かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「懐かしい先輩方との再会」

2021年04月29日 | 大分県
『窓辺へとゆらりと風が舞い込んで
    会議レジメをめくってくれる』 
 


 
今日は、退職されている先生方の会の総会が行われました。
総会は制限されています。
そして、コロナ対策をしながらの会となりました。
 



総会をするためには、事務局の先生は大変です。
会計をしたり、レジメを作ったり・・・とかなりの仕事量があります。
「かったか」は、連絡員なので、事前に会費を集めたり、配布物を配ったりしましたが、まだ勤務をしているために、仕事量もわずかにしてくれています。
 



懐かしい先輩の先生方が集まってきました。
立ち話で近況を聞いたりしました。
 



会が始まり、冒頭は、「物故者への黙とう」です。



「物故者」なぜ、なくなった方を「物」という言葉であらわすのか不思議でしたが、ネットなどで見ると、「物」は「魂」を表しているという説もありました。
宗教家の方に聞けばもっとわかるかも知れません。
 



昨年度亡くなられた先生からたくさんのことを学ばせてもらいました。
 



5・6年生の担任の先生の「横光先生」。
自分が今、教壇に立って、指導をしているのは、先生から教えられたことなのかも知れません、と以前、先生にも話したことがあります。

「創造」していくことの大切さを徹底して教えてもらいました。
ソフトボールや野球を教えてくれました。
また「スポーツ少年団」を発足して、「サッカー部」を立ち上げました。
それにも所属させてもらい、休みのたびに、耶馬溪鉄道にのって、試合にも行っていました。
今でも野球をして、楽しめるのは、先生のおかげです。
当時のバットを今でも大切に持っています。

 



姉も担任してもらっていました。亡くなる直前、姉たちのクラスでは同級会を開催しました。弱った体で、車いすで、会場まで駆けつけたそうです。
会場が2階だったので、教え子たちが2階まで担いであげました。
それもすごいです。
そして、教え子たちとの再会後、間もなく他界されました。


最後までみんなの先生でした。
 
そこまでできる先生はすごいと思います。

 


本耶馬渓中学校勤務時代の校長先生だった、岩下先生。


「かったかくん。」と真面目に言っているのか、冗談なのかわからない話をよく聞かされました。
野球が好きで、よく試合や練習を見に来てくれました。


最後は、ベンチまで入ってくれていました。
退職後は、放課後子どもたちに学習を教えたり、趣味の陶芸に夢中になったりとたくさんの楽しみを持っていました。
「こんな生き方をしてみたい。」と先生を見ながらよく思っていました。
突然の訃報に驚きました。 

 



樋田小学校勤務時代、教頭先生だった山本先生。
たくさんの字を書いていただきました。
耶馬溪中学校の中学生だったころの教頭先生で、西谷小学校に勤務したときの校長先生だった松本先生。
本耶馬渓の歴史案内人として活躍されていた中島先生など、体にいっぱい「学び」を入れてくれた先生方がお亡くなりになり、手を合わせました。
先輩たちがいなくなるのは、寂しく感じます。

 


いろんな先輩方ともっと話をしたかったのですが、コロナ感染防止で制限もあります。
 

年に一度の会議です。
年に何度かふれあいレクもありますが、今年はどうなるのでしょうか。
 



セピア色の懐かしい時代を振り返る時間となりました。


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