行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

CCTVが放映した胡耀邦生誕100周年記念フィルムの大きなウソ

2015-11-23 15:31:47 | 日記
胡耀邦の生誕100周年を記念し、中央テレビ(CCTV)が20日から記録映像計5集を放映した。重要な功績を遺した指導者を回顧することは意義があるし、これまで十分に評価されてこなかった胡耀邦の名誉回復にもつながる。だが、映像の中に看過できないウソ、いやねつ造が含まれていたのは残念だ。残念で仕方ない。

1982年9月1日から11日まで中国共産党第12回全国代表大会が開かれた。文化大革命の後遺症を乗り越え、「中国の特色を持つ社会主義」という新たな概念のもとに改革・開放に向かってスタートを切った記念すべき大会である。引き続き13、14日に開かれた第12期第1回中央委員会全体会議で胡耀邦、葉剣英、小平、趙紫陽、李先念、陳雲を党中央政治局常務委員に選任した。

9月13日の『人民日報』には一面で常務委員6人の名前と写真が名目上の序列順に掲載された。写真は上段に並べられ、上段は胡耀邦、葉剣英、小平、趙紫陽、下段には李先念、陳雲が置かれた。ところがどうだろう。CCTVの『胡耀邦』第4集の画面に映し出された同日の『人民日報』は、実物とは決定的な違いがあった。



趙紫陽の名前が外され、上段の右端にあるべき彼の写真が李先念と置き換えられている。歴史に残る新聞紙面をねつ造するのは、歴史への冒涜であり、「実事求是」という中国共産党がモットーとする精神にも反する。『人民日報』は、メディア人として恥ずべき行為をしたCCTVに抗議すべきだ。もちろんCCTVも言論統制下にある以上、上層部の意向を受けたものであることは言うまでもない。だがそれでもなお、CCTVの責任者については、メディア人として最低限の良心は問われるべきである。

「実事求是」とは、事実に基づいて、真実を探求することである。習近平総書記も20日の胡耀邦生誕100周年記念座談会で「我々が胡耀邦同志を記念するのは、とりもなおさず、彼の実事求是の精神、勇敢に思索を開拓する精神を学ぶことだ」と強調している。どうしてせっかくの記念イベントを台無しにするこうした愚行が行われるのか。非常に残念だ。

胡耀邦は1987年、民主化を求める学生デモに同調したことで党内の保守派長老から攻撃され失脚する。1989年4月15日、失意のうちに死去するが、彼を偲び、憤る若者たちの追悼が同年6月4日、人民解放軍による武力鎮圧を招いた天安門事件につながる。胡耀邦から総書記を引き継いだ趙紫陽は天安門事件の武力鎮圧に反対して失脚する。

同事件後、胡耀邦と趙紫陽の2人は一時、メディアから姿を消したが、胡耀邦については復権が進み、それが生誕100周年記念座談会につながった。だが一方、趙紫陽は「学生らによる動乱を支持し、党を分裂させた」としてすべての職を解任され、党籍だけを残したまま1989年6月から92年10月までの3年4か月、党の審査を受けた。趙紫陽は自己批判を拒み続け、第14回党大会は「当初の結論を支持し、審査を終了する」と結論を出した。だが亡くなるまで当局の監視下に置かれ、外出も制限された。

農業の生産向上や経済体制、政治体制改革に力を尽くした業績に関する記事は一部メディアで散見されるようになったが、依然、タブー視される風潮は変わっていない。今回の『人民日報』ねつ造事件が何よりもの証左だ。とにかく残念だ。中国語で言えば「就是太遗憾!」。だが失望はしない。良心を失っていない人はまだたくさんいる。CCTVの内部にもそうしたメディア人はいると信じる。悲観からは何も生まれない。少しでも前に進むべきだ。そのためのこの一文を書いた。

自分自身、日本人としても過去の歴史を誠実に学び、将来への教訓としてくみ取るべきであると改めて肝に銘じたい。二重基準は許されない。