goo blog サービス終了のお知らせ 

生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

より良い音程で演奏するためには

2016-11-08 22:59:25 | より良く歌うために

 より良い音程で演奏するために必要なのは、より厳密な音程のイメージを持つことですね。自分で音程を作る楽器であるヴァイオリンを弾くようになって、あらためて認識しました。練習曲を弾くときに痛感しましたが、弾くべき旋律の音程を予めイメージしていないと容易に音程が狂います。歌うように弾く、ということは自分で歌う時の用に表情を付けるという意味以上に、音程を予めイメージするということだと思います。とは言え、ヴァイオリンの4本の開放弦の音のソ、レ、ラ、ミの同音とオクターブについては、他の開放弦が共鳴してくれるので弾きながら容易に音程を修正できます。

 なので、音階=スケール練習をしていると一方向に高くなりっぱなしとか低くなりっぱなし、ということはありません。ただ左手がどうしても体に近づいてくるので途中の音程は低くなるよりは高い方向にズレがちです。良く調整されたヴァイオリンというのは、低い方の隣の駒とテールピースの間の弦の音が高い方の隣の開放弦のオクターブで共鳴するのだそうです。この様に様々に調整された楽器であれば他の弦の共鳴によって正しい音程感が自ずと身につくようです。

 歌=声楽の場合は、人間の体は同じ状態を続けるのは苦手に出来ています。10分とは言わずに5分、3分であっても、歩いたり走り続けることは可能ですが、直立不動で立ち続けることは極めて苦しいと思います。声を出す、普通に喋り続けることは5分、10分可能であっても、歌声として同じ音程や大きさで同じ声を出し続けることは難しいと思います。一定の音程・音量で声を出し続けるには、息を次から次へと出し続けるイメージが必要です。常にポンプを漕ぐイメージとも言えましょうか。この息の送り方が出来ない人は自然と音程が下がるか音量が下がるか、あるいはその両方になりがちです。ヴィブラートはこの声の音程・音量を下げないために常に音程を動かす方策とも言えます。太く豊かになるイメージもありますが、ハーモニーを濁らす影響もあります。より美しいハーモニーを作るには、ノンヴィブラートあるいはノンヴィブラートから最小限度のヴィブラートでハーモニーを確認することが必要だと思います。

 声楽にしろ器楽にしろ、最も重要なのは音程に対するシャープなイメージを持つことだとあらためて実感しています。平均律と純正律の違いは、その曲が平均律で演奏されているか純正律によって演奏されているかによって、自ずとイメージが出来ていると思います。普通のイメージでは平均律で、アカペラの教会音楽の様な雰囲気を感じる場合は純正律だと思えば良いでしょう。その程度のイメージだけで平均律か純正律かは自ずと調整出来ると思います。あるいはその違いがイメージ出来なければ、歌い分ける・演奏し分けることも出来ないので、気にしてもしょうがないということでしょうね。ひたすら聞き込んで音程感のイメージを自分の中に焼き付けることです。あるいは歌い込んだ・繰り返し練習した曲というものも、自然と目指すべき音程感が自分の中に出来てくるように思います。自分で納得できるところまで歌い込む・練習するということですね。


音程は全てに優先するか?

2016-11-07 22:43:43 | より良く歌うために

 「音程が全てに優先する」という音楽表現の分野があることは確かです。例えばプロとアマチュアのオーケストラや合唱を聞き比べれば、ハーモニーの純度・透明感が異なることが分かると思います。とは言えあらゆる場合に「音程が全てに優先する」訳でも無い様に思います。ハーモニーの美しさを売り物とするオーケストラや合唱ほどには、独奏や独唱では音程に五月蝿くないように思います。

 音楽愛好家にとってインターネットの普及の思いがけない(負の)効果としては、動画サイトに必ずしも上手くない演奏までアップされているということがあります。上手い演奏と下手な演奏とを同じ作品で聞き比べることが容易に出来るので、鋭い音感の持ち主でなくても何となく気持ち悪い演奏だと思って聞いていて、そうか音程がぶら下がっているのが原因だと思い至る機会が増えました。

 ハーモニーを構成する各々の音程と旋律に求められる音程とでは、その正確さに違いがあると思いますが、純正律と平均律との違いを考えれば、平均律に完璧に調律されたピアノとオーケストラによるピアノ協奏曲では、むしろハーモニーが濁ることになるのではないかとも思います。チェロの近代的奏法を確立したパブロ・カザルスは導音や上行音形での半音は高めに、下降音形での半音は低めに意識して弾いていたとも聞きます。

 あるいは私自身にはその様な技術はありませんが、ソリストはオーケストラから自分の音を際だたせるために僅かに高めに演奏するとの話も聞いたことがあります。とすれば「音程は全てに優先する」というよりも「音楽表現としての完成度が全てに優先する」と言い換えても良いような気もします。何れにしても聞く立場であれば気持ち悪いと思ったら聞かないという選択をすれば良いだけの話です。演奏する側としては、他人に不快感を共用するような演奏は慎まなければならないでしょう。では如何にしてより純度・透明感の高い演奏をするか。その為に最も必要なことは、純度・透明感の高い音楽のイメージを具体的に自分自身の中に持つ、ということだと思います。闇雲に練習するよりも、むしろ本当に良い演奏を聞くほうが効果的ではないかと思います。練習を録音して、それを何度も聞き直す方もいると思いますが、自分自身の演奏の良し悪しを確認するだけに留めるべきで、何度も繰り返し聞いた際に当該録音が手本とするべき完成度に達していない場合は、むしろ欠点を刷り込むことになるので逆効果にしかならない危険性があると思います。

 音痴を直すには、優れたオーケストラの演奏を聞かせることが一番、という話も聞いたことがあります。


歳をとったから声が揺れるわけではない

2016-11-02 23:06:36 | より良く歌うために

 本日のタイトルは、「歳をとったから声が揺れる」わけではない、と「」を付けるのがより正しい表現になろうかと思います。これは私が尊敬する川井弘子先生の発言です。では何故歳をとると声が揺れるように感じる人が実際に居るのでしょうか。川井先生の解説を私なりに理解した内容ですが、要するにそれまでに蓄積してきた発声方法の真価が問われていると考えるべきということだと思います。正しい発声方法を身につけていれば、何歳になっても声が揺れることはないとの主張があると思っています。それなりには歌えるけれども本質を捉え損なっている発声方法しか身につけられなかった人にとっては、年齢を重ねて筋力などが弱って来ると声が揺れるようになる、ということだと思います。

 齢を重ねてから声が揺れるようになった方には、かなり残酷な一言だろうと思います。もはや取り返しがつかないかも知れません。それでも、100%は取り戻せないまでも、何とか許容範囲まで回復する可能性もゼロではないと思います。何よりも大切なのはどの様に歌いたいのか、そのイメージを再検討することだと思います。もっと良い発声法で歌えるにも関わらず、その様に歌おうとしないために下手な歌い方しか出来ない声楽家・声楽愛好家の方が遥かに適正な歌い方をする声楽家・声楽愛好家よりも多いと思います。

 他人が聞く自分の声を決して聞くことの出来ない声楽に限らず、自分の体の外に音源がある器楽=楽器演奏ですら、自分の演奏を録音して聞くことが有効だそうです。求める発声法のイメージが間違っていれば、絶対に理想的な発声法に到達できる筈がありません。そのためには本当の超一流の演奏を聞くことが最も有効だと思います。名人の演奏は程よい脱力感で伸びやかな演奏・歌唱になっていると思います。良い演奏に出会えれば一回で求めるべき演奏のイメージを刷新することは可能です。プラシド・ドミンゴでさえキャリアの最終盤になってテノールからバリトンにレパートリーを広げたというかシフトしています。声質・声域が多少変わったからと言ってドミンゴのシモン・ボッカネグラの歌唱の声が揺れているわけではないですよね。力まずに伸びやかに歌うこと、張り上げるのではなく少し頼りないぐらいの感じでも息をスムースに流すこと。最後は録音して確認することですね。60代、70代になっても揺れない声で歌いたいと思います。


基本姿勢とは静的なものではなく、準備ができているかどうかです。

2016-10-28 22:54:38 | より良く歌うために

 昨日のブログをアップした後で少し反省しました。その心は少々脱力を強調しすぎたかなと言うことです。両手を目一杯上に伸ばした後で完全に脱力すると脱力し過ぎ、とは書きましたが、脱力だけが重要ということでもありません。全体のバランスが重要ということはその通りですが、それだけでもありません。

 何が必要かというと、体の軸が出来ているということが重要です。それも力まない範囲で出来るだけ太く真っ直ぐな柱が、自分の体の重心を垂直に貫いて、その延長線が頭のテッペンから上に伸びているイメージとでも言いましょうか。特に声楽の場合はその柱とは息の柱というイメージとも重なります。声楽の指導者によっては自分の頭上10m位まで息の柱を立てるイメージという表現を使うこともありますが、全くその通りだと思います。

 別の言い方をします。走行中の電車や自動車では、常に移動する車体からの加速度を受けていますよね。無意識の内に姿勢を保とうとして全身の筋肉を使っています。その状態では静止状態よりも遥かに声が出やすいのだそうです。つまり、突然の揺れに対しても常に対応できるような最小限の緊張を保っている状態、これが常に準備が出来ている状態と言っても良いと思います。前後左右どちらからでも、気が付かずにいきなり他人から押されてもよろめかない程度の緊張=準備が出来ていること、これが基本姿勢です。その時の状況によって多少前後左右に傾いていようがねじれていようが構いません。それよりも押されてもよろめかない=体の軸が出来ているということが決定的に重要なのです。その延長上にオペラ歌手のように座っても歌える、寝ながらでも歌える境地があります。

 器楽では立っての演奏=立奏もあれば座っての演奏=座奏も当たり前ですね。しかし寝ながら演奏する楽器は思い浮かびません。とは言え楽器奏者の方には寝ながら演奏しなければならない必然性がないからそうしないだけで、寝ながら演奏しろと言われれば出来る人も居るに違いないと思っています。しかし誰でも出来るというよりはしっかりと基本が出来ている奏者だからこそ出来るのだろうと思います。あくまでも余興としてではありますが、ピアノに背を向けて、体の後ろ側の鍵盤を起用に演奏するピアニストも知っています。


良い姿勢の確認 歩き方 靴底の減り方?

2016-10-27 22:26:22 | より良く歌うために

 職場は都内のオフィス街です。最寄り駅から職場があるオフィスビルまで10分じゃくほどの道のり、改札口から吐き出されるビジネスパーソンの列が続きます。男性の方が多いとは言え女性の数も少なくありません。殆どの女性はヒールを履いています。後ろ姿のきれいな方も多いのですが、歩き方のきれいな方は必ずしも多くありません。というか、半分以上の女性の歩き方には変な癖があるのではないかと、平素より気になっています。

 路面からヒールが離れる直前に踵が内側に傾く癖のある人が多いように思っています。クィックィッと内股(=X脚)になってからヒールが路面から離れる様に見えます。それ以外の癖も色々あります。あんな歩き方ではさぞかしヒールが片減りするのではないかと心配になりますが、ご本人は気が付かないものでしょうか?

 まあ歩き方に癖があるからと言って、歌う際や楽器を演奏する際の立ち姿が歪んでいるとは一概には言えないとは思います。それでも歩き方に癖のある人を見ると、この人が歌ったり楽器を演奏する時の立ち姿はどの様であろうかと想像をたくましくしてしまいます。ちなみに男性が歩く時の後ろ姿にはそもそも関心がないということもありますが、ローヒールなため歩き方の癖が強調されず判りにくいということがあります。

 軽くジャンプして着地した時の姿勢、と言うのが自分なりの姿勢のチェックとしては一つの基準になろうかと思っています。その他には目一杯伸びをした後で脱力するということもありますが、脱力しすぎになるきらいがあるように思います。あるいはマリオネット(操り人形)の様に頭の天辺から糸で吊るされているイメージというのも悪くないと思います。特に日本人は猫背が多いにも関わらず、自分は猫背ではないと思いこんでいる方が多いです。以前にもこのブログでも指摘した記憶がありますが、プロオーケストラの演奏会でたまたま舞台上に張り出している側面の2階席の先頭位置付近で殆ど合唱団の真横の席から聞いた機会がありましたが、合唱団員の半分以上の肩の頭が明らかに体よりも前方に落ちていました。頭を引き上げるだけでもっと良い発声になるだろうにと愕然とした記憶が今でも蘇ります。おそらく指導者は姿勢についても注意していると思いますが、頭が前に落ちている団員の殆どは指導者が注意している際に自分は出来ていて他の団員のことを注意していると思いこんでいるのだと思います。個人レッスンと複数相手の指導との違いが此処にあると思います。グループレッスンであっても指導者の注意が全て自分に向けられていると思える生徒は上達すると思いますが、自分にではなく他の生徒に対する注意だと勘違いする人は、上達は殆ど期待できないと思います。

 とは言え、結果が全てという考え方もあります。此処での結果が全てというその心は、声楽で言えば最も良い声が出る時の姿勢が良い姿勢、というものです。楽器の場合は最も良い音色を奏でられるとき?あるいは最も高い演奏パフォーマンスが出来る時の姿勢が良い姿勢です。これはこの通りです。但し、たまたま偶然に思いの外良い演奏が出来るということもあり得ないことではありません。再現性良く、良い声、良い音色、高い演奏パフォーマンスを発揮できることが重要です。そして再現性良く演奏できる時に共通するものもまた確かにあると思います。程よいリラックスと必要十分にして最低限の緊張。

 程よい脱力と全体のバランス。良い演奏のための秘訣と聞かれたら、今ならこの様に答えます。ある時期は、人間は意識して力を入れることは出来るが意識して脱力することは出来ない、等と考えていた時期もありますが、そんなことはありません。意識して脱力することも出来ます。そのためのきっかけとして先ずは思い切り力を入れてみて、次にその力を入れることを止めてみることです。それによって脱力するという意識を確認できます。現在、ヴァイオリンを弾く時の左手に言い聞かせている毎日です。