独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

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職業に感謝する中国の記念日

2019-11-09 10:41:51 | 日記
中国には特定の職業に対して感謝する記念日(節)が五つある。看護師節、医師節、教師節、農民豊作節、そして記者節だ。看護師節は、ナイチンゲールの誕生日にちなむ5月12日の「国際看護師の日」をともに祝うものなので、中国独自の記念日は四つとなる。法定の休日にはならないが、全国各地で官民の関連行事が行われる。いずれも歴史は浅く、医師節、農民豊作節は昨年に始まったばかりだ。

11月8日は記者節(記者の日)だった。1937年のこの日、上海で中国青年記者学会が誕生したのを記念するもので、2000年正式に制定された。同会設立に尽力した記者・范長江は、中国新聞界草創期の中心人物で、今年は生誕110周年にあたる。汕頭大学新聞学院の前院長・范東昇が彼の次男である縁もあり、同学院では10日、記念の学術行事が行われる予定だ。范前院長の講演など、新聞学会の主要メンバーが顔をそろえる大規模なイベントとなる。



8日の記者節当日、思いがけない出来事があった。4月から5月にかけ京都奈良大阪を訪れた日本取材チーム「新緑」の4年生メンバー6人が、久しぶりに食堂で一緒に昼食を食べようと誘ってきた。なにか卒論や院生試験のことで意見交換でもしたいのだろうか、あるいはだれかの誕生日の相談か、と気軽に出かけて行った。そこで、いきなり渡されたのが花束だった。



「先生、記者の日、おめでとうございます!」

正直言って驚いた。

「なんで、先生に?」

「だって、先生はベテラン記者だったでしょ。今でも私たちの取材指導をしてくれるし」

自分が記者であったことをすっかり忘れていたが、その魂を思い出させてくれた。こんな祝い方もあるのか。心の底から感動がこみあげてきた。これまで記者時代を含め、特ダネで表彰されることはあっても、記者であること、あったことに対して祝福されたことはなかった。

「じゃあ、未来の記者からの贈り物としていただいておきます」

そういって花束を受け取った。

思えば9月10日の教師節も同じように昼食に誘われ、あのときは小型マッサージ器をプレゼントされた。「先生はだいぶ疲れているようだから」と気遣ってくれたのだ。教師節は毎年、多くの学生が祝福をしてくれる。手書きのカードや出身地の特産品を持ってくる学生もいる。中国では、記者出身の教師は年に二度祝福を受けるわけだ。ずいぶん恵まれた環境にあるものだとしみじみ感じることになった。





日本では管理ばかりが強化され、「先生」と呼ばれる職業も官僚的になり、委縮がちにみえる。みんなで職業に感謝する日があってもいいのではないかと思う。少なくとも私は学生たちからたくさんの元気をもらっている。

本来、記者を養成するために始った中国のジャーナリズム教育は、加速度的なメディア環境の変化に飲み込まれ、荒海の中をさまよっている。そもそも新聞やテレビの記者になろうという学生が少数派となり、多くは教育や科学技術、旅行、グルメなどある分野に特化したネットメディア、あるいは全く畑違いの業種に流れていく。

だが、日々の生活を携帯電話に依存する度合いがどんどん高まり、コミュニケーションのあり方が激変しているなか、いかに人や情報と接し、社会を理解し、自己を表現するかを学ぶジャーナリズム教育の原点は、職業訓練の域を越え、重要な人間形成、教養教育の意義を有する。異なる文化との直接的な交流はなおさら重要性を増す。だからこそ、大学に一人しかいない日本人教師として、まだまだやらなければならないことがたくさんある、と考えている。小さな花束が、そんな気持ちを後押ししてくれる。
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南京で語った文化コミュニケーションの意義

2019-10-25 17:43:12 | 日記
もう一か月前以上のことで恐縮だが、南京大学の先生に声を掛けられ、当地で行われた会議に参加したので、そのときのことを振り返りたい。9月19日、中国商務省と南京市が共催した2019グローバル・サービス貿易サミット(全球服務貿易大会)の分科会で、「国際文化芸術交流フォーラム」と銘打った公開座談会である。要は、南京の文化・芸術を、世界に売り出すビジネスの知恵をみんなで出し合おうという趣旨だ。

中国では今、習近平が「四つの自信」を訴え、そのうちの一つに「文化の自信」を含めている。国内で伝統文化の継承を唱えるだけでなく、中華文化を世界に伝えようという国家戦略がある。国が押し進める大きな流れの中で、地方間の競争が激化しており、私が参加した会議もそうした背景がある。南京は江蘇省の省都でありながら地の利が薄く、上海に近い蘇州や無錫など省内の他市に比べ、経済的にも後発で、より危機感が強い。

かつて上海特派員だった時代は、高速鉄道でしばしば通った土地である。12月13日の「南京大虐殺」記念日には必ず足を運んで追悼式典に参加した。一方、在上海日本総領事館が主催する日本文化紹介イベントも盛んで、「日中交流は南京から」を合言葉に現地の人々と多くの交友を結んだ。



座談会で私が伝えたのは、中国という大きな物語ではなく、「南京ストーリー(南京故事)」を語るべきだということ。南京にはまだまだ、特に日本人にとって、掘り起こすべき歴史的遺産があり、語るべき物語がある。

南京はかつて「呉」と呼ばれた国の首都として栄えた古都であり、この地を中心とする江南地区は日本とも文化的に縁が深い。「呉服」の名前にもそれが残っているし、三国志は日本人にもなじみが深い。戦火で被害を受けた南京の城壁修復に、画家の平山郁夫氏が力を注いだことは、多くの南京人が知っている。

日中関係において困難な歴史を抱える土地ではあるが、だからこそ、それだけではないストーリーを現在のわれわれが語る努力をすべきである。人との関係だけでなく、国と国との関係も、客観的に存在しているわけではなく、いかに人々が物語を語るかにかかっている。

全くの想定外だったが、この日の会議では、中国対外文化交流集団副総裁の王晨氏が日本の越後妻有で開かれている「大地の芸術祭」について、PPTを使いながら詳しい紹介をしてくれた。大資本や大きな物語に頼るのではなく、その土地ならではの資源を用い、創意工夫によって独自の文化を創造し、しかも経済的な成果も生むことができる事例は、中国でも注目されている。地域振興は日中共通の課題なのだ。





今回の南京行で大きな収穫だったのは、長らくご無沙汰していた友人、韓金龍、金元安、張孟亜の酒飲みトリオに再会できたことだ。みな元気そうでなりよりだった。今度、大学まで遊びに来てくれることになった。また楽しみが一つ増えた。







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余命半年と告げられた教授は・・・ジョニー・デップが好演

2019-10-23 10:28:20 | 日記
もう一か月前になるが、所用で一時帰国した際、機内で映画『The Professor』を観た。内容もさることながら、タイトルに惹かれた。ガンで余命半年の宣告を受けた大学教授の話である。限られた命の時間をいかに過ごすかというテーマの作品は数多くあるが、自分の身に置き換えたらどうなるのか。そんなことを考えた。いよいよそんな年齢に達したのかとも思う。





人生最大のピンチを迎えても、時に弱さを抱えながら、あらゆる拘束や束縛から自分を解放し、最後の時間を生き抜こうとする。人生は矛盾と不運に満ちているが、それは客観的に存在するわけではない。人生の意義は、第一人称でいかに自分のストーリーを語るかにかかっている。正直に人生と向き合い、暗さよりも明るさを演じ通したジョニー・デップの演技は圧巻だ。

同時並行で進む家庭や友人、教室のストーリーが散漫的で、焦点がボケて見えるかも知れないが、そこは観る側が自分の視点で掘り下げていけばよい。一方的に楽しませ、満足させてくれる娯楽映画に慣れ切り、受け身でしか鑑賞できないのでは、自分にとって価値あるものは何も見いだせない。フィルター・バブルを取り払い、主体的に答えを探さなければ、自由さえ放棄することになる。

私にとって最も印象的だったのは、余命宣告を受けた後、主人公の大学教授が、何の迷いもなく授業を継続したことだ。選択肢はたくさんあったはずである。仕事を放り投げて旅行に行ってもいいし、家族や友人と最後の時間を過ごしてもいい。映画のストーリーは、何の躊躇もなく、授業の場面へと移っていく。学生たちへのメッセージが、教室で多くの時間を過ごしてきた彼の人生の遺言になっているのだ。

ただ彼は、これまでの授業とは全く違ったスタイルを取ると宣言する。興味のない授業を、単位のために我慢して聴くのは時間の無駄だ。教える方にとっても、無駄な労力を使うことになる。だから従来のルールを取り払い、学生も教師も、思いのままに振る舞ってよい。

彼は授業は文学だ。だから、ビジネスを学び、公務員や政治家になろうとする学生は、最低の点数で単位を与えるから退室してよい、と追い出す。そして、スウェット・パンツで教室に来ているマナー知らずの学生、さらに、これまで心から楽しんで読書をしたことのない学生は、この教室にいるべきではない、と言う。授業の課題は、一冊の本を読んで、その感想をみなの前で語るだけでよい。

その結果、30人ほどいたクラスも三分の一以下になる。彼は残った個性的な学生を連れて屋外へ、バーへと出かける。学生に語るのは、世間の束縛から自分を解放し、本当に好きなことを探し、好きな人生を送ればよい、という簡単なメッセージだ。実はこの簡単なことが一番難しい。彼はそれを身をもって示しそうと、破天荒な行動を繰り返す。

教師が君子然として、自分にはとうていできないことを学生に押し付けるようなことが多い。教育論を語るのが三度の飯より好きで、授業では学生から全く尊敬されていないような教師も少なくない。新聞の社説は空理空論であふれ、偽善が大手を振ってまかり通る。そんな社会の中にあって、彼の破天荒さは尊い。

形式にとらわれて心を忘れ、自己保身のために事なかれ主義に陥り、自省なき自己の正当化に腐心する人のあり様に辟易としている人たちは、彼の生き方を見てきっと胸のすく思いをするに違いない。

自分だったらどうだろうか、と振り返る。やはり同じように教壇に立つのではないか、と思う。実際、その次の授業では映画を紹介し、主人公と同じように、興味のない学生は出て行ってよいと話してみた。さすがに映画のように退室する学生は一人もいなかったが・・・。だが、大きな反省を強いられることになった。

映画に感動したぐらいで、調子に乗っていた。実はクラスにしばしば欠席をする学生がいた。あの日も彼女の姿は見えなかったが、何週目かたって、ひょっこり現れた。幸い私はみなの前で、「無理して出席することはない」とは言わなかった。彼女の表情が不自然だったこともあり、日を改め、個別に面談した。過去に何度も単位を落としたこと。今の専攻に疑問を持っていること。少しずつ話しているうちに、彼女が目に涙を浮かべ、自分が長年患っている心の病について話し始めた。彼女の意向を尊重しながら、早速、対応を検討しているところである。

状況をわきまえず、うかつに発言すると、意図に反して若者の心を傷つけることがある。映画はあくまで映画でしかない。肝に銘じたところである。

心の問題で休学や退学するケースは中国でも増えている。過剰な管理や、その一方で希薄化する人間関係が背景にあるのだとしたら、授業でできることは、できる限り一人一人に目を向け、心を開いた本音の触れ合いに努めることしかない。この点では、『The Professor』も貴重なメッセージを含んでいると言える。

間違いなくお薦めの一作である。
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中国でジャーナリズムを教えた3年間の成果・・・岐阜で講演会

2019-10-22 12:46:09 | 日記
大学内ネットの海外接続が不調なのを口実に、しばしブログの更新を怠ってきた。だがどうしても記録したいことがあり、なんとか困難を克服した。久しぶりに文章を書いてみようと思う。


(10月20日『岐阜新聞』県内版)





10月19日、岐阜県日中友好協会に招かれ、当地で講演をした。同協会がシリーズで行っている「ぎふ・中国くるぶ交流講座」の一コマである。「くるぶ」とは「聴く」「交わる」「学ぶ」の語尾を集めたもので、うわべだけではない、中身のある、血の通った関係を求める営みであることを、同協会理事長で元岐阜新聞論説委員の土屋康夫氏と接する中で感じた。


(閉会のあいさつをする土屋康夫氏)

土屋氏は私が3年前、東京で行った日中関係学会の講演を傍聴に来られたうえ、今年4月、私が学生を率いて日本取材ツアーを行ったときには、京都祇園の取材現場まで足を運び、講演の依頼を念押しされた。私はよき理解者に出会った縁に感謝し、交流講座をより有意義なものにしたいと気持ちが高揚した。

講演会の参加者はみな中国に何度も足を運び、日中関係に一家言を有する方々であり、また私にとっては人生の先輩も多い。そこで、ありきたりの中国観ではなく、独自の体験に基づき、自分ならではのお話をすることにした。広東省の汕頭(スワトウ)という日本人になじみの薄い土地で、元新聞記者の日本人が、中国の若者を相手にジャーナリズム、異文化交流の意義を教える中で感じたこと、考えたことを、話のテーマに絞った。

中国というとてつもなく巨大で、容易にはとらえどころのない国をつかもうと思えば、わかりやすい、平易な答えを探したくなるのが人間の心理だ。さもなければとても不安な気持ちになるだろう。だが、日本かかつてそうやってこの国を見誤り、そして自らの進む道さえ見失ったことを忘れてはならない。異文化、特に隣人と接するにあたっては、人間関係と同様、手間暇をかけ、無駄と思えるような時間をいとわず、じっくり腰を落ち着けて向き合う必要がある。そうしてこそ、本当の素顔が見え、心を通わせることができる。これが私が体で学んだ文化コミュニケーションの心得である。

これまで留学生、特派員として北京、上海に住んだが、汕頭という地味な南方の町に暮らしてみて、改めて地方文化の根深さ、多様さに目を開かれた。ここには潮州と汕頭を合わせ「潮汕」と呼ばれる文化圏がある。広東省とはいっても、言葉、飲食、信仰など多方面にわたって広州や仏山とは異なり、福建の文化により近い。中国は一人っ子ばかりだと思っている人は、この土地にくると一人っ子を探すのが難しいことを知ってびっくりする。伝統的な祭りがなお伝わり、祖先信仰が色濃く残っている。どこに行くにも茶道具は必需品で、お茶を飲み交わしたことが友情のあかしとなる。祖先は中原地方から逃れてきたため、方言に古代の発音を残す。だから、日本語の音読みに近い言葉が多い。「漢字」「新聞」「自由」など、発音を聞けば驚くほど似ている。

大きな概念を持ち出すと、多様な文化が見過ごされてしまう。その多様さを実感できなければ、庶民の生活や文化を理解することは難しい。テレビなどで中国を語るいわゆる専門家、評論家には、この手の例が非常に多い。ステレオタイプに甘んじ、大衆に迎合すれば楽ではある。だが、偏見や誤解を助長し、拡大させている責任は重いと言わざるを得ない。

私は大学の授業で、メディアが報じる政治家の会談や政府間の取り決めだけが日中関係ではない、と教えている。両国のトップが会えば関係が改善され、会わなければ悪化するといった単純なものではない。長い歴史の中で培われた深い交流を忘れてはならない。日本人である私が教壇に立ち、中国の若者と向き合い、議論しあうこと、これもまた日中関係のひとつである、とアピールする。

講演会後、土屋氏から、「加藤さんの話を聞いて、中国の若者が日本のアニメだけでなく、深い文化に関心を持っていることは驚きだった」と聞かされた。

私は3年前から毎年、学生を率いて日本各地を取材する「新緑」プログラムを行っており、講演でもその内容を詳しく説明した。取材テーマは、環境保護から高齢化社会、地域振興、ロボット文化、おもてなし、宗教など多岐にわたり、しかも中国国内の有力メディアに記事を発表し続けている。権威あるメディアでも、中身があれば学生の記事を掲載してくれる。頑なに自前主義を守っている日本メディアでは考えられないことだが、中国ではできる。ネットを中心に、メディアに参画しようとする意欲は、より自由な環境にあるはずの日本よりも中国の若者の方が強いように思う。一党独裁によって画一的な言論統制が行われているというステレオタイプは、そろそろ脱したほうがいい。

講演では、学生たちの記事のほか、有力サイトで流れた映像作品も2本上映した。学生でもプロ並みのレベルを誇っていることは十分伝わったはずだ。十分に事前の下調べをし、入念な準備をし、心を開いて日本の社会に接し、それを完成された報道作品に仕上げる。その一部始終に二人三脚でかかわった教師として、彼女たちの熱意、まじめさ、真剣さをじかに感じてきた。こうした感動もまた講演の参加者と共有できたのではないかと自負している。





講演の最後に、岐阜にも「新緑」チームを連れてきたいと話すと、歓迎の声が上がった。交流のティータイムを終えた後、出席できなかった名古屋外国語大教授で元中日新聞論説委員の川村範行氏が名古屋で一席を設けてくれ、土屋氏も合流した。熱心に、地道に日中交流を続けている川村氏は、力強い味方だ。土屋氏からは、学生を何組かに分けてホームステイを引き受けてもよい、とのありがたい提案もいただいた。大学で待つ学生たちには、なによりもの手土産になった。

土屋氏は、実はこの日の講演会をもって一線から退くことも考えていたというが、この夜の会食では、引き続き頑張るとの決意を聞くことができた。もし、私の話が少しでも影響していたのだとしたら、ありがたい限りである。私にとっても、「新緑」の訪日活動を続ける元気をいただいた。森ビル名誉顧問の星屋秀幸氏、トヨタの阪本敦氏ら、懐かしい方々と再会できたのも望外の喜びだった。南京の旧友、韓金竜氏は、自分の代理として名古屋にいる長女を参加させてくれた。忘れがたい、実りの多い岐阜、名古屋行だった。

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学生の日本取材ツアーが計6本の記事に

2019-09-02 09:01:41 | 日記
新学期の前に北京に立ち寄った。メディアで仕事をしている卒業生への激励が主な目的で、古い仲間とも会った。



この夏卒業したばかりの学生もいる。新聞、テレビといった伝統的なメディアが急速に地盤沈下する中、北京などの大都市を中心に新たなネットメディアが勃興している。新聞学院の卒業生は、AIの導入など激変するメディア業界の中で、ジャーナリズムの理想を求め、奮闘する。取り巻く環境は厳しいが、だからこそ理想を堅持する必要がある。そういう若者は将来、間違いなく有為な人材となる。今、追い風を受けている業界がこの先何十年もその地位を守っている保証はない。歴史はむしろその逆を教える。

予測の困難な時代だからこそ、自分がやりたいこと、自分が興味を持つことに身を投じればよい。そうすれば後悔はない。人生はだれのものでもなく、自分がそれを受け入れ、楽しむものだ。そういって彼女たちを励ます。

学歴競争は激化し、いい仕事に就こうと思えば大学院卒が最低条件だと言われる。大学院に進むのも、多くは研究を続けたいからではなく、経歴を飾るための手段でしかない。ただその一方、そうした道を選ばず、学部卒で記者を志す若者たちがいる。豊富なインターンの経験を積み、強い職業意識を持っている。

この春、京都奈良取材ツアーに参加した学生のうち一人、付玉梅もまたその一人だ。北京の有力メディアに就職が決まり、休みも返上して頑張っている。面接のときに、日本で取材した記事を掲載した新華社隔週誌『環球』を手に、自分の成果と情熱を語った。競争相手はみな大学院生だったが、その戦列に唯一、学部生として加わり同じ待遇での一席を勝ち取った。



『環球』には5月末から8月末にかけ学生の原稿が計6本掲載された。中にはアクセス数が60万を超えた記事もある。同誌は新華社の海外特派員が寄稿する国際関係誌だ。内容に求められる水準は極めて高いが、学生たちは入念な準備と深い洞察、周到な取材、的確な表現によって質の高い記事を完成させた。多くは在中国日本大使館のミニブログ・微博にも転載され、同じく高い評価を得た。

北京での集いでは、『環球』の劉娟娟編集者も参加して、プロの記事にも引けを取らない作品だと学生たちへの激賞があった。





各記事のタイトルは、
第11期「京都“京町家”再生记」付玉梅(京町家の再生記)
第13期「唐招提寺的“不老”妙方」李梓毅(唐招提寺の老いない秘密)
第14期「日本和歌曲水宴」蒋楚珊(和歌を伝える曲水の宴)
第15期「无缘社会里的日本寺庙」郭瑞嬋(無縁社会における寺院経営)
第16期「“玩”西阵织的日本青年」董柴玲(西陣織の革新に取り組む若者たち)
第17期「女将的日式待客之道」付玉梅・蒋楚珊(女将が体現する日本のおもてなし)

私が2017年から汕頭大学で始めた日本取材ツアーが、多くの人々に支えられていることはこれまで何度も触れた。学生たちにはその縁を大切にし、支援と協力に感謝し、責任感とチームワークによってしかるべき成果を残すようにと教える。単なる取材活動だけでなく、異文化との交流を通じた全人格教育を目指す。そのうえで、取材の成果が学生たちの将来に向けた自信と基盤になればいいと思う。

来年は2020年東京五輪に関する取材テーマとなる。大きなイベントなので従来以上にしっかりした準備が必要となる。大学の同級生が都内の自宅を学生たちの宿泊施設として提供すると申し出てくれた。五輪期間の宿泊費高騰に頭を痛めていたので、なによりもうれしい朗報である。メンバーの人選は通常より半年早く、今学期に面接を行って決める。どんな顔ぶれになるのか。楽しみだ。


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