自在の身になる *
「法華経(御本尊)を信じる者は幸いを万里の外より集むぺし」
と日蓮大聖人は仰せです。
最近つくづく感じることは、この御金言にゼッタイ間違いないという
ことです。朝の目覚めから、七十六年生きてきたがこんなに気分のよ
い朝を迎えたのは始めてだ。から始まって...
毎日自分の願ったことが実現していくのに驚いています。これは兆し
でしょうが、さらに信仰を深めていけることが楽しくてなりません。
自分をどこまで変えられるかが勝負だと思います。
(敬老の日を迎えて)
自在の身になる *
「法華経(御本尊)を信じる者は幸いを万里の外より集むぺし」
と日蓮大聖人は仰せです。
最近つくづく感じることは、この御金言にゼッタイ間違いないという
ことです。朝の目覚めから、七十六年生きてきたがこんなに気分のよ
い朝を迎えたのは始めてだ。から始まって...
毎日自分の願ったことが実現していくのに驚いています。これは兆し
でしょうが、さらに信仰を深めていけることが楽しくてなりません。
自分をどこまで変えられるかが勝負だと思います。
(敬老の日を迎えて)
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法華経の行者 十六
風で庭に散った枯葉を片付けたりょうは、囲炉裏のある茶の間でお
茶を飲んでいた。外で冷えた体に、囲炉裏の火と熱いお茶は寒気を吹
き飛ばすようで心地よかった。
娘の香はじいやについて出て行ったまま、まだ帰っていなかった。
昨日、じいやが川に仕掛けたウナギ取りの竹筒を引き揚げ、中に入っ
た獲物を捕りに行ったのだが、香も見たいと言ってついて行ったの
だ。
<まるで男の子みたいな勝気な子だわ>
りょうは香のことをそう思っていた。香のいない家の中はシーンとし
て静かだった。りょうは、行方の知れない母のことに思いをめぐらせ
た。母の梅のことを思い出す度に、忘れられない光景が脳裏に蘇って
りょうは、眉をひそめるのだ。
それは、りょうが十六歳になった夏の日のことだった。
手習いの師匠のところでつい遅くなり、急いで家に帰ったときだっ
た。見慣れない男物の履物が玄関の土間に脱いであった。京に行って
いる父は帰っていないはずだが、誰か客でも来ているのだろうか、
りょうは不審に思いながら、
「ただいま」
と言って、座敷の方に行こうとした時だった。仏間のある奥の部屋で
女のうめくような声がした。
<なんだろう、>
思わず足音をひそめてりょうが奥の間に近づいたとき、それまで聞こ
えていたうめき声が途絶え、突然女が悲鳴をあげた。
りょうが聞いたことがない言葉だった。
たしか、「あれえー 」と叫んだようだった。
薄暗い家の中に慣れたりょうの目に入ったのは、母親とは思えない梅
の姿だった。
裸になった梅の体に、馬乗りになった男が両手で乳房を掴み、激しく
腰を上下に動かしていた。
つづく
大我(仏界)に生きる以上の幸せはない *
質問があります。
「仏界を現していない九界の凡夫の私たちが、仏界を現し歓喜の境涯
になるには、日蓮大聖人が書き現された御本尊に題目をあげるしかな
いのですか」
お答えします。
「日蓮大聖人の御命である御本尊に、南無妙法蓮華経と唱えるほかに
仏界を現す方法はありません。
御本尊に向かって一遍の題目をあげれば、一遍の題目にも仏になる種
子が含まれています。題目はたくさんあげるにこしたことはありませ
ん。
さらに大聖人は、
正法像法時代と違って、末法に法華経を修業して仏界を得るには自行
(自分の成仏のため)と化他(他の人の成仏のため)の修業が必要である
と述べられています。
末法の時代に生まれてくる人は、前代の人よりも罪業が深い法華経を
誹謗(正法に背きけなすこと)した人たちであるからです。
法華経の肝心であるご本尊が建立された国は、日本国をおいてほかに
ありません。その御本尊を現した大聖人を国中の人が迫害しました。
大聖人は謗法の人が生み広げたのが日本国であると言われています。
外国には正像法時代の法華経がありましたから、それを誹謗した人は
謗法の罪によって罰をうけました。
しかし日蓮大聖人がおしたためになった御本尊に謗法する罪はそれ以
上に大きいのです。
前者は五逆罪の第一に当たる無限地獄の苦をうけますが、後者は大無
限地獄の苦を受けると云われています。
大無限地獄とは、生まれるたびにこれ以上ない苦しみの境涯に生じて
くることであるといわれています。
法華誹謗の罪を消すには、他の人に御本尊の素晴らしさを話すことが
一番近道です。他の人に御本尊の話をしますと必ず反対されます。
悪口を言われたり、軽蔑されたり、さまざまな難を受けますが、この
難を受けるたびに謗法の罪を消していけるのです。
大聖人は、
「浅き罪なれば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちなら
ば信心をはげまして消滅さすべし」 阿仏房尼御前ご返事1308頁
と仰せであります。
信心を励ましてとは、難を乗り越えて宿命転換をさすということであ
ります。
この稿おわり
法華経の行者 十五
その小柄な兵が小岩六助だった。小源太の近習たちが駆けつけたと
きには敵に囲まれて切り倒され、すでに息が絶えていた。もう十年ぐ
らい前のことである。
小源太はふと我に返った。
「彦四郎、お女中を屋敷に連れて帰って丁重に看病してやってくれ。
水は飲んでいないから大丈夫だが、このままでは風邪をひく。わしの
屋敷では人目について恥ずかしがるだろうから、暫くそちの家で看病
してやってくれぬか」
と言って小源太は時宗からもらった頭巾をぬいで、
「寒いからこれを頭に着せてやってくれ、顔も見られなくて丁度よい
だろう。」
と言って彦四郎に頭巾をわたした。
「とのはお一人で、」
「うん、一人でよい、幕府のお膝元だ、昼間から人を襲うような無法
者はいないだろう。早く行ってやれ。」
彦四郎は砂の上に泣き伏したままの女を抱き起こした。
「すぐに暖かいものをとらすから、しっかりするのじゃ。」
と励まして彦四郎は、自分の馬に女を乗せた。
「との、」
彦四郎の心配そうな顔に、早く行け、と目で合図すると小源太は馬に
跨った。
海水にぬれた袴が足にまといついて急に寒さを感じた。彦四郎が遠ざ
かっていくのを見届けると、小源太は激しく鞭をふった。
続く
これは奇蹟 ?
東京・銀座七丁目にN放送ビルがあります。
向かい側には資生堂パーラーがあり、しゃれた雰囲気のところです。
本道りに面しており事務所にはもったいないところですが、N放送の
東京支社が四回まで使い、五階以上は貸事務所にしていました。
もと御木本真珠の宝石店がありましたが、御木本が経営不振におちい
り極秘で買手を探していたのです。
この情報を入手したN放送のF社長は、早速銀行をくどいて金を借りこ
のビルを買い取ったのです。
私は景気のよいときこのビルの五階を借りて広告会社の事務所にし
ていました。兜町にある証券関係の会社と広告会社を経営して得意の
絶頂期でした。
そんな関係でF社長とも懇意になり、時には会食して広告業界のこと
について、いろいろ教えてもらっていました。
当時はレコード不況でレコードが売れず人材が余っていました。
F社長は新しい事業を進めるためにレコード業界に詳しい人材を求め
ていましたが、多くの応募者の中からAレコード会社で営業部長をし
ているB氏に白羽の矢を当てました。
B氏は業界でも名の通ったやり手だったのと、人柄のよさにF社長が一
目惚れしたのです。
双方が話し合っているうちに条件が決まり、、
長崎本社に勤務するこが決まって、一家が移転する社宅も決まりまし
た。社宅は百万ドルの夜景で有名な長崎湾を見下ろす高台にありまし
た。
広い庭つきの一戸建ての社宅の庭に立って湾を見下ろすと、夢を見て
いるような気持ちになりました。
渋谷の狭い家でくらしている家族に、これを見せたらどんなに喜ぶ
だろう。
B氏は意気揚々と東京に戻って、家族にこの話をしました。みんなも
喜んで新しい地でスタートをしようと賛成したのです。
そのときフトB氏は考えました。
Bは学会員で地区の責任者をし、家を拠点にしていました。
...自分たちはいいがみんなは寂しがるだろうな、長年のつきあいだ
し自分を慕ってくれる人もなん人もいる。
その人たちを見捨てて自分らだけ引っ越していいのだろうか...
長崎も魅力があるし、、散々迷った末BはN放送えの転職を断わったの
です。
それか四-五ヶ月経ったその年の夏、長崎は記録的な大豪雨にみまわ
れ、大惨事をおこしたのです。ガケ崩れで土砂に埋まった家屋数百
戸、二百人以上の人が犠牲になる大事故になりました。N放送がBに提
供しようとした社宅もその中にありました。
テレビに写し出される現場の状況を見ながら、 Bは..
「ご本尊様ありがとうございました。おかげで家族五人のいのちが助
かりました」
涙を流しながら感謝の題目をあげたのです。
続く