かったかくんのホームページ

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「素晴らしき野球の仲間たち」

2018年08月06日 | 大分県
大学時代、入学してからすぐに硬式野球部に入部しました。

他の学年は、10数人の部員がいましたが、「かったか」の学年だけは、4人でした。
しかし、この4人がベストの布陣でした。


 
軽自動車に乗るときは4人まで。今はあまりしている人はいないと思いますが、麻雀などをするときも4人。
野球の練習が終わってから、4人で遊ぶことが多くありました。
だから今でも、よく集まって食事などをします。


◇Kるちゃんは、お互いの結婚式の時は、司会もしました。大学に入って、新入生のオリエンテーリングの時に、席が隣同士になって、鉛筆を借りたことから縁がつながります。

話をしているとKるちゃんとは高校は違うのですが、兄・姉同士が高校で同級生。その高校で2人だけ、同じ熊本の大学に進学をしています。

Kるちゃんの一番上のお兄さんは、いとこと同じ職場になったこともありました。

Kるちゃんとは、血液型も星座もみな同じです。同級会の飲み会の時は、ご家族の方にご迷惑をおかけしながら、宿屋になっています。
今は、市の中心者になって、活躍をしています。

敏腕なあこがれるKるちゃんです。




◇Yもとちゃんは、野球部では主将でした。温厚な性格で、チームをまとめていきました。

高校時代も主将で、チームを県予選で準決勝まで引っ張っていきました。存在感たっぷりです。

今回は、Yもとちゃんが地元企業の社長に就任したという名目で、お祝いの会を同級生で開催しました。努力家です。


唯一大学時代、車を(軽自動車)持っていたので、同級生4人がしっかりと利活用させてもらいました。

さすが、今は、大分の地元の大きな企業の社長ということで、知っている人も広いので、野球のチケット(もちろんお金を払いますが)をとってもらったりしています。日々、感謝。感謝。今、いろいろとお世話になっている方のN野さんがYもとちゃんの取引先にいます。

「Yもと社長、あまりかったかのために、チケットなんかで無理することはないよ。」
はいはい。



 ◇Yうちゃんは、宮崎を代表する捕手でした。新聞テレビに数々出場する選手でした。ドラフトにかけるかどうかプロも見に来たらしいですが、はいそこまででした。

でっかい体。大学に入ってからピッチャーに。思い出は、紅白戦の時に対戦して、顔面直撃のシュート回転したボールを当てられました。

病院に運ばれました。


しばらくは、口が開かない、動かない生活。でもおなかは減るという状態が続きました。

「すまんのう。うどんやに行くか。」

本当にすまないかどうかはわかりませんが、のんびりした宮崎弁の口調です。

お金を持たなくて、その日の練習の帰りに、当日開店のうどんやによりました。大

盛りうどんを3ばい食べて無料。口が動かない。でも食べないと、お金を払わないといけない。無理矢理、うどんを飲みました・・・。

初代横綱でしばらくは、うどんやに名前が掲げられました。

イケメンでピッチャー。でも優しいYうちゃんでした。



まだついこの間のような話ですが、もうお互いに「赤いちゃんちゃんこ」です。
「こんな大事な日を、家でないところで迎えるんかい。」
と同僚。


そっちも家族、こっちも家族です。
 


昔話から今の様子までにぎやかにしゃべりながら、あっという間に時間が過ぎていきました。青春のあの頃に戻りました。