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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

ストラヴィンスキー パストラーレ

2015-11-22 11:53:49 | ストラヴィンスキー
 目覚まし時計の代わりにタイマーセットしたNHK-FM放送を聞いています。今日のニュースの後の音楽番組は「吹奏楽のひびき」でした。直ぐにスイッチをオフにすることも多いのですが、今日耳に入ってきたハーモニーが中々に素敵だったので、珍しく最後まで番組を聞いてしまいました。今日のコンテンツは「吹奏楽」といっても日本のそれではなく、木管楽器を全く含まないイギリススタイルの吹奏楽(ビューグルバンドと言うのでしょうか? これまた日本でビューグルバンドというとマーチングバンドを意味するようで少しづつ異なる概念の様な気がします)で、トロンボーンは入っているようですが、トランペットではなくコルネットを用いているようです。その他フリューゲルホルン、アルトホルン、バリトン等など日本では珍しい楽器が活躍しています。番組のWebsiteからプログラムをそのままコピーさせて頂きます。

 「ホームカミング」ゴフ・リチャーズ:作曲(コルネット)スチュアート・リンガード
          (指揮)デイヴィッド・キング、(吹奏楽)YBSバンド

 「エスカペイド」ジョセフ・トゥリン:作曲(ソプラノ・コルネット)ピーター・ロバーツ
          (指揮)デイヴィッド・キング、(吹奏楽)ヨークシャー・ビルディング・ソサエティ・バンド

 「フリューゲルホルンのためのコンチェルティーノから 第2楽章“バラード”第3楽章“タランテラ”」
           ウィリアム・ハイムズ:作曲(フリューゲルホルン)ゲイリー・ロード
           (指揮)リチャード・エヴァンズ、(吹奏楽)JJBスポーツ・レイランド・バンド

 「バリトン協奏曲から 第2楽章“ソリロキー”第3楽章“タンジェンツ”」マーティン・エレビー:作曲
           (バリトン)カトリーナ・マーゼラ、(指揮)ジェイスン・カッツィカリス
           (吹奏楽)レイランド・バンド

 「デメルザ」ヒュー・ナッシュ:作曲(テナーホーン)シューナ・ホワイト、(指揮)デイヴィッド・キング
           (吹奏楽)ヨークシャー・ビルディング・ソサエティ・バンド

 「パストラール」イーゴリ・ストラヴィンスキー:作曲 フィリップ・ローレンス:編曲
           (指揮)フランク・レントン、(吹奏楽)ザ・フェアリー・バンド

 「エスカペイド」ジョセフ・トゥリン:作曲,(ソプラノ・コルネット)ピーター・ロバーツ
           (指揮)デイヴィッド・キング,(吹奏楽)ヨークシャー・ビルディング・ソサエティ・バンドほか

 それぞれソロ楽器の音色・特徴が聞き分けられるように選曲されていました。ちなみにソプラノ・コルノットとは通常のB♭管より4度高いEs管のコルネットのことです。

 ということで、6曲目に出てきたのがストラヴィンスキーの「パストラーレ」ですが、ストラヴィンスキーが作曲家を志してリムスキー=コルサコフから作曲法を学んでいる時の作品だそうで、オリジナルはソプラノ独唱とピアノ伴奏のヴォカリーズです。ところが様々な楽器の組み合わせの器楽曲に編曲されていて、動画サイトでストラヴィンスキーのパストラールで検索すると器楽版の音源のほうが多数ヒットします。ペトルッチ(IMLP)のサイトを見るとソプラノ&ピアノ伴奏版の楽譜が公開されています。

 吹奏楽のひびきで放送された吹奏楽版とオリジナルの声楽版とでは聞いた印象は大分違うような気がします。有名な声楽曲のヴォカリーズとしてはラフマニノフのものが代表的ですが、ラフマニノフの作品のような美しい旋律ともまた印象が異なります。ストラヴィンスキーにとっての牧歌的(パストラーレ)とはこういう曲想なんだと思わされます。

 ソプラノとピアノのための曲とはいえ、音域の上限はト音記号の五線譜の第5線に#のついたFisまでなので、私でも歌おうと思えば歌えますね。練習曲として取り組むには悪く無い曲だと思います。案外、ストラヴィンスキー自身も声楽練習曲のつもりで作曲したかもしれないな、というのが正直な感想ですね。

ストラヴィンスキー 「3つの日本の抒情歌」 赤人 當純 貫之

2015-11-04 22:08:58 | ストラヴィンスキー
 昨日、バレエ・リュスの主催者ディアギレフについての論文を紹介しましたが、私にとってディアギレフの存在はなんといってもストラヴィンスキーを媒介にしたものです。ということで今日はストラヴィンスキーの作品なのですが、ストラヴィンスキーの歌曲の中に「3つの日本の抒情歌」(Three Japanese Lyrics)という小品があります。ストラヴィンスキーの歌曲を収めたCDには収録されていることが多いようで、動画サイトで検索しても多数の音源がアップされています。ペトルッチ(IMSLP)のサイトではピアノ伴奏版が公開されています。私の持っているCDではピアノ伴奏ではなく、室内楽伴奏と言いますか木管と弦とピアノ等による伴奏版です。

 ストラヴィンスキーが日本音楽=雅楽や日本民謡に刺激を受けて作曲した作品ではなさそうです。日本の定型詩=和歌の余分なものを削ぎ落とした美学の精神性に刺激を受けて作曲したと考えると、なるほどと受け止められるのではないでしょうか。第1曲が山部赤人、第2曲が源當純、第3曲が紀貫之の詩=和歌に拠るものの様です。ということで叙情的な旋律美の曲ではなく、何度か変遷しているストラヴィンスキーの作曲スタイルの中では「春の祭典」と同じカテゴリーに入る作品だと思います。聞いてみて自分でも歌いたいと思う人は少ないでしょうね。私だって歌ってみようと言う気は起きません。コンクールには向いていると言えるかも知れません。

 ストラヴィンスキーという現代音楽の巨匠が、古の日本の詩人の和歌に触発されて作曲したものがこういう形になるのかと思いつつ聞くと、西洋音楽と日本という地理的な広がりあるいは隔絶、20世紀と千年以上遡る時代的な隔たり、そこから聞こえてくるものは特殊性を有する様式の背後にある普遍性は、時間と空間を超えて天才の感受性に訴えるものがあるということですね。

Igor Stravinsky Symphonie de Psaumes ストラヴィンスキー 詩篇交響曲

2014-07-31 21:11:22 | ストラヴィンスキー
 ストラヴィンスキーの詩篇交響曲。自分が歌うことになるまではその存在を全く知らなかった。全3楽章で20分ほどの曲で、ヴァイオリンとヴィオラ、クラリネットを外したオーケストラと合唱のみからなる作品で、独唱もない。オリジナルは児童合唱と男声合唱の様であるが、児童合唱の代わりに混声合唱とすることも多いようで、私達も混声合唱として歌っている。

 プロオケの名前を冠したアマチュア合唱団の前任の音楽監督が病気で倒れ、合唱団の指導者が代替わりした。モーツァルトのレクイエムや第九等オーソドックスな曲をこなしつつ、発声練習等を通じて団全体の方向性を新しく統一出来てきたかなという頃に、オケのマエストロと相談してこの曲をやることにしたらしい。ストラヴィンスキーといえば何と言っても春の祭典であるが、詩篇交響曲のイメージは春の祭典とは大違いである。ヴァイオリンとヴィオラとクラリネットを省いたということは、合唱の音域と重なる楽器を外してより人の声を明確に聴衆に届けようという作曲家の意図なのかとも思うが、ヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネットがあったとしても合唱パートを邪魔しないように作曲すればよいだけの話だと思う。

 それでも通常弦楽五部のところからヴァイオリンとヴィオラを外した効果は間違いなくあって、全体のトーンがいぶし銀の様に、落ち着いて、重心が低くなる様な印象がある。ストラヴィンスキーの意図としてはむしろこちらではないかと思う。リズムについては春の祭典ほどではないが、変拍子もあり面白いというか、歌う立場からは慣れるまでは難しい。まあ兎に角渋い曲です。練習が始まってしばらく経っても、女声陣からは”この曲面白くない、まるでお経みたい!”という様な声が聞えていた。明らかに練習の出席率が下がったと思う。いや下がったのは出席率ではなく、団員の数だったのかもしれない。へんてこりんな音程や、複雑な和声で、相当な緊張・集中力が問われるが、きれいな旋律は殆ど(いや、全く)無い。

 練習が進んである程度仕上がってきても、旋律を歌い上げるというような快感は無く、良く判らない和声をきちんと作る事に神経をすり減らして、全く楽しくないのである。それでも極たまに、”あ!この曲結構格好良いんだ!!”と思うことはあった。しかし全ていぶし銀の格好良さである。誰にとっても耳当りの良いきれいな曲などでは全く無いのである。美しいだけの曲、耳当りの良いだけの曲には飽きた、それなりに音楽的な分別をわきまえた鑑賞者に判ってもらえればそれで良い曲なのだろう。そもそも人に聞かせるための曲なのだろうか、作曲者が神に捧げた曲というべき作品かもしれない。実際のところはボストン交響楽団の設立50周年記念としてクーセヴィッキーの委嘱により作曲されたとのことである。

 本番はあっという間に終わってしまった。聴衆の方もほとんどの人は初めて聴いたのではなかろうか。それなりの演奏は出来たと思うが、あっという間に終わってしまった、もうこの訳の判らない曲を歌う事は無いか・・・、というのが本当のところであった。もし機会があるなら、次回は混声ではなく児童合唱団と男声合唱の組み合わせで歌ってみたい、あるいは聴いてみたいと思う。この曲の格好良さに触れるには成熟した女声の色香は邪魔になると思う。ヴァイオリンが活躍しないこと、混声合唱も良いが児童合唱+男声合唱にも魅力がある、という点では、フォーレのレクイエムに共通するところがあるのだろうか。曲想としては全く異なると思うが。



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 さて、宣伝です。

 来る8月24日(日) 大人の学芸会サマー・フェスティバル で

 レイナルド・アーンの歌曲;「クロリス」、「夜に」、+もう1曲ぐらい

 歌わせて頂きます。 @門前仲町徒歩10分 Symphony Salon

            13:00-18:00

 このブログを見て興味を持っていただいた方は、宜しかったらお聞きにいらして

 下さいませ。なおサマー・フェスティバルは器楽アンサンブルが中心で声楽は

 少数派ではあります。