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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

効果的な腹式呼吸のために意識すべきは骨盤底筋

2016-10-26 22:27:27 | より良く歌うために

 平仮名よりも感じの多いタイトルになってしまいました。以前はあまり聞かなかった様に思いますが、最近は「骨盤底筋(群)」という言葉を耳にする様になってきていると思います。声楽と管楽器演奏では何よりも腹式呼吸が大切と言われます。そのために腹直筋を鍛える人も少なくないと思いますが、これは勘違いも甚だしく、特に声楽には悪影響を与える可能性も高いです。と言うのは、腹直筋の上端は喉に近いところまで伸びているので、腹直筋を鍛えすぎると硬くなって発声に必要な喉の周囲の柔軟性が損なわれる可能性があるからです。

 腹式呼吸のコツというかイメージとして、「背中まで息を吸う」ということがあります。これは肺の最下部は、体の前面よりも後面=背中側の方が下まで伸びているので深い息を吸うためには背中(腰に近い辺り)まで吸うイメージがあります。また、腹式呼吸と言うとお腹を膨らませたり引っ込ませたりする人もいますが、腹部の前後運動というイメージはありませんね。あくまでも上下方向に呼吸するイメージです。私の場合はこの上下動のイメージが強すぎて、というか胸郭が硬くて肺の上部をもう少し広げることも出来るのに上手く使えていないことを指摘されたこともあります。

 腹式呼吸全体を考えれば、肋骨という骨格で囲まれている肺の周囲よりは、横隔膜という筋肉でだけ覆われている下部を使う方が効率的です。とは言え全てはバランスが最優先で、全体を柔らかく使うことが最も大切です。効率良い腹式呼吸とは深い呼吸とも言いかえられますが、実は呼吸の深さとは横隔膜を何処まで下げられるかということです。横隔膜を下げると必然的に横隔膜の下にある胃や腸、その他の臓器も押されて下がります。逆に言えば横隔膜の下にある臓器が下がればその分横隔膜の可動範囲が広くなります。どうやって横隔膜の下の臓器を下げるか?そうです、骨盤底筋を緩めることで少しでも横隔膜の下の臓器が下がる範囲を広げようということです。この主旨からは、肛門括約筋を緊張させると横隔膜の下の臓器は上に上がろうとするので、腹式呼吸には好ましくないことが理解できます。つまりお尻の孔は締めないほうが腹式呼吸には良いということですね。

 大昔はお尻の孔をしっかり締めて歌えと言われたような気もします。しかし発声法にも流行り廃り、進化(本当に進化しているかどうかはっきりしない場合もありますが)、少なくとも変化はし続けていて、より本質を掴んでいるものが残っていけば本当の進化と呼べるかと思います。スポーツにしても特定の筋肉を固める体の使い方ではなく、全体を柔らかく使う、バランス重視という発想が一つの指針だと思います。ちなみにヴァイオリンでも脱力して体を柔らかく使うのが重要で、今の私としては左手の緊張を如何に解すかが課題となっています。


声楽レッスンと器楽(ヴァイオリン)レッスンとの相違点と共通点

2016-10-02 23:47:33 | より良く歌うために

 これまで声楽の先生に関しては、門下である(あった)と言わせて頂いてもよいであろう先生3名に教わっています。その他、有名な先生に一度だけ見て頂いたこと、教室を選ぶ際に一度だけ体験レッスンを受けた先生、等これまでの総数としては8名の声楽の先生のレッスンを受けたことがあります。ヴァイオリンに関しては2名ですね。

 これまでのレッスン歴から、声楽レッスンと器楽(ヴァイオリン)のレッスンとの相違点と共通点について書いておきます。レッスン室にかんしてはどの程度まで考慮しているかはともかく、いずれも防音に出来るだけの配慮はされているようです。完全防音に近いレッスン室もあれば、普通の部屋に厚手のカーテンやカーペットを敷いているだけというところもあった様に思います。声楽のレッスン室には必ずあるのに、ヴァイオリンのレッスン室には備えられていなかったもの、どちらのレッスン室にも備えられていたものがあります。

 声楽のレッスン室には必ずあるのにヴァイオリンのレッスン室には備えられていなかったもの、それはピアノあるいはピアノに変わりうる他の鍵盤楽器ですね。声楽レッスンではピアノ無しということは殆ど考えられませんが、ヴァイオリンの場合には生徒は生徒のヴァイオリンを、先生は先生のあるいは時には生徒のヴァイオリンを弾いて手本を示します。要するに声楽の先生は半分(以上?)は生徒の歌の伴奏をしながら声楽を教えるわけで、ピアノが苦手な先生の場合は伴奏の方に殆どの注意が向いていて生徒の歌唱をじっくり聞くことが出来ていないのではないか?と思うこともなくはありません。この点ではヴァイオリンに限らず、器楽の先生の方がピアノ伴奏を必ずしなければならないということがなく、自分が教えようとする楽器の生徒の演奏に100%注意を向けることが出来るので、器楽レッスンの方が密度の濃いレッスンが出来るようにも思います。声楽レッスンでも一時期声楽の先生の他にピアニストをお願いしてレッスンしてもらったときがありましたが、この時は声楽の先生の注意が全て自分の歌唱に注がれているので、極めて密度の濃いレッスンとなって、クタクタに疲れた記憶があります。

 声楽レッスンでも器楽レッスンでも、例外的に置いてなかったレッスン室もあったかもしれませんでしたが、音楽教師または音楽教室を選ぶ上でホームとなりうるレッスン室には必ずなくてはならないと私が思うもの。譜面台ではありません。譜面台ぐらいなければ自分で折りたたみの譜面台を持っていけば良いだけの話しです。無くてはならないモノ、それは鏡です。決して手鏡などの小さいものではなく、少なくとも自分が演奏している時の上半身全てが映るぐらいのものが必要です。鏡が必要だということは声楽にしろ器楽にしろご自身でレッスンを受けたことがある人なら説明の必要はないですよね。そしてさらに言えば、自宅(等)で練習する際にも同程度の大きさの鏡を見て練習する方が余程効率的です。

 それから声楽レッスンを受けた限りでは、基本的には全て立唱ですが、ヴァイオリンの体験レッスンでは2つの教室を受けましたが、その1つでは座奏でした。その教室が主な対象としている生徒の層がいまや段階の世代ということだからでしょうか。楽器によってはチェロの様に立奏出来ないものもあるし、逆に普通の椅子では座奏がしにくいものもあろうかと思います。歌の場合、オペラやミュージカルでは座って歌ったり、中にはベッドに寝ながら歌うこともあります。踊りながら歌うこともあるかもしれませんが、踊るのが専門のダンサーと同じように踊ってまではさすがに歌えませんよね。

 まとめると、声楽にしろ器楽にしろ、レッスンを受ける際、また個人練習する際には常に姿見がなければならないこと。ある程度基礎が出来てくればある方が望ましいと言い換えても良いかもしれませんが、特に初学者の場合は常に鏡を見て自分の姿勢をチェックすることが何よりも重要と思います。立って演奏するか座って演奏するかは、楽器の場合はその楽器の特性にもよりますが、立って演奏することに特段の制限がない場合は、立って演奏するほうが良いように思います。少なくとも声楽と吹奏楽器の場合は腹式呼吸が身につくまでは立奏の方が良いのではないかと思います。ピアノを立奏することは特殊な場合以外は考えられませんが、弦楽器の場合は座奏でも全く問題はないのでしょうか。その他レッスンを受ける側の心構えなど諸々思うことは多数ありますが、それらは又の機会に。


次に取り組むべき歌が決まっていました。 ロッシーニ 「セヴィリアの理髪師」からフィガロのアリア「私は街の何でも屋」

2016-09-29 22:51:26 | より良く歌うために

 昨日のブログの記事をアップしている間に、再び川井先生からのメールが届いておりました。その中身は、私が川井先生の講座を初回に受講した際に講座の中で歌わせてもらいましたが、その時のことを憶えていて頂いて、首や肩がかなり硬くなっていたとのことで、その際に指摘されたロッシーニを歌いなさい、ということで、今回は具体的に「セヴィリアの理髪師」のフィガロが歌う「私は街の何でも屋」を指定されて勉強しろとのことでした。

 そこまで具体的に掘り下げてのご指摘とあれば、私としても積極的に取り組まざるを得ません。あらためて確認してみるとこれまでこのブログでもロッシーニを取り上げたことはなかった様で、今回が初出ですね。ロッシーニはどうにも私の趣味ではないとは言え、「セヴィリアの理髪師」はロッシーニの代表作であるだけでなく、全てのオペラ作品の中でも必ず取り上げられる作品ですし、モーツァルトの「フィガロの結婚」と作曲年代は前後しますが、ストーリーとしては「フィガロの結婚」の前章を紹介する話となっていて、「フィガロの結婚」同様わかりやすく多くのオペラファンの評価を得ている作品だと思います。私自身ロッシーニの作品の中では唯一複数回鑑賞している作品です。

 ということで川井先生からのメールを頂いて、「私は街の何でも屋」というアリア自体は直ぐに思い出し、私が持っているバリトン用のオペラアリア集にも楽譜が収録されていたはずということも脳裏に浮かびました。先ずはイタリア語の歌詞を確認するところから始めましたが、もともとオーケストラ版のアリアなので、ピアノ伴奏も難しいと言うべきか大変です。これまでは川井先生の講座を受講するだけでしたが、いずれ個人レッスンもお願いしたいとは考えていました。今後川井先生に個人レッスンをお願いした際に、「私は街の何でも屋」を持っていったとして果たして川井先生にピアノ伴奏をお願いできるのか、ふと疑問に思ってしまいました。川井先生がピアノが不得手ということでは全く無く、一般にオリジナルがオーケストラ版であるオペラアリアをピアノ伴奏に移植したものは、ピアノの技巧として難しいというよりも体力的に大変というか、ピアニストに多大の負担を掛けることが多いと思います。専門のピアニストであってもオペラアリアの伴奏は避けたいというのが本音ではないでしょうか。ましてやロッシーニの「セヴィリアの理髪師」はテンポが早く軽やかではありますが、ピアニストにとっては隠れた超絶技巧曲ではないかと思います。これが隠れない超絶技巧曲であればまだしも演奏する気が起きるでしょうが、どんなに上手く弾いても拍手は全て歌手に持っていかれるとすると、正直弾きたくないと思うでしょうね。

 川井先生は女声でソプラノですから、ピアノ伴奏まで考えずに「私は街の何でも屋」を推薦して頂けたと思いますが、今度の講座でお会いした時に、いずれ個人レッスンをお願いした時の曲として「私は街の何でも屋」を持っていったとしてピアノ伴奏して頂けるのかどうか、聞いてみたいと思っている今現在です。


何を歌うか一人で決めることは良くない、上手くなりたければ。

2016-09-28 22:59:07 | より良く歌うために

 今週末に川井弘子先生のセミナーを受講します。セミナー内での歌唱について川井先生とメールのやり取りをさせて頂きましたが、以前に一度私が歌った際のことを良く憶えていて下さったことに感激した次第です。

 ということで、そのメールのやり取りの一部ではありますが、私自身の歌の選曲について重い曲ばかりを選んでいて、むしろ喉に負担を掛けるばかりで上達を阻害している、もっと軽い曲を沢山歌ったほうが楽に高音域も伸びると、以前にご教示頂いたことを再確認させられてしまいました。

 ただ、私に限らず日本人は自分の喉(声帯)の特質に比べて重い曲を選ぶ傾向が強いそうです。まあ、良く判ります。私自身その典型だと思います。高音域を軽く歌えないから重めの曲ばかり選んで歌ってします。そのことによって更に高音域を軽く歌うことが出来なくなり、本来レッジェーロなのにスピント、スピントなのにドラマティコと本来の喉(声帯)から離れた曲ばかり歌う(歌えない)ようになって、本来のスピントやドラマティコの人には敵わないしという悪循環で、最悪歌えなくなる声楽家も珍しく無い様ですね。

 プロの声楽家の場合はお客様に最低限度受け入れられる曲を選ぶ必要がありますから、自分の好きな曲ばかりを歌うわけに行かないことは良く判ります。アマチュアだから自分の好きな曲だけを歌う自由だって認められて良いとも思いますが、一方で上手くなりたいという自身の欲求を実現するためには歌いたくない歌にも取り組む必要がある。若くてこれからの時間も十分にあれば好きな歌と上手くなるために歌うべき歌とをバランスと取りつつ歌うことに特段制約はないと思いますが、この先何年ぐらい歌うことが出来るか、あるいはもう声楽は辞めるべきかとも思い悩んでいる現在、このブログのタイトル通り、我が生涯を完結するまでに歌いたい歌を歌うか、あるいは、それでも尚上手くなるための歌を歌うか、なかなか悩ましいところです。理想としてはあまり深刻に考えず、運動性=アジリティの訓練にもなる歌いたい歌を見つければ良いだけの話しです。そう思って省みてみると、アジリティの高い部分を含む曲については、アジリティの高い部分を含むというそれだけの理由で敬遠していたとも思い至ります。さて、あらためて今歌うべき歌を探すこととしましょう。


声楽にしろ器楽にしろ上手くなるためには・・・

2016-09-25 22:29:56 | より良く歌うために

 声楽は全く止めてヴァイオリンにだけ熱中している訳ではありません。実際に演るかどうかは別にして、生前葬コンサートを演るとした場合のプログラムを考えています。今のところあれもこれもと広げると拡散してしまうと思うので、フランス歌曲に絞って選曲しています。オープニングは誰もが聞いたことのあるフォーレの「夢のあとに」とマスネの「エレジー」。それからプーランクの作品からは「ルイ・アラゴンの2つの詩」すなわち「C」と「Fetes Galantes」。レイナルド・アーンの作品からは「クロリスに」含め2曲から4曲程度。と言うことで現在、プーランクとフォーレについて歌詞をひたすら憶えています。

 さて本日の話題ですが、声楽のレッスンと器楽(ヴァイオリン)のレッスンとを、生徒の立場から比較しつつ、より効率的に上達するのに大切と思うことを書いておきたいと思います。

 指導者は生徒の演奏を聞いて&見て、最も気になるところから1箇所あるいは数カ所を指摘してくれます。生徒の立場としては1箇所か2箇所ぐらいまでで精一杯で、同時にそれ以上を指摘されると最後に言われたことしか頭に残らないということも多いです。なので、生徒の立場からすれば一度に何点も指摘する指導者は良い指導者ではありません。その時点で最も指摘すべきことを優先して教えてくれる指導者が良い指導者です。良い指導者というものは生徒に問題がっても敢えて指摘せずに全く違う箇所を教えて、最大の問題点については黙ったままで矯正してくれる等というマジックを見せてくれる方もいます。この様な指導者が本当に良い指導者だと思います。

 とは言え、指導者と生徒との関係は一方的な従属関係ではありません。生徒の立場としても指導者から指摘されたことだけを注意すると、それまで出来ていたことが出来なることが往々にしてあります。従って指導者から指摘されたことだけに注意を向けるのではなく、それまで出来ていたことはそのままにして、それまでの到達点からは一歩も引くことなくその上に指摘されたことを修正して上乗せするのが上達の近道です。要するに指導者から指摘されたことだけに100%集中してそれ以外に対する注意が疎かになっては行けないということです。ラグビーの五郎丸選手がプレースキックをするさいに、毎回同じ動作をルーティンと称して繰り返していましたが、声楽にしろ器楽にしろ、音を出すまでにかなりの部分結果が決まっています。準備ということです。指導者の立場からは生徒が声(音)を出す前に既にOKか駄目か判ってしまいます。私自身声楽レッスンで、声を出す前に、駄目準備が出来ていない、と言われて止められた回数は数知れません。

 今、レイトスターターのレイトも良いところでヴァイオリンのレッスンを受け始めましたが、声楽レッスンを受けてきた成果として、音を出す前に姿勢のチェック、楽器の構え方のチェック、弓の構え方をチェクして(実際のところこれで良いのだろうかと様々悩みつつ)、呼吸を整えて息を吸ったテンポのまま吐く息のタイミングで運弓し始める様にしています。自分としては無意識にその様にしていましたが、先生から準備の内容として出来ているかどうかはともかくとして、一連の動作として音を出す前の準備をいつも同じように行おうとしている、とのお褒めのお言葉を頂きました。

 私としてはこれまで声楽レッスンにつぎ込んできたレッスン代うん十万円分を、ヴァイオリンのレッスンの際に少しでも取り返しているつもりにもなります。何れにしても、声楽にしても器楽にしても、音を出す前の準備段階で9割近く上手くいくか行かないか決まっているのは同じと思います。上手くなるには五郎丸選手のルーティンさながらに、自分自身の音出しの前の準備を確認する癖を付けることが重要だと思います。それが意識できるようになっていると、本番で上がるということもなくなると思います、少なくとも確実に減ります。