行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

2021年を締めくくる日中文化交流・第3回「こんにちはサロン」

2021-12-21 12:59:15 | 日記
北京では冬季五輪に向けたコロナ対策や、おそらく政治的なプレッシャーから、日本人の関係する大型イベントが軒並み中止に追い込まれた。そんな中、12月18日、キヤノン中国会議室で日中文化交流イベント第3回『こんにちはサロン』が開催された。厳戒厳冬の首都で、100人余りの熱気あふれる集いが実現したことは、実に得難い機会だった。

コロナ禍で国際的な人的交流が大きく制約を受ける中、中国、主として北京にいる日本人の各分野にわたる知識、技能、経験を生かし、オフラインの日中文化交流を模索しようと始まったのがこの『こんにちはサロン』だ。まずは2021年3月27日、桜満開の日本大使館を会場に行い、その好評を受け、7月10日、天安門広場に接した前門のMUJI HOTEL BEIJINGで「夏祭り」と題する第2回を実施した。

続く秋の集いとして10月30日に第3回を予定し、広報もスタートした。ところが10月に入って北京でコロナ感染例が見つかり、政府の感染対策が強化されたうえ、一部大学も閉鎖されたため、やむなく延期を強いられた。その後、季節は冬を迎えたが、再び北京のゼロコロナが実現したタイミングをみて、改めて実施を決めた。ギリギリまでどうなるかわからない状況で、気をもみながら当日を迎えた。


(中島浩司撮影)

今年の総決算となるコロナ下の国際交流イベント。司会は北京在住のライターで、私がずっと一緒に文化交流イベントに取り組んでいる斎藤淳子氏、そして、初回イベントでは参加者の一人だった北京の日本歴史ファン、楊錦が、絶妙のコンビでこなしてくれた。

(付玉梅撮影)

(付玉梅撮影)

(大西邦佳撮影)

(王立辰撮影)

日中のボランティアが生き生きと会場を動き回る姿を見て、実に感無量だった。参加者は大学生や教師のほか、カメラマン、メディア関係者、さらには毎回出席してくれる国務院日中経済交流会の張雲方元事務局長、『人民中国』雑誌社の王衆一総編集長、中国国際友人研究会の田濤事務局長らの常連もいた。みなが一期一会の得難さを感じながら、中身の濃い3時間余りを過ごした。昔の日本人記者仲間も顔を出してくれ、翌日、彼から以下のメッセージが届いた。

「昨日は本当にお疲れ様でした。今の北京であれだけのイベントを開催された熱意と力量に敬服いたします。」


(中島浩司撮影)

今回、出演者のトップバッターキヤノン中国の小沢秀樹社長。41年間の海外駐在経験をもとに、「感動」と「笑顔」をもたらす企業文化を紹介した。また、北京魯迅博物館の専属カメラマン田中政道氏は、30年に及ぶ広告カメラマン人生を通じて体感した職人の世界、さらには北京移住後、2000作以上に及ぶフォト川柳/俳句の創作を語った。

(高璇撮影)


(高璇撮影)

非常にユニークな出し物が、日本科学技術振興機構北京事務所の横山聡副所長による横笛演奏で、参加者に大好評だった。横山氏は埼玉県川越出身で、360年以上の歴史を誇る川越祭に、「五人囃子」の横笛奏者として参加し、さらには笛そのもの自分で手作りしてしまうほどの職人気質だ。この日は、わざわざ和装に着替え、テンポのゆっくりとした「鎌倉」と、躍動感のある「四丁目」の2曲を披露した。


(王立辰撮影)

最後に私が、汕頭大学新聞学院で行っている日本取材ツアー「新緑」のうち、2018年の北海道ツアーを、参加した卒業生とともに紹介すると同時に、『こんにちはサロン』の総括をした。

「異なる文化に接することの意義は、視野を広げ、コミニケション能力を高めることなどのほか、最も重要なのは、自分の文化を見直し、再認識するチャンスを得ること」

前列に座っていた学生たちが大きくうなづくのを見て、この一年の努力が報われたような気がした。一気に走り抜けたような2021年だった。2022年は中国南方で新たな展開を計画している。


(王立辰撮影)

以下は『こんにちはサロン』携帯アカウントのニュース
https://mp.weixin.qq.com/s/rLBxePgHgullKCXtvrORxg


中国でも関心が高まる金継ぎ、すでに北京で教室も開設

2021-07-29 15:58:13 | 日記
今年の夏休みは北京で過ごしている。先日来、多数の犠牲者を出した河南省鄭州の水害が大きな話題となっているが、北京も連日雨続きで、例年にない異常気象だ。それでも毎日、スイミングに通い、来学期に向けた健康づくりに励んでいる。

本日、中国で発行されている日本語雑誌『人民中国』に寄稿した文章がまずはネットにアップされた。同誌は1953年創刊の歴史ある雑誌で、中国国内においては唯一の日本語総合月刊誌である。

修復工芸「金継ぎ」が今、中国で注目されている不思議

7月10日、北京・前門の「MUJI HOTEL BEJING」でコロナ下の国際交流を探求する第2回「こんにちはサロン」を開き、そこで私が金継ぎに関する話をしたことは前回のブログですでに触れた。寄稿文では、それに加え、金継ぎがすでに庶民レベルで受け入れられ始めていることを紹介した。

その一つは、サロン直前の7月4日、私の学生が北京郊外順義区に金継ぎの陶磁器を取り扱う骨董商、その名も「古道具・土氣」を見つけてくれ、早速足を運んだことだ。オーナーは80年代生まれの吉林人、白昀沢氏。日本人の珍客をお茶でもてなしてくれた。

白氏は北京で工芸を学び、柳宗悦らが主導した日本の「民芸運動」に興味を持ち、自分でも金継ぎ作品を創作しながら、コロナ前は一か月のうち日本、韓国、国内にそれぞれ10日間滞在しな、金継ぎや鎹止めなど修復工芸の骨董を集めていたという。書棚には陶芸に関する日本語の雑誌や書籍などがずらりと並んでいた。








自宅のガレージを改造し、店舗兼アトリエの空間は狭いながらも、民芸調の雰囲気を味わうのに十分だった。

また、奇縁なのだが、第2回「こんにちはサロン」の会場に、北京三里屯の外交人員言語文化センターで金継ぎ教室を開いている李哲氏が来ていた。李氏はかつて北京に駐在する日本の新聞社で助手をしていたこともある。中国在名古屋総領事館に勤務時代、由緒ある「幸兵衛窯」(岐阜多治見)第七代加藤幸兵衛氏の従妹、加藤恵子氏に師事して金継ぎを学んだ。

金継ぎ教室の開講は今年6月だが、すでに教え子の生徒は外国人を含め7班計32人に増えている。私は7月24日、李氏に招かれ、同センターでほぼ前回同様の講演を行った。集まったのは愛好者ら約40人。熱心に質問をしてくる若者もいて、中国で金継ぎが静かなブームになっていることを身をもって知ったのである。







驚いたことに、李氏の友人で中国の人気女優、方青卓氏も飛び入り参加し、金継ぎの魅力について、「過去の失敗を埋め合わせ、新たな希望を与えてくれる」と、ユニークな解説をしてくれた。

今夏の北京はあいにく雨続きだが、芭蕉の句、

「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ おもしろき」

にもあるように、景色を遮るものがあってこそより趣が深まると思えばよい。中国において金継ぎが徐々に受け入れられている現状について、大きな収穫もあった。コロナ下だからこそ、身の回りを改めて見直す貴重な機会なのかも知れない。(完)

北京で第2回「コロナ下の国際交流」ーーー“和”の心を語る夏祭り

2021-07-10 00:18:48 | 昔のコラム(2015年10月~15年5月
 昨日7月10日、北京・前門の「MUJI HOTEL BEIJING」で第2回「こんにちはサロン」が行われ、観客や運営スタッフを含め約100人が参加した。天安門に面した特別な場所で、中国共産党創立100周年記念式典が1日に行われたばかりの特殊な時期に、日中文化交流イベントが、しかも日中青年のボランティアによって実現したことは、極めて大きな意味を持っている。開催に尽力した各方面の方々に深く感謝申し上げたい。


 


 コロナ下で各国の国際交流事業が軒並み影響を受け、さらに事態の長期化が予想される中、直接対面による異文化交流の試みは、今後ますますその意義を深めると考える。初回は3月27日、桜が満開の在中国日本大使館で、日本人教授3人によるコラボとして行った。今回は「夏祭り」をテーマに、ポスターには風鈴を用い、特製団扇を記念品として参加者に配布した。すべてボランティアの学生がデザインしたものだ。次回は秋の「収穫祭」を目指そうと、みなで誓い合った。


 
 今回は、中国の一部若者の間でも関心を集めている日本文化の「癒し」「わびさび」をキーワードに、「和」の心を語るサロンを設定した。参加者は若者から年配者まで各層に渡った。
 講演者は、茶道裏千家淡交会北京同好会講師、北京外国語大学日本語学院講師の松井美幸さん、「MUJI HOTEL BEIJING」総経理の濱岸健一さん、そして私、さらに総括のコメントを作家・翻訳家の劉檸さんにお願いした。


 松井さんは主として「日本の茶道と季節感」について、様々な日本文化を結集し総合芸術ともいわれる「茶の湯」が、中国由来でもある日本の年中行事や季節の移ろいを取り入れている表現について解説した。


 
 濱岸さんは、「誰でもできる日本庭園」と題し、仏教の影響を大きく受けた日本の庭園が、一貫して重んじてきた「自然との共生」の在り方を語った。



 私は、「china(陶磁)とjapan(漆)の出会い」のテーマで、汕頭大学日本取材チーム「新緑」が2019年、京都で取材した金継ぎ(「京都平安堂」)の映像を中心に、中国の若者が体感した日中の修復工芸交流を紹介した。
 【参考映像】壊れ物に命を吹き込む金継ぎ


 
長年の友人である劉檸さんは、自身の日本文化体験を踏まえながら最後の総括をしてくれた。

 実に険しい道のりではあったが、参加者からの温かい言葉がすべての苦労に報いを与えてくれた。中国の若者を中心に、日本の伝統的な文化に対する関心はより深く、広がりをみせていることも痛感した。すこしでもその関心に応えることができればと思う。





「コロナ下の国際交流」を探る試み⑤完

2021-05-25 18:04:43 | 日記
3月25日、無錫国際桜祭りに初めて中国人民対外友好協会の会長が出席した。南アフリカ共和国大使を歴任した外交官の林松添氏で、副大臣クラスの大物だ。それまで同協会からは副会長が参列していたが、一気に格上げされた。

(3月25日、無錫慧海湾公園・国際桜林友誼林開園式典での記念植樹。左から5人目が林松添会長、その右が磯俣秋男・駐上海日本総領事)

(磯俣総領事と林会長)

中国をめぐる国際関係が厳しい中、これは単純な巡り合わせではない。30年以上も続いた無錫での桜をめぐる日中交流の基礎があることは言うまでもない。いきなりスタートした民間イベントに全国友協会長が直々来ることは通常あり得ない。さらに、より深い理由があると受け止めるべきだ。

まず、それを理解するためのバックグラウンドに触れる。中国では政治がすべてに優先する。例えば、中国人が「政経分離」と言っても、日本人の理解で受け取ってはならない。政治が第一であり、ポリティカル・コレクトに触れない範囲で、経済交流を進めましょうと言っているに過ぎない。もっと言えば、経済交流が政治目的に合致しているという大義名分がなければならない。無原則な市場化はあり得ない。こうしたことは、中国人みなが肌で学んでいる常識だ。

いわゆる「官民」の使い分けにしても同じである。政治を担う「官」はすべてに優先する。官から離れた完全自由な「民」は存在しない。「民間交流」と言っても、それは自由、無原則ではなく、政治の目的にかなった範囲内の活動を示しているに過ぎない。「官」の態度に「民」が敏感に反応する土壌はこうした背景を持っている。

対外友好協会は、いわゆる民間外交を担う国家機関だ。すそ野の広い民間分野に、融通の効かない政治が直接かかわり、道をふさいでしまうことを避けるためのクッション役を果たす。各地方政府は外交にかかわる「外事」のほか、「対外友好協会」の表看板をもった部門があり、その頂点に立つのが全国友協だ。

だから、日本を始め外国の外交官やビジネスマンが多数ゲストとして呼ばれている無錫国際祭りに、トップの林松添会長が北京から駆け付けるのも、民間交流の推進という建前はあっても、政治とは無縁ではありえない。間違いなく中央最高指導部の了解、さらに支持がなければならない。

林会長は弁舌が巧みで知られるが、その演説も中央の事前了承がなければおいそれとできるものではない。また、現地で私が「新緑」メンバーを引率しての取材を申し込んだところ、「NHKの後に」との条件で快く引き受けてくれた。強い後ろ盾を持った自信の表れと言ってよい。



林会長の開幕挨拶には重要なポイントがいくつかあった。
1,無錫の桜林は将来にわたる日中友好の象徴である。
2,日中間には両国人民が不幸に見舞われることはあったが、友好が主流であり、困難に遭うたびに、両国民間が手を携え共通利益を守ってきた。
3,21世紀はアジアの世紀であり、日中がともにアジアの平和と安定、繁栄を守る責任があり、域外国家の干渉を排除しなければならない。
4,今年、中国共産党は100周年を迎え、幅広い対外開放とハイレベルの発展に力を注いでおり、対外民間交流も新たな発展の機会が広がっている。
 
つまり、周辺外交を円滑に進めるために、日本との民間交流はこれまで同様、強く推進していくことが国の基本方針であることを明言したのである。





また、「新緑」のインタビューに対し、林会長は特に青年交流の重要性を強調した。
「青年相互交流は民間友好交流の重要な方向であり、中国の青年が世界、特にアジアの青年と交流を進め、お互いを理解することが必要だ」
「メディアの報道には間違いも多く、外に出ていかなくては、真実の世界を知ることはできない。だからこそ、青年同士の直接交流が必要となる」
「中国の青年がどんどん世界に出ていくよう励ましているし、海外の青年が中国に来て交流し、学び合い、一緒に発展することも歓迎している」



34周年を数えた日中桜友誼林建設の歩みがいかに尊く、貴重なものであるか。若者の参画と直接対話がどれほど重要か。そんなことを再認識するとともに、同時に、日中の多くの人たちが、なんとそれに気づいていないか、あるいは知ろうともしていないか、を痛感することになった今年の桜祭りだった。

(完)

「コロナ下の国際交流」を探る試み④

2021-05-19 13:25:14 | 昔のコラム(2015年10月~15年5月
先週末、学部の卒業記念行事が終わり、6月末の卒業式に向け、学内では別れを惜しむ光景が目立つようになった。期末テストや新入生の募集準備も同時に進行し、にわかにそわそわし始めた。




4月に入って広東省が外国人へのコロナ・ワクチン接種を開放すると発表していたが、今月12日、大学で外国人教師に対する接種が始まり、さっそく第1回を受けてきた。接種後、幸い何の反応もなかった。時間をおいて、改めて2回目を接種する予定だ。


残念ながら目下、ワクチン接種によって再入国条件が緩和されるわけではなく、従来通り4週間(入国場所3週間+居住地1週間)の隔離が必要なので、夏休みの一時帰国は断念せざるを得ない。その分、「こんにちはサロン」の第二弾に専念しようと思う。すでに日時と場所が内定し、準備が順調に進んでいる。

第1回目の「こんにちはサロン」は3月27日、北京の日本大使館で行ったが、「コロナ下の国際交流」イベントは、実は同月25日の「無錫国際桜祭り」からスタートしている。私は無錫市から「桜花使者」を拝命しているので、都合の許す限り毎年参加しているが、今年は「新緑」メンバーを同行し、取材チームとしてかかわった。

昨年はコロナの影響でイベント自体が中止となったが、今年は、日本からの植樹チームが参列できない中、上海の日本総領事をはじめ各国総領事、北京からはシンガポール大使、さらには多数の日系企業関係者が集まり、文字通り「コロナ下の国際交流」を模索する試みとなった。







無錫の太湖湖畔には今や3万本となった桜林「中日桜花友誼林」があるが、もともとは1988年、日本の戦争世代が植樹をしたのが始まりである。今年で34周年を数え、これまで1万6000人が参加した。民間レベルの日中交流事業としては、間違いなく最も息の長い、最も中身の深い行事の一つである。

残念ながら日本からの植樹チームは参加できなかったが、無錫市の開幕イベント会場で、「日中共同建設桜花友誼林保存協会」代表の新発田豊さんのビデオレターが披露され、「3万本が大きく育ち、きれいに咲き、中国一の桜の名所となったのは、無錫のみなさんとともに桜に託した友好と平和の願いが届いたものです。これからも世世代代まで成長していくことを願っています」との言葉が来場者を感動させた。




妻の新発田喜代子さんによると、わずか1分の収録のため3日間をかけたという。たくさんの思いが詰まったビデオレターだった。新発田夫妻は「新緑」チームの取材にも応じ、「保存協会は高齢化が進み、父を知る人も少なくなりました。日中未来創想会の若者のパワーを感じて私達で終わりにしてはいけない。桜の花が百年、千年と咲き続けるのを見守らなくてはとの想いになりました」と答えてくれた。

非常に困難な状況のもとでの無錫国際桜祭りだったが、その分、意義深いものになったと思う。さらに注目されたのが、当日のゲストだった。全国人民対外友好協会からはそれまで副会長が参列していたが、今回初めて「会長」が姿を見せたのだ。

(続)