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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

フランス歌曲を歌うために試してみたこと

2016-09-15 22:49:53 | より良く歌うために

 昨日の記事をアップした後で思い出しました。

 フランス歌曲を自分でも歌いたいと思ったのは、たまたま聞きにいった知り合いのピアニストのジョイントコンサートで、初めて聞くソプラノさんが歌ったレイナルド・アーンの「クロリスに」を聞いたことがきっかけです。帰宅後速攻でペトルッチ(IMSLP)のサイトで楽譜をゲットして、当時師事していた先生にこの歌を歌いたいですとお願いしたのですが、私はフランス語はわからないからと却下されてしまいました。それでも歌いたくてネットでフランス歌曲も教えてくれる声楽教師を探していたら、何と自宅の傍にフランスに5年ほど留学されていた先生がいらっしゃるのを見つけて、早速連絡を取ったという次第です。

 最初の練習の時に「クロリスに」の楽譜を持参し、それまでにも音源を繰り返し聞いたりしていたので何となく発音は判った気になってもいましたが、ウォーミングアップを兼ねた発声が終わった後で、「クロリスに」を歌う前に歌詞のディクションをして頂きました。その時はカタカナでフランス語の歌詞に読みがなを書き込みましたが、どうしてもカタカナでフランス語の読みをふるのには無理があるということを、その時に思い知りました。

 イタリア語はほぼローマ字読みでOKですし、ドイツ語もドイツ語独自の読み方を覚えてしまえば単語毎に綴りと違う発音をするということはありません。実はフランス語も英語ほどには単語毎に発音が変わることは無いのですが、単語の末尾の文字は殆ど発音しないこと、連続する単語の後ろの単語の先頭が母音だとその前の単語の最後尾の子音を発音すること、更にその子音が後の単語の発音の頭に移動する等の、日本人には馴染みの無いお約束と、そもそも日本語(他の言語にも)ない鼻母音があることなど、で頭がパニックになってしまい、最も学校で習っている英語読みをついついしてしまいがちです。

 このブログで何度も書いてきていますが、歌の場合音程は覚えやすいですが歌詞がなかなか覚えられません。そこで歌詞だけをワープロソフトで書きます。書きますというよりも実際にはネット上に存在している歌詞をカットアンドペーストします。そこでフランス語の歌詞の場合、単語の末尾の発音しない文字だけ、フォントの色を黒からグレーに変換します。一曲の歌詞をA4版いっぱいにちょうど収まる様にフォントを拡大して、単語の末尾の発音しない文字の色を薄くしていきます。この操作をするだけである程度発音するかしないかが、頭に入ります。これを印刷した紙片を持ち歩いて音源を聞きながら確認することで、エリジオン・リエゾンが頭に入ってきます。ある程度頭に入った後は、発音しない文字を淡色にしたバージョンを一括して全て黒に戻して印刷しなおしたものを用いるようにしていました。

 ”習うより慣れろ”というのは普遍的な真実だと思いますが、フランス語の発音こそ正にこの言葉通りです。最近では単語の末尾の文字の色を変えなくても、ほぼ雰囲気で発音するかしないかが解ります。私が愛用しているフランス語の歌詞から発音記号を返してくれる「pronunciation.com」のサービスでも単語の末尾を発音するかしないかについては、結構誤変換があります。ということで、”雰囲気で何となく判る”ということが実に重要だと思う次第です。広く浅く何となく歌うよりは、少数に絞ったお気に入りの曲を徹底的に歌いこむ方が、この”雰囲気で何となく判る”段階に早く到達するように思います。


歌詞の覚え方が変わって来たような気がします

2016-09-14 23:00:47 | より良く歌うために

 実のところ今年の5月から、実質的な音楽活動は中断状態です。やっと先週末に二日続けて個人練習をしたところです。とは言え全く辞めてしまおうと思っているわけでもなく、ひたすらフランス歌曲の歌詞を覚えようとはしています。

 若いころは一つの曲の開始部から始まって順に終止部に向かってシーケンシャルに覚えていった様な気がします。アラフィフになった頃からか、前から順にと言うよりは、全体に薄墨の色が濃くなって最後に完全な黒になって一つの曲を覚えるような感覚になって来ていました。更にその後、特にフランス歌曲の詩に顕著な気がしますが、音源を繰り返し聞きながらですが、歌詞のアルファベ(仏語ではアルファベットではなくアルファベ)が浮かんで来るようになりました。

 大昔から、歌詞を覚えなければならない時に、映像のように歌詞が浮かんできたら良いのにと思ってはいました。それが全ての単語が浮かんで来るわけでは無いのですが、エリジオンやリエゾン等、前の単語の語尾の文字を、次に来る単語の先頭の文字が母音か子音かによって発音したりしなかったりする部分の文字のスペルが映像的に視野の中に浮かんで来るような気がします。無論音源だけを聞くことで覚えようとしているわけではなく、フランス語の歌詞を印刷した紙片を常に持ち歩いてそれを見ながら音源を聞くことと、音源のみを聞いて歌詞を思い浮かべることとを交互に行ったりしています。

 フランス語の発音は日本語のカタカナでは最も表しにくい言語とも言われていて、私は殆どカタカナでフリガナを振ることはせず、今は「easypronunciation.com」というサイトで歌詞をフランス語で入力すると国際発音記号で返してくれるサービスを利用して、歌詞のアルファベにルビを振って発音の補助としています。慣れてくるとアルファベだけで十分に発音がわかるので途中からは発音記号無しに切り替えたりしています。

 イタリア語やドイツ語の歌詞を覚えるときには、殆どこの様な現象が生じた記憶はありません。おそらくスペルによって、あるいは前後の母音と子音の関係で発音が変化することが(殆ど)無いからではないかと感じています。スペルと発音との乖離(変化)が最も顕著な言語である英語の場合は、長年勉強しまた仕事で今でも頻繁に読み書きしていることから、既に十分に慣れていて映像を思い浮かべる必要も無いからだろうと思っています。

 この様な感覚でロシア語まで読めるようになりたいものですが、ロシア語の場合はまだ文字自体に慣れていないため、全く歯がたたず、結局生涯を完結するまでにロシア語の歌は一曲も歌わずに終わってしまうような気がしています。


歌、特に外国語、更に言えばフランス語やロシア語等の馴染みのない言語の歌を歌う準備

2016-09-02 22:30:31 | より良く歌うために

 歌を歌うための準備に必要なもの、私の場合は何よりも先ず楽譜です。楽譜さえ手に入れば、パソコンで音源を作成して音取り、歌う練習と進みます。歌を勉強されている方であれば同意いただけると思いますが、音を取るよりも歌詞を覚える方が遥かに手間がかかります。経験豊かな指導者ほど、音取りよりも歌詞、発音に時間を取ります。

 今や、CDやネット上の音源などを携帯音楽プレーヤーに取り込んでオフラインでも何時でもどこでも聞きたい時に聞ける便利な時代になっています。私の場合も当然通勤やその他の移動時間に聴き込んで歌詞を覚えるように努力しています。とは言え楽譜を常に持ち歩くわけにも行かないので、歌詞カードをA4版1枚以下になるように作って、出来るだけ持ち歩くようにしています。

 歌う機会が多いことと発音が似ていることから、イタリア語の歌詞の方が覚え易い気がします。その次がドイツ語ですね。イタリア語とドイツ語(その他の言語でもそうですが)を歌う時に最近最も気をつけているのは、「L」の発音で舌を巻かないことですね。歌詞の暗記がいい加減だと、「L」でも舌を巻きがちになります。聴衆の中にネイティブがいなくても、今時留学経験のある日本人の方も珍しくないので、後で指摘されることもあります。

 フランス語の発音はカタカナでは最も表しにくいそうで、私自身もカタカナでフリガナを振るよりは発音記号の方が既に慣れています。しかし発音記号だけでは全く心もとないので、様々な音源を出来るだけ多く聞いて、間違いなくネイティブと思われる音源を選んで繰り返し聞くようにしています。そうやって聴き込んでいると、ネイティブと思っていても結構発音が異なることに気が付きます。フランス語の場合、リエゾンやアンシュヌマンの様に次に来る後の先頭の文字が母音の場合、その直前の後の最後の子音や母音が、後ろの語の発音の先頭に音価が移動することがあります。それがまた、必ずリエゾンする語の組み合わせもあれば、話し手の好みでリエゾンしてもしなくても良い場合もあるということです。

 更にそれ以外に、やはりフランス語にも方言というか訛りというか、何となく雰囲気の違いを感じることもあります。後で気が付くとフランス語ネイティブには違いないが、ベルギー人だったということもありました。

 その様なこと以外に事前に確認しておくべきこともあります。楽譜の誤植ですね。音符が間違っていることもありますが、歌詞が間違っていることも珍しいことではありません。合唱団の最初の練習時に歌詞の読みを確認することの中には、誤植を訂正するという意味もあります。再版時に訂正が入って旧版と新版とでは歌詞が変わっているものもあったりします。

 私自身の経験としては、プーランクの「ルイ・アラゴンの2つの詩」の2曲めの「Fêtes galantes」の3節目の”On voit des voitures à gazogène On voit aussi des voitures à bras”の部分が、どうしても楽譜の音価に対する単語の割り付けが一致しなくて、これは絶対に歌詞の誤植に違いないと思って、ネット上で様々検索しましたが、この通りの記載しか見当たらず、あらためて正規の出版社版を購入した楽譜を確認したところ、やっと誤植ではなく、あまりの早口言葉とフランス語独自の音価の移動で私の理解がついていけなかったことが解りました。一方でゆっくりとしたバラードである1曲めの「C」の途中でも、私の耳に入ってくる発音と歌詞とが異なっているところがあって、念のためネット上で確認してみると、私が歌詞カード作成用に使用したテキストに余分な冠詞が入っていることに気が付きました。2曲めの「Fêtes galantes」は最初から最後までの極端な早口言葉なため、どうしても発音しなければならない言葉以外は出来るだけ端折っていますが、1曲めの「C」は逆に一語一語の音価が長くて、発音しなくても良い冠詞の類までじっくりと聴き込んでしまうための時間があるからだと思った次第です。

 いずれにしても歌は音を歌うのではなく、詩をうたうものと思っています。歌詞を確認せず、意味も判らずに歌うのは避けたいと思います。特に「C」はそのメロディーの美しさから、プーランクの歌曲の中では最も歌われる曲ではないかと思います。人が歌っているのを聞く機会もプーランクの作品の中では最も多いと思います。その中にはこの歌い手は歌詞の意味を何も理解せずに、メロディーの美しさだけを歌っているな、と思うことがあります。それなら歌うよりも楽器で旋律を演奏するほうが良いのではないのかな、と思います。


最高音域の拡大  自身への固定ということ

2016-07-19 22:53:57 | より良く歌うために

 講座での川井弘子先生の発言ですが、真面目な人が多すぎてこれが良いと思うとやり過ぎて失敗する人が多い、適当に良い加減で向かい合っている人の方が成功していることが多い。全くその通りだと思います。レッスンを受けて先生からああしろこうしろ、あるいはこの様に歌った方が良いと指摘されると、出来ることは直ぐに対応できます。その程度には自分の発声器官をコントロールする術は身につけています。しかし、どの様な歌い方が最も良いかということが自分では判りません。これは自分以外の聴衆は全て空間を伝播する音声のみを聞いているのに対して、自分だけは空間伝播音以外に骨伝導音を聞いているからですね。

 異なる先生のレッスンにおいても、複数回先生の指導のもとに喉の脱力などについて指摘を受けながらであれば、複数回High B♭を実声で出せているのですが、歌ではレッスン中においてもHigh Aがギャンブルです。それでも僅かづつは進歩しているようで、Asまでは何とかなりつつあるとも思いますが、High Aがある曲のHigh Aが迫ってくると、決して出せない筈はないのにもかかわらず、スィートスポットの周りにブラックホールの様に大きな口を開けて待ち構えている撃沈ホールに自ら突入していく自分がいます。

 これはこれまでの声楽人生における全てのHigh Aトライアルの99%以上は撃沈していて、ようやく最近になって僅かに成功する体験を得られたものの、いざ本番でのHigh Aトライアルとなると、過去の経験において圧倒的に撃沈した記憶に囚われているということですね。これを克服するためには、正攻法としてはレッスンの発声練習で兎に角High A High B♭を出してその感覚を自分自身に固定するということですね。しかし私のようにこれまでの声楽人生で圧倒的に失敗してきた経験が自分自身の感覚に固定されている場合は、相当の成功体験を身体に覚えさせる必要がありそうです。

 というのも、High A High B♭が成功した時と失敗した時で何が違うのか、自分で判っていないからなんですよね。この相違点がはっきり判れば成功率が格段に良くなると思います。相違点をきちんと見つけようというのが科学的なアプローチなんだろうと思います。一方で考えるからブラックホールに落ち込むということも十分にあり得ると思います。成功した時に何が違ったのか判らないというのも、相違点を考えなかったから成功したという可能性もありますよね。意識すると自ら墓穴を掘るので如何に意識しないかを追求する、ところがここで追求するということは意識するということになるので、如何に追求しないで意識の外に置いておくか、ということで蒟蒻問答になってしまいます。”無の境地”と言えば格好良いですが、ここでやはり川井弘子先生の「本番で歌う前は技術的なことは考えずに歌詞の内容をもう一度思い浮かべるほうがよっぽど良い」という言葉がずっしりと響いてきます。

 プーランクの「ルイ・アラゴンの二つの詩」の第一曲目の「C」には跳躍でのHigh Asが出てきます。ロングトーンでも無く短い音価でもありませんが、弱音で柔らかい響きが求められます。ポップス系で言うところのミックスドヴォイスの様に幾分ファルセットを混ぜたソフトな声が必要です。この発声が最高音域を安定して発声するための非常に良いトレーニングになると受け止めています。もう一曲、シューマンの「詩人の恋」の「Ich grolle nicht」のHigh Aですね。こちらはffでのロングトーンで曲全体のマキシマムにもなっています。こちらはガツンと息の力で音程をキープする技術が必要なんだろうと思っています。今のところ「C」のHigh Asは射程圏内で、「Ich grolle nicht」はその先だと思っていますが、これら2曲以外にもHigh As High Aが出てくる曲もあるので、何とか最高音域を自分自身の感覚に固定したいと思っている今日この頃です。というか最高音域拡大は声楽をするものにとっての永遠の課題ですが、その方法を以前よりは具体的にイメージ出来るようになっている今日この頃、ということですね。


放送大学集中放送授業

2016-07-18 14:37:27 | より良く歌うために

 放送大学のカリキュラムですが、45分の講義を15回放送するのが標準になっているようです。4月1日から7月21日が第1学期で、この内4月29日から5月5日のゴールデンウィークは、”ゆとりの期間”ということで別のプログラムが放送されます。さて1学期末の7月21日が近づいてきており、私が最も楽しみに聞いていた「西洋音楽史」も既に15回目の最終講義を終了しています。2学期に再放送があるだろうと思ってカリキュラム=番組表を確認してみたら、7月22日から9月30日までの間が、週に一回ではなく連続した日での再放送による”集中放送授業期間”となっていました。

 「西洋音楽史」の集中放送は、9月1日(木)から15日(木)の2週間、22時15分から23時までですね。今度こそ全15回の講義を録音しようと思っています。

 その他、自分なりの「西洋音楽史」の理解を深めるために聞いておきたい講座、あるいは仕事柄の興味で聞いておきたい講座を列記して自身の備忘録としておきます。

 西洋政治理論の伝統 7月22日(金)~8月5日(金) 8:15~9:00

 中世・ルネサンス文学 7月23日(土)~8月6日(土) 15:15~16:00

 20世紀中国政治史研究 8月16日(火)~8月30日(火) 16:00~16:45

 近代哲学の人間像  8月23日(火)~9月6日(火)  17:30~18:15

 著作権法概論 9月1日(木)~9月15日(木) 6:00~6:45

 日本の近・現代 9月16日(金)~9月30日(金) 13:45~14:30

 西洋音楽史 9月1日(木)~9月16日(木) 22:15~23:00

 

 また、特別講義ということで、1回限りの講義もあります。その中で聞いてみようかと思うものは

 心に響く音文化(おんぶんか)第1回「民族音楽学への招待」 水野信男 8月13日(土)9:45

 心に響く音文化(おんぶんか)第2回「中東の音文化」 水野信男 8月14日(日)9:45

 音楽表現と情報環境 タケカワユキヒデ 9月30日(金)11:15

 シャンソンの女王~エディット・ピアフ物語~ 吉田進8月26日(金)21:30

 江戸農書からみる現代農業と日本社会 徳永光俊 8月6日(土)21:30

 ネアンデルタール人はなぜ滅びたのか 赤澤威 8月6日(土)10:30

 モーツァルトがあなたを癒やす 和合治久 7月22日(金)15:15

 ワイン産業と地域ブランド 竹中克行 8月24日(水)21:30