goo blog サービス終了のお知らせ 

生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

ショーソン歌曲集

2016-01-02 23:46:52 | ショーソン
 インターネットのオークションサイトで毎日音楽CD、特に声楽のCDを物色するのが日課となっています。その他に時間に余裕のある時は楽譜も見るようにしています。CDと楽譜とでは出品数が二桁ぐらい違って楽譜は動きが少ないので週に1・2回見ていれば見落とさずに済んでいるのではないかと思っています。ということで昨年の内に購入したのがショーソンの歌曲集で、ニューヨークのインターナショナル・ミュージック・カンパニーという出版社から出版された「20 Songs」(低声用)をかなりこなれた金額で落札出来ておりました。

 昨年の大人の学芸会「弾く忘年会」でシューマンの歌曲集「詩人の恋」後半を歌ったことで一区切りがついて、「詩人の恋」を付き合ってくれたピアニストのO氏とはシューマンの「子どもの不思議な角笛」から数曲ということで今後も付き合ってもらうことになっていますが、「詩人の恋」の様に歌曲集全曲を歌うというのは結構なエネルギーを必要とするので、マーラーについては抜粋した2~3曲に絞って完成度で勝負したいと思っています。

 そうすると多少は余裕も出来そうなので、やはりフランス歌曲というか、地域・国民的なカテゴライズというよりは、19世紀末から20世紀初頭に作曲された歌曲を何らかのテーマの基にまとめて歌いたいという思いが募ってきます。ということでおあつらえ向きのショーソンの歌曲集の楽譜、それも低声用が手元にありますので、どれが良いか昨年末から年が明けた昨日・今日と、動画サイトで音源を聞いたり、楽譜を基にカワイのスコアメーカーで音源を作成したりしています。と言うことでこの年末年始もオペラのDVD・Blu-Rayソフトは1編も見ていないですね。一昨年の年末年始までは3編~4編程度のオペラのソフトをまとめて鑑賞していましたが、オペラですと最低でも2時間前後、交響曲等でも1時間程度集中することが求められますので、心身ともに余裕が無いと年末年始といえども中々鑑賞することが出来ませんね。それよりは私自身が次に何を歌うか、候補曲を様々探してその音源を作成するという作業は、小刻みに中断しても問題ありません。体力、あるいは精神的な体力が衰えているためにオペラのソフトを鑑賞できないということも確かにあると思っています。一方で自主公演オペラのキャストのオファーを頂くようになって、生の舞台を経験したことで以前のようにソフトでオペラを鑑賞することに対する飢餓感が大分薄らいできたようにも思います。そう言いながらオペラ命という訳でもなく、自分自身の演奏スタイルはこれからも模索していく状況の様ですね。

 ショーソンの歌曲の中に「セレナーデ」があるので、「セレナーデ」に拘ってメロディーフランセーズとドイツリート、イタリア歌曲等の「セレナーデ」の歌い比べという企画で歌って見ようかという思いもあります。メロディーフランセーズは当然ショーソンの「セレナーデ」、ドイツリードはシューベルトの「白鳥の歌」の中の「セレナーデ」が良いと思っているのですが、案外イタリア歌曲に「セレナーデ」が少ないんですね。トスティの「セレナーデ」が真っ先に思い浮かぶのですが、トスティの「セレナーデ」はトスティの曲の中でもピントこない曲なんです。そうは言ってもこれまでもピンと来ない曲でもレッスンの課題曲として取り組むと理解が深まって良い曲だと思えるようになった作品も少なからずあるので、シューベルト、トスティ、ショーソンで独・伊・仏の「セレナーデ」の歌い比べをやってみましょうか。その他に良い「セレナーデ」をご存知でしたら是非お知らせ頂ければ有り難い限りです

CD紹介 クリスティーヌ・シェーファーが歌う ショーソンとドビュッシーの歌曲 (メロディー)

2015-10-08 22:48:53 | ショーソン
 精神疾患と言うと身体的には何の問題も無いと思う方が多いと思いますが、決してそうではありません。むしろ身体症状の方が辛かったりします。交感神経と副交感神経のバランスがおかしくなっているからと思いますが、嘔吐感・めまい・下り腹等に苦しんでいます。こんな辛い思いをしなければならないとは余程前世で悪いことをしたのかと思います。この先やりたいことが無い訳ではありませんが、相当程度やりたい事は既にやって来たので、さっさと楽になりたいとも思います。

 そんな中でCDの衝動買い=爆買いは続いています。手元に届いてから一週間以上聞いてきたのが、ソプラノのクリスティーヌ・シェーファーが歌うショーソンとドビュッシーのフランス歌曲CDです。ネットのオークションサイトで見つけて安価だったこともあり入札したらそのまま落札出来ました。外盤です、レーベルはドイツグラモフォンです。

 Ernest Chausson
1.     Dans la foret du charme et du l'enchantament, Op.36 No.2
2-5.   Quatre Melodies Op.13
6.     Le Temps des lilas, Op.19 No.3

 Claude Debussy
7-9.   Fetes galantes
10-13. Proses lyriques
14-15. Nuits blanches

 Ernest Chausson
16-17. Sept. Melodies, Op.2 No.6 & 7
18-19. Quatre Melodies, Op.8 No.1 & 3
20-21. Deux Duos, Op.11 Mezzo-soprano; Stella Doufexis

全てピアニストは Irvin Gage です。

 Wikipedia日本語版には短いながら「クリスティーヌ・シェーファー」の項目が設けられていて、その最後に”、歌曲の代表的な録音に、シューベルトの『冬の旅』やシューマンのリート集、ショーソンやドビュッシーのメロディ集がある。”と記載されていますが、その”ショーソンやドビュッシーのメロディ集”というのが正にこのCDだと思います。ショーソンの声楽曲というと管弦楽との「愛と海の詩」が最も有名で、次いで「終りなき歌」かと思いますが、その他の歌曲については知名度がぐっと下がると思います。私自身このCDを購入するまでは聞いたことがありませんでした。6曲目の「リラの花咲く頃」は単独で歌われることも多い「愛と海の詩」の中の一曲です。

 間にドビュッシーの作品を挟んでショーソンの作品が収録されていますが、意識せずに通して聞いていると差異よりも同一性を強く感じるため、ショーソンの作品かドビュッシーの作品か解りません。意識して聞いているとショーソンの方がより色彩感というかやや原色が際立つような気はします。ドビュッシーの作品はややパステル調と言いますか落ち着いている感じはあります。いずれにしても透明感のある、押し付けがましさの無い、完成度の高い、品の良い、知性的な、おしゃれな、現代的な・・・、そういう魅力に溢れた作品が75分間分収録されています。

 気分(双極性)障害の再発以来シューマンの作品にシンパシィを感じていますが、フランス歌曲も心に沁みます。いやシューマン以上にショーソンの歌曲は沁みてきますね。その理由の一つには”時代性”があると思います。ベートーヴェンやシューベルト、シューマンは全て18世紀から19世紀半ばまで、フランス歌曲と言えばその殆どが作曲されたのは19世紀であっても作曲家自身は20世紀まで生きた人が多いと思います。近代市民社会が十分に育つ前の時代と、育ってきた以降の時代との差の方が、むしろ国あるいは地理的な相違よりも大きいのではないかと以前から思っていました。産業革命の萌芽はベートーヴェンが生きていた時代から存在していたとは思いますが、チャップリンの「モダンタイムス」に象徴されるような人間疎外、現代的なストレスは未だ顕在化していなかったと思います。一方で、今に残るフランス歌曲の作曲家が活躍した頃には現代的なストレスが意識されていないとしても発生して来ていて、音楽についても癒しが求められ始めていたのではないでしょうか。ここまで書いてきてシューマンにはシンパシィを感じるのに何故ベートーヴェンやシューベルトはむしろ遠慮したいと感じてしまうのか、その理由がなんとなく解ったきがします。ベートーヴェンやシューベルトの作品では個人の意思は時代の制約を打ち砕くべきものとして、個の確立、あるべき自由人としての自立を説いている様に感じます。それが重いんですよね。そういう事は心身ともに健康な人がやって下さい、という心の囁きが聞えます。今の私は気分(双極性)障害の様々な症状に苦しみながらなんとか日常生活を送っています、それだけで十分良くやっているよ、さあ癒してくれる音楽を聞きながらせめてリラックスできるときはリラックスしなさい、ということです。

 幸いなことにペトルッチ(IMSLP)のサイトにこのCDに収録されている多くの歌曲の楽譜が収録・公開されています。動画サイトに音源が公開されているかどうかも確認したかったのですがそこまで気力がでないのでご勘弁下さい。ちなみに2トラック目に収録されている4つの歌曲の第1曲目「Apaisement」(作詞:Paul Verlaine)はレイナルド・アーンの「L'heureExquise」と同じ歌詞ですね。

Ernest Chausson  Chanson perpétuelle, Op. 37  ショーソン  終わりなき歌 Op.37

2014-09-09 22:38:33 | ショーソン
 同じショーソンの作品と言うことで、「愛と海の詩」の次に取り上げる積りでしたが、少々回り道をしました。弦楽四重奏とピアノによる伴奏付きのソプラノの独唱曲です。有名な曲のようでネットで検索すると日本語訳は多数見つかります。愛する人を失った女性の慟哭の詩です。7~8分程の作品です。日本国内でも時々演奏されているようです。

 私が少々探した限りでは男声が歌った音源は見当たりませんでした。作曲家がソプラノを指定している通り、女声の歌だと思います。さすがにこの歌を歌おうと言う男声は出てこないのではないかと言う気がします。シューマンの「詩人の恋」を女声が歌った音源は存在しているのを確認しました。また同じくシューマンの「女の愛と生涯」は男声が歌うのを生で聞いたこともあります。いずれも単なる実験的な試みと言うレベルではなく、十分鑑賞に耐えるものであったと思います。ところがこのショーソンの「終わりなき歌」は、男声では最後まで歌いきれないのではないかと思います。感情移入して歌ったら途中で気持ちが萎えて声が途切れざるを得ないと思います。男ならこの感覚は判ってくれるのではないかと思っています。まあ、何も無理して男声が歌う必要も無ければ、男声が歌うのを聞く必要もないでしょう。

 ところでショーソンが指定したソプラノが歌う「終わりなき歌」でも、詩の意味を判った上で聴くと、女性を泣かしたことのある男の場合は身につまされるものがあって心苦しさを感じてしまうのではないかと言う気がします。私はそのような経験は無いという事になっておりますので判りませんが、そのような切々と心に打つものがあるのがショーソンの「終りなき歌」であり、「愛と海の詩」でもあるように思います。フランス歌曲に限らず、イタリア歌曲でもドイツ歌曲でもロシア歌曲でも北欧歌曲でも、愛の歌、恋の歌、失恋の詩は多数作曲されていると思います。それぞれの作品にそれぞれの魅力、価値があるとは思いますが、一方でフランス歌曲らしさ、イタリア歌曲らしさ、ドイツ歌曲らしさと言う様な属性と呼べるようなものもあると思います。はなはだ無責任で語弊だらけ、お叱りを頂くとは思いますが、あえて言えばイタリア歌曲は声自慢、喉自慢で、詩はあまり重視されていないように思われないでもありません。それに比べるとフランス歌曲は歌うということよりも詩の内容を如何に伝えるか、ということを重視しているように思われます。

 フランス歌曲を歌うには詩を十分に理解して咀嚼することが必須だと思います。しかし楽しんで聞くだけならむしろ詩の内容を知りすぎない方が良いような気もします。フランス歌曲における詩の役割、その存在の重さ、怖さが判ってきたということでしょうか。

Ernest Chausson  Poeme de l'amour et de la mer Op.19  ショーソン 「愛と海の詩」 作品19

2014-09-03 22:46:01 | ショーソン
 オーケストラ伴奏の歌曲といえば、マーラーの「大地の歌」を真っ先に思い浮かべますが、フランスの作曲家ショーソンによる「愛と海の詩」もオーケストラ伴奏の歌曲の秀作と言えるでしょう。マーラーは1860年生まれで1911年に没していますが、ショーソンは1855年生まれで1899年に僅か44歳の若さで自転車の自損事故?で亡くなっています。したがって確認はしていませんが、作品が創作されたのはショーソンの「愛と海の詩」の方がマーラーの「大地の歌」よりも早かったと考えられます。

 レイナルド・アーンの「クロリスに」を聴いて自分でも歌いたいと思い、実際に歌うようになってから、アーン以外のフランスの作曲家の歌曲をインターネットの動画サイトを彷徨ったり、安いCDを手当たり次第に購入する等して、聴いて来ました。ショーソンのCDとしてとりあえず購入してみたのがアルミン・ジョルダン指揮モンテ・カルロフィルハーモニー、歌うはジェシー・ノーマンの「愛と海の詩」、「終わりなき歌」作品37と「7つの歌曲」作品2です。とりあえずショーソンの歌曲なら何でも良いから聴いて見ようと思って購入したので、オーケストラ伴奏と言うことも実際に聞いて初めて認識しました。で、「愛と海の詩」、この曲、結構な名曲だと思います。ロマン派が好きで現代音楽はちょっとと言う様な日本のクラシック音楽愛好者のマジョリティを占める方々にもかなり好意的に受け止められるポテンシャルを秘めている、というよりもそれだけのポテンシャルを伺わせるオーラを十二分に放っていると思います。

 インターネットの楽譜公開サイトで早速見てみると、「愛と海の詩」としてはオーケストラ版の総譜と、声楽パートとピアノ伴奏からなるヴォーカルスコア、そしてチェロ独奏とピアノ伴奏からなるアレンジ譜の3種が公開されています。そしてオーケストラ版総譜のCHANTパートを見るとなんと低音部譜表で書かれています。そしてCHANTの下には(BARYTON)と書かれています。ということはショーソンは男声に歌わせることを前提にこの曲を作曲したと言うことになるのでしょうか??? 曲想としては男声よりも女声の方があっているように思われます。音源も圧倒的に女声のものばかりの様に思われます。念のためにCDを再度検索してみると、フランスの名バリトン;スゼーが歌った音源ともう一つバリトンが歌った音源によるCDが今でも入手できるようです。さらに「愛と海の詩」は3部構成で、2部は間奏とも言うべき歌のない中間部となっていて、3部は更に後半の一部を抜粋して「リラの時」という曲名で歌われるそうです。

 ということで日本国内での演奏状況を調べてみると、「愛と海の詩」として、日本全国では毎年1~2回程度は演奏されているようです。首都圏では来年5月のN響の定期公演でオールフランスプログラムで、ラヴェルのシェエラザードと共に女声によって歌われるようです。おそらくこのプログラムではチケット完売にはならないでしょうから、直前になってもチケットが入手できそうなら聴きに行きたいと思っています。ただ、この頃は自分の発表会があると思うので現時点ではどうなるかわかりません。

 「愛と海の詩」については直ぐに勉強する対象とはとらえていませんが、バリトンが歌っている音源を聴いてみたいと思っており、また「リラの時」から勉強する対象として候補に挙げておく積りです。