独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

【北海道取材ツアー⑰】夕張で出会った人のつながり

2018-10-26 10:11:16 | 日記
6月3日、取材チームは、私が車を運転して回る富良野・美瑛コースと、高齢化社会を取材テーマとする夕張チームと二手に分かれた。夕張には北海道大学大学院広報メディア・観光学院の博士課程に学ぶ王瞻(オウ・セン)さんが通訳として同行してくれた。彼は、交通手段や取材先との交渉まできめ細かい仕事をして、不案内な学生たちを助けてくれた。私たちの日本取材ツアーにおいて、優秀な中国人留学生の存在は欠かすことができなかった。

報告会では新聞専攻4年の蔡少頴が夕張の公共交通問題について、同じく李青彤が高齢者や障がい者を支援する一般社団法人「らぷらす(La Place)」の取り組みを紹介した。



石勝線夕張支線は2009年3月31日に廃線となる。その後JR北海道が7億5000万円を支援し、代替措置としてバス路線の整備が行われる。学生たちは実際に列車に乗り、無人駅を見て歩いた。鉄道ファンのほか利用客は皆無。町にも人影はなく、過疎化、高齢化に直面した夕張の深刻な状況を肌で感じた。









「62歳のおばあさんが雪かきの応援を頼んだところ、駆け付けたボランティアは82歳と87歳のおじいさんだった」

彼女たちが耳にした最も印象的な言葉だ。だが、むしろお年寄りがなお元気に暮らしていることの裏返しだとも言える。

そうした人々のネットワークを支えている中核として、学生が取材し、伝えたのが安斉尚朋さんが創設した「らぷらす」だ。学生が市民グループの活動を取材したいと希望したのを受け、私がネットで見つけ、メールで取材を申し込んだところ、快諾していただいた。当日の取材は、日曜日だったにもかかわらず、安斉さんが車を運転して、学生たちに市内案内をしてくれた。
(「らぶらす」公式サイト)http://laplaceyubari.wixsite.com/laplace



安斉さんは社会福祉を学んだ後、夕張市内の知的障害者入所施設で15年間勤め、その後、2012年、「障がいを持って生まれても、地域で生涯暮らせるまちづくり」を目指し2012年、らぷらすを設立した。キーワードは「共生」である。



主要な業務の一つが、高齢者への食事宅配だ。障がい者ら社会で働くことが困難な人々が集まり、それぞれができる範囲の作業をして弁当を作る。配達のため高齢者の家に立ち寄ることが、一人暮らし状態を知る機会にもなる。また、体や心の障がいを抱えた子どもたちに遊びのスペースを提供し、コミュニケーションの中で自立の道を探る試みも行っている。

人口は9000人足らずで、その半数を高齢者が占める。そんな過酷な状況にあって、金や技術ではなく、人のつながり、共生によってまちづくりをする「らぶらす」の営みが、学生たちの目には新鮮に映ったようだ。​
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【北海道取材ツアー⑯】高齢化社会のAIと人間関係

2018-10-25 11:23:21 | 日記
今回の取材で最大のテーマは日本の高齢化社会に対する対応で、中でもAIとロボットの活用に関心が高かった。私たちが北海道を訪れる約3週間前、李克強首相が訪日して北海道にまで足を延ばし、日本の高齢化社会の対応に関心を寄せたばかりだった。新聞専攻4年李青彤が書いた記事は、新華社の携帯アカウントでも主要記事として配信された。北海道は過疎化の問題も抱え、全国水準を上回る高齢化社会の課題に直面している。



取材のハードルも高いことが予想されたが、北海道社会福祉協議会の田仲哲也さんが熱心にサポートをしてくれたおかげで、北海道介護ロボット推進協議会、および介護老人福祉施設「手稲つむぎの杜」での取材がスムーズに実現した。田仲さんの熱心できめ細かいアレンジに深く感謝申し上げたい。また、北海道高齢者計画推進グループの戸田沙知さんにも、道内全体の高齢化問題について、学生たちの質問に丁寧に、根気よく答えていただいた。あわせて御礼申し上げたい。



特にロボット推進協議会とつむぎの杜では、学生たちが実際にロボットの実演や体験をさせてもらい、貴重な経験ができた。人工筋肉やペット用ロボットなど、なかなか接する機会のない新技術に触れることができた。学内報告会では李鈺欣が撮影編集した映像をもとに李青彤が紹介をしたが、実際の体験談がたくさん盛り込まれ、会場から強い関心が寄せられた。老人介護施設では過酷な労働条件を嫌って人材が集まらず、ロボットの導入が急務となっている実態が、赤裸々に報告された。



だが、機材はまだ高価で、政府が補助金を投じて普及に努めているが、まだ目に見える成果は上がっていない。技術的にもまだまだ開発の途上にある。学生による報告は、将来の課題、中国の取り組みを含めた幅広い内容だった。

学生たちが現地取材中、一番驚いたのは、手稲つむぎの杜で施設内を視察している際、出会ったボランティアだ。何しろ入居者の年齢を上回る80歳の男性だった。元気に動き回り、お年寄りの話し相手をしている。「いずれ自分も介護される側に回るだろうから、今のうちにできることをしておきたいと思って」とさらりと話す男性に、学生たちはあっけにとられた。私も驚いた。

高齢化社会にはもう一つのテーマがある。人手があり、先進技術に恵まれた札幌と対照的に、鉄道廃止が決定されたばかりの夕張はまったく異なった事情がある。報告会ではこの点についても詳しく言及があった。次回、改めて紹介したい。


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【北海道取材ツアー⑮】家出少女を救ったペンション主人

2018-10-24 09:41:10 | 日記
日本の深刻な高齢化問題を主テーマとした汕頭大学新聞の北海道取材チームは、逆に、日本の高齢者があまりにも元気なのに驚かされた。事前にインターネットで下調べをし、日本には弱々しいお年寄りがあふれ、社会の活力が失われている、とのイメージができあがっていたためだ。メディアによるバイアス、そしてそれを自覚し、修正するには現地での体験にまさるものはない、ことを学ぶ場にもなった。

10月13日の学内報告会で、元気な高齢者の代表として、映像担当のラジオテレビ専攻4年史嵐嵐が紹介したのは、美瑛でペンション「ポテトの丘」を営む松田武夫さんだ。長年勤めた日本航空を離れ、1995年、まださほど知られていなかった美瑛パッチワークの丘にペンションを建てた。現在は73歳。自ら日本語、英語で電話の受付に応じ、夕食時には宿泊客とのコミュニケーションを欠かさない。



史嵐嵐の発表は、世界の観光地を歩いてきた松田さんが、大企業の歯車ではなく、自分のペンションを持ちたい思うようになった夢への共感から始まった。中でも、オーナーが宿泊客のことを考え、部屋の隅々にまで気を配っている姿が新鮮だったようだ。しかも、中国ではとっくに引退している年齢にも関わらず、夜通し仕事に向かっている松田さんの姿にすっかり圧倒され、感動した様子が、彼女のフィルム作品、言葉から伝わってきた。





松田さんは、「農村の風景によってポテトの丘が成り立っている」ことを説いた。だから、地元自治会の役員を引き受け、電灯や道路の修復から冠婚葬祭まで、現地の風習にしたがってすべて引き受ける。住民との関係を大切にし、観光業による収益が地元にも多く還元されるよう、役所への陳情も続けている。

史嵐嵐が流した松田さんへのインタビュー映像には、印象的なシーンがある。松田さんはペンション開設20年の際、常連客を呼んで記念パーティーを開いた。そこでいったんは引退を宣言する。だが、後継者として想定していた息子が、自分の仕事を継続しながらペンション経営をしようと考えていることを知り、引退そのものを断念する。

「ペンションの経営者は、宿泊客と直接コミュニケーションをとらなければ務まらない。それを人に任せるのではダメだ」

それが、ペンションオーナーとして、松田さんのおもてなしの原則なのだ。松田さんは取材のとき、欠かしたことのない日記をチラッと見せてくれた。そこには、自殺をしようと家出をしてきた少女を説得し、帰宅させた物語や、お年寄りの宿泊客が急病にかかり、病院まで運んだエピソードなど、宿泊客との無数のコミュニケーションが残されている。





松田さんの今の夢は、それらを一冊の本にまとめることだ。だが、オーナーを続けながらでは、なかなか集中できない。そんな悩みも学生たちに打ち明けた。史嵐嵐は発表の最後、「私たち中国人学生の取材を受けたことも、松田さんが書こうとしている本の中に登場すればうれしい」と話した。そして、学生たちが取材を終え、車で引き上げる際、松田さんが、片手を振るのではなく、両手を大きく振って見送ってくれたと言って、報告会上の場で実演して見せた。
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【北海道取材ツアー⑭】十勝千年の森が教えてくれたこと

2018-10-20 13:57:19 | 日記
北海道取材ツアーのテーマ選定作業の中で、ある日、映像担当の史嵐嵐から、「ここを撮りたい」と持ち掛けられたのが、十勝千年の森だった。取材の承諾が得られるかどうか、半信半疑で設計会社のサイトにメールを送ると、二つ返事で「学生さんたちのご案内喜んでお引き受けいたします」と。しかも高野さんはこれまで中国の中央地方指導者や大学の視察を多数受け入れ、特に若者との交流に積極的で、世界30か国、のべ300人以上の学生をインターンシップとして迎えた実績があることを知らされ、元気づけられた。

取材計画の初期、非常に頼もしい取材アポが実現し、学生たちの大きな励みになった。文字原稿は李婷が担当することになり、コンビで詳細な取材打ち合わせが行われた。報告会では、史嵐嵐の撮影編集した映像を使い、李婷が取材内容を紹介した。





十勝千年の森は2008年にオープンした。土地のオーナーである十勝毎日新聞の林光繁会長が、グランドデザインを手掛ける高野文彰さんと意気投合し実現させた。大量の紙を使う新聞社の生態環境に対する社会的責任と、自然とのスローな対話を重んじる設計のコンセプトが調和して生まれた。森をそのまま放置するのではない。人がモノではなく手を加え、共生する道を探索した結果の作品だ。英国ガーデン設計コンテストでは、「世界で最も美しい庭」と評価を受けた。

報告会では史嵐嵐の映像も李婷の発表も、高野さんのインタビューを中心にして組み立てられた。



高野さんたちは当初、1年四季を通じ、笹を刈り、木を切り、じっくり森の反応を観察しながら設計を進めていたが、気が付くと3年かかっていた。現代社会はみなが急いで、金もうけに追われている。

「ゆっくり生活し、ゆっくり食事をし、そんなスローな設計があってもよい」

というのが高野さんの考え方だ、と李婷が解説した。様々なメディアの取材を受け、各種の記事が発信されている高野さんを前に、どうしても質問がこれまでの記事の繰り返しになり、自分独自の切り口が見つからなかった、と彼女は取材の内幕話を明かした。それを高野さんに見透かされ、どぎまぎしていると、逆に高野さんから「今日、何が一番楽しかった」かと水を向けられた。彼女は頭の中が真っ白になってしまい、思わず、さっき森の中で飲んだワインだと答えた。



ある一角では切り倒した大木をバーに見立て、森の中で自然のバーを楽しめるよう工夫されている。高野さんの特別客のみが享受できる至高の待遇だ。そこにも独自の森林教育の理念が隠されている。「森の自然は、本や知識によって学ぶのではなく、楽しみながら自然に受け入れることが大切」。これが幼少期から自然に親しんできた高野さんの持論である。植樹もいいけれど、どんな木を植えているのかも知らず、大きく育ったたらどうなるのかも知らず、杉なら杉ばかりを植えても、本当の環境保護教育にはならない」



李婷の話は、高野さんの言葉を借り、環境保護全体の理念に及んだ。

「手を加えず、何もしないのが環境保護だという考え方は間違っている。大きな木を切れば、太陽が差し込み、その太陽に誘われ新たな植物が芽を出す。外からのものを持ち込んではいけない。あるものを差し引いていく。足し算ではなく、引き算の設計が大切だ」

彼女の記事は、新華社発行の権威ある「瞭望東方週刊」(2018年9月27日号)に写真付き2ページにわたって掲載された。同内容の記事が新華社の携帯アカウントでも配信された(http://xhpfmapi.zhongguowangshi.com/vh510/#/share/4620000?channel=weixin)。後日、日本語の全訳を紹介したい。有意義な人との出会い、自然との触れ合い、学びの場であった。

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【北海道取材ツアー⑬】小川正樹先生の思い出

2018-10-20 10:02:40 | 日記
昨日のブログでは、新聞専攻4年劉錦屏が学内の北海道取材報告会で、函館における華人華僑の発展について発表した内容について紹介した。中でも、函館ラ・サール中学校高等学校教頭、小川正樹さんの熱心さと心配りは、学生たちが最も感銘を受けた日本人気質のうちの一つだった。劉錦屏は学内メディアに発表した取材感想文の中で、特に小川さんの誠実な対応について触れ、こう書いている。

「私はとても感動した。自分は普通の学生として取材しただけなのに、小川先生はとてもまじめに、気を配って資料を用意し、自分の研究成果を惜しむことなく伝えてくれた。同時に私は、先生の誠実さと熱意にどう応えることができるのか、とても自分が気恥ずかしくなった。・・・小川先生の情熱とまじめさは、私にとても深い印象を刻んだ。もしまた機会があれば、必ず函館に行って、先生を訪ねたい!」

その感動を示す証拠に、劉錦屏が大切にしている記念写真が2枚ある。2枚とも私たちが小川さんを取材した翌日、6月6日の撮影だ。

札幌に戻ろうと函館を去る前、小川さんはわざわざ宿泊先のホテルまで来て、中華会館の内装や調度品を写した写真をハードディスクに整理し届けてくれた。中華会館は管理運営の問題から現在は開放されておらず、写真でしか内部をうかがうことができない。学生たちにとっては貴重な資料である。前日の取材時に借用できないかとお願いし、小川さんに快諾をしていただいた。

小川さんはそのうえさらに、地元のおだんごをお土産に持参し、「車中で召し上がってください」と学生にプレゼントしてくれた。彼女たちはいきなり食べるのが惜しくて、まずは写真に収めておいたのだ。



そしてもう1枚は、小川さんが手にしていたメモだ。学生たちに中国語でメッセージを伝えようと、グーグルの自動翻訳で用意していた言葉だった。



三つの中国語文が発音記号のピンインととも書かれている。後の二つは、それぞれ

「请再次来北海道函馆」(また北海道函館に来てください)
「请享受你的旅行」(旅行を楽しんでください)

と意味が取れるのだが、最初の

「请不吃东西吃」

は直訳すれば「ものを食べないで、食べて」となり、どうも意味がつかめない。学生たちは英語で小川さんとやり取りし、真意は「取り合わないで、みんなで仲良く食べてください」だったことを知り、感動を新たにした。これも忘れ難い、心のこもったもてなしとなった。

昨日、私がメールで、報告会の紹介と感謝の言葉を小川さんに送ると、すぐに返事が来た。律儀な方である。私は文面に深く感動し、中国語に訳して学生にも伝えたが、ぜひさらに多くの人たちと共有したいとの思いを抑えることができなくなった。以下、一部を抜粋させていただく。

「劉錦屏さんの熱心さには、本当に心を打たれました。自分の言葉を一つ一つ、かみしめるように、そして心に刻むように聞いてくれたその姿勢に、涙が出るほどうれしく感じました。私の言葉を、これほどまでに熱心に聴いていただいた方には、これまで出会ったことがありませんでした。私にとっても忘れられない出会いとなりました。」

「私も、22歳の時に、大学の仲間と大連外国語学院の空手部を訪問し、1週間ほど中国の学生と交流したことがあります。この時に、ワンヤーペンという学生と、旧満鉄社宅の間を歩きながら、日中の歴史について語り合いました。他の人びとの視線の無い中で、率直な気持ちを語り合うことで、日中の歴史認識を乗り越えるヒントを手にした気がしました。ここで私がワンヤーペンと約束したことが、日中の間の歴史を次世代に必ず伝える、ということでした。」

「私は、今でも、この約束を果たすために、学校の教壇に立っています。日中をめぐるいろいろな問題もあります。それでも私は、有史以来、交流を対立を経てもなお、深くつながっている中国を理解したいと思っています。そして、中国の家具をそうした日中交流、相互理解の重要な手段と考えています。美しいものは、どのような状況であっても美しい。そうした尊敬、敬意、認め合うことが、それを使用する人々にまで広げることができれば、多くの誤解や偏見を乗り越えられるのではないか、とも考えています。」

「劉錦屏さんも、同じように、日本のことを理解してもらえれば、本当にうれしく思います。私は在日華僑の動向や中華会館の建築物・家具という手段で中国理解を深め、日中の懸け橋になることを目指していますが、劉錦屏さんが、この後、どのような懸け橋になってくれるのか、本当に楽しみです。いつの日か、劉錦屏さんと、どこかで再会し、日中の将来について語り合うことができれば、望外の喜びです。劉錦屏さんの、これからのますますのご活躍を、本当に、心から、お祈りいたします。 」

劉錦屏の華人華僑に関する原稿は今、メディアと掲載の交渉をしている。できるだけ日の目を見るよう力を尽くしたいと思う。もしそれがかなわなくても、学内のサイトにはアップされる。彼女は「いずれ原稿が公表されたら、小川先生に手書きで感謝の手紙を書く」と意気込んでいる。
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