独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

訪日取材団の記事4本が新華社の携帯サイトに!

2017-05-31 18:57:44 | 日記
3月末から4月初めにかけ、汕頭大学新聞学院の学生6人を引率して九州を訪れ、環境保護取材をテーマに取材した。帰国後、学生が作成した動画についてはすでに一部が公表されたことを報告したが(http://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/92c1f541d0175fce1b3439ede16485af)、本日、携帯アプリ「微信」(We Chat ウィー・チャット)で新華社が有する公式アカウントを通じ、計4本の原稿が公表された。次号の新華社発行の時事週刊誌『瞭望東方週刊』にもまとめて掲載される。

大学生の署名記事が、最大通信社を通じて流れるのは極めてまれなことで、学生たちは興奮の一日を過ごした。



5本は、

北九州の公害において母親たちが果たした役割から、環境保護教育における母親の存在までを描いた林家怡(ジャーナリズム専攻3年)

人間と自然の共生をテーマに、熊本県小国町で地熱料理研に取り組む山口玲子氏を取材した李芹(同)

福岡家桂川町で家族とともに、合鴨による無農薬農法に取り組む古野隆雄氏が語る「縁農」を探求した夏燕南(同)

北九州で食品廃棄物の循環サービスに挑む「楽しい株式会社」と、中国との共同プロジェクトを紹介した陸軼凡(国際メディア専攻3年)

の作品である。時間をみて、それぞれの日本語訳を発表したい。福岡、北九州を中心に、多くの関係者の方々に重ねて御礼申し上げたい。

大学のサイトにも、今回の日本取材を紹介するページが出来上がった。
http://media.stu.edu.cn/japaneco/

学生たちの成果が少しずつ形になっていくのを見るのは、とてもうれしい。自分で記事を書くよりも骨が折れる分、喜びも大きいし、報道というよりも教育、国際交流という新たな側面から記事を作成することに、まったく異なる意義を見出している。学生たちに忘れがたい経験を残せてあげられたことが、何よりもの喜びであり、この上ない達成感を感じている。

先日、端午節には取材チーム「新緑」のメンバーで打ち上げをした。彼女たちの食べ物のリクエストは、地元・汕頭名物の牛肉鍋だった。日本のしゃぶしゃぶと同じ食べ方だが、肉の部位が多種多様で、生肉をその場で切るから新鮮だ。出し方もしゃぶしゃぶのような一枚一枚ではなく、一切れ一切れぐらいの感じだ。牛肉団子も弾性があって歯ごたえが良い、すでに中国各地に広まっており、いずれ日本にも上陸するだろう。






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タンポポのような綿毛を敷き詰めたのは「木綿花」

2017-05-30 12:15:37 | 日記
今日は旧暦5月5日で端午節である。中国では各地でちまきを食べて、憂国の詩人、屈原をしのぶ。北方は小豆などをまぶした甘味、南方は肉や卵の黄身を入れた塩味だが、ここ潮汕地区は双方を兼ね備えた二色の味である。中国の食文化は地方色が強い。テレビのニュース番組を見たら、各地のドラゴン・ボートレースが紹介されていた。夜は大学内のレストランで、今学期で大学を去る先生の送別会がある。

6月には学期末、そして卒業式を迎える。汕頭大学の隣にはイスラエル理工学院が今秋に開校する予定だ。盛大な開校セレモニーに国内外の要人が参加するため、周辺の建物も外壁を塗り替える化粧直しを始めた。中国語名しかないレストランにも英語名を掲げるよう行政指導があり、「阿吉米(ajimi)」という日本料理店から「どんな英語名をつけたらいいか」と相談を受けた。おそらく「Taste」になるのではないか。

こうした付け焼刃的な工事は、北京五輪や上海万博などの国際イベントでいやというほど繰り返されてきた。人々は、うわべを取り繕う「形象工程(イメージ・プロジェクト)」と呼んで揶揄する。地元指導者のメンツを繕うための工事である。うまい命名だ。

宿舎の近くにある木綿花(Mumianhua)がタンポポのような綿毛を飛ばし、辺りの一面が綿を敷き詰めたようになった。私の部屋は3階だが、窓を開けると次ぐから次へと入ってきて、床を浮遊し始める。部屋にながら自然との一体を感じられるという趣向だ。





広東や雲南、海南でみられる木だ。日本ではキワタ(木綿)という。春には肉厚の朱色の花をつける。広東に本社を置く南方航空の垂直尾翼には、この花をかたどったロゴが描かれている。





南はもう夏である。みなが一足早く夏休みの相談を始めている。4年生の多くはもう就職先が決まった。まだ決まっていない者は面接が続く。長い人生だ。慌てることはない。労働市場は流動的で、終身雇用などはない。会社で人生が左右されるわけではない。人との出会い、縁を大切にすればよい。


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魯迅が語った「道」と高村光太郎の「道程」

2017-05-29 12:50:39 | 日記
「道」という漢字には首がある。首は人である。人が進むからこそ道である。人から外れたものはけものみちだ。人の歩く道は路ともいう。思考、思惟、思想もまた、人の頭がたどる道である。中国人は2000年以上にわたり、道を問い続けてきた。『論語』は「朝(あした)に道聞かば 夕べに死すとも可なり」と、峻厳な覚悟を示した。

魯迅(1881-1936)が短編小説『故郷』(1921)の最後に書いた有名な言葉がある。



「其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路」
(実際、地上に道は初めからあるのではなく、多くの人が歩くから、それが路となるのだ)

資産家だった紹興の実家は破産し、家財道具を売り払って転居を迫られる。幼少時、自然との遊びを教えてくれた下男の息子がやってくる。懐かしい思い出に浸っていたが、目の前に現れたのはみすぼらしい男でしかなった。貧乏人の子沢山に加え、飢饉や重税、悪政が重なり、疲弊の極みなのだ。その男は、どんなにどん底にあっても、香炉や燭台を求め、偶像崇拝の封建思想から脱していない。

主人公の「迅」はそんな光景に暗澹とした気持ちになるが、同時に自問自答を迫られる。自分自身が抱いている希望も、実際は自分が作り出した架空の像なのではないのか。「ただ、彼の望みが身に迫ったもので、私の希望がはるか先のぼんやりしたものである違いだけなのではないか(只是他的愿望切近,我的愿望茫远罢了)」、と。列強に浸食され、半植民地と化した祖国の人々はなお、奴隷根性を引きずって、個人が独立していない。そんな時代背景を背負いながら、魯迅は「人が歩いてこそ道ができる」と訴えた。

一方、ほぼ同じ時期、日本の高村光太郎(1883-1956)は『道程』(1914)を発表した。



僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

光太郎は高名な彫刻家、高村光雲を父に持ち、その権威の重圧に苦しんだ。欧米での遊学後、日本の美術界に反抗しながら、智恵子との愛によって生きる望みを取り戻す。『道程』は当初、102行あったが、すさんだ生活の日々を振り返る部分を切り落とし、父との軋轢を乗り越え、再生への決意を語る9行のみを残した。あくまで自分と向き合うことに主眼が置かれている。

光太郎が『道程』を書いたとき、日本はロシアを破って世界の列強に名を連ね、まだ昭和の暗黒は見えていない。一方、対岸の中国にあって、国家、社会の命運と個人の運命が分かちがたく結びつき、そこから目を離すわけにはいかない知識人の魯迅とは、時代背景も境遇も大きく異なる。魯迅は日本での医学留学の道を志半ばにして棄て、祖国で国民精神の改造に筆を振るう。「人を食う」儒教を封建思想の元凶とみなし、民主と科学のスローガンによって1919年の五四運動をリードする。魯迅が語る「道」には、大きな民族が想起されているが、光太郎の「道」はあくまで個人の人生に収斂している。大文字と小文字ほどの違いがある。

魯迅の「道」に関する名言には、前段に「私が思うに、希望は、あるとかないとかと言うべきものではない。ちょうど地上の路と同じだ」との一文がある。机上の論や現実逃避に甘んじることなく、目の前にある真実から逃げず、凝視しようする良心の決意と覚悟が感じられる。

だが、日中の偉人が残した言葉に共通点を見出すこともできる。悲観的な過去を土台にしながら、将来を楽観している明るさと強さである。この点において、私は中国の学生に両者の「道」をともに語り得るよりどころを探し得た。今週の「日中文化コミュニケーション」課程で、日中の「道」比較を語る準備をしているところである。学生たちは「武士道」「剣道」の研究発表を予定している。驚いたことに、アニメや電子ゲームの影響があるというのだ。

時代の移り変わりに驚くばかりである。
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米国の中国人留学生が語った「自由」と「空気」㊦

2017-05-28 19:05:06 | 日記
インターネット社会のおけるニュースの価値判断、背景分析をする際、注意すべきことの一つは、いかにニュースがつくられたのか、という視点である。

メリーランド大卒業式での中国人留学生スピーチを最初に報じたのは、民族主義を煽る論調で知られる『環球時報』である。弱い立場の個人でも、立場の違う者は平気で容赦なく攻撃する。メディア人の良心に欠けた新聞だ。党機関紙『人民日報』が発行母体であり、一定の支持層があるので、同紙での報道はある程度の権威を持って、たちどころに広がっていく。欧米に蔓延するポピュリズム現象の中国語版と言ってもよいが、市民参加という民主化の契機になる可能性が皆無である点で、大いに警戒しなければならない。

編集長の胡錫進が自分のブログでぬけぬけと、この記事をネットに流した経緯を書いている。

「環球時報の新メディアはよくやっている。論争を起こし、大衆に理性的な思考を促す助けとなった。ネット世論がこの事件について語った全体的な方向性は健全だと思う。もちろん、ネットではひとたび焦点となると、津波のような破壊力があるのも常だ。だが、これは別の問題である」

自分のメディアを正当化しようとしているのだが、言いたいことがよくわからない。もともと民族感情に訴えることを得意とする新聞社が、「理性的な思考」を語るのは虚偽にもほどがある。「健全」の中身も不明だ。

彼はその後、「単仁平」のペンネームで同紙に論評を書いた。問題の所在をメリーランド大学の管理にあると指摘し、「今回の件で留学生が受けた事実上の存損害を考慮せず、マイナスの影響を軽減する努力を一切していない。大学は、彼女は『間違っていない』と主張して火に油を注ぎ、彼女の中国世論における名誉を安っぽいマッチにみたてて火をつけ、自分たちの『高貴な価値』を映し出したのだ」と責任転嫁をした。

未熟な若者を商売のネタにし、最初に火をつけたのは誰なのか。私の周囲にいる、心ある中国人たちはみな『環球時報』の荒唐無稽な言い分に怒っている。あらゆるものを「愛国か売国か」「中国か米国か」の二分法でイデオロギー論争にすり替え、不毛で無責任な世論合戦を引き起こし、そこからアクセス数という利益をかすめ取る。まずもって批判すべきは、こうした無責任なメディアである。

今回の論争は騒ぎを起こしただけで、中国社会に何ももたらしていない。メディアの軽薄さには、もはやみなが慣れ切って、何の感慨も起こさない。

中国は今日から端午節の三連休に入った。休みが明ければまた、別の刺激的なニュースにみなが飛びつくだろう。良心を欠いたメディアの舞台裏では、理性や責任とは無縁の原理で、新たなニュースが作られていく。メディアも学ぶ学生たちも、下手をすると、知らず知らずのうちにそうした手法を学ぶようになる。より多くの人々に注目をされることが評価の基準になれば、メディア人の矜持も倫理も邪魔になる。倫理の不在は悪循環に陥る。

クラスの学生が近く、留学生スピーチ問題で研究発表を行う予定だ。メディアを学ぶ学生に伝えるべきは、いかにニュースが恣意的、意図的につくられ、真実がゆがめられ、捻じ曲げられ、そして、最後には世論という名の怪物が出現する、その過程を、たえず懐疑の精神をもって観察することの大切さである。怠慢が自由の放棄につながるのと同様、安易な迎合や妥協は、メディアの奴隷への道につながっていることを、肝に銘じなければならない。

(完)
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福岡県朝倉の「泥打ち祭り」が中国の有力動画サイトに!

2017-05-27 12:39:59 | 日記
3月末から4月初めにかけ、汕頭大学新聞学院の学生6人を引率して九州を訪れた環境保護取材ツアーの成果が、ようやく中国の有力メディアを通じて公表される。トップバッターは本日、動画サイト「梨視頻(lishipin)」にアップされた「泥打ち祭り」の作品だ。撮影・制作は3年生の陳嘉雯、翻訳スタッフは九州大学留学生の羅羚。福岡県朝倉に伝わる伝統的な豊作祈願の祭りだ。

(「梨視頻」)http://www.pearvideo.com/video_1085704?st=1&from=singlemessage&isappinstalled=1

厳粛な神前儀式から、子どもたちが生き生きとした表情で祭りの伝統を引き継ぐ様子がとらえられている。稲作との密接な関係も的確に描写されている。字幕は少ないが、中国のネットにおいて稀有な奇祭の映像が、多くの人々の関心を集めることを期待する。稲作文化、祭り文化は、日本を深く理解するうえで貴重な案内人となる切り口だ。

この場をお借りして、取材にご尽力をいただいた、

中国書店の川端幸夫氏
あさくら観光協会の里川径一氏
朝倉市商工観光課の隈部敏明氏・木原大志氏

の各位に深く感謝申し上げたい。

映像作品は引き続き「梨視頻」を通じて発表し、原稿は近刊の新華社発行『瞭望東方週刊』誌上で計8ページの特集が組まれる予定だ。こちらは日本語訳を作って、公表したい。
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