生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

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ららら♪クラシック モーツァルト 天才だったから生涯に700曲以上作曲したのか?

2017-09-22 23:16:12 | TV番組など

 NHK-Eテレの「ららら♪クラシック」は好きな音楽番組で逃さず見る(聞く)様にしています。今日はモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」がテーマだったのですが、番組冒頭でのゲストの宮川彬良氏とMCの高橋克典氏とのやり取りの中で、モーツァルトは天才であったから35年間と言う短い生涯のなかで700曲以上もの作品を残した、という主旨の発言があったかと思います。

 ケッヘル番号がついている作品の最後のものが未完に終わった「レクイエム」のK.626で、声楽の小品である「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が確かK.618だったかと思います。この二つのケッヘル番号と、あとはK.515が弦楽五重奏曲であることだけは覚えています。モーツァルトが作曲したものの、ケッヘル番号が付与されていない作品もある筈で、そのためにモーツァルトが生涯に作曲した曲数は700曲以上だったということでしょう。

 モーツァルトが作曲した交響曲は41曲で、交響曲の父と称されているハイドンが作曲した交響曲数は100曲を越えている筈です。若くして没したモーツァルトに比べても比べなくても、ハイドンは当時としては超長生きの77歳で天寿を全うしている訳ですが作曲を開始した後の年数を比較してもほぼ倍で、交響曲の作品はハイドンの方が2.4倍程になります。更に言えば楽聖ベートーヴェンが作曲した交響曲は僅かに一桁(交響曲としての作品番号が付与されているもののみ)の9番までです。

 何が言いたいのかと言うと、音楽的な天才性と生涯の作曲数とは関係が無いということです。ベートーヴェン以前の作曲家は芸術家と言うよりも職人で、音楽作品そのものも一度演奏されるとほとんどが二度とは演奏されない消耗品でした。ハイドンが交響曲を100曲以上も作曲したというのも、ハイドンが仕えていたエステルハージ候の館でのなんらかの行事が始まる合図として、毎回新しい交響曲を演奏するために量産した結果100曲以上になったということで、ハイドンの各々の交響曲の中には様々な類似性が見られます。

 その様な社会階級のヒエラルキーの中で低位にあった作曲家の地位に対して正面から反抗したのが、自らを職人ではなく芸術家として意識していた楽聖ベートーヴェンその人こそが嚆矢であったと思います。ベートーヴェンにとっては自らの作品は消耗品であってはならず、したがってベートーヴェンの9曲の交響曲のそれぞれには明確な個性の差が存在しています。

 一方のハイドンやモーツァルトであってすら、各々の交響曲の中には類似性が存在していて、際立った個性がすべての作品ごとに存在しているとは言えないでしょう。だからこそハイドンやモーツァルトは交響曲(に限らず他の形式の作品も)を量産することが出来たし、量産品しか作曲できなかったとも言えるでしょう。楽聖ベートーヴェンは貴族階級出身ではない平民の身でありながら才能を有する者は貴族と同等かそれ以上の待遇を受けるべきとの考えから、自らの作品は何度も演奏され更には後世にも残る作品として各々の作品を作り込み、それぞれの個性を際立たせる必要がありました。だから僅か9曲の交響曲までしか作曲できなかったということでしょう。

 ベートーヴェン以降の大作曲家が作曲した交響曲数としては、ブラームスの4曲は少ない方の代表例でしょうけれど、ショスタコーヴィチの15番までが多い方の代表例ではないでしょうか。

 以上、放送大学の西洋音楽史講座で聞いた京都大学教授の岡田暁生先生の受け売りでした。


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