より良い音程で演奏するために必要なのは、より厳密な音程のイメージを持つことですね。自分で音程を作る楽器であるヴァイオリンを弾くようになって、あらためて認識しました。練習曲を弾くときに痛感しましたが、弾くべき旋律の音程を予めイメージしていないと容易に音程が狂います。歌うように弾く、ということは自分で歌う時の用に表情を付けるという意味以上に、音程を予めイメージするということだと思います。とは言え、ヴァイオリンの4本の開放弦の音のソ、レ、ラ、ミの同音とオクターブについては、他の開放弦が共鳴してくれるので弾きながら容易に音程を修正できます。
なので、音階=スケール練習をしていると一方向に高くなりっぱなしとか低くなりっぱなし、ということはありません。ただ左手がどうしても体に近づいてくるので途中の音程は低くなるよりは高い方向にズレがちです。良く調整されたヴァイオリンというのは、低い方の隣の駒とテールピースの間の弦の音が高い方の隣の開放弦のオクターブで共鳴するのだそうです。この様に様々に調整された楽器であれば他の弦の共鳴によって正しい音程感が自ずと身につくようです。
歌=声楽の場合は、人間の体は同じ状態を続けるのは苦手に出来ています。10分とは言わずに5分、3分であっても、歩いたり走り続けることは可能ですが、直立不動で立ち続けることは極めて苦しいと思います。声を出す、普通に喋り続けることは5分、10分可能であっても、歌声として同じ音程や大きさで同じ声を出し続けることは難しいと思います。一定の音程・音量で声を出し続けるには、息を次から次へと出し続けるイメージが必要です。常にポンプを漕ぐイメージとも言えましょうか。この息の送り方が出来ない人は自然と音程が下がるか音量が下がるか、あるいはその両方になりがちです。ヴィブラートはこの声の音程・音量を下げないために常に音程を動かす方策とも言えます。太く豊かになるイメージもありますが、ハーモニーを濁らす影響もあります。より美しいハーモニーを作るには、ノンヴィブラートあるいはノンヴィブラートから最小限度のヴィブラートでハーモニーを確認することが必要だと思います。
声楽にしろ器楽にしろ、最も重要なのは音程に対するシャープなイメージを持つことだとあらためて実感しています。平均律と純正律の違いは、その曲が平均律で演奏されているか純正律によって演奏されているかによって、自ずとイメージが出来ていると思います。普通のイメージでは平均律で、アカペラの教会音楽の様な雰囲気を感じる場合は純正律だと思えば良いでしょう。その程度のイメージだけで平均律か純正律かは自ずと調整出来ると思います。あるいはその違いがイメージ出来なければ、歌い分ける・演奏し分けることも出来ないので、気にしてもしょうがないということでしょうね。ひたすら聞き込んで音程感のイメージを自分の中に焼き付けることです。あるいは歌い込んだ・繰り返し練習した曲というものも、自然と目指すべき音程感が自分の中に出来てくるように思います。自分で納得できるところまで歌い込む・練習するということですね。