行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

地下鉄の乗り降りからみた日中文化の違い

2017-04-27 12:12:34 | 日記
しばしば公共マナーが問題となるのは、毎日の通勤に欠かせない地下鉄や電車でのことだ。日本でクレームの主因となるのは、降りる人を待たずに乗ろうとする、混雑しているのに奥に詰めない、ドア付近からテコでも動こうとしない・・・わき目も降らず席を取ろうとする年配者の行為も褒められたものではない。平気で携帯で話す、イヤフォンの音がもれている、遊びまわる子どもを注意しない親などは言語道断だ。



私が一番気になるのは、コミュニケーションの欠如だ。無言のまま人を押しのけようとするのには閉口する。どうしてひとこと、「失礼」と言えないのか。せっかく席を譲ろうとしたのに、黙ったままその場を去り、席を譲るべき人に声をかけない行為も不可解だ。声を掛け合わずに、すべて無言で済ましてしまう社会には違和感を覚えずにはいられない。最近、日本で聞いた話だが、地下鉄の中で携帯電話で話していた若い女性の頭を、年配の男性がいきなり持っていた雑誌でたたき、立ち去ったという。「迷惑だからやめなさい」と、なぜ注意しないのか。

以前、拙著『中国社会の見えない掟 潜規則とはなにか』(講談社現代新書)で次のように書いたことがある。

「一時帰国した際、都内の地下鉄で見かけた光景だ。駅に停車し、つえを突いた目の不自由な男性が乗り込んで来ると、ちょうどシルバーシートに座っていた若者二人がきまり悪そうに席を立った。席を譲ろうとしたのだと思って見ていると、つえを手にドアの戸袋に立つ男性に声もかけず、二人はその場から離れてしまった。『ひと声かけてあげなければ、席の空いていることさえわからないではないか』と不可解な思いがこみ上げてきた」

ルールと人情に関する日中の違いについて言及したものだ。中国ではおせっかいと思えるほど、弱い立場にある妊婦や老人を家族の一員のように気遣う反面、驚くほど公衆マナーには無頓着である。地下鉄で飲みかけの牛乳をひっかけられた、ごみを捨てたのを注意したらけんかになった、などの愚痴は日常茶飯事だ。中国人も「素質(民度)」が低いということは認めている。

もちろん最低限の公衆マナーは必要だが、私は、日本社会と中国社会に決定的なコミュニケーションの違いがあることのほうが大事だと感じている。

中国のバスや地下鉄では、もし自分が次の駅で降りようと思ったら、強くアピールしなくてはならない。隣の人に「降りるのかどうか」を確かめて位置を変え、できるだけドアに近づこうとする。聞かれる方も当たり前のように場所を入れ替える。到着する前に乗降口に立っていなければ、ドアが開いたとたん、ホームから人波が流れ込んで来るかもしれない。運転手がすぐにドアを閉めて出発してしまうかもしれない。日本のように停車してから降りようと動き出すのは、むしろ「なんで早くから準備しないのか」と煙たがられる。

発展途上にある地方では、バスの運転手が気まぐれでストップしないこともあるので、「次停まって!」と大声を上げなければならない場合もある。みながルールを守り、秩序だって行動する日本の社会に慣れきった者からすれば、非常に疲れる。「なんでこんなことまで言わなきゃならないの」と。だが、単一ではない複雑な社会で、異なる環境で育ち、様々な考え方を持った人たちが一緒に暮らす場所では、声に出して言わないと通じないことがある。「わかってくれるはずだ」という期待は役に立たないどころか、誤解のもとになる。「空気が読めない」という社会の不文律はまったく通用しない。

日本への取材ツアーに参加した中国人学生が、大学に戻ってから、九州でバスに乗った時の印象を話してくれた。目的地のバス停に近づいたので、乗降口に待機したが、ほかの乗客は停まってからようやく席を立って、譲り合いながら降りていった。この違いは何かと彼女は考えた。日本人は列を作り、降りてから乗る順序を守り、秩序が保たれていること。公共交通のダイヤも停車時間も正確で、あわてる必要がないこと。こうした相互の信頼があるからだ。彼女はそう答えを出した。

そういう理解もあるのかも知れないと思った。ただ、文化比較に正解はないので、そうした答えを求めようとしても無駄だ。いい悪いで割り切れるはずのない問いかけである。私が彼女に答えたのは、「むしろ、異なる視点を共有することにこそ意味があるのではないか」ということだ。

靴を脱ぐ際の羞恥感と裸足文化

2017-04-25 20:54:55 | 日記

私が引率し、日本取材ツアーに行った汕頭大学新聞学院の女子学生6人が学内のメディアに「中国人学生眼中の日本細節」を発表した。



9日間の滞在で気づいた細事を書き留めたものだ。トイレの清潔さ、名刺文化、礼儀、ごみ回収、軽自動車などのテーマに加え、興味深かったのが「日本の靴脱ぎ文化」だった。福岡に到着した夜、私たちは九州大学のある卒業ゼミに参加した。普通の居酒屋での飲み会だ。だが、学生の1人はまず、靴を脱いで掘りごたつ式の板の間に上がることをためらった。強烈なカルチャーショックだったようだ。



彼女はこう書いている。

「びっくりした。入口に靴がいっぱい脱ぎ捨ててあって、近づいてみると、靴を入れる専用の棚まである。みんな裸足か靴下で、木の床の上に座っている。私たちは一瞬、どうしていいか戸惑い、悩んだ」

彼女からすれば、中国人の一般的な公衆道徳では、「公共の場で足を見せるのは礼儀に欠ける」とみなされる。ところが滞在中、民宿でも一般家庭でも、ちょっとしたレストランでも、みな靴を脱いで部屋の中に上がることに気付いた。これが彼女にとって、日本文化との強烈な出会いとなった。中国でも都市部ではすでに、靴からスリッパに履き替える習慣が広がっているが、それは一部に過ぎない。大半の家、特に農村では、靴を脱ぐのはベッドで寝るときに限られている。ただし朝鮮族は外と内を厳格に分け、靴を脱ぐ習慣があるので、各民族によって異なる。

中国の伝統的なマナーは西洋人と通じる。西洋人が靴を服の一部と考え、人前で脱ぐことを恥じるという話は、何冊かの本や雑誌で目にしたことがある。手元にあるものでは多田道太郎著『身辺の日本文化』(講談社学術文庫)がある。同書には、「結婚式には靴の形をした盃でかための盃をするという習慣が、ヨーロッパの村には残っています。それくらい靴というものは彼らの頭のなかに浸み込んでいるのです」とある。「シンデレラ」を例に挙げ、靴が人生を左右するほど神秘的な力を持っていることにも言及がある。

西洋では靴の美学が発展し、足はその美しい靴に合わせなければならない。多少、足が変形しようとかまわない。それよりも靴を履いて、よく見せることが優先される。中国では、幼女の足指を折り曲げて布で縛り、成長を止めた纏足の習慣があった。これもまた、靴文化の中でこそ生まれたものだ。裸足文化で、足がじかに地面に触れることの多い日本人には、甲が高く、幅がEEEとかEEEEの甲高幅広(こうだかばんびろ)が多いのもうなずける。私も典型的なその1人で、靴選びはデザインでなくサイズが先行する。

列車や飛行機の長旅をすれば、当たり前のように靴を脱ぐ日本人には靴の神秘性がなかなか実感ができない。むしろ、我が家に戻り、靴を脱ぐ瞬間のホッとした気持ちこそがありがたいと思ってしまう。中学生の修学旅行だったか、ホテルの部屋を出たら、そこは公共スペースであって、廊下をスリッパで歩くのはマナー違反だと教えられた記憶がある。靴が身だしなみとして非常に重要だということを知った最初だった。

さらに興味深かったのは、学生たちが熊本の山荘に泊まった際、2、3人が一緒に入れる風呂があったが、彼女たちは「人に裸をみせるのは慣れない」と言って、1人ずつ入った。おかげでずいぶん時間がかかったが、これもやはり人前で服や靴を脱ぐことを恥とする文化なのだろう。日本人の「裸の付き合い」は容易に理解できないに違いない。

後漢書東夷伝にも魏志倭人伝にも、日本人は「手づかみで食事をし(手食)、みな裸足だ(皆徒跣)」と書いてある。2000年近く前にも、中国人の祖先は日本人の裸足文化に驚いていたことになる。ただし、かつては野蛮だとみなしていた習慣も、今では「文化」としてみる目に変わっているのは、大きな違いである。

『人民の名義』で意外な人気の役人

2017-04-25 17:15:44 | 日記
反腐敗キャンペーンを題材にした『人民の名義』は、単純な勧善懲悪ばかりでなく、現実に即した血なまぐさい権力闘争のストーリーで庶民の広い人気を得ている。舞台となっている漢東省は架空の名称だが、撮影場所は南京だ。

ドラマでは、漢東省の京州市副市長に対する腐敗捜査(本人は米国に逃亡)から、芋づる式に癒着の構図が暴かれていく。主人公は、最高人民検察院から同省反腐敗局長に就任した侯亮平だ。正義感が強く、度胸もある。彼が、同市トップの李達康同市共産党委員会書記の公用車を停車させ、同乗している同書記の前妻で銀行幹部の欧陽青を連行するシーンはハイライトの一つだ。前妻とはいえ、通常の検察官であればとうていできない離れ業である。



興味深いのは、捜査に口を挟まず、前妻が連行されるのを黙って見届ける李書記に人気が集まっていることだ。彼は無趣味で、仕事しか興味のないつまらない男だ。帰宅はいつも深夜で、欧陽との関係は冷え切っていた。欧陽は夫に隠れ、夫の権威を利用して私腹を肥やし、いずれ司直の手が伸びてくる。連行される直前、二人は離婚協議書にサインし、欧陽は娘のいる米国に逃げようと空港に向かう途中だった。空港まで送り届けるのが、李書記が夫として最後にみせた人情だ。

李書記は前妻を見捨て、切り捨てた冷酷な男だ。親類や友人から人事やビジネスの頼まれごとをしても、「そういう話は書記の前でしないでほしい」ときっぱりはねつける。仕事の話になると夢中に語り、人の話にも耳を貸さない。直情型のタイプだ。出来の悪い部下は容赦なく怒鳴り散らす。仕事を怠けている幹部たちを集めて反省会を開き、「やる気のない奴は辞表を書け」とまで言い放つ。

出世欲は人一倍強いが、私的な人脈に頼ったり、金品で地位を買収したりするようなことはしない。あくまで都市開発や民生向上の事業で実績を上げようと努める。だから、「原則を守る」との評価を得ている。毀誉褒貶が多いが、省トップの沙瑞金同省委書記からは重用される。率直で、正直、ときには滑稽に思える感情表現は、舞台で場数を踏んだ俳優、呉剛の名演によるところが大きい。チャットには李書記の顔文字が多数広まり、人気のほどを物語る。









メディア論の授業で、学生がこのドラマの人気と社会背景について発表した。それによると、李達康書記は、「しっかり仕事ができ、責任を負い、清廉であるという、官僚の理想像を体現している」ことで、好感されているという。確かに、コネや人情、メンツによる人間関係でがんじがらめになっている社会の中で、自分の信念を貫き、公私を峻別し、公正な行政を行うことは容易でない。不可能といってもよい。だから李書記に人間として多少のデコボコがあっても、むしろそれは人間味として受け取られる。

私は、別の視点を語った。中国の庶民は、突破力を持った強い指導者を好む。法律による正義よりも、権力による公正の実現を重んじる。手続きよりも実体、形式よりも中身が大事だと考える。社会があまりにも複雑で、細かいことにこだわっている余裕がない。だからこそ李書記のような、確固たる信念を持ち、そのためには独断専行とも思える強引さで突き進む人物を待望し、崇拝する。特に庶民が最も忌み嫌う腐敗への態度が重要だ。習近平総書記が、今まで手の付けられなかった党や軍の大物を次々になぎ倒し、幅広い人気を得ているのも同じことだ。

一方で、強権政治は、民主派から批判の目にされる。私のもとに届いた典型的なコメントは、「権力を人民の手に渡してこそ民主主義が実現される。強い指導者に頼っていては、いつまでも施しを受ける臣民でしかない」というものだ。確かにこの視点は見過ごすことができない。中国の憲法は、「中華人民共和国の一切の権利は人民に属し、人民が国家権力を行使する機関は全国人民代表大会と各クラスの人民代表大会である」とし、政府ばかりでなく司法機関への監督機能も定めている。

だがドラマではこれまで、人民代表大会の存在がまったく無視されている。個別案件に対する介入はできないが、人材の登用や腐敗官僚に対する日常的な監督において、人民代表大会はしかるべき機能を果たさなくてはならない。党がすべてを決めているのが現実だとしても、官製ドラマである以上、視聴者に正しい認識を普及する責任がある。

最新の回では、トップの沙瑞金省党委書記が、李書記の独断的やり方に危惧し、いかに監督すべきかということに言及がある。どうなるか、さらなる展開をみないとわからない。いずれにしても、李書記が目の離せないキーパーソンであることは間違いない。

権力内の暗殺計画まで描く中国の反腐敗ドラマ

2017-04-24 15:38:46 | 日記
日本取材ツアーから戻ったら、大ヒットしているテレビドラマ『人民の名義』のことを知らされた。3月28日からスタートし、すでに計52回シリーズの終盤を迎えている。クラスの学生に聞いたら、半分以上は見ているという。



最高人民検察院、日本でいう最高検察庁と、江蘇省共産党委宣伝部、中央軍事委員会後勤部が制作にかかわっている。政治的な深読みをすると、この仕掛けはかなりえげつない。

習近平総書記の主導する反腐敗キャンペーンで摘発された超大物の代表は周永康・元党中央政法委書記だが、彼の統括下にあって有名無実化していたのが検察であり、裁判所だ。ドラマ中の腐敗案件が主として公安を含む政法部門を舞台としているのも、皮肉な設定だ。また、徐才厚と郭伯雄の元中央軍事委副主席も摘発されたが、その端緒となったのが、軍の資産を管理する後勤部の公金横領事件である。江蘇省閥を形成する現職の李源潮国家副主席は、失脚した令計劃・元党中央弁公庁主任と密接な関係にあり、すでに周辺関係者が根こそぎ取り調べを受け、死に体となっている。

要するに、今秋の第19回共産党大会を前に、制作者自体が自己反省を試される舞台仕掛けになっている。党幹部の教育、庶民に対する反腐敗キャンペーンの宣伝も制作目的の一つに違いない。かつてない大掛かりな反腐敗ドラマではあるが、視聴者にそっぽを向かれては意味がない。人気の政治小説家の作品をもとに、脚本は、恋愛や婚姻、夫婦の矛盾、親子の関係など多様な要素を含み、娯楽番組としてもよくできている。ネットでの視聴がゆうに3億を超えたというのもうなずける。

高位高官が実際に有罪判決を受け、結果が出ている腐敗摘発があるからこそ、視聴者も引き付けられる。ヒットの核心はリアリティにある。トラック何台分もになる収賄紙幣の海、親の七光りで好き放題をする国有企業経営者、学閥や近親者による不当な人事や執政、男を惑わす酒と女・・・。メディアによる大量の報道を通じ、みなが多少なりとも知っている話が、当局制作のドラマで語られるのは新鮮味がある。

腐敗摘発は大掛かりな政治闘争を背景に描かれる。権力闘争をめぐるストーリーは、三国志、水滸伝、さらには上海租界時代のマフィア抗争に至るまで、そもそも庶民が興味を抱く題材だ。それが官製番組の中で示されることで、現実を連想させるリアリティをもって迫ってくる。反腐敗キャンペーンにおいて、宣伝工作は重要な役割を担うが、この意味でもよく考え抜かれた筋書きである。

政治権力のぶつかり合いはし烈だ。さまざまな背後の権力がうごめき、手に汗握るどんでん返しが起きる。明らかな悪党を退治するのにも、家族関係や人情、メンツ、利益が絡み合い、一般人からはとうていうかがうことのできない複雑な政治的駆け引きが先行する。腐敗摘発は、それまで出来上がっていた既得権益集団による政治的なバランスを崩すため、猛烈な反発を招く。老練な権力ゲームの中で、「法の正義」は子どもじみた机上の論に見えてくる。

捜査機関内部での盗聴も描かれる。驚いたことに、腐敗疑惑の対象となった省の公安庁長、祁同偉が、大学時代の法学部同級生だった2人の反腐敗局長を、続けざまに暗殺しようとするシナリオまで含まれている。1人目の陳海は酔っ払い運転の車にひかせ、意識不明の重体になった。その後、真相解明のために乗り込んだ後任の侯亮平に対しては、プロのガンマンを雇って射殺しようとし未遂に終わった。日本で言えば、警視総監が東京地検特捜部長を暗殺しようとしたようなものだ。





現実離れした空想ではない。実際、薄熙来や周永康事件では、党最高指導部への盗聴事件が発覚している。現実に起きたこと、あるいは起こりうることを下敷きにしていることは明らかだ。周永康一派による習近平暗殺計画は、国外では多くの報道があるが、国内では党高級幹部を除き一般に伝えられていない。それだけにドラマが堂々と描く「暗殺」は、党指導者の強いメッセージを暗示させる。党内の暗黒をさらけ出した大胆さは評価してよい。

かつて、警察を巻き込んだ犯罪マフィアのネタは、香港映画が圧倒的に面白かった。闇社会の暗躍が背景にあった。だが、腐敗摘発部門の廉政公署が力を発揮し、社会の浄化に努めるとともに香港映画の犯罪物モノも勢いが衰えた。一方、大陸では反腐敗キャンペーンで次々とおぞましい腐敗の実態が暴かれた結果、大ヒット番組が生まれた。なんとも皮肉な巡り合わせである。

もちろん、権力が制作する以上、ドラマにはごまかしもある。それについては日を改めて論じることとする。

胡耀邦夫妻が一緒に葬られた共青城とは

2017-04-24 11:41:41 | 日記
日本でもなじみの深い胡耀邦元総書記の夫人、李昭女史の遺骨が4月15日、夫の眠る江西省共青城の富華山霊園に埋葬された。日本取材ツアーの記録をまとめているさなか、北京の友人からニュースを知らされ、万感の思いだった。この日はちょうど胡耀邦氏の28回忌だった。





「合葬」のセレモニーには胡耀邦ファミリーのほか、夫妻をしのぶ2000人が集まったという。

李昭女史が病気で亡くなったのは3月11日。享年95歳だった。17日には北京西郊の八宝山で告別式が行われたが、この間、北京の路地裏にある自宅には花輪と弔問客が絶えなかった。北京に住まいのある私の大学同僚も弔問に行き、教師のグループチャットに多数の写真を送ってきた。質素な暮らしぶりを伝える部屋の様子に加え、その中に中曽根元首相からの献花と弔電があった。





胡耀邦ファミリーと関係の深い企業家、姜維氏を通じ、長男の胡徳平氏にあてた弔電にはこう書かれている。

「私は首相時代、胡耀邦氏と『平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定」の日中関係における四原則が両国間に永遠続くよう確認しました。ここに、絶えず私と胡耀邦氏との友情と信頼関係が深まるよう支えてくださった胡夫人に心より感謝申し上げるとともに、深く哀悼の意をささげます」

李昭女史は夫を陰から支え、北京服装協会会長や服装時報社社長の身分で各国との文化交流を行うことはあったが、表舞台に出ることは少なかった。その慣例を破ったと言われているのが、1984年3月24日、胡耀邦氏が、訪中していた中曽根元首相夫妻を中南海に招いた際、李昭女史がその他家族とともに同席した事例だ。前年の胡耀邦訪日で、中曽根氏が自宅に招いた返礼だった。

李昭女史の逝去にあたり、改めて胡耀邦夫妻と日本との深い縁を思った。

作家・山崎豊子氏の代表作の一つ『大地の子』は胡耀邦氏の強力なバックアップによって誕生した。同作品は月刊『文藝春秋』に連載され、その後、出版された。山崎豊子氏が1991年6月、共青城の墓前に同著上中下3巻を捧げた写真が残っている。

胡耀邦氏は、共産主義青年団リーダーとして10年間、開墾や植樹、文化学術振興を奨励した。自ら十数歳で革命に身を投じた「小紅鬼」だけに、若者の育成にことのほか心を砕いた。新国家建設の理想に燃える上海の青年団98人が1955年、江西省九江市の鄱陽湖畔に開墾した共青城は特に思いが深く、当時と総書記時代の2回足を運んでいる。「共青城」の名も彼がつけた。

晩年は民主化を求める学生たちへの寛容な態度が批判され、総書記から平の政治局員に格下げされる。なすこともなく不遇の晩年を過ごし、「死んだ後は(党幹部が埋葬される)八宝山には行きたくない」と遺言を残した。血なまぐさい政治闘争から逃れ、かつて、若者たちとともに理想と情熱を傾けた思い出の地に、ようやく夫妻そろって返ることができたのだ。

胡耀邦氏が共青城に埋葬された際、傍らに置かれた石碑には、李昭女史の字で、

「光明磊落 無私無愧」(公明正大 私心なく恥じることもない)

と刻まれた。どんな巨大な石にもまさる重い言葉だ。