生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

ドヴォルザークは鉄道オタクだった? 交響曲第9番「新世界より」第4楽章の冒頭について

2015-04-29 23:49:23 | ドヴォルザーク
 先日の「題名の無い音楽会」は鉄道に関係する音楽がテーマでした。シャルル・ヴァランタン・アルカンのピアノの練習曲「鉄道」が出てくるかなと思って見ていましたが、オーケストラ曲ではなかったためか紹介されませんでした。一番印象に残ったのは、ドヴォルザークが鉄道オタク、鉄っちゃんだったということですね。チェコにいるときもアメリカに渡った時も暇さえあれば鉄道操車場に出かけていたそうですね。ある時忙しくて自分が鉄道操車場に出かけられないときに、娘と結婚することになっていた弟子に代わりに操車場まで行かせて機関車の車体番号を控えさせたらしいのですが、その番号が間違いであることに直ぐ気がついて、娘に対してあんな常識の無い男と結婚するつもりなのか、と言ったそうです。まあこの辺りの話は単なるトリビアですね。

 さてMCのマエストロ佐渡裕氏のコメントですが、交響曲第9番「新世界から」第4楽章の冒頭が、正に蒸気機関車が発車するときのイメージそのものであると指摘していました。言われてみれば正にその通りで、蒸気機関車を描写した音楽は複数あると思いますが「新世界から」の第4楽章冒頭ほどリアルに蒸気機関車の発車を描いている曲はありませんよね?

 左右のシリンダーに蒸気を交互に送り込んで動輪を回転させて初めは重々しくゆっくりと、次第に加速していく様。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、シューベルトの交響曲第7番「未完成」、そしてドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界から」が三大交響曲と言われることがあるそうですが、確かに私も中学生の時に意識してクラシック音楽を聞くようになって以来、ドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界から」を聞き始めて40年近く、第4楽章の冒頭を聞いて蒸気機関車を連想することは全くありませんでした。何故気がつかなかったのだろうとここ数日悩んでいたのですが、一つの回答としては描写音楽として以上の客観的な存在として、普遍性=絶対音楽としての視点の遠さ、すなわちドヴォルザークは単に蒸気機関車を描写したかったのではなくて、蒸気機関車を描写しつつその蒸気機関車が走る先に何があるのかまで思い描いていた、その普遍性を聞いていたのだと思います。ま、この様に言い訳しておけば格好がつくかもと思います。

 いずれにしても、40数年聞いてきた曲の聞き方を変えてくれるとは、「題名の無い音楽会」は只者ではありませんね。

Dvořák Stabat Mater ドヴォルザーク スターバト・マーテル

2014-07-29 21:01:11 | ドヴォルザーク
 一つの詞に最も多くの作曲家が作曲した詞は何か判りますか? 答えは Ave Maria で間違い無いようです。古今東西、特にキリスト教圏、カトリック圏の著名な作曲家から、無名のアマチュア音楽愛好家まで、現実問題として数えようのない作曲家が作曲しているようです。では Ave Maria の次に多くの作曲家が作曲した曲はなにか?というと、このスターバト・マーテルとのことです。一説では600を越す作曲家が作曲しており、海外にはこれらのスターバト・マーテルを網羅しようと収集に努力を続けている WebSite もあるようです。

 スターバト・マーテルという曲が世の中に存在しているという事は何となく知ってはいたのですが、意識して歌った事も聴いた事もありませんでした。実にもったいない事をしたと思っています。プロオーケストラの名前を冠した合唱団には、他の市民合唱団と掛け持ちしている団員もめずらしくはありません。ある日その中の一人の素敵なオバサマから、市民合唱団の定期演奏会でドヴォルザークのスターバト・マーテルを演るのに男声が足りなくて応援を募集している、とお声がかかり参加させて頂きました。慌ててCDを購入して聴いてみましたが、良い曲です。素晴らしい曲です。冒頭が素晴らしく、始まって直ぐに聴くものの魂を鷲掴みにして、また終曲が秀逸で、ドヴォルザークが合唱にこんなにも造詣が深いとは、それまで全く思いが至らなかった自分を恥じたものです。本当に合唱つきのオーケストラ曲のフィナーレで、これほどまでに歌いながら曲にほれ込み、また歌っている自分を誇らしく感じる曲は無い様に思います。それから終曲の前の第9曲 Inflammatus et accensus (焼かれ、焚かれるとはいえ) はアルト独唱ですが、なかなかに格好良い曲です。フォーレのレクイエムの Pie Jesu が独立してソプラノのコンサートピースやCD等の音源に収録されている事を考えれば、このドヴォルザークのスターバト・マーテルの Inflammatus et accensus はアルトのコンサートピースや音源収録用としてもっと耳にする機会があっても良いと思うのですが。

 人生の後半になるまでスターバト・マーテルという名曲の宝庫との出会いがなかった事が悔しくて、自他共に認める凝り性の私としましては、ドヴォルザーク以外のスターバト・マーテルについてもCDを買い漁りました。ヴィヴァルディ、ハイドン、ロッシーニ、プーランク等など。自分で歌ったというバイアスがあるとは思いますが、やはりドヴォルザークのスターバト・マーテルが最も名曲ではないかと、自分の中に刷り込まれている事を感じざるを得ません。

 某プロオケの名前を冠した合唱団でもバリトンを歌っていましたが、このドヴォルザークのスターバト・マーテルは応援という事もあり、2ndテナーも歌えると思いますと言ったところ、ではテナーを歌ってくれという事になりました。ホームの合唱団ではバリトンを歌っていますといったところ、私のホームの合唱団ではそんなにテナーが余っているのですか!?と言われて嬉しかったことを憶えています。