行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「コロナ下の国際交流」を探る試み③

2021-05-07 19:31:37 | 日記
卒論審査が一段落し、今週末は学部の卒業記念イベント、来月には大学の卒業式が予定され、キャンパスは今、感慨深い門出の時期を迎えている。

3月27日、在中国日本大使館で、「コロナ下の国際交流」をテーマとしたイベント「こんにちはサロン」は成功をおさめ、日中両国で幅広い報道がなされたことはすでに書いた。コロナの影響は依然深刻で、人的交流がなお正常化に程遠い中、第二弾の企画も順調に進んでいる。改めて初回の試みを振り返ってみたい。

イベントを思いついた発端は、汕頭大学新聞学院の日本取材ツアー「新緑」が実現困難となり、メンバーの大半を占める四年生が卒業してしまう事態に直面したからだ。何か彼女たちに国際交流を体験させてあげたい。そんな思いを抱き、冬休みを利用して活路を見出す旅を始めた。

江蘇省無錫、北京を訪ね、知り合いたちと「コロナ下の国際交流」について議論をした。こうして無錫の国際桜祭りへの参加に加え、北京の日本大使館で「新緑」の歩みと成果を発表するイベントを開く構想が浮かび上がった。今学期が始まる前に中国語で8000字以上の計画案を書き、学内の意見を仰いだ。

だが、時間の猶予がないうえ、外交にかかわる手続きの煩雑さや、コロナによる集団行動の制限も加わり、学生を引率してのツアーは頓挫した。だが、そこで助け舟を出してくれたのは「新緑」の卒業生たちだった。







当日の会場では、「新緑」卒業生計10人がボランティアとして、このイベントために作ったオリジナルTシャツとマスクを着用して参加した。T-shirtとマスク、ポスター、シールのデザイン製作、事前宣伝、記念品の準備から会場の整理や受付、撮影記録、BGMの準備、お茶の用意、さらにはPPTの制作、取材報道にいたるまで、あらゆる仕事を引き受けてくれた。







彼女たちは北京のメディアで働く者が7人、そのほか、成都、重慶、海南島三亜で働く、あるいは学ぶ3人まで駆けつけてくれた。うち二人は私と一緒に無錫の国際桜祭りの取材にも同行してくれた。当日、仕事で来られない広州のOGは、「なにか手伝いたい」と申し出、多忙の中を縫ってポスターのデザインを担当した。それぞれが新聞学院の特性を生かした能力を発揮してくれた。

参加できなかった現役の学生たちだが、「新緑」のオリジナルジナル主題歌『新たな出発』のMV第二版を製作し、私の講演の最後に流した。会場から長い拍手の支援を得たが、現場で見ていた卒業生たちは、涙を流す者さえいた。

(『新たな出発』MV2.0)
https://mp.weixin.qq.com/s/L-wesvzZTUaMM47SNsIz6g




(「TOKOTOKO」大西邦佳さん提供)

前回のイベントにあたっては、「新緑」メンバーのほか、多くの中日の友人が参加してくれた。日本人留学生もいた。中には2012年から13年にかけ、日中関係が領土問題で悪化した際、一緒に現地からの生の情報発信に力を注いだ仲間もいた。困難な中での情報発信は今回も同じだった。

準備をする中で強調したのは、コロナ下で国際交流を行うことの「意義」だった。困難な時だからこそ、「意義」を共有することが大切だと感じた。「目的」という言葉は使わなかった。一人一人が自分の考えを持ち、それぞれの目的があってよいが、「意義」さえ共有できれば手を携えることができる。そう考えた。

さらに必要なのは「信頼」である。いろいろなリスクを斟酌し、「安心」「安全」な道を求めれば、最後には不作為の選択にたどり着くしかない。官僚主義の弊害である。私たちは「安心」を求めるのではなく、「信頼」に基づいて力を合わせたからこそ、短期間で効率的な作業ができた。「不安」は「不信」から生まれのであって、「信頼」があればあえて「安心」を求める必要はない。

「新緑」第三代リーダーの付玉梅(中国新聞社『中新経緯』記者)が4月2日午後4時半、新華社のアカウントで長文のイベント関連記事を発表したが、その夜のうちにアクセス数は100万を超えた。何よりも私たちを元気づけてくれた記事だった。

改めて感じたのは、「疾風に勁草を知る」である。「意義」の共有と「信頼」の基礎があったからこそ、困難を乗り越えることができた。「艱難汝を玉にす」の言葉を胸に、次の企画に取り組みたい。

(続)


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