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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

NHK-E ららら♪クラシック マーラー 交響曲第1番 「巨人」

2017-01-14 23:01:59 | マーラー

 NHK-ETVの”ららら♪クラシック”の今日のコンテンツはグスタフ・マーラーの交響曲第1番「巨人」でしたね。”ららら♪クラシック”が30分番組で、ゲストとMCとのトークあり、専門家による解説ありなので、小品ならともかくマーラーの交響曲ともなると掘り下げが浅くつまらなくなるおそれを常にはらんでいると思います。しかし、トピックスを限定することで今日の内容もストレスを感じるよりも、そうだったのか?!という新しい発見の驚きを堪能しました。

 今でこそマーラーと言えば偉大な交響曲作曲家と捉えられていますが、マーラー存命中は作曲家としてではなく大指揮者として人々から認識されていたとのこと。この辺りは知識としては知っていました。ところでマーラーが活躍した次期はリヒャルト・シュトラウスの交響詩が新しい分野といて人気を博していたとのこと。そのためにマーラーも交響詩として作曲したものの聴衆になかなか受け入れられなかったことで、改定して交響曲にまとめたのが第1番「巨人」だったとか。

 さらにマーラーの言葉として有名な「やがて私の時代が来る」には、実は前段の言葉があって、それは「リヒャルト・シュトラウスの時代は終わり」だとか。後段の言葉だけの方が抽象的で何やら普遍的な輝きがあるようにも思いますが、前段の「リヒャルト・シュトラウスの時代は終わり」を受けた言葉だと受け止めると、当時のクラシック界での交響詩人気=リヒャルト・シュトラウス人気と、自分も交響詩を作曲して聴衆の支持を集めようとしたものの思うように行かず交響曲に仕立て直したマーラーの不器用さと頑固さを伝える直接的な言葉として、よりマーラーの血が通った言葉のように活き活きとしたものとして(実はリヒャルト・シュトラウスに対する嫉妬の言葉として)、私には聞こえて来ます。

 その後のマーラーの交響曲の中には声楽を伴う作品が複数あるわけですが、それらは声楽のテキストを伴うという点でリヒャルト・シュトラウスの何れの交響詩よりもより具体的な物語性を身に着けていて、マーラーの交響詩に対するライバル意識というか、交響曲に声楽を取り入れて成功することは出来るのに器楽だけでは交響詩を作曲できなかったマーラーの不器用さを再確認するようで、死して100年以上たってもその人となりの個性の強さに思いを致させる、なるほど間違いなく天才でしたね。


楽譜の値段

2016-11-30 22:55:46 | マーラー

 ライブドアニュースを見ていたら、『マーラー「復活」の自筆譜、6億円で落札 史上最高』という記事が掲載されていました。『史上最高』というのは楽譜としてということですね。ロンドンでのオークションだそうです。落札者が誰かは公表されていないそうです。

 ヴァイオリンなどの弦楽器については、イタリアンオールド楽器では数億円、数十億円という値付けが当たり前のようで驚きもしませんが、演奏家が演奏して素晴らしい音楽を奏でるという使用価値、演奏によって聴衆に感動を与えることに対して経済的対価を得るという、新たな価値の創造が伴います。また、何億円とか、何千万円とか、何百万円までいかなくても、手工品の弦楽器の場合はメンテナンスをきちんと行っていることが必要条件ですが、購入時の7ガケ8ガケぐらいで売却することも期待できるので、弾きこなす力量を持ち合わせた所有者にとってはけっして高い買い物ではないとも思います。

 私もマーラーは好きな作曲家ですし、マーラーの作品の中でも交響曲第2番「復活」こそが最高傑作だと思っています。新しい所有者がマーラーの自筆楽譜を所有するに値する資質・能力の持ち主であることを期待します。ではどのような人物であれば自筆譜を所有するに値するかといえば、マーラーに限らず、その作品を演奏する指揮者、あるいは楽曲分析や楽譜の考訂を専門とする音楽学者であればと思います。最も望ましいのは個人でなく、マーラーとの関係が深い音楽大学が大学として購入して、広く指揮者や音楽学者に精密なコピーで良いので自筆譜を公開して、様々な観点から自筆譜に記載されていながら今日まで認識されていない情報を探し出すことだと思います。

 資産家が金に任せて落札して、個人的に死蔵するというのは好ましくないですね。優れた芸術作品は人類共通の知的資産ですから、出来るだけその価値をあまねく人類全体が享受出来る様にされるべきだと考えます。音楽学の一分野として作曲家の自筆譜を研究・分析して、その作曲家に特有の楽譜の書き方などを解釈する学問が存在するような気がします。音楽大学のカリキュラムの中にはその様な講義はあるのでしょうか?一般的な楽曲分析・アナリーゼではなく、作曲家毎の作業になろうかと思います。例えばシューマンはピアノの2分音符や全音符にクレッシェンド記号を書いているそうですし、グリーグだったか北欧系の作曲家の中には小節線の真上にフェルマータを書いていた人も居るそうですね。歌曲やオペラのアリアなどでは、テヌートのところでフェルマータを掛けるのは当たり前ですし。ベートーヴェンの楽譜に記載された速度記号は早すぎて演奏不能という話も聞きます。悪筆で出版社泣かせだったという作曲家の話は色々聞きますが、自筆譜の時点で非常に綺麗で読み間違い様がないという話は聞かないですね。私が直に見た自筆譜はサティぐらいですが、ト音記号のg線の上下に点を打っていたのが印象に残っています。ピアノ独奏作品だったので、割りと読み安いなと思った記憶があります。

 自筆譜が後世に継承されていることは素晴らしいことです。そして自筆譜に記録されている作曲家からの情報はまだ汲み尽くされていないと思います。6億円もの代価を支払う程の人であれば、単に自筆譜を所有しているということではなく、自分が所有している時に自筆譜から新たにこれだけの情報を取り出した、ということにこそ名誉を感じる人であって欲しいと思います。


マーラー 交響曲第2番「復活」 パーヴォ・ヤルヴィ NHK交響楽団 クラシック音楽館

2015-12-06 23:24:59 | マーラー
 私にとって決定的に重要な音楽との出会い、それも若い時のものとしては2つの出会いが有りました。一つはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」(更に正確に言えば「前奏曲と愛の死」でしたが)。もう一つがマーラーの交響曲第2番「復活」(これも更に正確に言えば旧日フィル解散前の最後の定期演奏会の録音)です。高校時代に友人からカセットテープを借りて聞きましたが、途中から何が何だかわからなくなって、すなわちその当時の私の理解力を遥かに越える音楽にまるで津波のように押し流されるしかなかったですね。とにかくマーラーの「復活」はマイ・フェバリットになって、様々な演奏を聞いてきましたが、未だかつて旧日フィル解散時の「復活」を越える演奏には出会えていません。否、「復活」に限らず全ての演奏を対象としても、旧日フィル解散時の「復活」を越える演奏には出会えていません。ちなみに指揮者は小澤征爾氏です。

 奇才として有名な芸術家に岡本太郎氏がいますね。「芸術は爆発だ!」という氏の言葉が有名ですが、「何が何だかわからないものが芸術だ」という主旨のことも言っています。”判る”程度のものは大したものではない、理解力をはるかに越える程のものがあって初めて聞く人の魂を揺さぶる感動を与えられると思います。”何が何だか判らないけれど凄いということは判った”というのが本当に感動した時の感想ではないでしょうか? ”良かった、良い演奏だった”というのは誰でも言う外交辞令ですよね。

 ということで常任指揮者就任記念公演のパーヴォ・ヤルヴィの「復活」ですが、NHK録音スタッフの技術向上もあってか、細部の描写が良く伝わってきて、中々の熱演で、クライマックスでは思わず涙が流れる良い演奏でした。涙が流れた最大の理由はマーラーの人を感動させざるを得ないツボを心得た作曲技法とは思いますが、N響の演奏も上手くなったなあと思うし、なかなかの演奏だったと思います。ところがマエストロ、パーヴォ・ヤルヴィ氏は、汗のしずくを滴らせるマエストロが多い中ではそんな素振りもみせず、最後まで抑制の効いたクールな指揮ぶりが印象に残りました。とは言え途中では木管楽器群はベルを高々と上に上げて吹奏したり、ホルンも楽器の主平面が水平になるぐらい楽器を持ち上げて吹奏したり、それ以外の管の楽員もボディモーションが大きくて、ヴィジュアルな印象も非常に伸び伸びと演奏しているという印象を受けました。

 「復活」の後は、音楽家を含む日本の各界の若者とヤルヴィ氏との対談を放映していましたが、ヤルヴィ氏の声がしぶいバス(バリトン?)の声で、話の中身も豊かで、マエストロ・パーヴォ・ヤルヴィ自身がマイ・フェバリットになりました。日曜の21時はクラシック音楽館を見たいと思っていますが、チャンネルを家人に譲ることが多く、せいぜい途中から見ることが多いのですが、今日は初めからクラシック音楽館を聞くことが出来て良かったです。

アルマ・マーラー 歌曲集

2015-11-21 23:02:45 | マーラー
 マーラーと言ってもグスタフ・マーラーではなく妻のアルマ・マーラーです。魔性の女ですよね。天は二物を与えずといいますが、二物あるいは三物を与えた女性だったのかも知れません。当初は作曲活動を諦めさせたグスタフ・マーラーも、アルマの気持ちを引き止めるために作曲活動を許し楽譜も出版させたとのことで、ペトルッチ(IMSLP)のサイトには2つの歌曲集(4Liederと5Lieder)が公開されています。今日に残るアルマ・マーラーの作品はその他に5GesangとLeise weht ein erstes BlühnとMeine Nächteという単独の歌曲の、合計で16の歌曲の様です。丁度1枚のCDに収まる量で、ソプラノのイザベル・リピッツ、ピアノ伴奏がバルバラ・ヘラーの組み合わせで、フィリップスレーベルで発売されている国内盤をネットのオークションサイトで落札しました。

 非常に魅力的なアルバムです。アルマ・マーラー自身はツェムリンスキーに師事していたとのことで、グスタフ・マーラーの曲想との親和性は特に感じません。しかし19世紀の世紀末から20世紀の初頭、普仏戦争から第一次世界大戦までのフランスではベル・エポックと言われた時期のウィーンの音楽の雰囲気が伝わってきます。ところどころ古典派的な保守的な構造を特にピアノパートに鳴らすことはあるものの、ロマン派後期、あるいはロマン派の枠組みから溢れ出て崩壊に至る過程に足を踏み出すところまで行っていると思います。

 ピアノパートが単なる伴奏パートに終わっていないのは優れた作曲家の常ではありますが、アルマ・マーラーの歌曲の場合はピアノが雄弁というのではなく、才能・センスを生まれながらに持っている天才がサラッと書いてしまったというイメージで、凡才が苦労して完成させたというような重苦しさは微塵もありません。梅ヶ丘歌曲会館では今日伝えられている16曲全てについて邦訳が紹介されています。

 動画サイトでアルマ・マーラーで検索すると多数の音源がヒットしますので、世界では十分に認知されているように思われます。が日本ではこれまで声楽教室の発表会などで聞いた記憶はありません。声楽家のリサイタルでも聞いた記憶はありません。今日に伝わる作品はわずか16曲で、今回私が入手したCDアルバムに収録されているのは14曲ですが、それぞれの曲の曲想のヴァリエーションが豊かで、似たような曲というものがありません。この意味でもアルマ・マーラーの才能を感じざるを得ません。声楽教室の上級のアマチュア愛好者レベルで十分に歌いこなせる作品もあると思うので、もっと歌われて良いと思いますが、そういう人たちはオペラのアリアを好むんでしょうね。個別の歌についてはもう少し聴き込んでからあらためて紹介しようと思います。

グスタフ・マーラーの功績

2015-02-09 22:38:48 | マーラー
 私、会社勤めをしております。日々自宅から職場へドア2ドアでちょうど1時間、JRの通勤電車の片道の乗車時間が35分ほど。その時間を利用して伊・仏・露・独の4ヶ国語のNHKラジオ語学講座を聞いています。今日の帰宅時に聞いたのが1月30日(金)放送分のドイツ語講座です。前日分と2日連続でグスタフ・マーラーの物語でした。

 指揮者としてのマーラーは気難しかった様で、オーケストラの楽員とも上手く行かなかったと言う様な話もありました。マーラーの当時はオペラと言えば上流階級の社交の場で、上演中のお喋り、飲み食い、会場の入退場もお構い無しだったそうです。ところが芸術性にとことん拘るマーラーが上演中のお喋り、入退場を禁止して、客席の証明も暗くしたそうです。

 現代的な演奏会を始めたのはメンデルスゾーンと言われていますが、演奏中のお喋りや入退場は当たり前の様にされていたのでしょうか。

 シェーンベルクとの交流はあったようで、シェーンベルクの作品の演奏会で曲を理解できない聴衆が演奏中に退出して誰もいなくたっても、一人残ったマーラーが最後まで拍手をしていた、とも言っていました。

 音楽家その人ではありませんが、リヒャルト・ワーグナーの庇護者であったルートヴィヒ二世の話が出たこともあります。ラジオ講座の一コマは15分で、放送された翌週にはインターネットで配信されます。それをmp3ファイルにしてくれるフリーソフトもあります。私はそのフリーソフトを利用して携帯音楽プレーヤーに取り込んで通勤の行き帰りに聞いています。あなたも如何ですか?NHKラジオ語学講座。


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 今後の予定です。

・5月31日 声楽家団体横浜ピッコロ第8回定期演奏会@東神奈川かなっくホール
 ・6月10日 市民オペラ「リゴレット」合唱参加
 ・6月11日 市民オペラ「リゴレット」マルッロ