NHK-ETVの”ららら♪クラシック”の今日のコンテンツはグスタフ・マーラーの交響曲第1番「巨人」でしたね。”ららら♪クラシック”が30分番組で、ゲストとMCとのトークあり、専門家による解説ありなので、小品ならともかくマーラーの交響曲ともなると掘り下げが浅くつまらなくなるおそれを常にはらんでいると思います。しかし、トピックスを限定することで今日の内容もストレスを感じるよりも、そうだったのか?!という新しい発見の驚きを堪能しました。
今でこそマーラーと言えば偉大な交響曲作曲家と捉えられていますが、マーラー存命中は作曲家としてではなく大指揮者として人々から認識されていたとのこと。この辺りは知識としては知っていました。ところでマーラーが活躍した次期はリヒャルト・シュトラウスの交響詩が新しい分野といて人気を博していたとのこと。そのためにマーラーも交響詩として作曲したものの聴衆になかなか受け入れられなかったことで、改定して交響曲にまとめたのが第1番「巨人」だったとか。
さらにマーラーの言葉として有名な「やがて私の時代が来る」には、実は前段の言葉があって、それは「リヒャルト・シュトラウスの時代は終わり」だとか。後段の言葉だけの方が抽象的で何やら普遍的な輝きがあるようにも思いますが、前段の「リヒャルト・シュトラウスの時代は終わり」を受けた言葉だと受け止めると、当時のクラシック界での交響詩人気=リヒャルト・シュトラウス人気と、自分も交響詩を作曲して聴衆の支持を集めようとしたものの思うように行かず交響曲に仕立て直したマーラーの不器用さと頑固さを伝える直接的な言葉として、よりマーラーの血が通った言葉のように活き活きとしたものとして(実はリヒャルト・シュトラウスに対する嫉妬の言葉として)、私には聞こえて来ます。
その後のマーラーの交響曲の中には声楽を伴う作品が複数あるわけですが、それらは声楽のテキストを伴うという点でリヒャルト・シュトラウスの何れの交響詩よりもより具体的な物語性を身に着けていて、マーラーの交響詩に対するライバル意識というか、交響曲に声楽を取り入れて成功することは出来るのに器楽だけでは交響詩を作曲できなかったマーラーの不器用さを再確認するようで、死して100年以上たってもその人となりの個性の強さに思いを致させる、なるほど間違いなく天才でしたね。