巡り合えるかどうか?全く保証はないですよね。

 と言うことで、日頃から継続的にレッスンを受ける先生以外に、時々ワンポイントでレッスンを受ける先生を探しておくことはお勧めです。ワンポイントレッスンを受ける先生の中に、それまで継続的にレッスンを受けて来た先生よりももっと自分を上手くしてくれそうな先生が見つかった場合は、新しい先生に乗り換えるは決して悪いことではありません。まあ一般論としては、常に今の先生に満足できなかった時に次に師事したい先生は探しておくように、と言うことですね。

 それから今回の私のブログに対するコメントは、個人レッスンではなく多数の聴講生を対象にした公開講座であるということですね。コメントを頂いた方は事例歌唱を歌われた方ですが、公開講座での川井先生のコメントは、必ずしも個人レッスンの際の生徒に対するコメントではなく、聴講生全体に向けてのコメントであるということです。従って事例歌唱を歌われた方に対しては物足りないコメントにならざるを得ない側面はあると思います。私自身川井先生の「上手く歌える講座」を継続して聴講していて、ある面ではマンネリ化しているとは思っています。前回私用で聴講できなかったことで、それを良い機会として聴講を止めてしまおうかとも正直思っていました。それでも案内のメールを頂いて、「レガートの歌い方」というテーマを紹介されると受講したいと思って参加しました。しかし、その様に参加した講座では「レガートの歌い方」についてはっきりとした指針が示されたようには思えなかったのも事実です。それでもまだまだ事例歌唱された聴講生に対する川井先生の指摘を聞いていると、これまでの過去の講座では理解しきれなかった様々なヒントを頂けたと思っています。今回の講座でも聴講料以上の価値のあるものを私自身が会得することが出来たと思うので、私は次回以降も川井先生の講座は聞き続けたいと思っています。何故なら個人レッスンを受けるよりはコストパフォーマンスが良いと思うからですね。本格的に声楽の勉強を再開する際には、講座ではなく川井先生の個人レッスンをメインにする可能性は十分にあります。その際は講座は聴講しなくなるかも知れません。

 要は、支払った額に対して受け取った内容が高いと思えばレッスンにしろ講座にしろ、受けることをやめて良いと思います。支払った額よりもより多くのことを学べていると実感できる間は、その先生のレッスンなり講座を受け続ければ良い、というだけの話だと思います。ところで、こう言い切ってしまうと問題なのは本当に支払った額に対して見合うか見合わないかの合理的な判断を自分自身が下せるか?ということになると思います。こればかりはお金と時間とエネルギーをある程度費やして、自分自身の物差しを作るしかありませんね。ことほど左様に趣味とはお金(と時間とエネルギー)がかかるものですね。


やってしまいました!!! レッスンのドタキャン 無断欠席

2017-09-09 23:31:39 | 思うこと

 これまで声楽、フルート、ヴァイオリンと、レッスンを様々受けてきましたが、ドタキャンを受けたことはありましたが、今回は私の方のミスでドタキャンしてしまったようです。

 フルートのN原先生のレッスンですが、前回のレッスン時に次回のレッスンと言うことで今日の13:30に確定していたようなのですが、その時点で私が手帳に記載することを失念していたようで、いつも通りなら先生の方から当該週の中ごろに次回レッスンの調整の連絡が入るのですが、今回はその連絡がないな?と思って放置しておりました。おそらくは私のミスで前回レッスン時に確定した事項をその場で手帳に記載しないで、帰宅後に記載しようとしていたのをそのまま忘れてしまっていたためと思います。

 これまで百回以上のレッスンを受けてきて、先生の側のミスでレッスンをすっぽかされたことは2回ありました。また私の都合でキャンセルしたものの私がキャンセルした事実を手帳に反映させずにキャンセルした当日にレッスンに行って、キャンセルになっているとしてそのまま帰宅したこともあります。

 と言うことで、今回初めて私の責任においてレッスンをすっぽかしてしまった様で、レッスンのドタキャンについて少々思うことを述べます。

 いずれにしてもトラブルサムな問題で、言った言わないの議論に鳴り易いわけですが、教わる側としては教えて頂く側に対する遠慮がありますし、教える側としてもレッスン代を頂くお客様に対しては必ずしも上から目線になる訳でもなく、教える側と教わる側との人間関係が上手く行っている限りは、さほど険悪な関係にはならないと思います。

 そうは言っても、先生側にはミスがあるものの教わる側には何ら過失がない、ということもありました。ところがその時は次回のレッスンを振り返ると言うだけの対応で、その時のレッスンは交通費が結構かかっていたので交通費のロスぐらいは補てんして欲しいなと思ったものです。その次の事例としては先生の側が1時間レッスン時刻を誤解していたということで(先生の手帳にも正しい時刻が記載されていたのを、先生が誤認していた)、レッスンを振り替えて頂いた上に、当該レッスン分は無料にして頂けるとのご提案も頂きましたが、その時は交通費も実費として負担は生じなかったので、正規のレッスン代を支払いました。

 またそれとが別に、当方の事情でレッスンをキャンセルしたにも関わらず、当該キャンセルを手帳の予定に修正しないままに放置して、キャンセルした時刻にレッスンに伺って他の生徒さんのレッスンが入っていたため帰宅したこともあります。

 ということで、レッスンを受け続けていれば多かれ少なかれ、先生とのレッスンの設定でコミュニケーション不足から無駄足することは起こりえます。その時にどのように対応するかによってそのレッスンを継続して受けたいか、あるいは別の先生に変わった方が良いか、という思いも浮かんでくるわけです。

 いずれにしてもこの様なトラブルは無い方が良いに決まっているので、法人対個人のレッスンにしろ、個人対個人のレッスンにしろ、予約を確定した上で当該レッスンの直前に確認のメールをやり取りする様なシステムを構築するのが最善と思います。とは言え最新のインターネット環境などに疎い人々にとっては日進月歩の技術革新についていくだけでも大変ですね。

 ということで、レッスンを長らく継続していれば起こりがちなトラブルについて、思うことをまとめてみました。

1.レッスンのドタキャンに関してのみ言えば、個人間の契約に基づくレッスンよりは、大手音楽企業のレッスンと個人受講生の間の関係の方が気楽で良い。法人音楽教室の場合はレッスンの当日キャンセルについては当然キャンセル料の負担について明文化された細則があるはずなので、それに基づいた費用負担などをすれば、教師の側にも生徒の側にも何らわだかまりは生じないので、最も合理的だと思います。

2.教師側と生徒側とがいずれも法人格ではなく個人での関係の場合であっても、昨今は当日キャンセルの場合の費用負担などについて明文化された規約を明示している場合も少なくありません。この場合、生徒の側が当日ドタキャンしたとしても当該費用負担をすれば、それで決着と言うことでよろしいかと思います。

3.問題が生じがちなのが、教える側教わる側がともに個人としての関係において、当日キャンセルの場合の費用負担をあらかじめ明示していない場合ですね。教わる側が一回のトラブルで継続的な指導を受けることを断念しない場合、要するに今後ともその先生に指導を仰ぎたいと思っている場合は、ドタキャン分はまるまる負担してもその後のレッスンを継続することを希望すると思います。

 と言うことで、卓抜な才能に対しては語弊のある言い方になろうかとは思いますが、良くも悪くも卓抜した才能に対する特別扱いとも言うべき扱いがあっただろうし、これからもあるのだろうと思います。まあそこまで話を大きくしなくても、教える側と教わる側のいずれかの確認不足で次回のレッスン時間があいまいとなり、どちらかがすっぽかすという事象が生じた場合、教わる側は自らの確認不足を認めて謝罪するのがありそうな対応だと思いますし、奥ゆかしい日本文化の到達点からは教える側でもたとえ過失は生徒の側にあるだろうと思っていたとしても、教える側にも確認が不十分だったとして反省する姿勢を見せるのが、日本の日常としてはありそうな事象だと思います。

 ことほど左様に、現代日本の社会の中では、個人レッスンなどの場合に教える側と教わる側との次回レッスンの設定に関して齟齬があった場合に、どちらに過失があったのかを追求するよりは責任追及よりも次回以降の実りを出来るだけ確保する様な対応を自然と取る様な気がします。