行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

生誕100周年を迎えた胡耀邦故居は小雨が降っていた

2015-11-21 04:07:26 | 日記
胡耀邦が生まれ育った湖南省瀏陽中和鎮は、同省の省都・長沙から100キロ。長距離バスで瀏陽市まで行き、そこからまた別のバス乗り場で乗り換えて中和鎮まで。長沙から瀏陽まではほぼ1時間おきにバスがあるが、中和鎮までは1日に計4本とのこと。帰りの便も考えると、「1日がかりになる」と聞かされ、タクシーをチャータすることにした。毛沢東故居のある韶山には高速鉄道の駅があり、長沙からも1日観光バスが出ており、かなり観光化されているが、それとは雲泥の差である。


生誕100周年の当日だが、カウントダウンの表示が「0日」になっているほかは、格別のにぎわいはない。近辺の農村から来たと思われる観光バスが数台停まっていたほか、マイカーが50台ほど並んでいた。外国人を含めすべての来訪者に開放されており、入場は無料である。秋の紅葉と小川の清水を楽しみながら散策できるようになっている。


土産店にもほとんど胡耀邦グッズは並んでおらず、地元特産の漬物や飴などが売られているだけだった。似ていない生誕100周年記念肖像画があったが、買っている人はいなかった。改装していた陳列館を楽しみにしていたが、24日にならないと一般開放はしないとのこと。どうも23日に指導者が着て盛大なセレモニーをやるらしい。20日は北京の人民大会堂で、習近平をはじめ常務委員7人が顔をそろえた記念座談会に重点が置かれ、地元はそれに続いてということなのだ。

故居の先、噴水のある大きな池を望む高台に何棟か新しい建物が並んでいた。まだ一般開放はされていない。「胡耀邦芸術館」の看板がかかっているものもあった。これから少しずつ整備が進められるのだろう。本人の名誉回復と同時に、規模も拡張していくというわけだ。だが毛沢東故居のように過剰な商業化が進むことは故人も親族も望んでいないだろう。もっとも知名度の低い胡耀邦ではそこまでの集客力はない。ただ忘れられていくのも悲しい。山里の風景を守りながら、若者が集う宿泊施設や学習施設に生まれ変わるのが、共青団を率いた胡耀邦にふさわしいような気がする。

故居入り口の巨石に赤い字で「廉」と大きく刻まれていた。やはり商業化とは程遠い。利益ばかりがもてはやされる社会に対する頑固な一文字だ。「今の党員に最も欠けているものだ」と語りかけているように感じた。赤い色が色あせないことを望む。

視察記の詳細は29日の講演会にまとめて行いたい。『胡耀邦文選』がこの日発行されたが、長沙市内の新華書店にはまだ届いていなかった。国内の一部報道を見る限り、多くの期待できそうにない。習近平演説も彼にしてはあっさりしているように見えるが、これについても日を改めて分析してみたい。

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