普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

父・加藤千代三のこと ①

2010-12-27 14:53:53 | 父・加藤千代三の短歌
 ボクすらすでに還暦を越え、父・千代三が生きていれば、104歳になっている。いまから10年前の2000年2月に94歳で彼岸に渡った。
 明治時代人の気骨を保ちつつも、物腰の柔らかな人だった。ボクは彼が42歳の時の子どもで、実際に父と子の関係を自覚し得たのは、わずかに10年程度だったろう。
 なぜならボクが10歳という、運動能力も備わり、周囲との関わりを模索する程度ではあるが、それなりに人間らしくなる年代に父は既に52歳、当時の感覚で言えば初老に差し掛かり、父というよりはむしろ祖父といった方がいいような関係になっていた。しかもボクは20歳で家を出た。その間、わずか10年程度なのだ。
 一緒にキャッチボールなどの運動をした記憶はない。それも当然で、父は若かりし頃は、歌人であり、青年期は編集者・作家であり、壮年期には社会運動家であり、老年期には再び物書きに戻った。常に俗に言う文系であり、まったくの運動オンチだったのではなかろうか。なにしろ戦前の軍隊にも「丙種合格」という、当時としてはあまり誇れない成績でかろうじての合格だった。偏に運動能力の不足だったろう。
 この父のことを、時々書こうと思う。昭和の初期に、彼は島崎藤村の知己を得て、藤村の推奨で、当時できたばかりの岩波文庫の編集者となり、新潮文庫の編集者となった。その当時のことは、彼自身の著作『昭和前史の人々』に詳しいが、この書籍もすでに発行されてはいない。彼の書籍を少しずつ紹介もしたい。
 なぜこのような試みを思いついたかといえば、父・加藤千代三は、優れた物書きであり思想家でもあったのだが、遂に陽の目を見ることがなかった。一部では評価されたが、決して本人が満足できる成功は収められなかった。
 だが、彼の人間主義、生活主義という思想基盤は、今でも充分に社会に必要なファクターだと思えるのだ。混迷し迷走する社会の道標になり得るものだとも思う。
 だから、時々父のことを書くことにする。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする