今年の夏休みは北京で過ごしている。先日来、多数の犠牲者を出した河南省鄭州の水害が大きな話題となっているが、北京も連日雨続きで、例年にない異常気象だ。それでも毎日、スイミングに通い、来学期に向けた健康づくりに励んでいる。
本日、中国で発行されている日本語雑誌『人民中国』に寄稿した文章がまずはネットにアップされた。同誌は1953年創刊の歴史ある雑誌で、中国国内においては唯一の日本語総合月刊誌である。
修復工芸「金継ぎ」が今、中国で注目されている不思議
7月10日、北京・前門の「MUJI HOTEL BEJING」でコロナ下の国際交流を探求する第2回「こんにちはサロン」を開き、そこで私が金継ぎに関する話をしたことは前回のブログですでに触れた。寄稿文では、それに加え、金継ぎがすでに庶民レベルで受け入れられ始めていることを紹介した。
その一つは、サロン直前の7月4日、私の学生が北京郊外順義区に金継ぎの陶磁器を取り扱う骨董商、その名も「古道具・土氣」を見つけてくれ、早速足を運んだことだ。オーナーは80年代生まれの吉林人、白昀沢氏。日本人の珍客をお茶でもてなしてくれた。
白氏は北京で工芸を学び、柳宗悦らが主導した日本の「民芸運動」に興味を持ち、自分でも金継ぎ作品を創作しながら、コロナ前は一か月のうち日本、韓国、国内にそれぞれ10日間滞在しな、金継ぎや鎹止めなど修復工芸の骨董を集めていたという。書棚には陶芸に関する日本語の雑誌や書籍などがずらりと並んでいた。
自宅のガレージを改造し、店舗兼アトリエの空間は狭いながらも、民芸調の雰囲気を味わうのに十分だった。
また、奇縁なのだが、第2回「こんにちはサロン」の会場に、北京三里屯の外交人員言語文化センターで金継ぎ教室を開いている李哲氏が来ていた。李氏はかつて北京に駐在する日本の新聞社で助手をしていたこともある。中国在名古屋総領事館に勤務時代、由緒ある「幸兵衛窯」(岐阜多治見)第七代加藤幸兵衛氏の従妹、加藤恵子氏に師事して金継ぎを学んだ。
金継ぎ教室の開講は今年6月だが、すでに教え子の生徒は外国人を含め7班計32人に増えている。私は7月24日、李氏に招かれ、同センターでほぼ前回同様の講演を行った。集まったのは愛好者ら約40人。熱心に質問をしてくる若者もいて、中国で金継ぎが静かなブームになっていることを身をもって知ったのである。
驚いたことに、李氏の友人で中国の人気女優、方青卓氏も飛び入り参加し、金継ぎの魅力について、「過去の失敗を埋め合わせ、新たな希望を与えてくれる」と、ユニークな解説をしてくれた。
今夏の北京はあいにく雨続きだが、芭蕉の句、
「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ おもしろき」
にもあるように、景色を遮るものがあってこそより趣が深まると思えばよい。中国において金継ぎが徐々に受け入れられている現状について、大きな収穫もあった。コロナ下だからこそ、身の回りを改めて見直す貴重な機会なのかも知れない。(完)