行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【2019古都取材ツアー⑭】京町家の再生に学ぶ

2019-05-30 10:17:21 | 日記
25日の「新緑」日本取材チーム報告会で、リーダーの付玉梅(ジャーナリズム専攻4年)は「京町家の再生」をテーマにPPTを用いながら講演をした。京都の町づくりにおいて最も重要な課題の一つであり、歴史と現代の融合を取り込んだ都市振興を目指す中国にとっても関心が高い。





現地の取材でお世話になったのはNPO「京町家再生研究会」のもとに生まれた職人集団「京町家作事組」。作事組代表理事で設計士の木下龍一さんと、施工担当理事で大下工務店代表の大下尚平さんが、町家や改修現場の視察など親切に対応してくださった。







「京都にとって京町家はbodyのようなもの」

木下さんのこのひとことが、学生たちにとって最も印象に残ったようだ。付玉梅も報告会で特にこの言葉を取り上げ、

「建物そのものには命がない。人がいて初めて呼吸をし、新たな血液を送り込むことで、生まれ変わっていく。京町家の再生は建築文化にとどまらず、庶民の生活と物語を後世に伝えていくことなのだ」

と総括した。大下さんからは、できるだけ材料を残し「復元を第一」にする職人気質を学んだ。物事の核心をしっかり把握した取材成果で、多くの参加者から共感を得た。



また、琵琶や茶道、歌の会を開き、伝統文化継承の舞台として京町家を生かしている京扇子「大西常商店」四代目女将、大西里枝さんの試みも紹介された。ちょうど同店で茶道と薩摩琵琶のイベントに居合わせた際、出演者が漢服姿で現れたのを見て、日中文化の深い縁を感じたようだ。







付玉梅の書いた原稿は最新号の新華社『環球』第11期(5月29日出版)に掲載され、表紙にも見出しが紹介された。破格の扱いである。一大学生が国家レベルのメディアに原稿を発表するのは容易ではない。よく頑張ったとほめてあげたい。







同じ原稿は29日、新華社の微信公式アカウントでも配信され、翌日にはアクセスが50万を超えた。
(http://xhpfmapi.zhongguowangshi.com/vh512/share/6165344?channel=weixin)

学生たちはまだ多くの文字や映像作品の制作に取り組んでいる。続々と日の目を見ることを期待している。

(続)

【2019古都取材ツアー⑬】感無量の分享会(報告会)

2019-05-27 10:05:47 | 日記
5月25日午後7時から9時半まで、汕頭大学図書館講演ホールで2019年「新緑」日本取材団の報告会が開かれた。8人のメンバーがそれぞれの取材テーマを映像や画像を用いながら紹介し、学生からの質疑に応じた。参加者は新聞学院の院長や書記、教師のほか学院内外の学生ら約150人。大盛況だった。チーム新緑の初代、第二代も顔をそろえ、このプロジェクトの意義を高めた。









今回は多彩なゲストの顔ぶれを迎えた。何といっても今回、貴重な協賛をいただいた笹川平和財団笹川日中友好基金から小林義之さんと早乙女尚さんの二人がお見えになった。新緑メンバーの学生だけでなく、学院にとってもありがたく、うれしい客人だった。夜中の打ち上げまでお付き合いしていただき、学生たちにとっては忘れ難い思い出となった。



このほか、学生たちの原稿を掲載予定の新華社『環球』から劉娟娟デスク、すでに映像を公表している広東紙『南方都市報』の記者・デスクもそれぞれ北京、広州から駆けつけてくれた。学生がプロと肩を並べ、権威あるメディアに作品を公表するのは至難だが、彼女たちの熱意が多くのメディア人を動かした。熱意と努力があればなんでも成し遂げることができる。彼女たちが自身の体験を通じこのことを実感できたことは、人生における大きな財産となった。









チームリーダーのジャーナリズム専攻4年、付玉梅が最後の総括で強調したのは、「珍惜」「缘分」「感恩」だった。縁を惜しみ、恩への感謝を忘れない。日本の古都での取材を通じ、一つ一つの当たり前のように思えることが、実は得難い、有難いことであることを知り、多くの人々に支えられていることを実感した。彼女は私に、「先生、ありがとう(有難う)の意味がようやくわかりました」と話した。

取材チームを支えるボランティアも1年生、2年生の14人が集まり、取材の支援や報告会の準備、当日の記録などを分担した。次は自分が参加したいと意気込む若い力である。一つのプロジェクトにこれほど多くの人がかかわっている。その輪は回を追うごとにますます広がっている。彼女たちの熱意が次回の力である。











まだまだ書き尽くせぬことがある。もっともっと感謝すべき人たちがいる。

(続)










【2019古都取材ツアー⑫】西陣の底力を感じた座談会

2019-05-21 09:47:31 | 日記
和服と同じ意味を表す呉服の「呉」が、中国江南地方の古称からきていると知って、中国の学生たちは驚いた。大阪が食い倒れならば、京都は着倒れと言われる。着物にこだわる伝統の根っこが中国にある以上、学生の取材テーマとしては欠かせない。ある学生が選んだテーマは、中でも代表的な伝統工芸、西陣織の再生だった。伝統と現代が交錯する場に、呉服の故郷から来た若者が居合わせること自体、奇縁を感じざるを得なかった。

まさに糸をつむぐように取材の輪が広がっていった。まず、学生時代の同級生で、出町柳・正定院の住職木村純香さんが西陣のイノベーションにかかわっている福田陽子さんを紹介してくれた。

福田さんは、大阪でWEBデザインの仕事をしていたが、2010年、着物に魅せられ京都に移り住んだ。
雑貨ブランド「西陣ごのみ」(http://gonomi-kyoto.com/)を生み出し、金糸や銀糸を使った斬新な西陣織グッズを開発するとともに、今は京友禅の企業で働いている。古い土地にあって、伝統を乗り越えるイノベーションはしばしば外からの力に触発されるが、福田さんはその好例である。
(産経新聞サイト参照 https://www.sankei.com/west/news/170220/wst1702200005-n1.html)

市場の縮小、後継者難と伝統工芸をめぐる状況は厳しい。そこに身を置く苦労ややりがいを聞きたい、というのが学生たちの期待だった。メールで取材を申し込むと、逆に以下の提案を受けた。

「次世代、西陣織を継承している若手経営者の中でイノベーションが起きている事を私も感じています。提案なのですが、西陣織の事業に携わり、イノベーションを起こそうとしている若手経営者が何名か知人におりますので、私だけではなく、その方々にお声掛けし、どこかの場所でトークセッションのような形で、お話できればと思うのですが、いかがでしょうか?実際の商品も一緒にご覧いただければ幸いです。」

福田さんのアイデアと行動力に感銘し、喜んで提案を受け入れた。彼女がつけたトークセッションのテーマは「西陣織の伝統とイノベーション」、司会進行も引き受けてくれるという。学生にとっては願ってもない、得難い機会だった。

時間はGW前の5月25日午後7時から、場所は若者とモノづくりをつなげるコンセプトで作られたというカフェ・ギャラリー「Senbon Lab」(https://www.senbonlab.com/)。バラエティに富んだ企業家、企業家が集まった。福田さんの呼びかけに賛同し、

同カフェ・オーナーの「西陣織circu」松田沙希さん https://www.makuake.com/project/circu/

「とみや織物」冨家靖久さん http://www.tomiya.biz/

「和工房明月」小谷千果さん https://www.kyotomeigetsu.com/

「寺島保太良商店」寺島大悟さん http://tabane-kyoto.com/

「岡本織物」岡本絵麻さん http://okamotoorimono.com/

「タイヨウネクタイ」松田梓さん https://taiyo-kyoto.com/

の計7人による座談会が実現し、学生3人と通訳1が参加した。福田さんの人脈、そして西陣織にかかわる人たちの熱意にただただ圧倒された。学ぶことの多い、忘れ難い京都の夜だった。









自由な議論を通じ、洋装を含めた服飾だけでなく、文化財から工芸美術、ネクタイ、雑貨など様々な分野での取り組みを知ることができた。家族経営の壁や保守的な風土など、克服すべき課題も提起された。伝統とは言っても、ただ慣習を墨守してきたのではなく、戦乱や遷都などの激変を乗り越え、絶えず新しいものを追い求めてきた。そして今もまだイノベーションの途上にある。京都をみる楽しみがまたひとつ増えた。

(続)

【2019古都取材ツアー⑪】痛感した中国人の存在感

2019-05-20 19:20:53 | 日記
私たちの訪日取材ツアーにとって非常に好都合なのは、どこに行っても有能な中国人留学生がいて、通訳の人材に事欠かないことだ。第一回の九州ツアーは九州大学大学院、第二回の北海道ツアーは北海道大大学院の留学生が手伝ってくれた。今回は古都の取材で、歴史や文化に関するテーマが主となった。通訳には一定の専門的知識が求められる。学生たちは頭をひねった末、中国語のSNS、微博(ウェイボー)や微信(ウィーチャット)を通じて適任を探そうということになった。



最初に見つかったのが立命館大学博士課程の女子留学生、向静静さん。日本史を専攻し、雑誌の編集責任者も務めているという。華道にも一定の理解があり、通訳として格好の人材だ。こちらの取材テーマリストを見て強い興味を示し、快諾してくれた。おまけに同じ日本史専攻の仲間2人、張琳さん、古文英さんも紹介してくれ、力強い通訳トリオが誕生した。


(右が向静静さん、京町家再生の現場)


(右端が古文英さん、金継ぎの取材現場)


(右端が張琳さん、左端が向静静さん、旅館「柊家」で)

さらに同志社の留学生会にコンタクトし、主として令和初日の取材をお願いした。当日は計4チームに分かれたので、4人の通訳が必要だったが、商学部や文学部在籍の苗文正さん、帖誠さん、蒲東寧さん、さらには友人の京都大学医学部博士課程、陳啓昊さんが参加してくれ、力強い助っ人を得ることができた。通訳をしつつも、地元テレビ局から取材を受けるというハプニングまであった。


(中央が苗文正さん、綴織技術保存会「奏絲綴苑」で)


(蒲東寧さん、東福寺駅で)


(帰国後、学生の誕生日にビデオメッセージを送ってくれた蒲東寧さん)


(鴨川べりで学生と偶然、出くわした陳啓昊さん)


(右端が帖誠さん、河原町で京都ミスきものの荻野まどかさんと)


(関西テレビの取材を受ける苗文正さんと陳啓昊さん)

今回、通訳を引き受けてくれた中国人留学生は、事前に私の学生と十分コミュニケーションを取り、専門分野についてしっかりと予習をし、立派に任務を果たしてくれた。単純な取材だけでなく、日本人との微妙なやり取りにも配慮し、的確な仲介役をしてくれた。

一方、中国人観光客の急増で、取材対象となる企業や店舗、団体のインターネット・サイトにも中国語版が続々と誕生し、学生たちにとって貴重な情報源となっている。もっとも翻訳ソフトの進歩で、日本語サイトが容易に閲覧できるようになった点も見逃せない。中国人観光客は、時として学生たちの取材対象にもなる。実にありがたい。

日中交流の環境はかつてないほど整っている。問題は、それを上手に、有効的に活用しようとする人間がいるかどうかである。

(続)

【2019古都取材ツアー⑩】京大短歌会に中国語で参加

2019-05-13 16:27:20 | 日記
京都・城南宮で「曲水の宴」を取材し、和歌の伝統に触れたことはすでに述べた。学生はさらに現代の若者に目を向け、自由な「短歌」という形式が静かなブームを呼んでいる現象について取材の計画を立てた。インターネットで京大短歌会の存在を知り、ちょうど私たちの滞在中、開催が予定されていた定例歌会への取材を申し込んだ。幸いなことに、会長の金山仁美さんから快諾の返事があり、あわせて、中国の学生も歌を提出し、全体の交流にも参加してはどうかと誘われた。「日中文化コミュニケーション」のクラスで日中の短歌翻訳には実績があったので、喜んで引き受けた。



定例の歌会は4月28日午後1時から、京大の西部課外活動棟で行われた。私は取材チームの学生3人(蒋楚珊、董柴玲、鄺靖怡)と通訳として立命館大博士課程の中国人留学生、向静静を伴って参加した。普段よりも多い12人が集まった。京大生のほか、近隣の学生、社会人もいた。最初に、各自が提出した歌をまとめた一枚の紙を渡され、作者が明らかにされないまま、一首ごとに参加者が感想を述べていく。作詞の技巧から言葉遣い、鑑賞、共感など、幅広く意見が飛び交う。最後に作者が紹介され、詩の種明かしがされる流れだ。

本件の取材の担当者、ジャーナリズム専攻3年の蒋楚珊は事前に計三首を作り、私が日本語の翻訳を添えて提出していた。余韻を残す日本人の歌に比べ、写実的な表現の多いのが彼女の作品の特徴だった。いずれもみなから高い評価を受け、本人は大喜びだった。私も交流に参加したので、蒋のそばにいて同時通訳をする仕事が重要だったが、向静静は十分に役割を果たしてくれた。彼女は非常に力強い存在だった。

以下が、蒋の詠んだ中国語の作品である。


仰望六十三层的高楼 汽车鸣笛催促 我回头看 流浪汉的胡须染上七彩的灯光
ビルの谷間 クラクションの音 轟いて ネオンが染める ホームレスのひげ


路过废弃工地 踏着雨声 在生锈的瓶罐中 发现新绿 工事現場
雨音を踏み そぞろ歩き さびついた缶に 新緑からむ


大雨如注 我向便利店的玻璃呼气 画出雨伞 附加一道彩虹
雨のコンビニ ガラスに吐息 吹きかけて 傘の上に 虹の橋描く



この日の歌会は盛り上がった。学生たちにとっては、日本の学生が自由に伝統的な歌を楽しんでいる姿が新鮮だったようだ。有意義な取材だった。宿舎に戻り、記念写真をメールで送ると、金山さんから、

「会員みな、はじめての歌会経験にとても喜んでおりました。こうしたかたちでお互いの文化の共有、発展が進むことを京大短歌一同望みます」

と返事をもらった。取材の成果が十分だったことに加え、若者たちの交流としても大いに意義深い機会だった。京大短歌会のサイトにも蒋の作品が一首紹介されていた。学生たちにとっては忘れ難い思い出になったことだろう。




(続)