一生のうちに必ず *
ケイタくん、
「質問の続きなんですけど、
題目を唱えると、打てば響くように仏の命が現れると言われましたが、
それは直ちに、すぐ現れるということですか。」
ジッチャン、
「ケイタくん、きょうはずしぶん冴えているね。
そのとおりなんだ。
題目を唱えて暫くたってとか、一定の時間が過ぎて仏界が現れるという
ことではないんだ。
九界の命と仏界の命は、私たちの命に同時に具わっているから、
題目を唱えると、今まで出ていた九界の命が隠れて、仏界がすぐ出るの
だ。
スイッチオンにすると電気がパッとついて、暗い部屋でも明るくなるが、
それと同じだね。
大聖人は、
磁石が鉄をひきつけるように、
体に影がついて離れないように、即座に仏界が現れるとおおせだ。
ただ私たちはスイッチオンにした経験がないから、
いつもオフの状態が当たり前だと思い込んでいるので、オンにして仏界
が現れても気がつかないんだ。
部屋が明るくなっても目をつぶっていては分からないからね。
それと同じだよ。
自分の命に仏界が現れているのを感じるには、仏界を認識する智慧が
いるのだ。この智慧は題目を唱える修行を続けていけば、今、生きてい
るこの世で必ず得られると大聖人はおおせだ。
御書に、
「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず
成仏すべし。
たとえば春夏田を作るに早(ワセ)晩(オク)あれども一年の中に
は必ずこれを納む。法華の行者も上中下根あれども、必ず一
生の内に証得す」 ( 一念三千法門より引用 )
注、 法華経の行者と如説修行
御本尊を授受し、題目を唱え、他にもすすめる人を法華経の行者といい、
その通りに実践することが如説修行である。
注、 ワセ、オク 上中下の機根
収穫時期が早いイネをワセといい、遅いイネをオクという。
機根というのは、人によって仏教を受け入れる性分や能力に違いがある
ことをいう。
つづく