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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

K.Penderecki Jutrznia/Utrenya ペンデレッキ  ウトレンニャ

2015-11-30 22:17:19 | ペンデレツキ
 あらためてスペルを見てみると、ペンデレツキと言うよりはペンデレッキと発音するほうが近いのかなと思いますが、ポーランド語には親しんだことがないのでわかりません。ペンデレッキと言えば現代音楽の作曲家と認知されていると思います。とは言えその作品の全ての瞬間が尖った現代音楽の響きにのみ埋め尽くされている訳ではない様です。現代音楽的な手法もふんだんに用いていますが、調性音楽、あるいは部分的にはかなり古典的な音楽手法に近い様式も出現します。特にこのウトレンニャにおいては現代音楽的な表現と古典的な表現とが交互に現れる部分があったりして、その対比の妙と言いますか作曲家としての語法の豊かさ、持っている引き出しの数の多さを認識させられます。

 格好良い作品です。冒頭部分はある意味マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」との類似性があります。低音域の和音が鳴り響いた後で合唱が炸裂します。「千人」の出だしはお祭り騒ぎでもありますが、「ウトレンニャ」ではあくまでも宗教作品の枠から逸脱することがないように抑制は効いていますが、それでも十分に格好良いと思います。現代音楽的なトーンクラスターがガツンガツン飛んで来ますが、めちゃくちゃ密度の濃いトーンクラスターではなく、抑制の効いた節度のあるトーンクラスター?と言うのでしょうか? 抑制の効いた格好良さと言う表現が合っているように思います。

 有名な作品の様でインターネットで検索すると色々と情報がヒットします。いずれにしてもキリスト教の宗教的な作品、オラトリオですね。それも、独唱ももちろん入っていますが合唱の比重がかなり高い作品だと思います。合唱が好きな方は現代音楽が好きでなくても一度聞く価値はあると思います。聞いてみて現代音楽の要素が強すぎて拒否反応を感じてしまう、あるいは拒否反応とまでは言わなくても何が何だか分からない、ということならそれでも良いと思います。これまで現代音楽は聞いてみようと思ったことは無かったけれど、この作品程度であれば十分に楽しめるという方も多いのではないかと思います。ハリウッド映画の音楽と非常に近いという言い方も出来ると思います。私自身は生きている間にペンデレッキのウトレンニャを聞くことが出来て良かったと思っています。

Krzysztof Penderecki  St. Luke Passion   クシシュトフ・ペンデレツキ  ルカ受難曲

2014-09-28 09:52:05 | ペンデレツキ
 この曲との出会いはAmazonのおかげです。言い方を換えれば売らんかなのAmazonの商業主義に乗りました。最近はオークションサイトで落札する割合が増えて来ましたが、Amazonの利用を始めて以来CDの購入は圧倒的にAmazonです。既にAmazonには私のCDの購入履歴と言う膨大な(?)データが蓄積されており、データに基づいたかなり適切な「おすすめ」商品をリコメンドしてくれます。

 レーベルは珍曲・迷曲を安くリリースしてくれるお気に入りのNAXOS。ジャケットデザインも素敵です。しばらくほしい物リストに入れておきましたがポチしてゲット。

 第一印象はなるほど現代音楽的な作品と言うもの。全編を通じて緊張感が漲っています。私にとってはこの緊張感がたまりませんが、現代音楽は苦手と言う方々の多くにとってはこの緊張感の持続を強いられるのがいやだと言う感覚があるのではないかと感じています。逆に私は、どんなに優しく耳触りの良い曲であってもクラシックの作品である限りBGMとして聞けません。耳に入った音楽がクラシックだと脳が認識した瞬間に背筋が伸びます。作曲家、演奏者が精魂込めた結果であるものを仇やおろそかには聞けません。

 音楽に限らず芸術に対して「わかる」、「わからない」という言い方をすることがあると思います。私は芸術は「わかる」ものではないと思っています。むしろ岡本太郎が言うように、「なんだこれは!!!」「芸術は爆発だ!!!」と思っています。私自身の言葉で言えば、「何が何だか判らない、ただすごいと言うことだけは判る」←こういう時の方が本当の感動に出会えていると思っています。そうは言っても私だって「わかる」、「わからない」と言う言葉は使います。例えば「クラシックは判るけど、ロックは判らない」とか。ただこの文脈での「判る」というのは、勉強して判るという種類のものではなく、”経験あるいは慣れ”によるものだと思っています。私だって三大テノールのCDを買って最初に聴いた時は、パバロッティ、ドミンゴ、カレーラスの声の違いが殆ど判らなかったです。皆同じような声に聞えました。それでも繰り返し聞いていると、歌い方の癖の違いではなく、確かに一人ひとりの声の違いが良く判るようになりました。今ではそれまで聞いたことの無い音源でブラインドテストされたとしても、この三人であれば8割方は正しく言い当てられると思います。

 さて、ペンデレツキのルカ受難曲ですが、1回聞いただけで後はCDラックに納まってそれっきりというものもある中で、結構頻繁に聞きなおしています。その度に曲に対する理解が深まっていく気がしています。現代音楽と言っても最小限の音の重ね合わせでギリギリの緊張感・透明感を追求すると言うよりも、トーンクラスター的に色彩感を伴った和声感とでもいうのでしょうか、それなりに厚みをともなった響きで音楽が進んでいきます。この曲は受難曲の例に漏れずオーケストラとソリストと合唱で構成されています。初めの頃は全体像を把握することに注意が行っていたような気がしますが、回数を重ねるうちに全体像が何となく把握できてきて少しづつ細部の表現に注意が向いているような気がします。最近はソリストの歌唱に興味が向いている自分に気がつきました。この様な作品を鑑賞する際の自然な流れなのか、それとも自分自身の中で合唱がだんだんつまらなくなり独唱の比重が大きくなっていることが反映しているのでしょうか。

 人によってはこのルカ受難曲をペンデレツキの最高傑作と評価しているようです。中身の濃い作品であることは私にもわかります。まだまだこの作品の魅力の半分も把握できていないと思います。せいぜい1割か2割でしょうか。本来ミサ曲ですからペンデレツキがこの曲に託した宗教的な意味まで、最終的には聞き取れるようになりたいと思っています。演奏される機会があればぜひ生で聞いてみたい作品です。