行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

胡耀邦を追悼する歌は松山千春の「大空と大地の下で」だった!

2015-11-21 17:15:48 | 日記
湖南省長沙で胡耀邦をよく知る人物と話をしていて、胡耀邦を追悼する歌『好大一棵樹』(とても大きな木)を知っているかと聞かれてびっくりした。私がカラオケで持ち歌にしている松山千春の『大空と大地の下で』の中国語版だった。作詞者は中国中央テレビ(CCTV)の文芸担当ディレクター、鄒友開(1939年生まれ)。1989年4月15日、北京に戻る列車の放送で胡耀邦逝去のニュースを聞き、追慕の情から詞を作った。彼が抱いた追慕の情は、胡耀邦をよく知る者たちが共有したものであったろう。戦前の生まれであることを考えれば、胡耀邦が若者を愛し、文化大革命を経験した者たちの心を癒した存在として、まさに頼るべき「とても大きな木」にふさわしいものだったのだろう。

歌詞の訳は大要、以下の通りである。

頭の上に天が広がる 足は大地を踏んでいる 風雨の中で君は顔をもたげ 氷雪をものともしない

とても大きな木 どんなに強い風が吹こうと 葉にはそれぞれの物語が残る 楽しいことも苦しいことも

楽しくても笑顔を見せず 苦しくても涙を流さず 大地に緑陰の恵みをもたらす それは愛の音符

風はあなたの歌 雲はあなたの歩み 太陽の日も暗闇の中でも 人々に幸せを届ける

とても大きな木は 緑の祝福 君の思いは青空に広がり 広い大地に包まれる


原曲の歌詞は「果てしない大空と 広い大地のその中で」で始まり、「生きることが辛いとか 悲しいとかという前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ」と勇気を呼びかける。中国語の詞には大地に木が置かれ、それが強い意志、奥深い懐を持った人間の象徴として歌われる。感性と意志、日中文化の差異を見るようで興味深い。

やがてこの歌は人口に膾炙し、「大きな木」はあるべき教師の姿に置き換えられる。やがて9月10日の教師節(教師に感謝する日)に歌われるようになり現在に至っている。教師節は、党中央書記局の書記として文教を担当していた習近平の父親、習仲勲が教育部門からの要望を受け入れて建議し、1985年、全国人民代表大会で正式に制定された。文化大革命期、知識階級として迫害された教師の地位を向上させ、教育の復興を図るのが目的だった。当時、習仲勲の上司に当たる党中央書記局のトップ総書記は胡耀邦である。

習仲勲は文革後、胡耀邦の尽力で名誉回復し、一線に復帰した。二人は幾多の苦難を経て、異なる意見を許容し、圧力ではなく指導や教育によって人を導こうとする理念を共有していた。習仲勲が建議した教師節に、胡耀邦を追悼する歌が歌われるのは、偶然のめぐり合わせとはいえ、実にしっくりくる。これも縁なのであろう。

(長沙から北京までの機内にて)




生誕100周年を迎えた胡耀邦故居は小雨が降っていた

2015-11-21 04:07:26 | 日記
胡耀邦が生まれ育った湖南省瀏陽中和鎮は、同省の省都・長沙から100キロ。長距離バスで瀏陽市まで行き、そこからまた別のバス乗り場で乗り換えて中和鎮まで。長沙から瀏陽まではほぼ1時間おきにバスがあるが、中和鎮までは1日に計4本とのこと。帰りの便も考えると、「1日がかりになる」と聞かされ、タクシーをチャータすることにした。毛沢東故居のある韶山には高速鉄道の駅があり、長沙からも1日観光バスが出ており、かなり観光化されているが、それとは雲泥の差である。


生誕100周年の当日だが、カウントダウンの表示が「0日」になっているほかは、格別のにぎわいはない。近辺の農村から来たと思われる観光バスが数台停まっていたほか、マイカーが50台ほど並んでいた。外国人を含めすべての来訪者に開放されており、入場は無料である。秋の紅葉と小川の清水を楽しみながら散策できるようになっている。


土産店にもほとんど胡耀邦グッズは並んでおらず、地元特産の漬物や飴などが売られているだけだった。似ていない生誕100周年記念肖像画があったが、買っている人はいなかった。改装していた陳列館を楽しみにしていたが、24日にならないと一般開放はしないとのこと。どうも23日に指導者が着て盛大なセレモニーをやるらしい。20日は北京の人民大会堂で、習近平をはじめ常務委員7人が顔をそろえた記念座談会に重点が置かれ、地元はそれに続いてということなのだ。

故居の先、噴水のある大きな池を望む高台に何棟か新しい建物が並んでいた。まだ一般開放はされていない。「胡耀邦芸術館」の看板がかかっているものもあった。これから少しずつ整備が進められるのだろう。本人の名誉回復と同時に、規模も拡張していくというわけだ。だが毛沢東故居のように過剰な商業化が進むことは故人も親族も望んでいないだろう。もっとも知名度の低い胡耀邦ではそこまでの集客力はない。ただ忘れられていくのも悲しい。山里の風景を守りながら、若者が集う宿泊施設や学習施設に生まれ変わるのが、共青団を率いた胡耀邦にふさわしいような気がする。

故居入り口の巨石に赤い字で「廉」と大きく刻まれていた。やはり商業化とは程遠い。利益ばかりがもてはやされる社会に対する頑固な一文字だ。「今の党員に最も欠けているものだ」と語りかけているように感じた。赤い色が色あせないことを望む。

視察記の詳細は29日の講演会にまとめて行いたい。『胡耀邦文選』がこの日発行されたが、長沙市内の新華書店にはまだ届いていなかった。国内の一部報道を見る限り、多くの期待できそうにない。習近平演説も彼にしてはあっさりしているように見えるが、これについても日を改めて分析してみたい。

胡耀邦生誕100周年記念で大幅な名誉回復が行われるとの情報

2015-11-17 16:12:08 | 日記
胡耀邦生誕100周年記念についてはすでに触れたが、胡耀邦の長男、胡徳平氏の周辺で「習近平は最高レベルの格で記念行事を行う」との話が広まっている。総書記経験者にふさわしい『胡耀邦文選』のほか、第一巻で途絶えている『胡耀邦伝』も第二巻、第三巻が出版され完結するという。『胡耀邦画集』『胡耀邦在中央党校』も発行の予定で、11月20日の当日は、習近平が演説をするとみられている。

このこと自体、不遇な晩年を過ごした胡耀邦に対する大幅な名誉回復だと言ってよい。習近平にとっては父・習仲勲を迫害から救った恩人の胡耀邦に対する恩返しの意味合いを持つ。党の内外に支持者の多い胡耀邦の権威を利用し、政権への求心力を高める政治的効果も狙っているだろう。

だが問題は「最高格」の中身だ。総書記として真理と民主を重んじ、極端な言説を退け、異なる意見を尊重した開明的な胡耀邦の生涯に焦点を当て、そこから教訓を導き出さなければならない。正規の手続きによらない人治、長老支配による解任劇の実態についても光を当てるべきだ。歴史の事実に忠実な追悼がされるよう願う。いずれにしても2015年の「忘れてはならない四つの重要記念日」の最後の一つが、習近平政権を占う注目すべきイベントであることは間違いない。

金沢兼六園で和服を着ていた若い中国人観光客グループ

2015-11-17 14:16:00 | 日記
先週末、金沢に行った。兼六園に着くと小雨が降っていた。モミジの赤や緑が雨に打たれ、鮮やかな彩色の対比を浮き立たせていた。ハートの模様をつけた鯉は見つからなかったが、池の中で鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。精緻を極めた赤松が端正に雪吊りされていた。

兼六園の名が中国の古典『洛陽名園記』から取られていることを初めて知った。宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望、相矛盾する三組の美を兼ね備えた名園にあやかったのだ。大きさを追い求めれば深さを忘れる。人の手が入ってしまえばせっかくの古びた趣が損なわれる。池をたくさん作ってしまえば眺めの楽しみが奪われる。中庸と呼ぶべき工夫だ。

おやっと思ったのは、若い男女5、6人の中国人観光客グループが、貸衣装屋で借りてきた和服を着て歩いていた光景だ。せっかく小京都と呼ばれる古都に来たのだから、服装も古風に合わせようということなのだろう。着こなしは慣れていないが、いかにも楽しそうだった。もともと和服も中国から伝わったもので、呉服の呼び名を持つ。彼らは、庭にも服にも母国の文化が息づいていることを体感できただろうか。歴史と現代の邂逅を兼ねた情景は、いかにも兼六園にふさわしいと感じた。

中国人の和服姿で思い出したことがある。湖北省の武漢大学で2009年、名所の桜並木を背景に和服姿で記念撮影をしていた中国人の母と娘が「漢奸(売国奴)」と罵声を浴びせられ、追い払われる騒ぎが起きた。同大の桜並木は一千本以上あり、毎春、多数の行楽客でにぎわう。桜グッズを売る露店まで出ている。武漢を占領した日本軍がキャンパスを傷病兵の病院に転用し、日本から持ち込んだ桜を植えたのが始まりで、国交正常化後、日中友好事業として桜の寄贈が行われた。桜は日本から持ち込まれたが、桜は本来、中国を原生地とすると聞いたことがある。和服も桜も「漢奸」と呼ばれる筋合いはない。

たかだか数年前の出来事だが、今や中国では桜の花見が春の風物詩として認知され、日本への花見ツアーまで人気というから隔世の感がある。

中でも際立っているのが江蘇省無錫だ。1986年、歌手の尾形大作が歌った「無錫旅情」の大ヒットで注目され、1988年からは毎年、日本人有志(現・日中共同建設桜友誼林保存協会)による桜植樹がスタートした。同市政府も整備に乗り出し太湖畔には3万本を超える桜が植えられ、「中日桜花友誼林」と書かれた石碑が立つ。毎春の「国際桜祭り」は1日1万人超が訪れる。昨年からは中国の日本観光専門誌「行楽」が主催する日中お弁当コンテストの表彰式まで行われた。中国に「さくら女王」が生まれるのも時間の問題だろう。何しろ昨年は元日本さくらの女王、工藤園子さんまで参加しているのだから。

日中共同建設桜友誼林保存協会による桜植樹は再来年30周年を迎える。1年早く来年の春、任意団体として発足したばかりのNPO「日中独奏メディア」が主催し、上海でこれまでの歩みを振り返る報告会を行いたいと思う。先日、同会代表の新發田夫妻にもお話をして、スケジュールの調整中だ。同NPO役員の工藤さんにも是非、参加をして頂きたい。来春の花見の楽しみがまた一つ増えた。


NPO法人日中独創メディアの設立総会が11月13日開かれた

2015-11-16 09:06:51 | 日記
各種世論調査は、日本と中国の間で相互の国民感情が悪化している現状を伝えている。背景には不十分な相互理解による誤解や偏見が存在していると考えられる。そこでしばしば、偏った報道が元凶であるとする「メディア悪玉論」が言われる。だが悪者を見つけて攻撃し、溜飲を下げるだけでは事態は改善しない。リップマンが『世論』で「我々は見てから定義するのではなく、定義してから見る」と言い当てた通り、情報の受け手もまた「やっぱりそうだよね」とあらかじめ持っているステレオタイプな見方を確認するために情報を選択する傾向がある。書店に並ぶ中国関連本を見れば、それは一目瞭然である。

出来上がった固定観念を変えるのは容易ではない。よっこいしょと腰を上げ、ある程度の時間と労力をかけ、忍耐強く、真実を知ろうと頭を働かせなくてはならない。目の前に差し出された情報が真実かどうか、批判の眼をもって検討しなければならない。批判精神が、悪者を見つけて納得するだけのものであるならば、一時的に感覚的な快楽を得られることはあっても、人間の精神には害悪しかもたらさない。批判精神は真実にたどりつくための道しるべである。

情報技術の進歩は情報の量を拡大したと同時に、情報の送り手も多様化させた。情報伝達手段が特定の組織に牛耳られていた時代は去り、あらゆる個人が発信者になりことができる。しかもそうした情報こそ、全面的ではないにせよ、真実の一面を伝えていることがある。求められるのは、点として得られる情報を結び付け、面を構成する想像力である。送り手と受け手が固定されるのではなく、随時入れ替わることによって、こうした想像力も磨かれる。情報の発信者となることが、批判のための批判を行う立場を脱却し、賢い情報の受け手に成長する学びの場となる。

私はこれまでの中国駐在時代、中国で暮らす日本人の声を日本に直接届けることで等身大の中国を伝え、相互理解を推進しようと考え、計3冊の本を編集、執筆にかかわってきた。2013年8月には『在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由』(阪急コミュニケーションズ)、同年9月には、北京の新聞・通信・放送各社の中国総局長や経験者ら計22人の共著『日中対立を超える「発信力」 中国報道最前線 総局長・特派員たちの声』(日本僑報社)、2014年10月には日中の経済関係者33人による『日中関係は本当に最悪なのか 政治対立下の経済発信力』(同)を出した。

中国の在留邦人は十数万、日系企業は2万社を超えており、こうした出版活動を通じ、邦人の点を結びつけることによって様々な情報発信が可能であることを実感した。また執筆者のネットワークを土台に計7回、北京や上海で日中経済・文化講演会も開いた。3冊目の『経済発信力』は有志の翻訳スタッフによって来月には中国語版が発行される予定である。

だが一方、在留邦人の多くは企業派遣で任期終了後は帰国しなければならないため、ネットワークの継続維持が大きな課題として持ち上がった。地道に築いてきた人の輪をさらに発展させ、経済や文化など民間レベルでの情報発信力を強化するためには、出版だけではなく常時、簡便に利用が可能なインターネットやSNSの有効活用が不可欠だとの結論に達した。また、より継続的に交流事業を進めていくためには個人的な力ではなく、恒常的な組織の力が不可欠であることも痛感した。こうして、以上の活動で生まれた人の輪の土台と支援を得てNPO法人設立の構想が生まれた。

その設立総会が13日、日比谷松本楼で行われた。インターネットサイトの運営や各種講演会、座談会などのど直接的な情報伝達、さらには出版事業とざまざまな組み合わせによる独創的なメディア機能を活用し、公正で正確な相互情報発信を行う。それがひいては両国民間の相互理解を促進、強化する。開かれた情報発信のプラットフォームになるよう望んでいる。そこでNPO法人の名前は「日中独創メディア」、略称は「独創会」とすることにした。中国語名は「中日独创媒体」、英文名は「Japan-China Future Media」。役員は会長以下、日中関係の現場に身を置く仲間11人で構成する。来月には東京都に法人認証の申請を行う予定である。ホームページの発足を急ぎ、幅広い協力を求めながら、一歩一歩先に進んでいく。

NPO法人設立総会の翌日、パリの連続爆破テロが起きた。無辜の人々が多数命を失ったことを哀悼すると同時に、憎悪や恨みを再生産することのないよう、開かれた話し合い、相互理解の場が生まれることを願う。人間は神をも恐れぬ暴挙を行い得るが、同時に、極端な言説が飛び交う中、真実を感じ取る良心も持っていると信じたい。良心の声に耳を傾けるべき時である。