湖南省長沙で胡耀邦をよく知る人物と話をしていて、胡耀邦を追悼する歌『好大一棵樹』(とても大きな木)を知っているかと聞かれてびっくりした。私がカラオケで持ち歌にしている松山千春の『大空と大地の下で』の中国語版だった。作詞者は中国中央テレビ(CCTV)の文芸担当ディレクター、鄒友開(1939年生まれ)。1989年4月15日、北京に戻る列車の放送で胡耀邦逝去のニュースを聞き、追慕の情から詞を作った。彼が抱いた追慕の情は、胡耀邦をよく知る者たちが共有したものであったろう。戦前の生まれであることを考えれば、胡耀邦が若者を愛し、文化大革命を経験した者たちの心を癒した存在として、まさに頼るべき「とても大きな木」にふさわしいものだったのだろう。
歌詞の訳は大要、以下の通りである。
頭の上に天が広がる 足は大地を踏んでいる 風雨の中で君は顔をもたげ 氷雪をものともしない
とても大きな木 どんなに強い風が吹こうと 葉にはそれぞれの物語が残る 楽しいことも苦しいことも
楽しくても笑顔を見せず 苦しくても涙を流さず 大地に緑陰の恵みをもたらす それは愛の音符
風はあなたの歌 雲はあなたの歩み 太陽の日も暗闇の中でも 人々に幸せを届ける
とても大きな木は 緑の祝福 君の思いは青空に広がり 広い大地に包まれる
原曲の歌詞は「果てしない大空と 広い大地のその中で」で始まり、「生きることが辛いとか 悲しいとかという前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ」と勇気を呼びかける。中国語の詞には大地に木が置かれ、それが強い意志、奥深い懐を持った人間の象徴として歌われる。感性と意志、日中文化の差異を見るようで興味深い。
やがてこの歌は人口に膾炙し、「大きな木」はあるべき教師の姿に置き換えられる。やがて9月10日の教師節(教師に感謝する日)に歌われるようになり現在に至っている。教師節は、党中央書記局の書記として文教を担当していた習近平の父親、習仲勲が教育部門からの要望を受け入れて建議し、1985年、全国人民代表大会で正式に制定された。文化大革命期、知識階級として迫害された教師の地位を向上させ、教育の復興を図るのが目的だった。当時、習仲勲の上司に当たる党中央書記局のトップ総書記は胡耀邦である。
習仲勲は文革後、胡耀邦の尽力で名誉回復し、一線に復帰した。二人は幾多の苦難を経て、異なる意見を許容し、圧力ではなく指導や教育によって人を導こうとする理念を共有していた。習仲勲が建議した教師節に、胡耀邦を追悼する歌が歌われるのは、偶然のめぐり合わせとはいえ、実にしっくりくる。これも縁なのであろう。
(長沙から北京までの機内にて)
歌詞の訳は大要、以下の通りである。
頭の上に天が広がる 足は大地を踏んでいる 風雨の中で君は顔をもたげ 氷雪をものともしない
とても大きな木 どんなに強い風が吹こうと 葉にはそれぞれの物語が残る 楽しいことも苦しいことも
楽しくても笑顔を見せず 苦しくても涙を流さず 大地に緑陰の恵みをもたらす それは愛の音符
風はあなたの歌 雲はあなたの歩み 太陽の日も暗闇の中でも 人々に幸せを届ける
とても大きな木は 緑の祝福 君の思いは青空に広がり 広い大地に包まれる
原曲の歌詞は「果てしない大空と 広い大地のその中で」で始まり、「生きることが辛いとか 悲しいとかという前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ」と勇気を呼びかける。中国語の詞には大地に木が置かれ、それが強い意志、奥深い懐を持った人間の象徴として歌われる。感性と意志、日中文化の差異を見るようで興味深い。
やがてこの歌は人口に膾炙し、「大きな木」はあるべき教師の姿に置き換えられる。やがて9月10日の教師節(教師に感謝する日)に歌われるようになり現在に至っている。教師節は、党中央書記局の書記として文教を担当していた習近平の父親、習仲勲が教育部門からの要望を受け入れて建議し、1985年、全国人民代表大会で正式に制定された。文化大革命期、知識階級として迫害された教師の地位を向上させ、教育の復興を図るのが目的だった。当時、習仲勲の上司に当たる党中央書記局のトップ総書記は胡耀邦である。
習仲勲は文革後、胡耀邦の尽力で名誉回復し、一線に復帰した。二人は幾多の苦難を経て、異なる意見を許容し、圧力ではなく指導や教育によって人を導こうとする理念を共有していた。習仲勲が建議した教師節に、胡耀邦を追悼する歌が歌われるのは、偶然のめぐり合わせとはいえ、実にしっくりくる。これも縁なのであろう。
(長沙から北京までの機内にて)