行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

師村妙石氏を描いた学生の記録映像が入選!

2018-04-28 18:04:10 | 日記
昨年の日本取材ツアーで学生の制作したドキュメンタリー・フィルム「師村妙石的人生之旅」(Life of Shimura)が、大学生向けでは権威のある第19回北京大学生映画祭オリジナル映像作品コンクールのドキュメンタリー部門で入選した。全国から総数で4200作の応募があった大きなイベントである。









私はナレーションや翻訳としても参加したので、特に思いが強い。北京で環境ビジネスを手掛ける佐野史明君も、日本の若者の声でナレーションに協力してくれた。5月4日、主催者の北京師範大学で最終受賞作品の発表式典があるので、私は学生に同伴し出席することにした。どんな結果になっても、褒めたたえ、励ましてあげたい。

取材をしたのは1年前のことだ。6人の女子学生を引率し、九州、主として福岡へ環境保護をテーマとした取材旅行へ出かけた。北京時代に知り合った外三上正裕・元日本大使館文化公使(現外務省国際法局長)から「北九州に行くのであればぜひ」と紹介を受けた。師村氏との出会いについては1年前、ブログで紹介したので繰り返さない。

【日本取材ツアー⑫】毎日、「寿」を彫り続ける篆刻家(2017年4月17日)
https://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/918216ddb7775e3ba8b603f73fd560d0

【日本取材ツアー⑬】反日デモをくぐり抜けた篆刻石柱碑(2017年4月18日)
https://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/1a1281615d994277ffdadaac9c933e94

取材対象としてはまったく考えていなかったが、師村氏の自宅に招かれ、不慮の事故で、24歳で亡くなった長男、八(ひらく)さんの話をしているうちにみなが引き込まれていった。彼女たちはいつの間にか、日ごろに培った記者精神を発揮し、カメラを回していたのである。容易にできるものではない。

映像作品は、師村氏本人の語り以外、長男が残した日記『駆け抜けたヒラク 人生の旅』の内容を再現しながら、師村自身の中国とのかかわりを重ねて描いた。タイトルの「人生の旅」は、親子の旅を含んでいる。







「これには『寿』が彫ってあります。息子が亡くなってから毎日、『寿』の文字を一つずつ彫り続け、もう3000を超えました。88歳には1万個になる予定です」

師村氏は、われわれに贈ってくれた取材チーム名「新緑」の書に、「寿」の印を押しながら、こう説明してくれた。「寿」には、生命の尊さと若者の成長を願う気持ちが込められている。長男の日記には、おんぼろの自転車で中国や日本を走りながら、自分を見つめ、人生とのかかわりを見出そうとする若者の姿が描かれている。先日、無錫で師村氏にあった際、すでに日記の中国語版発行が決まり、次男の冠臣さんが翻訳をすることになったと聞いた。その後、私が監訳を頼まれたので、喜んで引き受けた。人の縁とは不思議なものだ。





「自然は本当に厳しいものだ。それも全部自分で冬を選んだ結果であって、その和解策を見つけなければならないのも自分だ。頑張って身に付けたい。今の人間にかけている何かが何なのか、分かりそうな感じがする」

不慮の事故で亡くなる前日、八さんはこう書き残した。これが遺言となった。中国の学生が日本人の親子から感じとり、伝えようとしたものが形になり、多くの人から評価を受けた。わずかにかかわった日本人教師として、こんなうれしいことはない。4日は晴れ晴れとした気持ちで臨みたい。そして大いに祝杯をあげよう!

選ばれなかった学生たちからのエール

2018-04-20 22:56:02 | 日記
5月末から6月初めにかけての9日間、新聞学院の学生6人を率いて北海道取材ツアーに出かける。昨年、九州への環境保護取材ツアーが好評で、2年続けての日本プロジェクトが実現した。北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院から招請を受け、先週、私が直接、広州の日本総領事館に出向き、ビザの発給を受けた。

6人はみな3年生の女子で、初の海外が日本である。新品のパスポートに、桜が描かれた日本のビザが貼られているのを目にし、前回同様、感激した。



自分の目で異文化を見て、直に触れ、何かを感じとり、そして、自分を振り返る。異文化コミュニケーションの意義が存分に発揮されるよう、入念に準備をしなければならない。改めて重責に心を引き締めた。この点、北大が献身的に協力をしてくれているので、大いに力強く思っている。実にありがたい。

6人の女子学生は、参加申請者43人(うち男子は2人のみ)から書類選考で12人に絞り、面接の末、選ばれた。熱意があり、協調性があり、優秀な学生である。広東省出身が4人、あとは安徽省、山東省の出身だ。大学内の連絡用サイトで結果を公表した後、申請者全員にメールで、選考の過程を詳述した中国語で2000字を超える文章を送った。応募の際、公正、公平、透明な選考を約束すると明言したためだ。

公表前に結果を知った落選者から、「どうして私が漏れたのか」と尋ねられた。まだ若いので、自分の弱点が見えていない学生も多い。自信を持つことは大事だが、過剰では困る。そうした一つ一つの疑問に丁寧に答えてあげると、みな最後は納得する。私が選考の過程で、協調性をことのほか重んじていることについて驚く学生もいる。個人の能力を重視し、チームプレーの精神を養う教育が不十分なため、なかなか理解してもらうのが難しい。

だが、言葉の通じない異国で、場合によっては分行動しなければないない以上、お互いの意思疎通と協力は不可欠だ。すれ違いが、全体の成果に響くこともあり得る。限られた時間、限られたメンバーで取材を進める以上、分業も必要だ。人のために仕事をする気持ちがなければうまくいかない。

だが今回、意外だったのは、選考漏れした学生から、メールの返信として日本取材チームの成功を祈るメッセージが多数寄せられたことだ。

「報道チームの成功を祈ります! ずっとみんなの活躍を見守っています!」

「日本取材が万事うまくいきますように!」

「選ばれた学生はみな優秀な人ばかり。きっとうまくいくと心から信じています」

「選ばれなかったのは残念だけど、公平で公正な選考をしてくれたこと、細かく審査してくれたことに感謝します」

「こんなに長い文章で選考過程を説明してくれてありがとうございます。選ばれた人が十分な準備をしていたこと、そして、自分の足りないところがよくわかりました。まだ2年生なので、来年また挑戦したいと思います」

そして、中には日本語で「先生、お疲れ様でした。ありがとうございます」と書いてきた4年生もいた。その彼女の言葉が胸に残った。

「6人の後輩にはみな熱意と決意を感じます。自分がそれを十分に表現できなかったことを残念に思い、同時に反省しています。一つ一つのことを地道にやっていくことが大切であることを、後輩たちから学びました。とても貴重な経験になりました」

胸が締め付けられるような、それでいて温かさが残るような、澄んだ気持ちが込み上げた。わずかなひと言が、人を救い、人を勇気づけ、人の気持ちを晴れやかにすることがある。学生たちに教えられることも多い。

授業に招いた日本人ヘアースタイリスト②

2018-04-13 08:22:34 | 日記
日中文化コミュニケーションの授業で、北京から来た意外な日本人ゲスト、ヘアスタイリスト藤田幸宏さんの話が始まった。





縁あって北京に来たこと。中国社会が豊かになり、その勢いに乗って、サービス業の市場が大きく拡大していった様子。そしてファッションデザイナーだったスワトウ人妻との出会い。中国は離職率が高いが、彼の店ではスタッフに定期的な研修の場を設けていること。地方出身の若い女性が、実家への仕送りをしながらも、必死に技術を学ぼうと努力していること。







そして、今年の春節前からは、東京から出張美容師を受け入れる試みも始めたとの紹介があった。「東京で結果を出せる美容師が北京で通用するか」の実験だという。現地スタッフの刺激にもなるし、東京の美容師にも新しい取り組みを提供できる、日中双方にとってメリットがある。訪日中国人をターゲットにするぐらいなら、中国に来て直接サービスを提供する道を選んだほうがいい。そんなコンセプトがある。すでに来月には3回目が予定されており、順調な滑り出しだ。

驚いたことに、藤田さんは昨年から日本式カレーの店舗も手がけている。カレーはすっかり中国でも定着したので、学生たちの反応も敏感だった。





言葉もよく通じない中、中国人女性との恋愛、結婚の経験。彼女の実家の反対、日本人に対する抵抗感。彼女の父親と最初に食事をした際、1時間、まったく会話もなかった。板挟みにあった彼女の苦しみ。最後は周囲の祝福を受け、今ではすっかり家族の中に溶け込むことができた。北京の日本人学校に通う二人の男児もいる。なかなか聞くことができない貴重な話に、学生たちが静かに耳を傾けた。

女子学生からは、「流行のヘアスタイルは?」との質問もあったが、藤田さんの答えは、「特定の流行がなく、みなが個性的になっているのが今の流行」だった。どんなふうに彼女たちの心に届いただろうか。

学生たちがじかに知っている日本人は、これまで私一人しかいなかった。私には、そんな彼ら、彼女たちに、全く別の生き方をしている多くの日本人に触れ、何かを感じてほしいという気持ちがあった。思わぬ縁に感謝した。あとで学生たちの感想を聞くと、「よかった」との反応が大半だった。まず第一歩は成功だった。早くリレーのバトンが二番目に渡る日が来ることを願っている。

(完)

授業に招いた日本人ヘアースタイリスト①

2018-04-12 13:20:22 | 日記
先日、日中文化コミュニケーションの授業で、思いがけないゲストを招いた。ヘアスタイリストとして北京でヘアサロン「bangs」を経営している藤田幸宏さん。なぜ、彼が私のクラスに登場したのか。奇縁としかいいようがない出会いがあった。

藤田さんは現在45歳。1993年、東京原宿の「SASHU」で美容師としてのキャリアスタートさせた。日系企業の北京駐在員から強く勧められ、2003年8月、初めて北京を視察し、同年10月には開店準備を始めた。日本の業界の目が欧米に向いているさなかだったが、同じ骨格を持った東洋人を相手に、新たなチャレンジを選んだ。2004年7月、北京の繁華街に「bangs hair salon」を開店させ、現在では2店舗に、藤田さんを含め日本人スタッフ3人、中国人スタッフ9人のチームが働いている。

タイを旅行中の彼からフェイスブックを通じて私に連絡があったのは、昨年の3月1日である。私のブログが目に入ったようで、その感想が寄せられていた。

「私が普段中国で感じていること、また日本の報道への違和感も含めとても共感し、代弁していただいているような気になり、たいへん嬉しく読ませていただきました。そして最後の経歴の部分を読んで、また嬉しくなりました。今現在、加藤様は汕頭大学で教鞭をとられているのでしょうか?」

それに続く一文には驚いた。

「私の妻の実家は、汕頭大学の東門になるのでしょうか、そこで仁和商店というスーパーを営んでいます。向かいのお寺が、妻のおばあちゃんが運営するお寺でして、お寺の前のスーパーも、斜め向かいの小さなsundayスーパーも、皆家族です。私も毎年春節には、お寺で商売繁盛の大切なお参りをしています。息子たちも、長い休みには毎回汕頭で過ごしています。毎日スーパーのレジ周りでバタバタしています。汕頭大学の中でも、息子たちを連れてジョギングしたり、よく行きます。春節のお参りを終え、タイへの旅行中に記事を拝見し、なんだかとても親しみを感じてしまい、こうして連絡させていただいた次第です。もしスーパーに行かれるようでしたら
毎日私の義父、義母がいますのでお声掛けいただけると嬉しいです」

書かれていたスーパーは私がしばしば立ち寄る場所だった。まさかこんな地方で、こんな身近に日本人の縁があるとは思いもよらなかった。率直な文面に、私も親しみを感じた。ちょうど日中文化コミュニケーションの授業を開いたばかりだったので、私は返事をする中で、チャンスがあればぜひ、クラスで話をしてほしいとお願いをしておいた。それが1年後に実現したわけである。

4月8日、初めて大学内の喫茶店で会い、雑談をした。ちょうど翌日が授業だったので、講義をしてもらう約束を取り付け、私がもらった写真で急ごしらえのPPTを作った。









クラスの学生には前日、「明日は意外なゲストがある」と予告しておいた。授業当日の朝、私が藤田さんの義父母が営む大学近くのスーパーまで迎えに行き、いよいよ手作りの授業が始まった。

(続)

ブルームーンを主観的に「見る」ことの自覚

2018-04-04 20:27:48 | 日記
3月31日、ひと月に2回訪れる満月、いわゆるブルームーン(中国では「藍月亮」)の夜、あるクラスのグループチャットで「今夜の月は面白いよ」とアナウンスした。日々、勉強や各種活動に追われている学生たちは、概して周囲の自然現象に疎い。さりげない話題を振って、学生たちがどんな反応を示すのか興味があった。それを通じ、学生には、人間の外部環境に対する認識がいかに主観的であるかを知ってもらいたかった。授業で何度言ってもピンときていないように思えたからだ。

私は学内から見える満月の写真を次々に送った。













すると校外に出かけている複数の学生から、「今夜の月はとてもきれい」と何枚か写真が送られてきた。みなが「きれい(漂亮)」と感想を分かち合った。





私の目論見はどうもうまくいったようだ。そこで次の授業の冒頭、こんなふうに切り出してみた。

「君たちがみたあのブルームーンは、もちろん青くはなかったけれど、本当に”きれい”だったのだろうか」

キョトンとする学生たちに、こう続けた。

「私は次の夜の月も見たけど、前夜のブルームーンと同じようにしか見えなかった。みんなはきっとだれも見ていないでしょ。なぜ1日しか違わないのに、もう関心を失ってしまったのか……そんなにきれいなら、次の日また楽しんでもいいんじゃないのかな」

私が何を言おうとしているか、わかりかけた学生が、笑顔を見せ始めた。まずはメディアの場で、めったに見られないないブルームーンだと情報をインプットされた。それに加え、仲間と一緒に見ているという共感が加わり、もしかすると、ある学生はかつて見た満月の記憶まで動員し、またある学生は故郷にいる両親も同じ月を見ているのだと想像をふくらまし、そのうえで”きれい”だと感じたのではないか。

だとすると、私たちが「見る」とっている動作は、知識や感情、経験、記憶、想像など、個々人によって異なるさまざまな心の働きを動員し、対象に投影しながらある情報を受け取る行為だと言える。情報の重要な一つである日々のニュースもまた、私たちはこうして同じように接している。客観的な基準があるわけではなく、主観のぶつかり合いが議論を生み、公共の言論空間を作り出し、そこからいわゆる世論が生まれてくるのではないか。

また、携帯で画像を転送しあうのではなく、自分が時間と空間を持った風景の中に身を置き、周囲の空気を感じながら、自らの身体を使って見ることには特別の意味がある。情報を受ける際の身体性も無視できない。人は、月を見上げながら、同時に見上げている自分を記憶する。そこには身体がある。視覚だけでなく、耳に残る音や肌に触れる風、その場の匂いも同時に記憶される。もし食事の最中であれば、味覚さえも記憶の一部となる。情報との接触、受容には五感が総動員されるのである。

こう考えれば、色眼鏡とか、偏見とか、先入観とか、さらにはフィルターバブルに至るまで、そのこと自体の是非を論じることはあまり意味がない。むしろ主観のぶつかり合う議論の場、公共空間の構築こそが重要だとわかる。客観は議論を封じ込める絶対基準に化ける危険を持つ。主観を排除し、仮想の客観に付き従うだけでは、自由や選択を放棄することでしかない。その先にあるのは個人の主観が抹殺される全体主義だ。

私は月を見ながら、ひとりグラスを傾けた。月を盃に映し出し、自分の影を含め三人で”独酌”をした詩人の知恵を想いながら、至福の時を過ごした。以前、大学まで訪ねてきてくれた東京在住の中国の友人から、「月在花間」とのメッセージとともに、夜桜の合間からのぞく「藍月亮」の写真が送られてきた。





つくづく友はありがたい。