行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【2019古都取材ツアー⑳】名誉メンバーになった女性住職

2019-06-30 09:45:42 | 日記
大学の卒業式も終わり、2019年日本取材チーム「新緑」第三代のメンバー2人も旅立った。学期末は18年参加の第二代と一緒に何枚も写真を撮った。





連載も今回を最終回とする。最後に、何度も名前をあげてきた大学時代の同級生を改めて紹介したい。学生時代の名前は石原多香子さん。卒業後は京都で英語教師をしていたが、お父さまが亡くなった後、実家の京都出町柳・正定院を継いで女性住職になった。結婚して改姓したため僧名は木村純香さんである。すでに社会人の息子さん2人がいて、都内の金融機関に勤める次男の武揚さんが跡を継ぐことになっている。

京都は保守的な町で、一元さんはなかなか入り込めないとよく言われる。一概には言えないだろうが、今回の取材で、彼女の助けがなければ、多くの重要な取材が実現しなかったことは確かだ。西陣織の座談会を企画してくれた福田陽子さん、「ひさご寿司」女将の宇治田恵子さん、「柊家」女将の西村明美さん、冷泉家当主の冷泉貴実子さん、みな純香さんの紹介によるものだ。あたかも自分が私たちメンバーの一員になったかのように、責任感と使命感をもって、一緒に取材相手を探してくれた。

平成最後の4月30日の夜には、私たち全員がお寺に招かれ、抹茶と精進料理をごちそうになった。檀家さんや近所の友人が手伝いに来てくださり、格別のもてなしを受けた。それだけではない。わざわざ中国の学生のために、地元の人を集め貴重な伝統芸能、六斎念仏まで披露してくれた。地元の田中村に伝わる六斎念仏は、応仁の乱の間に始まったとされ、戦後、一旦途絶えた後、1998年(平成10年)に再興された。東京で仕事をしている武揚さんも一時帰宅し、私のリクエストにこたえ、獅子舞を踊って見せてくれた。















新緑のメンバーから感謝状と記念の大学ペナント、メンバー用のバッジが贈られ、文字通り、新緑の名誉メンバーになった。







手厚いおもてなしに、学生たちはただただ感動するばかりだった。最終日の食事会にもわざわざ足を運び、渡し忘れたと言って、「一期一会」と書かれた書の絵葉書を学生たち全員にプレゼントしてくれた。一人の学生はその写真をウィーチャットの自分のアカウント写真に使っているほどだ。



宿舎を出発する直前の早朝にもちょっとしたハプニングがあった。

学生のカメラ用三脚が見つからない。4月30日の夜、正定院を出て、令和のカウントダウンを取材する準備のため向かいのカフェに入った。そこで忘れたようだ。ネットで電話番号を調べたが、早朝で店員がいるわけもない。頼みの綱として彼女にすがったところ、なんと彼女のご主人がカフェの店長と懇意で、すぐに携帯で連絡を取ってくれた。素早い対応で、三脚を入手でき、私たちのバスは正定院経由で関空に向かった。

忘れ難い最後の思い出となった。

すべての好意と厚意に対し、木村純香さん、正定院に深く感謝申し上げたい。どうもありがとうございました!

多くの方々の支えによって今年の日本取材ツアーを終えることができた。原稿や映像の作品はまだこれからも発表する予定である。と同時に、来年の開催向け準備も始まった。

(完)


【2019古都取材ツアー⑲】冷泉家の雛飾りに驚き

2019-06-16 19:44:09 | 日記
京都・城南宮でタイミングよく曲水の宴の取材が実現したが、和歌の伝統行事を現代社会と結び付け、どのように中国の人々に伝えればよいか。これが取材計画を練る段階で大きな課題となった。単なる物珍しい観光イベントではない。復古ではあっても、現代との接点が必ずある。和歌の伝統継承と同時に、若者の間に広まっている短歌ブームを対照させて探求してはどうか。こうして取材対象探しが始まった。

若者についてはすでに紹介した通り、ネットで京大短歌会と連絡を取り、幸運にも定例の短歌会に参加することができた。
【2019古都取材ツアー⑩】京大短歌会に中国語で参加https://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/03d6d6ff7f1ff239805185aedd4532e5

では、伝統的な和歌の伝承についてふさわしい対象は・・・言うまでもなく平安時代の藤原俊成・定家父子を祖とする冷泉家である。冷泉家時雨亭文庫は定期的に歌会を開く一方、毎年、上加茂神社で行われる曲水の宴にも歌人を送っている。これ以上望むべくもない取材対象だが、敷居は極めて高い。ここで救ってくれたのは、またもや同級生の正定院住職、木村純香さんだ。彼女の縁を通じて第25代当主夫人の冷泉貴実子さんへの取材が実現した。超多忙な折、実に得難い機会だった。



5月25日の学内報告では、担当の蒋楚珊(ジャーナリズム専攻3年)が取材内容を紹介した。





冷泉家時雨亭文庫は御所の北側の向かいにある。冷泉家は1000年近く続く歌道の祖であり、200年の歴史を有する建物は、完全な形で現存する唯一の公家屋敷だ。明治期、天皇とともに旧華族が東京に移ったが、貴重な書籍資料を保存する冷泉家は残り、戦火を免れた。

時間が止まったような和室の中に足を踏み入れ、学生たちはさすがに息をひそめた。体全体で歴史の重さを感じようとしているようだった。みんなの目の前に現れた冷泉貴実子さんは、その重さを体現した存在だったが、物腰は柔らかく、8人の学生たちに気さくにお茶とお茶菓子をすすめてくれた。質問を担当する学生も緊張がほぐれ、ゆったりとした気持ちで取材ができた。

冷泉家時雨亭文庫の庭には、国風化以降の「右近の橘、左近の桜」ではなく、中国の影響を残した「右に橘、左に梅」が植えてある。冷泉さんから、中国の影響はそれにとどまらないことを教えられ、学生たちはますます話に引きこまれていった。

冷泉家では農暦(陰暦)を中心に年中行事を行っており、中でも七夕の七月七日には重要な「乞巧奠(きっこうでん)」がある。織姫に針仕事の技術を「乞巧=請う」というところから派生した中国の習俗である。この日は、天の川に見立てた白い布に向き合って男女が歌のやりとりを行うという。

和歌が伝統の型を通じて感性、感情を共有するのに対し、明治以降に発展した短歌は型を打破し、個人の気分を歌い上げる。全体と個の対比としてもとらえられる。年中行事は感動の共有に欠かせない儀式となる。





さらに驚いたのは、奥の間に案内されて拝見した雛飾りだった。歴代の冷泉家女性の歴史を刻む文化遺産と言ってもよい。天皇家から贈られたという人形もある。京都なので、男雛が左(向かって右)、女雛が右である。左を右よりも重んじた中国唐代の風習を残している。そこで冷泉さんが学生たちに、一群の人形や掛け軸の絵を指さし、

「これは西王母、知っている?」

と尋ねた。学生たちはキョトンとした表情を見せる。旧暦3月3日は桃の節句と言われるが、西王母こそ長寿の象徴である桃と切り離せない人物なのだ。中国には、女性の仙人・西王母が三千年に一度しか実のらない桃を漢の武帝に献上し、長寿を願ったという物語がある。そんな中国古代の伝説が、日本の旧貴族の家に伝わっていることを目の当たりにした学生たちの感動はいかばかりだっただろうか。

その感動を一緒に共有できた私にとっても貴重な体験だった。

(続)

【2019古都取材ツアー⑱】ショート・ビデオ3本を発表

2019-06-11 18:19:14 | 日記
大学は学期末、卒業式を控え、慌ただしい時期を迎えているが、日本取材チームの学生はその傍ら、作品作りに精力を注いでいる。文字の原稿ばかりでなく、今回は映像作品にも力を入れた。選考した8人のメンバーのうち、呉珂(5年)、鄺靖怡(3年)、羅桂紅(3年)の3人は映像を担当するテレビ・ラジオ専攻の学生である。

日本に事前する前に北京、上海、広州の各メディアをめぐって取材テーマを説明するとともに、相手方のリスエストに対応した作品提供を心掛けた。もちろん中国はネットメディアが中心である。紙媒体であれ、独自に携帯や動画アプリに対応したニュース素材を発信している。そうしなければ到底、生き残ることはできない。

事前調査ではっきりしたのは、映像ニュースについて求められるのが、2分程度で、テーマを一つにしぼった「短視頻(ショート・ビデオ)」であることだ。簡便な情報の受信スタイルに慣れた現代ユーザーの要求を反映したものである。学生には各自10分程度の独自作品を残すと同時に、短視頻の形でもできるだけ発信するよう求めた。かなりハードな仕事になったが、とうとう3本の短視頻を残した。いずれもよくできた作品である。よく頑張ったとほめてあげたい。

3本とも広東省の有力大衆紙『南方都市報』が運営するサイト「N視頻」を通じて発表され、日本大使館のミニ・ブログ「微博(ウェイボー)」に転載され、最後は『人民日報』の人民ネットにも掲載された。学生の作品としては破格の扱いと言ってよい。

以下、人民ネット(「笹川日中友好基金」ページ)に掲載された3作品を紹介したい。

「4月29日、城南宮の曲水の宴」 http://spfjc.people.com.cn/n1/2019/0513/c367959-31081898.html




4月29日,日本京都城南宫举办了曲水之宴活动。当日的歌题为“岭云”,出自与日本新年号“令和”相同的《万叶集》序文选段。七名身着平安时代装束的歌人依水而坐,伴着悠扬的筝音,歌人执笔写下和歌,取酒饮尽。曲水之宴沿袭了中国魏晋《兰亭集序》及当时文人雅士举行修禊祭祀仪式。近五十年来,城南宫每年在4月29日和11月3日举办两次曲水之宴活动,展现日本传统歌道文化。
摄像:2019年汕头大学“新绿”日本报道团 剪辑:邝靖怡、罗桂红 文字:蒋楚珊

「漆芸舎・平安堂の金継ぎ」 http://spfjc.people.com.cn/n1/2019/0612/c367959-31132827.html




金缮是日本的一门传统陶瓷修复工艺,主要是借助天然生漆黏合破碎的器物,再用金粉或金箔对裂痕进行修饰。为了使更多人接触这门工艺,京都漆芸舍平安堂在店内开设了体验教室。漆艺修复师清川广树表示,修复破碎的器物,不仅是对自然的感恩,也是对人的情感的珍惜。他在修复前坚持与主人进行沟通,了解器物背后的回忆。修复过程也不是简单的技术修理,而是通过艺术的手法给这些残缺的物品第二次生命。
视频:2019汕头大学新绿日本报道团 摄像:罗桂红 剪辑:罗桂红 文字:付玉梅

「高台寺のアンドロイド観音」 http://spfjc.people.com.cn/n1/2019/0612/c367959-31132843.html




2019年,坐落于千年古都京都的高台寺引入了观音机器人Minder,于3月8日到5月6日向公众开放。Minder是一件半人形半机器的科技作品,由以研发机器人闻名的大阪大学教授石黑浩的研究室研发制作,并立于高台寺内为民众讲经。配合现场音视频内容,Minder相应做出合掌、张开双臂、张合嘴巴等动作。
文字:李梓毅 视频:邝靖怡 蒋楚珊 剪辑:邝靖怡

(続)




【2019古都取材ツアー⑰】絵ハガキ10枚の思い出

2019-06-11 14:05:14 | 日記
地味に歩んでいれば、だれかが見つけてくれる。言ってしまえばやさしいが、なかなか教えの通りを実感できる経験はない。

今回のツアーで資金難を乗り越えた経緯は、すでにこのブログで紹介した。

【2019古都取材ツアー③】どん底からの復活
https://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/815dcd131a7c493759c1baf4366b2258

実はもう一つ、得難い体験があった。

大学のすぐ向かいにある医薬品会社の代表、鄭会義さんと懇意にしていて、時折、彼の事務所で地元のお茶をごちそうになっている。娘さん二人が東京で暮らしていて、しばしば訪日していることもあり、日本文化への理解も深い。いつも茶を飲みながら、地元の文化や日中文化の違いなどについて自由に私見を交換する。早朝から話し始めて、気が付くと昼になっていて、そのまま会社の食堂から昼食を運んできてもらうこともある。

潮汕地区は茶文化が色濃く残っており、一緒に茶を飲めば「自己人」、つまり家族も同じだという言い方さえある。北方で酒を飲めば兄弟だというのと似ている。彼はまた人一倍茶にこだわりがあり、金に糸目をつけずに銘茶を集めてくる。それを分かち合う関係は、格別の待遇である。だからふだんから私も最優先に彼との時間を過ごしている。

日本取材ツアーについてもふだんから紹介をしていて、彼も強い関心を持っていてくれた。いつか学生と一緒にいらっしゃいという言葉に甘え、出発前、8人全員を連れてお邪魔した。茶を飲みながら雑談をしていると、彼は奥の部屋から分厚い封筒を持ってきて、私たちに差し出した。

「道中、懐が豊かな方がいいから使ってください」

私に全く他意はなかったが、彼に不要な気遣いをさせてしまったようだ。すでに費用は足りており、どう扱えばいいかわからない。学生たちも驚き、当惑している。そのまま返すのは失礼なので、とりあえず賛助としていただき、使い道は戻ってから考えると伝えた。こちらの経費が必ずしも十分でないのを察し、気を使ってくれたのだ。多額な賛助よりも、彼の気持ちがうれしかった。突然の好意に接し、涙を浮かべている学生もいた。深い感謝の気持ちを胸に、4月末、私たちは日本へ旅立った。

戻ってから学生と相談し、学生が使用する映像用のソニー製カメラを一台購入することにした。学生にはもったいないほどの高級な機種だ。すでに、来年に予定している次回日本取材ツアーの参加予定学生が、訓練のために使用している。それでも若干の賛助が残ったので、報告会の出席者に配布する記念絵葉書を作った。計10枚で、取材の思い出がつまった写真ばかりだ。


(令和第一日目5月1日の祇園界隈)


(4月29日、城南宮「曲水の宴」)


(西陣織「とみや織物」屋上から見た京都の街並み)


(高台寺のアンドロイド観音)


(京町家作事組に案内された京町家の室内)


(西陣織の作業風景)


(瑞泉寺での取材風景)


(冷泉家時雨亭文庫のひな人形)


(漆芸舎・平安堂での金継ぎ体験)


(正定院で田中村六斎念仏のメンバーと記念撮影)

また、候補に挙がりながら、入選に漏れた写真もある。懐かしい作品なので、以下に紹介したい。







(続)

【2019古都取材ツアー⑯】女将(おかみ)のもてなし

2019-06-10 17:52:04 | 日記
今回の取材チームで唯一、訪日歴のあったテレビ・ラジオ専攻4年の呉珂は、日々の生活に密着した、より深いテーマを選びたいとこだわった。卒業を控え、学生生活の集大成として全力を注ぎたい、というのだ。そこで私が提案したのが京都の「女将(おかみ)」だ。中国にはない「女将」を通じて、日本の女性、おもてなし文化を取材しようという企画である。彼女の専攻を生かし、映像によって描かなければならない。至難のテーマだった。



漢字で「女将」と書くと仰々しいが、「おかみさん」とひらがなで書けば親しみがわいてくる。もとは「お上」であることを考えれば、そこに敬意も含まれている。世故にたけ、きめ細かい心遣いで、かゆいところに手の届くもてなしをしてくれる、人情味あふれた女主人である。

だが問題はいかにして取材を受けてくれる女将さんを探すかである。平成から令和にかけた大型GWであり、接客業に携わる女将さんたちにとっては超繁忙期だ。中国からメールを送って、快諾の返事がくるとは思えない。ましてやプロではない学生の取材に、果たしてどこまで理解を得られるかも難題だ。

そこで頼ったのは、大学時代の同級生で、京都・出町柳の正定院で住職を務める木村純香さんだ。歴史あるお寺で、かつ社交家でもあり、人脈が広い。保守的な土地柄で、人間関係がモノを言う京都の町では実にありがたい助っ人だった。彼女の素晴らしい働きぶりについては別途、詳しく述べたい。





紹介を受けた一人は、四条河原町の繁華街にある「ひさご寿司」の宇治田恵子さんだ。朝の神社へのお参り、店の掃除から夜の店じまいまで、みっちり密着取材する了解を得た。日中、小鼓の稽古にまで同席を認められ、日本の伝統文化に接する貴重な機会ともなった。非常にありがたい取材だった。

「せっかく中国から来たのだから、取材を受ける方もきちんと対応したい」

宇治田さんが一つ一つの質問に対し、理路整然と、誠実に応じてくださった姿勢が学生たちの心を打った。「これこそがおもてなしなのだ」と彼女たちは実感した。

もう一人は、老舗旅館「柊家」の六代目女将、西村明美さんだ。柊家は創業200年の歴史を有し、明治期には正岡子規や高浜虚子が交友を深め、やがて川端康成が定宿にしていたことでも知られる。西村さんは「京都みやこ女将の会」名誉会長を務め、名実ともに日本を代表する女将さんである。これもまた得難い機会だった。



午後、わずかに空いている時間を割いて、取材に応じてくださった。急用で約束に遅れると、その分、時間を大幅に延長してくれた。またまた、これこそがおもてなしであると、学生たちは改めて実感できた。





柊家の玄関には、「来者如帰」の書が掛けてある。幕末、薩摩出身の漢学者、重野成斎の筆で、我が家に戻った時のように客人を迎える、と接客の心得を説いたものだ。

西村さんにはまた、生け花を通して接客の心を養うという女将の道も教えてもらった。毎日、各部屋、廊下に、それぞれの場所にふさわしい花を生ける。周囲の風景になじみ、溶け込みながら、見るものにもてなしの心を伝える。花の表情がそれぞれ異なることを思いながら、宿泊客が求めるものも千差万別であることを学ぶ。

「お客さまから言われる前に、何を求めているかを察する」

「お店への愛が大事」

耳慣れない、異なる文化の深淵な言葉に、学生たちはしばし絶句した。



インターネットで「おもてなし」の解釈をいくら調べても及ばないほどの実体験ができた。

(続)