生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

余分な力を抜いて歌う

2016-03-31 23:19:21 | レッスンに行ってきました
 個人レッスンを受けるようになって、レッスンで指摘されることの殆どは無駄な力みを無くすことです。ところで人間というものは特定の筋肉を意識して力を入れることは比較的簡単に出来ることですが、無意識に力んでいる筋肉を意識して力を抜くということは簡単に出来るものではありません。喉が閉まっているから開けなさい、とのみ注意する声楽指導者はあまり良い指導者ではありません。どうすれば生徒が無意識な力みを無くして歌うことが出来るか、様々な工夫を凝らして生徒が力を抜こうと思わなくても結果として力が抜ける方策をいくつも持っていて、その場その場で最も適切な方策を生徒に提案できるのが良い指導者だと思います。この点で今の私は指導者に恵まれています。

 目線を遠くに持って行きます。一点を集中して見るのではなく、遠くを漠然と見る、あるいは視野を広くして遠くを見ます。ここからが勘所ですが、視野を広くして遠くを見つつ、顔の前で人差し指一本を立てて同時に見ます。そうすると一本しかない人差し指が二本に見えますよね。その状態で人差し指を左右に動かします。左右に動かしても常に遠くを広い視野で見つつ、手前の人差し指は二本に見えるように心がけます。この状態で歌うと余分なところに力を入れようとしても入りません。全く力み無しで歌うことが出来ました。この時の感覚は本当に感動的でしたね。そうは言ってもその時のレッスンの中でそれ以前にも様々な注意を頂いている中で、上述の方策の提案を受けてやってみたら非常に効果的だったということで、私のこのブログの文章だけを読んで誰にでも体験できることでは無い様にも思います。

 一方で「カルミナ・ブラーナ」の合唱では早口言葉の箇所がいくつもあります。その様な箇所で発音や音程を注意されると、以前の悪い癖が出て下顎を斜め右下に動かしてきっかけを作ろうとしたり下顎の筋肉を固めたりしようとしていることが判ります。今では以前の悪い癖に頼ろうとしていることが殆ど瞬間的に判るようなり、その瞬間にその悪い癖を止めてニュートラルなポジションで力まずに歌おうとすることが出来るようになってきています。下手の横好きか好きこそものの上手なれかは判りませんが、継続は力なりということは間違いないですね。

Claude François Comme d'Habitude

2016-03-30 23:31:37 | 
 例によって通勤電車の中でNHKラジオ語学講座を聞いています。今朝聞いた3月22日放送分のフランス語講座の教材の中で、フランク・シナトラが歌って大ヒットした「マイ・ウェイ」ですが、実はオリジナルはフランスの歌だったとのことです。案外知られていることの様で、Wikipediaで「マイ・ウェイ」を検索しても記載されています。

 オリジナルは若くして事故で亡くなったクロード・フランソワの作詞・作曲で、自らも歌っていたそうです。それを聞いたポール・アンカが英語版の作詞と僅かにメロディーラインをいじって、オリジナルのクロード・フランソワの歌詞は若者の失われた愛の歌だったそうですが、人生の終盤に掛かった男が人生を振り返る歌詞をフランク・シナトラに歌わせてヒットしたということの様ですね。

 オリジナルの「Comme d'Habitude(いつものように)」も動画サイトで検索するとクロード・フランソワが歌っている動画が複数アップされています。聞けば直ぐに「マイ・ウェイ」であることが判ります。最近の若い方がどうかは判りませんが、私の世代であれば「マイ・ウェイ」を知らない人はほどんどいないと思います。カラオケでも非常に良く歌われるようですね。それだけ手垢にまみれた歌だとも思います。私自身はカラオケで歌おうとは殆ど思いません。「マイ・ウェイ」を歌うにはそれなりの人生経験が必要という意味で、曲が歌い手を選ぶ作品であるとも思います。もう一つ、「マイ・ウェイ」に限るものではありませんが、マイクを使って歌うことが前提になっている歌であるとも感じます。

 マイクを使って歌うことを前提に作られた歌は、マイクを使って歌えば良い、と割りきって良いのでしょうか。割り切れる人は割りきって歌えば良いと思います。合唱している人でもカラオケに行けばマイクで歌うという人が殆どですよね、合唱仲間とカラオケに行ってマイク無しで歌ったら変だと言われましたから。マイクを使わずに歌うことが高級でマイクを使って歌うことは低級であると思っている訳でもありません。オペラや声楽、合唱もマイク無しで歌うのが基本ですし、オペラや声楽作品を歌うことを前提に自らの歌唱技術の向上を目指しているので、どんな歌を歌うにしてもマイク無しで歌う自分の歌唱技術の守備範囲の中で歌いたい、ということだと思います。先に紹介したシュトックハウゼンの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」の様にPAで再生することを前提としているクラシックの作品も特別に珍しいということではありませんものね。

カール・オルフ  カルミナ・ブラーナ

2016-03-29 23:49:34 | オルフ
 完全な早朝高血圧です。早朝というよりも、昼間から夜にかけてはさほど血圧は高くないのですが、深夜から朝にかけてが高血圧で、夜間高血圧と言うべきでしょうか。医師からは直ぐにも降圧剤を服用すべきと言われていますが、他の持病で8年前から3種類の薬を服用していることもあり、これ以上薬を増やすよりも生活習慣の改善で何とか血圧を下げたいと思っています。と言うことで飲酒量を減らして週に3日以上の休肝日を作ると同時に、酔うための酒は無糖のチューハイに限定して、週に1回程度はワインを楽しむことをルーティンにしようとしているところです。

 高血圧に寄るフワフワ感があるので、オファーを頂いた「エフゲニー・オネーギン」の公演については辞退させて頂いて、”大人の学芸会”の春の本会もキャンセルする方向で考えています。そういう状況の中で7月公演の「カルミナ・ブラーナ」も辞めようかと思い悩んでいて、今日の合唱団の練習も欠席しようかどうしようかと、さんざ迷っていました。結局今日の練習に参加して続けようと思えなければさっさと退団しようと思って練習に参加しました。

 まだまだ改善すべき課題が多い段階ですが、それでも音取りや歌詞の読み込みの段階からその次の段階へ移行する時期になってきて、歌いながら音楽的な表現についての注意を受ける段階に移行しつつあります。今日の練習は全25曲の内の22曲以降と、休憩を挟んで頭から練習時間いっぱいまで行けるところまでということで10曲目のWere diu werlt alle min まで歌って終わりとなりました。やはり歌ってみると楽しいですね。音楽的な完成度が低いところでも、指導者の適切な指摘に基づいて繰り返し練習する中で、歌う側にとっても確実に完成度が上がっていくことが実感できる時は、確かに楽しいものです。

 ということで続けようか辞めようかと悩んでいた合唱ですが、とりあえず続けることにしました。ただ体調との相談で、高血圧が全く改善しないようであれば、覚悟を決めて降圧剤を服用することで従前の生活パターンを継続するか、降圧剤を服用せずにさらなる生活習慣の見直しで高血圧を解消しようとするのであれば、これまでの音楽活動を全面的に見直す(辞める?)という選択肢も視野に入れているところです。それにしても、オルフの「カルミナ・ブラーナ」は本当に歌って楽しい曲です。名曲であることに間違いはありませんね。

カールハインツ・シュトックハウゼン ヘリコプター弦楽四重奏曲 その2

2016-03-28 22:53:14 | その他
 昨日は頭の中にあるシュトックハウゼンの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」の記憶のみに頼ってブログをアップしてしまいましたが、その後でやはり一度作品を聞き直してからブログに書くべきだったと反省しました。遅ればせながら昨夜から今夜にかけて数回聞き直しました。以前購入したCDの演奏も、動画サイトにアップされている音源も、全てヘリコプターのローター音やエンジン音が被せられています。ローター音やエンジン音が被せられていないとしても、ヘリコプターの飛行を音楽で再現しようとした曲であることは、多くの人が認めるのではないかと思います。

 作曲家自身が、演奏者が4機のヘリコプターに一人づつ登場して演奏するように指示していると言うことですが、普通のコンサート会場で単なる弦楽四重奏として演奏してみたらどうなんでしょうねぇ。作曲家自身の指示では一人づつ演奏者が登場した4機のヘリコプターはお互いに相手の周囲を旋回しながら演奏するとのことの様ですが、通常の演奏会形式であればチェロが舞台の中央に座り、ヴァイオリニスト2名とヴィヨリスト1名は立奏しながらチェリストの周りをぐるぐる回っても良いかと思うのですが。

 私自身はヘリコプターに2回搭乗した経験があります。一度は海上自衛隊の体験搭乗で木更津基地の大型ヘリコプターで東京湾上空を飛び、2回めは冬の菅平で根子岳山頂までヘリコプターで運んでもらい、山スキーのコースを辿ってゲレンデに戻るというものでした。何れにしてもヘリコプターは周りもうるさいですが登場していても十分にうるさすぎる乗り物です。シュトックハウゼン自身は夢の中で演奏者が一人づつヘリコプターに乗って飛びながら弦楽四重奏を奏でるという着想を得たらしいですが、それまでヘリコプターに登場する経験は無かったのではないかと思います。

 ということで随分と頭でっかち、アイディアだおれの曲だと思っていましたが、逆に通常の演奏会形式で純粋な弦楽四重奏として演奏してみたらどのように聞こえるのか、逆に興味が湧いて来ました。国内の何処か(出来るだけ首都圏で)で演奏されないでしょうか、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の次ぎぐらいに一度は生で聞きたい曲目になってきていますね。

 動画サイトで「ヘリコプター弦楽四重奏曲」で検索すると3分ほどの断片の音源が2つアップされているだけですが、「Helicopter String Quartet」で全曲30分もアップされていました。兎角話題性が先行している作品とは思いますが、ご興味のある方どうぞご自身でお聞き下さい。

カールハインツ・シュトックハウゼン ヘリコプター弦楽四重奏曲

2016-03-27 23:25:46 | その他
 毎朝、目覚まし時計代わりにタイマーセットしたNHK-FMを聞いています。ニュースが終わったところで電源をOFFすることも多いのですが、今日は日曜なので「吹奏楽のひびき」をウトウトしながら聞くともなく聞いていました。3曲目だったかと思いますが、ジョン・マッキー作曲の「タービン」という作品が流れてきました。ジョン・マッキーは現在も存命中の作曲家で、特に日本では吹奏楽作品で知られているそうです。そのジョン・マッキーは飛行機が嫌いだったそうで、その飛行機嫌いを克服するためにジェットエンジンの重要な部品である”タービン”に着目した作品を作曲したそうです。夢うつつの中で聞いていたのであまり記憶に残っていないのですが、出だしは打楽器が賑やかな曲でさもありなんという曲だったように思います。

 そこで思い出したのが、シュトックハウゼンの”ヘリコプター弦楽四重奏曲”と言う作品で、ヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロの4人の弦楽器奏者がそれぞれ一人づつヘリコプターに搭乗して飛行しながら互いのサウンドを無線で更新しながら演奏するという、余りにも頭でっかちな作品があります。何年も前に現代音楽の論文か何かでその様な作品があることを知り、調べてみるとCDが販売されていたのでモノは試しで購入して聞いてみました。最初にジェットエンジン搭載のヘリコプターのジェットエンジンの始動時の音から始まって、ヘリコプターの騒音は上手く処理した弦楽四重奏曲が聞こえては来ました。ライナーノーツによれば、初演時は何処だったかのスタジアムの上空で、5番目のヘリコプターに大型のスピーカーを搭載してそのスピーカーから弦楽四重奏曲の音を再生したとか。

 私自身がその存在を知って思わずCDを購入していますが、どうにも話題性が先行している頭でっかちな作品だなと思います。その時代の科学・技術の最先端のものをモチーフにした音楽作品としては、シャルル・ヴァランタン・アルカンのピアノ曲「鉄道」とか、有名なところではドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界より」の第四楽章の冒頭部分も蒸気機関車を表現していると思いますが、これらの2曲のほうが音楽で描こうとする対象とその作品との関係において、より必然性が感じられます。こう言ってしまうと、シュトックハウゼンから”ヘリコプター弦楽四重奏曲”はヘリコプターの様子を音楽で再現しようとしたものではない、とのお叱りを頂きそうですね。私の携帯音楽プレーヤーは容量に余裕がなく、新しい曲を転送するにはあまり聞かない曲を消去する必要があり、毎回シュトックハウゼンの”ヘリコプター弦楽四重奏曲”を消去しようかどうしようか迷っていますが、未だに消去していません。

 インターネットの動画サイトで検索すると、抜粋で2つ程音源がアップされていました。ご興味のある方はどうぞ聞いてみてください。